苦味は毒物のシグナル。学習次第でおいしくなる
「苦い!」と聞いて、「おいしそう」と思う人は少ないだろう。それもそのはず、甘味、塩味、酸味、うま味と共に味覚を代表する5基本味の一つである苦味の多くは、本来、毒物である可能性を示唆するシグナル。つまりは「食べてはダメ!」「避けて!」という、合図を送っているのである。農学博士の川崎寛也先生によれば、この毒物のシグナルを逃さず感じられるように、ヒトの舌にある苦味を感じるセンサー(受容体)は、なんと25種類。5基本味の中でもズバ抜けて多い。ちなみに、塩味・酸味は2種類、甘味は1種類、うま味は3種類しかない。たくさんのセンサーを駆使することで、ヒトは5基本味の中で最も種類が多いと言われる苦味成分に、多様に対応しているのだ。
さらに苦味は、非常に薄くとも感知可能。甘味の1000分の1の濃度でも感じられる。毒物から身を守るためとはいえ、ヒトの身体はうまくできているものだ。
人間以外に苦いものを食べる動物は少なく、赤ちゃんや子どもも苦味を嫌う。ところが、苦味は成長と共に繰り返し経験することで、おいしく感じられるようになるのだ。仕事終わりの冷えたビール、ほっと一息のコーヒーはその好例だ。ただ、ここに至るまでには、苦味に触れる頻度やその種類、さらには危険を味覚以外で判断できるようになるなどの経験値が必要。だからこそ、山菜やダークチョコなど苦味成分が含まれるものは、味覚が発達してから分かる “大人の味”と言われるのだ。
本来、毒物のシグナルである苦味も、年齢を重ねることによって、美味しく感じられるへと変化する。その度合いは経験値によるため、個人差が大きいと言われている。
トマトソースがチョコ効果で深み増幅
繰り返し触れることで「おいしい」と感じられるようになるという苦味成分。その特性を知り、より効果的に生かせば、新たな調味の可能性が拓かれるのではないか。そこで、苦い素材をあえて加えることによって、料理の味わいはどう変化するのか試してみた。今回の検証には、『リストランテ キメラ』の筒井光彦さんと『日本料理 とくを』の徳尾真次さんに参加していただいた。
まずは筒井さん。題材に選んだのはトマトソースだ。ピュアカカオ100%のチョコレートを刻んで1割程度の量を加えてみた。加熱しながら混ぜ合わせ、できたソースを試食する。
徳尾さん「苦味というか、うーん、コクが増した気がします」
Dr.川崎「チョコレートの苦味成分はテオブロミン。ココアやコーラにも含まれます。チョコレートには油脂のコクもありますね」
筒井さん「試しにパスタに絡めてみましょうか」
徳尾さん「あっ! パスタにしたらよく分かる。味がぐっと深くなりました」
Dr.川崎「苦味は微量にあることで、味に複雑さを生み、コクを感じさせると考えられます」
筒井さん「普通のトマトソースとは明らかに“何か違う”ってところがいいです。ボロネーゼなどにアレンジすると、より強くコクが感じられるかもしれませんね」
筒井光彦さん
大阪の名イタリアン『ポンテベッキオ』本店でシェフを務めた後独立。「料理にキレを求める際、酸味、辛味、苦味を使ってバランスを取ることが多いですね。苦味は力があるので、マイルドなものは負けてしまう。苦いものや個性的なものに合わせています」。
徳尾真次さん
『たん熊北店』などで修業を重ね独立。「素材を水にさらしたり、塩で揉んで潰すなど、今までは苦味を少しでも減らそうとしていました。日本料理の素材には山菜など苦味が強いものが多く、そのためにアク抜きなどの技術が発達したのかもしれませんね」。
焦がしたパン粉で白和えのコク激変
