上沼恵美子の学歴と経歴|出身高校中学校や大学の偏差値
上沼恵美子(かみぬま えみこ)
1955年4月13日生
兵庫県出身のタレント
旧芸名は海原千里
経歴/プロフィールの詳細
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3人きょうだいの末っ子で、姉と兄がいる。
1971年に姉とともにお笑いコンビ「海原千里・万里」としてデビュー。
巧みな話術で人気者になり、「漫才界の白雪姫」の異名をとる。
コンビは1973年に「NHK漫才コンテスト」の最優秀賞を受賞。
1975年に「大阪ラプソディー」をリリースして、40万枚のヒットとなる。
1976年の映画「トラック野郎・望郷一番星」に出演。
1977年に結婚を機にコンビを解散して芸能界からも引退したが、1978年7月に復帰。
以降は関西圏でローカルタレントとして活動するが、1990年代から全国区の人気を得る。
「いつでも笑みを!」や「快傑えみちゃんねる」、「おしゃべりクッキング」など多数の番組に出演。
夫は関西テレビの元プロデューサーで、息子が2人いる。
学歴~出身小中学校・高校
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出身高校:大阪府 帝国女子高校大和田校(中退) 偏差値40台前半(当時)
※現在は大阪国際大和田高校
上沼恵美子さんが入学したのは、私立の女子校の帝国女子高校大和田校です。
同校は現在は男女共学の大阪国際大和田高校になっています。
またレベルアップに成功して現在の偏差値は58~68程度ありますが、上沼さんが在籍した当時はレベルも低く、かなり荒れていました。
南淡町立福良小学校から南淡町立福良中学校を経て(現在はいずれも南あわじ市立)、同校に進学しています。
上沼さんは演芸好きの父親の影響で、幼少期からのど自慢大会などに出場して「のど自慢荒らし」と呼ばれ、後の演歌歌手の天童よしみさんのライバルでした。
当初は歌手志望でしたが、漫才コンビとしてデビュー予定の姉の相方が逃げ出したことから、高校1年生の時に急遽「海原千里・万里」としてデビューします。
コンビはすぐに売れっ子になって、仕事も多忙になったことから高校は中退してしまっており、大学などには進学していません。
とは言えその後の活躍は周知の通りで、関西のローカルタレントから全国区の人気を得て、「西の女帝」との異名をとります。
また出演番組が軒並み高視聴率を記録することで知られており、現在でも冠番組を持つほどの人気を誇っています。
幅広い世代から支持を受けており、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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