ほぼ日刊イトイ新聞

2020-07-19

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・昨日のここの「今日のダーリン」で、
 テーマも起承転結もなければ、オチもない話を書いた。
 「タコ」のことを、ただただ無駄に話した。
 しょうもないことを書くことはよくあるけれど、
 ただただ無駄に「タコ」などについて書くことはない。
 絵を描くことでいえば、落書きしてるような気分かなー。

 その前の日には、「お風呂に入るとアイディアがでる」
 というような話を書いて、それはそれでたのしかった。
 お風呂のことを書いたら、それだけでリラックスできた。
 おかげで、ついついタコことが思い浮かんだのだろう。
 タコのこと書きはじめてはみたものの、どう終わるのか、
 書いてるじぶんでもまったくわからなかった。
 少しだけオチめいた表現で終わりにした。
 終わりにしてから、ふと思ったことがあった。
 そういえば、ビートルズのリンゴ・スターが歌った
 「オクトパス・ガーデン」という曲は、
 ぼくのつたない英語力によれば、まさしく
 「無意味」に思えるのだけれど、ほんとうにそうかぁ? 
 あらためてチェックしてみたら、ほんとにそうだった。
 「海の底にあるタコの庭に行ってみたいよ」とか、
 そこでひっそり隠れてすごせるよ、
 たまにゃ歌ったり踊ったりとかしてね、とか。
 乙姫様の竜宮城で安らぎたいぜ、みたいな歌だった。
 タコって、意味から逃げ出すには最適の乗り物だな。
 よかったよ、タコのこと書いて、と、ぼくは思った。

 おかげで、この先の「今日のダーリン」の書き方が
 すっと見えてきたような気がした。
 中学でも高校でもいいんだけど、教室の、
 冬なら陽だまり、夏なら窓際の風のくる場所に、
 バカたちがなんとなく集まって立ち話してるんだ。
 妙にまじめくさったことをしゃべってるときもあるよ。
 エイチな話をすることも、ボケて笑いをとることも、
 本や映画のことをしゃべりあうこともある。
 そこでは「タコの話」は、よくある当たり前の話だ。
 こういう場所でなにを話すか、を書けばよかったんだ。
 ずっとコロナに意識が向いていたせいで、
 ギクシャクしていた気持ちが、
 タコのようにやわらかくなったのでありました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いまごろどこかで大きなひまわりが咲いているんだろうな。


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