あの呟きを聞いていた事による変わっていく未来。
―――なんたる不覚!―――なんたる失態!
セバスは怒りに打ち震え、握りしめた拳から血を滲ませながらも目を凝らし周囲を警戒する。
一面見渡す限りの草原に敵の影は見えず、気配も一切感じられない。
だがそれにより敵がいないなどと、どうして断定出来るものか。
至高なる主人より「守護せよ」と命じられるその瞬間まで、敵の気配を微塵も感じ取れなかった愚かな自分たちに……。
「セバス様。ボ…私たちはどうすれば……」
不安に駆られたユリの声に釣られるよう姉妹たちの視線がセバスに集まる。
その声と視線を受け、この場に置いて他に指示を出せる者は存在しない事に思い至る。
ならば如何に己が無能で役立たずな愚物であると自覚があろうとも、この場に置いてはプレアデスのリーダーたる自分が判断し、指示を与えねばならない。
「即応態勢を解かずに聞いてください。状況的に我々は無様にも敵に強制転移させられこの地に飛ばされたものと推測出来ます。万が一モモンガ様も転移させられた場合に備え、周辺の安全を確保。ナーベラルは転移にて即時ナザリックへと帰還し守護者各員へ報告。私はこれよりメッセージにて今後の指示を仰ぎます」
『はっ!』
六つの声が重なり即座に行動を開始する。
その動きは訓練を重ねた見事なもので、細かな指示を与えずとも各自が己の役割をしっかりと把握しており無駄がない。
ソリュシャンが目視出来ない範囲を索敵し、上空に浮いたルプスレギナが足りない部分を補う。
ユリとエントマが防御を重ねる側ではシズが目標を発見次第即時狙撃の準備を整えていた。
―――その完璧とも言える連携を乱したのは悲痛な叫び声だった。
「――転移出来ませんっ!!」
震えるような声でナーベラルが叫んだ。
だがその声に一番冷静に反応しなくてはいけないセバスもまた動揺を隠せないほど狼狽えていた。
「こ、こちらもメッセージが繋がりません。モモンガ様にもアルベド様にも……」
人を変え手法を変え、あらゆる手段を用いて帰還や連絡を試みるも、その全てが失敗に終わる。転移やメッセージそのものは問題なく使用出来るものの、ナザリック地下大墳墓への連絡手段が悉く阻害されているのだ。
「も、もしかしてぇ、既にナザリッ――」
「至高の御方々のまとめ役であらせられるモモンガ様に限って、薄汚い侵入者などに不覚を取るなどあり得ません」
「そうよ。それに玉座の間には守護者最高の防御力を誇るアルベド様が控えてらしたのよ。異常事態を察知して即座にモモンガ様をお守りに向かわれたはずだわ」
弱気なエントマの発言を被せ気味にユリとナーベラルが即座に否定する。
「その通りですわ。それに私たちだけを転移させたのは言わば自信の無さの表れとも言えるのでは?」
「誰にも察知されずにあそこまで侵入出来た隠密スキルだけはかなりのものっすけど、結局はそれすらモモンガ様は見抜いてたわけっすからね」
「……モモンガ様なら……楽勝」
漠然とした不安は姉妹たちの強い言葉で雲散した。そうだ、ナザリックの絶対的支配者である主人が居る以上、敗北はあり得ないとエントマもまた確信した。
だがセバスだけは気づいていた。あの直前モモンガの足がふらついていた事に。
それが敵の攻撃によるものなのか、或いは体調を崩されていたのか、知る由もないが緊急事態である事だけは間違いがない。無論そんな事を部下に話して不安にさせる事には何の意味もないため言葉にはしないが、一刻も早く主人の元へと駆け付けなければという思いは、それ故ここでは誰よりも強かった。
敵の侵入を見抜く事が出来ず、主人の盾となり代わりに死ぬ事も出来ず、あるべき場所へ帰還する事も出来ぬ一同はその後は無言のまま、自身の無力を噛みしめるように、重々しい表情のまま周囲を睨みつけるように警戒を続けた。
そして沈みかけた陽が辺りをオレンジ色に染め上げる頃にようやく一つの動きがあった。
――それは一言で言うならば【運が悪かった】としか言いようのない事故のようなものだ。
「南南東より騎馬で接近する兵士と思われる一団を発見しましたわ。数28騎」
「……確認した。狙撃する」
肉眼では到底見えぬ位置からこちらに向かって――実際は偶然進行方向だっただけだが――くる敵をいち早く察知したソリュシャンに呼応し、数秒後にはシズの持つ白色のアサルトライフル型魔導銃から弾丸が発射されていた。
――♦――
「クソッ! 完全に後手に回ってしまっているな」
