画像で見るざっくり西洋ファッションの歴史【男性編】
知ってるようで知らない西洋のファッションの歴史を勉強がてらざっくりまとめてみました。
更新日: 2015年01月18日
知ってるようで知らない西洋のファッションの歴史を勉強がてらざっくりまとめてみました。
更新日: 2015年01月18日
紀元前5世紀頃 ギリシャ
ギリシャ文明においては男女ともにヒマティオンやキトン、ペプロスといった、一枚布を体に巻きつけて装うシンプルな服装を好んでいた。生地などに高級品・下級品の差はあったが、衣服自体に男女や身分の差はほとんど見られなかった。
古代ギリシャの衣装キトン。
ウールかリネンの一枚布を体にかけ、帯やピンによって着つけ、両肩で留める着方と左肩のみ留める着方がある。
用途や身分によって丈が異なっていた。
紀元前1世紀頃 ローマ
ローマ時代に入って身分標識の衣装となるトガ(トーガとも)が生まれ、材質、着つけ、色や装飾などで細かく身分の分類が行われた。
ローレンス・アルマ=タデマ《ティトゥスの凱旋》(1885 )
古代ローマの代表的な衣服トーガ、共和制初期には男女とも着用したが、共和制中期には男性のみのものとなっていく。
色や縁飾りのデザイン、巻き方などによって社会的地位を表していた。
ビザンツ帝国
ゲルマン民族大移動の頃にはすっかり異民族スタイル(オリエント含む)に感化され 長ズボンはローマに定着していた。
男性はペルシアや中央アジアから移動してきたフン族やゲルマン人の影響を受けズボンをはくようになる。
ゲルマンの服装は「マント+上着+脚衣」という三つの要素からなり、これがそのまま「中世服飾」の基本形式となる。
Grevel《Ancient german family》(1913)
男性の服装はウールやリネンの尻からひざ上丈のチュニックにズボンであったが、ビザンツの文化の流入により上流階級の服装はビザンツ風になっていった。
12世紀頃 オリエント文化の影響
十字軍遠征によるイスラム文化の影響により、男性の服装が“女のような”優雅な長衣「bliaut(ブリオー)」になる。
12世紀の写本の口絵より
ブリオーは上半身にフィットした袖の大きなチュニックであり、男性のものは女性に比べ丈が短く、袖も小さかった。また、ブリオーの下にブレーというズボンを着用した。
13世紀頃
しかし、ブリオーの時代は長くは続かず、続いてコットという体にぴったりした服が流行する。これは肘から手首までをボタンで留める長くぴったりした袖を持ち、脇をひも締めする、やはり丈の長いチュニックだった。
ヴァロワ朝国王ジャン2世
コットはブリオーと異なり袖は細い。ボタンが普及する前は着脱のたびに袖を縫い合わせていた。
15世紀 ルネサンス期
15世紀には甲冑の下に着る緩衝用の下着が上着に変化したジャケットの原型ができ、男性はズボンと上着の組み合わせ、女性の細い胴を強調するワンピース型ドレスと、男女の服装の対照が明確になり、近代ヨーロッパ服飾につながっている。
プールポワンが男子の一般服として使われるようになったのは14世紀半ば以降で、チュニック形式に代わる画期的衣服として、貴族のみならず商人・庶民もこれを着るようになった。
プールポワンはダブレットとも呼ばれる。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオによる神聖ローマ皇帝カール5世の肖像。
16世紀になるとプールポワンに詰め物をし、肩や胸を厚く見せるようになる。
丈の短いプールポワンが日常的として定着すると、用便のために前の開いた下着の陰部を隠すためコッドピースが必需品となり、どんどん装飾が施されるようになる。
この頃のファッションの中心はスペイン。
16世紀 バロック
メンズファッションもドレスと同様、16世紀から17世紀へはいると軽く、明るく変化し、細かな装飾の流行は刻々と変化していきました。スペイン式の高く首を覆う襟はすたれ、現代の襟の構造と同じ、折り返しの式の襟が登場。
ファッションの中心はフランスへ
アンソニー・ヴァン・ダイク《ジョン・ステュアート卿と弟バーナード・ステュアート卿の肖像》
プールポワンにはスラッシュ(切り込み)装飾が取り入れられている。
1630年頃から戦乱が各地で起こるようになり、衣服ややが活動的になっていく。プールポワンやズボンに詰め物をしなくなり、ズボンも膝下丈となる。
バロックは服飾史の観点からも、「レース」、「リボン」、「ヒールの付いた靴」などに代表される「襞の時代」であるといえるだろう。
Jacob Ferdinand Voet《メディナセリ公爵の肖像》
長い巻き毛のかつらが一般化。
1680年代頃にはプールポワンは廃れ、フランス宮廷衣装に代表されるジュストコール(コート)・ジレ(ベスト)・キュロットの組み合わせが人気となっていく。
フランス革命期まで基本的な構成は変化しない。
18世紀 ロココ
18世紀の男性服は、17世紀のそれのような奔放さは影をひそめ、洗練されたものになっていき、世紀を通してスタイルに変化があまりみられない。フランスでは17世紀の上着である「ジュストコール」が18世紀中頃には「アビ」(コート)と呼ばれるようになる。
革命期までジュストコール(コート)・ジレ(ベスト)・キュロットの構成が定着するが、細部は洗練されていく。
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