文字塾での書体制作に直接関係のない写真や文字のスケッチや絵がありますが、これらは僕にとってのストリート感というムードをあらわしたもので、「街を歩くように本を読むための書体」が作れないかなという着想のもとになっているイメージたちです。同時に、ファッションやグラフィティなどの特定のストリートカルチャーを指すものではないことも示しています。もちろん「ストリートファイター」のことでもありません。

「粋」とは日本独自の美意識だそうです。「モテるための美学」と解釈すると、なんだかストリート感のある視点だなと思いました。
翻訳小説から多くの影響を受けてきた僕にとっては、和洋を折衷する装置としても機能してくれました。

この部分が直接的に文字の表情を探るうえでの指針になりました。
奇を衒った形にはしないこと、縮こまらずにイキイキしていること、音楽に例えるとブルースのようであること、を大切にしました。

なぜこの二つを参考にしたのかというと、単に好きだからというのがいちばんの理由です。
精興社に見学に伺った際には、自社の書体を愛してやまない方々からお話を聞くことができて、勉強になるとともに励みになりました。愛着とプライドを持って守り育んできたからこそ、今でも現役のフォントとして運用されているんだと知りました。
一方、本蘭明朝は現在使うことができません。DTP環境もフォントの選択肢もこれだけ充実しているなかで、本蘭明朝で組まれた新しい小説が読めないことはとても残念と思っています。

「ちまた」はどちらかというとモダンスタイル寄りの仮名にしたいという意図を持って字面率を設定しました。しかし、懐はあまり大きくしたくはありませんでしたし、筆書きのニュアンスが削がれた仮名は、哀愁や愛嬌といった「味」がない気がしました。なので懐の狭さや筆遣いの点ではオールドスタイルの感じを出したいと思いました。

筆で仮名を明朝体のように書くのは初めてだったので苦労しました。仕事で作字をすることがあり「余白を黒で塗って、紙地の白で形を出す」というやり方を多用していたので、それを応用して細筆で書いた文字を白黒反転コピーをとって修正していきました。コピーは墨によるヨレや表面の凸凹をチャラにできるので好きです。

片仮名は平仮名に比べて抑揚も画数も少ないためルールを決めやすい一方、細筆で手で書くのはえらく難しかったです。修正に修正を重ねてだんだんそれっぽくなっていきました。当初はYSEMのような伸びやかな感じにしたかったのですが、多くの学びを得るうちに本文用の片仮名には合わないかもと思い、諦めました。払いに、北魏の書をモデルにした書体にあるような抑揚をほんの少しつけています。

合わせる漢字は最終的に游明朝体Rにしましたが、横画が太めで安定感のある秀英明朝Lにも合うかもしれません。
平仮名と片仮名の字面率を同じにして、片仮名のスタイルを漢字に近づけることで平仮名と異化させる試作をしてみたりもしました。

仮名の字面を大きくしたことで行の結束力が強まり、行間を詰めて組んでも読みやすいという「機能」を図らずも得たのではないかと思っています。というのも、当初はモダンで元気な「印象」を求めて字面を大きくしようとしていたからです。本文用途として組んでみているうちに気づきました。
日頃の仕事で本を作る際「Q数大きくしてよ、小さいと読めないから。でも印刷費抑えたいから行間詰めてね。ページ数少ないぶん、嵩高の本文用紙にすればボリュームも出て割高な感じもしないでしょ」というような要望が編集者から寄せられることが多々あります。
そうした出版業界(作り手読み手双方)のリアルな事情を背景としたニーズにも合致するのではないかと、甚だちょこざいなことを考えたりしています。

ジャック・ケルアックの自身の経験に基づく疾走感のある文章や、ポール・オースターさんのニューヨーカーを見つめる眼差しに、ストリート感を感じずにいられません。というか「ちまた」を作る上で彼らの小説からのインスピレーションはなくてはならないものでした。最大級の尊敬と感謝を。訳者の青山南さんと柴田元幸さんにも。
そのうち巷の本でも「ちまた」をご覧いただけるよう、精進して参ります(ふりがなを作らなければ)。

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