襲撃された村の生き残りを数名の部下に護衛させつつエ・ランテルへと送り出した後、ガゼフ・ストロノーフはやり場のない怒りと共に土を掘る。
死体を放置しておけばアンデッドが発生することがあるし、アンデッドが集まるとより強いアンデッドが発生するからだ。
付近の村々が次から次へとバハルス帝国の兵士――生き残った村人の証言によれば――に襲われ無残に虐殺されていく中、王の勅命により討伐に赴く事となったまでは良かった。
しかし貴族の横槍によって十分な兵力も装備も与えられなかった。結果として兵を分散させ複数の村を同時に守りに向かう事も出来ず、今の状況がある。
「既に出発時の半数近い兵力となってしまっています。一度帰還し援軍を要請するべきかと……」
またしても副長が一時撤退を進言する。それは前の村でもその前の村でも繰り返した言葉だ。
弱き者を助ける強き者の姿を見せようとの戦士長の言葉は心に響いた。だがそれでも、まるでこちらの兵力を奪うのが目的のような数の生き残りや、進路がわかっているかのような襲撃は罠としか思えないのだ。
そうとわかっていながらも、助けられる可能性のある命を見殺しになど出来る人ではない事も、その気高さこそが部下からの厚い信頼となっている事も理解しつつも、ここで戦士長を失うわけにはいかないとの思いから、却下されるとわかっていても進言せずにはいられない。
「いや、今は一刻が惜しい。それに先の村での生き残りを護衛した部下には書状を持たせてある。王は必ずや援軍を送ってくださる事だろう」
「戦士長。恐れながらその書状が王に届かない可能性も考えるべきです! せめて戦士長も護衛班に合流してください。民はこの私が命に代えても救って見せますので何卒!」
「諄い!」
ガゼフの一喝に副長は一瞬ビクリと身を震わせ、悔しさを押し殺すように頭を下げた。
「スマン。お前の言ってる事が正しいのはわかっているのだ。だがもしもこれが我らを誘き出す罠だとすれば、ここで戻れば更なる犠牲が生まれよう。ならばこそ罠諸共正面から打ち砕いてやろうではないか。お前はそれが不可能だと思うか?」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべるガゼフに副長もまた笑みを返し答える。
「王国……いえ、人類最強の戦士である戦士長と共にならば、いかなる敵も打ち倒せると確信しております!」
「ふっ。人類最強とは随分な評価をされたものだ。しかし、ならばこれで決まりだな」
まったく……この人には適わないな、と呆れ半分ながらも同時に強い尊敬の念を持って副長は頭を下げた。
埋葬も終わると既に陽が落ちかける時間になっていたが一団は草原を駆けていた。
こちらの行動を敵が把握しているならば、日暮れも近い故に今日は先ほどの村で休むと思われているはず。
だからこそここで次の村へ強行軍で移動すれば敵の裏をかけるかもしれないとの思惑からだ。
「ん?」
―――移動のさなか、ヒュッと風が切れる音がした。
その音と同時に先頭中央を走る戦士長が崩れ落ちるように馬から落ちた。
乗馬というものは如何に手慣れた者であっても、そういう事は確かにある。
しかしその落ち方が余りにもおかしかった。
受け身も取らず、まるで急に体から力が抜けたように真後ろへと落馬したのだ。
「えっ……」
慌てて馬を止め駆け寄った部下たちはその信じられない光景に誰もが言葉を失う。
仰向けに大の字になって倒れた戦士長の額には、指一本程度入ろうかという穴が開いており、周囲に小さな血だまりができている。
部下たちが人類最強と信じて疑わなかった戦士長が絶命している事は誰の目にも明らかであった。
――♦――
「…………えっ? ……死んだ!?」
だがその光景が信じられなかったのは部隊の男たちだけではなかった。
攻撃した当の本人であるシズもまた困惑していた。――敵の余りの脆さに。
自身の攻撃力の低さは十分に理解しており、初弾はあくまで牽制であり、それを受け敵が転移してくるのか、はたまたその場で守りを固めようとするのか、どのような防御防壁を展開しているのか、向かってくる敵に対し数で大きく劣る自分たちが、一人でも多くの敵を道連れとするための情報を得るために行った先制攻撃であったのだから当然だろう。
「幻術ではなく実際に死亡しているようですわね。加えて他の者は未だ攻撃を受けた事すら理解していない模様です」
ソリュシャンの報告を受けセバスは考える。
――油断を誘う罠?
