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080702 B7-6H 下山選手に捧ぐ! タイムトリップ 

2008.07.02 Wednesday

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シモヤマンは、
ハタチの春、夢を叶えてくれた、青春のヒーローだった。

あれから12年、あの頃よりも、大きな舞台に立って、
あの頃より、ずっと多くの人を、熱狂させている。

(ここから展開されるお話は、ノンフィクションです
前半の文章は、一輝選手に関すること )

【予感と賭け】

2008年7月2日、私は、ある「予感」に向かって、走っていた。

ひとりの若い打者のことを、好きになるかもしれない―

(ごめんなさい、何かやらしい書き方ですね)

地下鉄のドーム前千代崎駅を降りて、ひたすらダッシュ。
19時をまわって、 もうゲームが5回まで進んでいる。

一輝の3打席目には、間に合いたい!

ハム戦でも、ヤクルト戦でもない。
この日は、カメラも持っていない。

3日前までに観た、ハムとの3連戦での、活躍が鮮烈で。
どうしても、もう一度、見たくて、
会社帰りに、突発的に駆けつけた。

「賭け」だった。 今日打ったら、認めよう。

 
(でも、6/29に、このアングルから写してる時点で、負けてましたね)

「賭け」の思惑とは違った展開も、待っていたのだけど。

09/07/02 Bsスタメン

(左) 村松
(中) 坂口
(一) カブレラ
(指) ローズ
(三) 北川
(右) 下山
(二) 一輝
(遊) 後藤
(捕) 前田
【試合経過】 

この日の面白さ(?)を語るために、必要な打順。
 
  0-1、ソフトバンクリードで迎えた6回裏のオリックスの攻撃。4番ローズのタイムリーツーべースで、2-1と逆転。さらに、一死一塁二塁で、6番下山は三振。

  二死一塁二塁と、アウトカウントが増えて、一輝の打席。

 初球インコース高目を振り抜いて、打球は、 左中間を真っ二つに切り裂く。タイムリーツーベース! 何と鮮やかなバッティング。

 このときの打率は、.432。まだ、打数は少なかったとはいえ、もの凄い勢いで、ヒットを打っていた。

 隣りに座っていた、男子大学生二人組の会話。

 「一輝、やばい」
 「今まで、二軍で何しとったん?」

 私の思いを増幅させるのに、十分な単語。
  若者が使用する「やばい」の意味は、

 すっげぇ! の最上級だったり、

 このときは、「この先どうなるのか、末恐ろしい」
 というニュアンスも含まれていた。

 大阪ドームという場所の、距離の近さもあったのだけれど、
 ここまでして、見に来てしまった。
 そして、見たいと思っていた光景に遭遇した。

 ”お気に入りに追加”

 今まで、なかったパターン。
  ファイターズ以外の球団にいる選手に、こんなに興味を持つとは。

 
(ガッツも古城さんも川島君も、後でみんな、移籍してしまうという運命が……そして、移籍した後も頻繁にアクセスしてるのは、川島君だけだったりするけれど)

 この回、後藤さんのタイムリーも出て、5-1、7回にカブレラのホームランで6-1、オリックスがリードを広げる。

 試合のペースが早く、
  このまま21時くらいには試合が終わって、
 
  一輝のヒットの余韻を抱きながら、今日は帰れるな、と思っていた。

 しかし……

 オリックスの中継ぎ投手たちがつかまり、試合はもつれる。
 8回、ソフトバンクの怒涛の5連打で、1点差。

 さらに9回、クローザー・加藤大輔投手の”危険球退場”
 があり、その後、 川﨑ムネリンの犠牲フライが出て、
  6-6の同点に。

 延長戦に突入。

 次の日も仕事だし、帰ろうかどうか、迷った。
 
  帰らせなかったのは、
  もしかしたら、一輝がまた打つかもしれないな、という思い。

 10回裏のオリックスの攻撃は、3番のカブレラから。
 一輝の打順は7番で、チャンスで回ってくる可能性があった。

 先頭のカブレラがヒットで出塁して、代走に森山君が起用される。
 ローズ、ピッチャーゴロ、途中出場の塩崎さん四球で、
  一死一塁二塁。

 6回のリプレイのように、この場面で、バッター下山。
 さっきは三振でツーアウトになり、次の一輝がタイムリーを打った。



森山フォト(友情出演:慶三選手) 握手した後の光景~

【昔からのブックマーク】

ここでやっと、下山選手にまつわる、思い出に触れる。

まず、私は、大学生のときに、新聞部に入っていて、
母校の体育会各部の取材をしていた。

大学野球の試合がある球場にも、足しげく通った。

彼が、大学でレギュラーになったのは、三回生の春のこと。
スコアボードに、名前を見つけた時は、興奮した。

「下山、一回生の時に同じクラスやってん」

と後輩に、得意げに話していた。
クラスといっても、週に一度の専門授業と、
二コマの語学だけが一緒だったのだけど。
クラスメートとして、接した記憶は数えるほどしかない。

春の学園祭で、クラスでお茶漬け屋を出店した時のこと。
彼は野球部の方に出てたみたいだったけど、
クラスには一度だけ、顔を出した。

ユニフォームにウインドブレーカー姿で現れて、
関西学生野球の券を売りに来たのだ。

「ヒラヤマ君(←思いっきり、名前間違えている)、私、買うよ!」
しょっぱなから、名前を間違って呼ぶ失態。
でも、3枚買い上げたら、機嫌を直してくれたようだった。

「ちゃんと名前、覚えてや」

シモヤマ、シモヤマ、3回生の春からは、
忘れたくても、忘れられない名前になった。
私が何かをしてあげた~のは、あの時、チケット買ったくらいで、
それからは全て「借り」というか、もらってばかりだ。

