7月も半分を過ぎました。
このブログも閉鎖まであと少しです。
最後に自分のドールについての想いを振り返ってみます。
「ドールが好き」
自分を含め、ドールが好きな人はこう思っていると思います。
でも、この趣味を通して好きにも色々な形があることに気がつきました。
私はずっと、ドールの写真を撮るのが好きだと思っていました。
上の2枚は自分の中ではよく撮れた写真だと思います。
でも、どこかしっくり来なかったのです。
小物を用意したり、ドール背景(100均ですが)を用意しても、完成度は上がるもののしっくり来ない。
その代わり、屋外撮影はずっと好きでした。
それは光源が自然光だからとか、外出していることへの高揚感からだと思っていました。
今になって思えば、人間のスケール(縮尺)や生活感の中にドールがいる写真が好きだったのだと思います。
SNSで他人の写真を見る時も、ドールハウスや撮影小物に囲まれた、きらびやかなドール写真より、下手をすれば汚部屋と呼ばれそうな、生活感丸出しの机や棚にドールがいる写真に心惹かれたのです。
もっといえば、ドールの写真よりも、写真に添えられたオーナーさんの一言や、生活の愚痴や、謎ポエムが大好きだったのです。
以前はふわっと、例の会社のドールオーナーだということでつながっていました。
ところが例の騒動が起こり、オーナーさんは分断されてしまいました。
立場の違いが明確になったのです。
ドールに罪は無いじゃない。
ドールと付き合うことは会社と付き合うことだ。
人から後ろ指を指されても、私はこの子が好き。
楽しくやるならしがらみが少ない方がいい。
難しいことは考えたくないし分からない。
私は、考え続けることが苦しくて、ドールを手放しました。
Twitterを辞めたのも、ドールを通してお付き合いしていた人々に、失望されたくなかったからです。(Twitterでは「桃」というHNでした)
あなたのドールへの想いはそんなものだったのか、と。
でも、どう取り繕っても私がドールを手放した事実は変わりません。
今手元にいるのはBrownieが1体と、SDMが2体だけです。
生活環境も変わり、単身でドールと出かけることもなくなりました。
(オビツ11は誤飲が恐いというのも手放した理由の1つ)
もしかしたら、またどこかで、何かをはじめるかもしれません。
はじめないかもしれません。
ただ、確かに私はドールが好きだった。
いや、今でもドールを愛していると、記録せずにはいられなかったのです。
どんな終わりであろうと、最初は小さなドールがくれた縁でした。
かつてドールを通じて出会った方々の幸せを願いつつ、このブログをおしまいにしたいと思います。
いままでありがとうございました。
PentA
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