一方の徳尾さんは“焦げ”の苦味を加えた白和え作りに挑戦。焦がしたパン粉を加え、滑らかになるまで摺り合わせる。
筒井さん「最初に香ばしさがきて、後に苦味が残りますね。味の余韻が長いです」
Dr.川崎「焦げはメイラード反応によって生じるメラノイジンと呼ばれる褐色物質です。ちょっとパン粉の香りが気になりますね。量を減らしてみましょう」
徳尾さん「隠し味程度にしてみたのですが…。あっ、こちらのほうがいい! 滑らかで。苦いというよりも複雑味が増しました。塩で蒸した鶏のササミと三ツ葉の和え物などに合うかも」
Dr.川崎「パン粉を焦がす時にゴマ油を使えば、ゴマ和えに近くなるかもしれません(笑)」
2つの検証に共通する結論は、微量な苦味を加えることにより、いつもの味に深みが増しておいしくなったこと。ここでは閾値(いきち)がキーワードと川崎先生は話す。
「ある反応を起こす最低限の量を閾値といい、2種類あります。味の場合、『何かは分からないけれど味がする』と感じる認知閾値と、次に『あっ苦い!』と入っているものが分かる検知閾値。両者の間の量であれば、苦味は苦いと感じずに、味わいが増した、深みが出たと感じられるのでしょう」。
また、苦味を加えることで、より味を長く感じられるようにもなるようだ。「苦味のセンサーは舌の奥の有郭乳頭という凹んだ部分にあります。よって苦味を感じるには時間が必要で、また唾液で洗い流されにくいために長く残る。苦味成分には親油性の部分があって舌の細胞膜にくっつきやすいということもあります」と、川崎先生は解説を加えた。
左はトマト、ホールトマト、玉ネギ、オリーブ油で作ったトマトソースにチョコレートを加えたもの。右は豆腐半丁を薄口醤油を入れた水でさっと炊き、水気を抜いて作った白和えの地に、焦がしパン粉を加えたもの。共に苦味を加えることで、味に深みが出た。
苦味だけを抽出すべく酒とオイルで挑戦
苦味のある素材を用いるメリットは確認できたが、同時にデメリットもあると筒井シェフは言う。「コーヒーの苦味は欲しいけれど、あの独特の香りは料理の邪魔になる、なんてことがありますから」。では、苦味だけを効果的に利かせる方法はないか。川崎先生の答えは、ズバリ、抽出。
そこで、徳尾さんはゴーヤで苦味酒作りに挑戦。生のもの、半日風に当てた半干しのもの、茶色くなるまで完全に乾燥させたもの、3種類のゴーヤをすり潰し、煮切った日本酒を加えて漉した。
筒井さん「生はキレイな緑色。でも、苦くて青臭いですね」
Dr.川崎「細胞に含まれる酵素によって、青葉アルコールや青葉アルデヒドなど青臭い成分が生成されるんです」
筒井さん「うわっ。乾燥させた茶色の酒はより苦い!」
Dr.川崎「乾燥させることで水分が飛んで味の凝縮が起こり、苦味が増したのでしょう。細胞が壊れているので、抽出しやすくもなります。茶色いのは緑色のクロロフィルが分解したためですね」
徳尾さんは、ゴーヤ酒完成版として半干しのものを選択した。「青臭くなく苦味もあり、色もキレイ。日本料理に合います」と。
一方、筒井さんは、コーヒー、緑茶、ジャスミン茶、グレープフルーツの苦味をオリーブ油に抽出。できた4種の油を味見した。
徳尾さん「それぞれ苦味が抽出できていて、面白いですね! コーヒーがいちばん苦い。次は抹茶、ジャスミン茶はほの苦い」
筒井さん「グレープフルーツは果皮とワタ、両方で作ってみました。果皮のほうが苦いでしょ?」
Dr.川崎「植物は外敵から身を守るため、表皮に苦味があるものが多い。そのため、野生や原種に近い野菜は苦味成分が豊富です」
筒井さん「言われてみれば、春や夏は苦味のある素材に困りませんね。でもこのオイルなら四季を問わずに使えます。それぞれに面白いんですが、コーヒーはやっぱり…香りが気になります」