――いや、何の意味が?
――もしや自分たちを転移させた敵とは無関係?
様々な可能性に安易に動けないでいる間に兵団は男の死体を回収し、撤退する模様だとの報告が上がる。
「ルプスレギナ。不可視化で追跡し情報収集をお願いします。ナーベラルは距離を十分に取った上で同じく不可視化で後詰めを。何かあれば即時撤退し報告するように。可能であれば一人捕縛したいところですが……判断はお任せします」
『はっ』
――♦――
体は本当にボロボロだった。
明日の仕事に備え一刻も早く寝たい。
だがモモンガが消え入りそうな声で言った一言がログアウトカウントダウン中に聞こえてきた。
自分の記憶にある限り、彼の我儘なんて聞いた事がなかった。たった一人でこのナザリックをずっと維持してくれていたギルマスの最初で恐らく最後になるであろう我儘にヘロヘロは慌ててログアウトをキャンセルした。
「そうですね……最後ですもんね……よしっ! じゃあユグドラシルの最後を二人で見守るとしますか」
「ええ! ええ!!! ありがとうございます!」
先ほどの消え入りそうな声とは対照的な、心の底から弾むような、嬉しそうなモモンガの声に安堵と幾許かの罪悪感を覚えながら昔話に花を咲かせた。
「……なんてことがあったんですよ~」
「……」
「きっとギルメンがどこかに伏せてると勘違いしたんでしょうね、とっくに皆引退してるのに、あははは……」
「……」
相当無理していたのだろう。徐々に反応が薄くなり、今では完全に反応の無くなったヘロヘロに向けて、それでもモモンガはしゃべり続ける。
彼が寝落ちしてしまった事など疾うに気づいていたものの、その場に居てくれるだけで嬉しかった。
「ついに残り10分か。……ヘロヘロさん。無理を言ってしまって本当にすいませんでした。けれど、この最後の瞬間に一緒に居てくれた事……本当に感謝し――」
その瞬間、ヘロヘロのアバターが消失した。
一定時間無操作による強制ログアウト。完全に意識を手放したヘロヘロはサーバー側から強制的に弾き出されてしまったのだ。
「……………………ク、クゥ……、クソがぁあああああああああああああああああああーーふざけるなっ! ふざけるなよクソ運営! ……へ、ヘロヘロさんの優しい、きもっ気持ちを……っ…踏み躙りやが……、クソッ! クソガッ! い、怒りであ、あたま、頭がおかしくなりそうだあぁあ」
何が起こったのか理解した瞬間、台を全力で叩きつけ、壁に蹴りを放ち、激昂する。
「そもそも…な、何がサーバー負荷軽減処置だ!!! とっくに過疎って碌に負荷なんかないだろうがぁあ! 」
無論モモンガとてゲームの仕様なのは理解しているし、ユグドラシル全盛期には多くの放置プレイヤーの所為で、サーバーが満員となりログイン出来ない対応策で導入された事も知ってはいる。知ってはいても怒りをぶつけずにはいられないのだ。
「だめ、だめだ……このままここに居たら狂ってしまう……」
ぎりぎりまでヘロヘロが戻ってくる可能性に掛けようかとも思ったが、そもそも反応が無くなったから強制ログアウトさせられたのだから、終了までに戻ってこれる可能性は極めて低いだろう。
そんな中41席の円卓に一人座り続ける事にはもう耐えられそうになかった。最後の瞬間を仲間と共に迎えられる――反応はなくとも――喜びからの落差でフラフラになりながらも部屋から通路へ向かう。
部屋を出て階段を下ったモモンガの目に入ってきたのは、玉座の間へと続く通路に控えた執事と6人のメイドたちであった。
コンソールを開き名前を確認しながら時計に目をやると、時刻は23:59分。最後は玉座の間で迎えようと思ったがそれも間に合いそうになかった。
――結局ここまで攻め込んでくるプレイヤーはいなかったな……
そんな思いと共にギルド長として最後くらいは彼らを働かせるべきかと命令を下す。
「えーと、たしかそう……守護せよ。だったかな?」
命令を受けたプレアデスは即座にモモンガを囲むように配置についた。