≪神宮に連れてってくれた≫

―1996年春の活躍は、まぶしかった。

当時は、清水章夫さんも所属していた、近畿大学が強くて、
うちの大学は、なかなか優勝できなかった。

リーグ優勝のための、最大の山場、近大3回戦。
四番に座った彼のバッティングは、冴えに冴えた。

先制された裏、ランナーを二、三塁に置いた場面で、逆転のタイムリー。
また、同点に追いつかれるが、
次の打席でも、ランナー三塁の場面で、勝ち越し打を放つ。
(ピッチャーは後に日ハムに入る、今井圭吾投手)

チャンスに打席が回ってくる巡り合わせ、
そのチャンスに確実に結果を出す勝負強さ。

この試合は、エースの先輩の投球も凄かったのだけど、
下山君の活躍は、燦然と輝いていた。

日生球場の、ベンチ上(=信じられない場所で撮影&スコアつけてた)
で身震いした。陽射しが強くて、暑かったのに。
こんなに凄い選手やったんや! と感激して。

5-2のスコア(うち、下山4打点!)で、うちの大学が快勝。
監督さん、エースの先輩、下山君の順にインタビューに行く。
大一番だけあって、スポーツ紙、一般紙の記者たちも大勢群がる。
取り囲まれた彼が、近くにいるのに、とても遠い人に思えた。

記者の輪が解けていくのを見計らって、近づく。
「下山君、お疲れ!」 「おおっ、同じクラスやった……」
次の試合がない場合、コメント取りは、グラウンドに降りて行う。
ライト側のファウルグランドで、久々に言葉を交わす。
今度はもう、間違えて呼んだりはしない。

「初戦で、今井さんには抑え込まれたから。
何としてでも、今日は打ちたかった」

そこから”四番打者と学生記者”としての新たな関わりが始まった。



1996年 神宮球場 管理人撮影(多分、NikonのF3)

その後、母校は無事に、リーグ優勝を決める。

ハムの多田野さんが、どうしても神宮球場でプレーしたくて、
東京六大学のチームに入ることを目指したように、
私も、R大学のことを、大学野球の全国大会”神宮球場”で、
応援し、取材したかった。一度でいいから、神宮に行きたかった。

その夢を、ハタチの下山君が、叶えてくれた。

不覚にも、彼がプロ入りをしてから知ったのだけれど、
大学2回生の秋に、お父さんを病気で亡くしている。

3回生の春、野球界の表舞台に出てきた、
その裏には、悲しい出来事もあったのだな。

その春、エースの先輩も、事故でご姉妹を亡くされていて、
先輩は自ら、取材で語ってくれた。

「家族が悲しんでいるなかで、自分にできることは、
野球で頑張ることだから。優勝して、家族を笑顔にしたい。
そのことが、実力を最大限に引き出してくれる原動力になっている 」

下山君も、同じ状況だったのかな。

自分からは何も語らなかった。
でも、私は、知らなくて良かったのかな、と思っている。

後で知ってからこそ、「そうだったんだ……」と感動する、
振り幅も大きかった。

(本当、取材しながら、知らなくてごめんなさい
近鉄時代の鈴木貴久コーチが急逝したときも、
合併チームになったときの監督の仰木さんが亡くなったときも、
お父さんのような人を亡くされて、辛かったのではないか、と
想像しています)

性格の、こまやかなところ。
情に厚くて、周囲に気づかって、楽しませようとして、
そして、めっちゃ優しいところ。

出会った時から、本当に”めっちゃ、ええやつ”で。
その印象は、2006年の秋、宮崎のフェニックスリーグで、
偶然遭遇したときも、変わらなかった。

学生のとき、監督さんが
「チーム一の努力家。絶対、将来プロに行く」と言っていたこと、
にわかには信じられなかったけれど。

社会人野球で5年かかって、プロから声がかかって、
プロ6年目の今シーズンの活躍。

(今の一輝と同じ年にプロ入りしたのだから、
本当に遅咲き~ )

嬉しくないわけが、ない。
凄いと思うし、勇気をもらっている。

こんなことは、個人的にファンレターで書くことなんだろうな。

【ヒーローインタビュー】

7/2の試合に戻る。

同点で迎えた延長10回裏、一死ランナー一塁二塁。
二塁ランナーは、森山君で、一打サヨナラのチャンス。

バッター下山。

(ただし、下山の次の打者は、一輝)

上記の、私とシモヤマンの関係性もあって。

「ゲッツーはなしやで!」
という、ケチなことは、思わなかった。

「ここで決めちゃえ」
と思ったし、決めるんだろうな、という予感も大きかった。

そして、下山の打球は、三遊間を抜けて、
二塁から、森山君が、生還。サヨナラ勝ち!

「ヒーローになりたかったんで、頼む、森山、還ってくれ~って、
思いました」


森山君は、ホームインできたおかげで、御飯をおごってもらえるらしい。

その他、ファンから”給料上げてもらえ!”という声が飛んで、

「球団の方、お願いします」


と言って、笑いをとっていた。

「遅い時間まで、応援してくれてありがとうございます」

気づけば、22時をまわっていた。こういう何気ないひとことが、
グッとくるときって、ある……帰らなくて、良かった。

1996年から、2008年へ。

プロ野球選手となった、
シモヤマンのお立ち台を見ている、この不思議さ。

別の目的・意図があったにせよ、
やっぱり、”因縁”があるから、なのかな。

冷めたトーンで、書いてしまうことも、多いけれど。

ファイターズ戦で打たれると、やっぱり、ムカつくんだけど。

何か、それでも、いろいろ言えることが楽しい!

もっと強くなって、立ちはだかってくれて、いい。

望むところ、なのだ。


 



 

 

 

 

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