<検証 新型コロナ>(1)クルーズ船入港「さぁ、どうしようか」 災害派遣を要請、病床確保に奔走

2020年7月24日 07時38分

「体制を整えつつあるところで、クルーズ船が来た」と語る中沢さん

 「これは増えるかも。展開が早い」
 二月四日朝、県の医療行政を統括する中沢よう子医務監(59)は部下からの報告に身構えた。三日に横浜港に入港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客の検査に協力してほしいと厚生労働省から依頼が来ていた。「横浜検疫所だけでは間に合わないということか」。三日夕方、具合の悪い人は数人だと聞いていた。たった一晩で−。
 昨年末に中国・武漢市で新型肺炎が発生したと報道され、県内では一月十五日に国内初の新型コロナウイルス感染者が確認されていた。一方で、世界保健機関(WHO)は「人から人へ感染しない」との見解だった。「海外の情報を集めたり、どういう想定ができるか情報共有したり、体制を整えつつある状況で(クルーズ船が)どーんと来て。さあどうしようか、と」
 同じころ、県庁のテレビでクルーズ船のニュースを見た健康危機管理課の吉田和浩副課長(47)の頭に浮かんだのが、大規模災害時に活動する医療チームDMATだった。第一人者で藤沢市民病院の阿南英明副院長(54)に連絡。五日に県庁に駆けつけた阿南さんが「災害という看板を掲げるしかない」と説き、黒岩祐治知事は同日夜遅くDMATに災害派遣を要請した。
 五日は県職員が感染者十人の搬送に対応し、六日にDMATのメンバーが加わった。日を追うごとに感染者が増える中、県庁で感染者の入院先と搬送の調整に、横浜港で下船した感染者へ入院の説明などに当たった。対策本部が解散する二十六日までに計七百六十九人を搬送し、うち二百三人が県内の医療機関に入院した。
 「多い日は九十九人感染者が出た。一人一人『どんな患者で年齢は性別は』なんてやってられなかった。『十人受け入れますよ』という病院がありがたかった」と阿南さん。この経験が生かされたのが、三月二十五日に発表した医療体制「神奈川モデル」だった。

「神奈川モデル」について説明する黒岩知事(左)と阿南さん

対策本部で対応に当たるDMATメンバーと県職員=いずれも県庁で

 病棟単位でコロナ患者を受け入れる重点医療機関を指定して入院が滞らないようにする一方、多くのマンパワーが必要な重症者は負担が偏らないよう各地の病院に分散させた。
 ただ、患者の受診控えなどへの懸念から「コロナ病院」に指定されることへの病院側の反発は大きかった。新型コロナ対応に当たるため四月に県の技監に就任した阿南さんは、病院との交渉の中で「うちをつぶす気か」と電話口で病院長に怒鳴られたこともあった。
 「地元へのちゃんとした説明もなかった。迷惑、との思いはあった」と県医師会の小松幹一郎理事(46)は振り返る。「コロナ患者は人手も労力も金も普通の五倍、十倍かかる。看護師や家族への差別も起きていた。分かってるのか、と」。とはいえ、感染者が増え続ける中で医療体制の確立は急務。四月六日、県の対策本部に乗り込み「県だけでは間に合わない。自分たちがやったほうが良いところは協力する」と申し出た。
 二十四日の横須賀市を皮切りに、各地の医師会は自治体などと連携し、集合検査場を開設。重点医療機関に加え、感染の有無が不明な発熱患者や持病のあるコロナ患者を引き受ける「重点医療機関協力病院」も少しずつ増えた。入院患者は五月二日に最多の二百四十二人にまで増えたが、病床不足にはならなかった。
 県内在住の男性が国内で初めて新型コロナウイルスに感染したことが確認され、半年が過ぎた。次々と起こる未知の事態に人々がどう対応したかを振り返り、再び感染が広がる中で今後の課題を探る。

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