五輪まで1年 開催への道筋は確かか

2020年7月24日 07時37分
 新型コロナウイルスの収束が見通せない中、一年後の東京五輪をどう開催するのか。国際オリンピック委員会(IOC)と大会組織委員会は具体的な道筋を示し、世論の賛同を得て進めるべきだ。
 IOCのバッハ会長は十五日の記者会見で、コロナ禍を踏まえて「さまざまなシナリオを検討している」と述べた。しかし、シナリオの具体的な中身には乏しい。
 新型コロナによる世界の死者は米国や南米、インドなどを中心に一日に約四千人に上る。選手、観客、ボランティアらの安全・安心を確保した上で、円滑な運営ができるのか。ハードルは相当高い。
 選手には、五輪本番まで十分な練習環境が必要になる。出場者の選考プロセスにも参加しなければならない。海外から入国する際の検疫や隔離も難題だろう。
 観客は観戦チケットの有効性に疑問を持っている。「三密」対策で入場人数が抑えられれば、観戦ができなくなるからだ。
 ボランティアには感染リスクの高い高齢者、入国可否が不透明な外国人も含まれる。必要な人数を確保できるのだろうか。
 開催予算は昨年十二月時点で約一兆三千億円だが、延期で生じる追加費用は不明である。
 山積する課題に、IOCと組織委は具体策を示していない。主催者として早急に道筋を示し、国内外の世論の理解と賛同を得なければ大会の成功は望めない。
 五輪は世界最大のスポーツイベントにとどまらず、人類の平等や連帯を実感させる「平和の祭典」としての役割を果たしてきた。今も差別や分断が絶えない世界で、その意義は薄れていない。
 しかし、五輪は近年、商業主義とグローバリズムで肥大化が著しい。「Too big to fail」、つまり大き過ぎてやめられない存在になっている。
 IOCの規格に合う施設を新設するなど、開催国・都市には重い負担がのしかかる。大会後に巨額の赤字を抱えたモントリオールやアテネ、施設が廃虚となったリオデジャネイロは五輪が「負の遺産」と化した実例だ。東京でその愚を繰り返してはならない。
 感染症の深刻なリスクが現実となり、今後は開催に手を挙げる都市は先細りするだろう。
 莫大(ばくだい)な放映権料やスポンサー料に頼るIOC自身が変わり、運営しやすい大会へスリム化する。その第一歩を東京で示すことが五輪の未来につながるのではないか。

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