Dr.川崎「一度火にかけるといいかもしれません。苦味成分は熱では変化しませんが、香気成分は揮発するので」
筒井さん「なるほど。一番苦いコーヒー油を使いたいところですが、色がキレイじゃないので。思いきって抹茶とブレンドしてみましょう(笑)」
こうして筒井さん好みの苦味油が完成し、“マジックオイル”と命名された。「キリリとした苦味の後にコーヒーのほのかな香りがきて面白い」と、徳尾さんは感心しきりだ。
【実験2】苦味を抽出する
コーヒー油、ジャスミン茶油、抹茶油は、粉に水を加えてよく馴染ませてから、150~160℃のオリーブ油をかけて作る。グレープフルーツ油は、刻んだ果皮とオリーブ油を真空パックして2日間置いた。“マジックオイル”は、コーヒー油:抹茶油=4:6の割合でブレンド。
ゴーヤ半分のワタを取り、細かく切ってすり鉢でつぶす。煮切った日本酒を1カップ加え、冷めるまで20分ほど置いた後、漉した。アルコールを飛ばしたのは、日本酒の苦味や香りが他の素材の味を分かりにくくするからだ。
マジックオイルの作り方
他の油と同様、焦げないように、混ぜた粉末を水でよく湿らせてから、熱したオリーブ油を注ぎ入れる。
味を底上げする隠し苦味のチカラ
抽出した苦味酒と油を使って、それぞれに一品を作っていただいた。徳尾さんはゴーヤ酒を使った酢の物代わりで、箸休めになる一品を。万願寺唐辛子を香ばしく炙り、グレープフルーツと一緒にレモン酢で和えた。素材と焦げの苦味の重奏が愉しめるこの皿に、ゴーヤ酒を加えるとどう変化するのか。味わいを比較してみた。
筒井さん「苦くなったというより、格段においしくなりました! 全体が底上げされた感じで」
徳尾さん「ゴーヤ酒がないと物足りないほど! ここまで違いが出るとは思わなかったです。苦味が増したというよりは、他の食材の味わいが際立った気がします」
Dr.川崎「これぞ、味覚のサブリミナル効果! 検知閾値以下の苦味を加えることで、味覚の錯覚が生じたんです。具体的には、素材の味の輪郭がはっきりし、浸し地のコクまで深まった気がします。隠し苦味の効果ですね」
一方、筒井さんは“マジックオイル”で驚きの一品を仕上げた。皿の上には5種の前菜。セロリのソルベとサラダ、また根セロリのピュレの上にはサザエの肝と身、ムール貝をのせた。「まずはそのまま食べて、次はスプーンのマジックオイルをかけて食べてみてください」と筒井シェフ。
徳尾さん「オイルによって肝の旨みが膨らみましたよ!」
筒井さん「サザエなんかは、苦味を含めた素材の味わいがより際立つでしょ?」
Dr.川崎「驚きました! サザエの苦味、セロリの苦味、さらにはマジックオイルの苦味が加わって、重層的な苦味がその他の味の余韻をも長引かせ、コクを感じさせます! おいしい!」
検証を終えて「苦味を最初は軽く見ていたのですが、侮れませんでした(笑)。消そう、消そうとしていたのはもったいない。今後は意識して足したり引いたりできそうです」と徳尾さん。「単調でマイルドな味わいのものにプラスαが欲しい時、“苦味を加えておいしくする”という引き出しが増えました。これからはもっとパンチの効いた、苦味×苦味の料理も果敢に考えていきたいです」と筒井さんも話す。
今回、単独では扱うことが難しい苦味を、時に少量、時に重層的に用いることによって、味わいを複雑にし、長い余韻を得られることが分かった。何よりも、苦いとまでは分からない“隠し苦味”が料理全体をおいしくするパワーを持つことを実感。今後、このような“苦味を活かす”調理シーンは確実に増えていくだろう。
『あまから手帖』2010年11月号より転載