これに先立つ9月25日、AbemaTV『AbemaPrime』では、「離婚後に自分の子どもに会えなくなる」「子育てにも関与したい」と共同親権の導入を求める当事者や弁護士、そしてDV等の懸念から単独親権の維持を主張する関係者を招き討論を実施した。放送後、ネット上には「円満離婚なら共同親権でも良いけど、DV・虐待のケースで共同親権は子どもにとって地獄」「共同親権は子どもが2人の親と十分な関わりを持って育てられる権利だから必要」と、子どもの視点でこの問題をどう考えるのか、という意見も散見された。
■木村教授「共同親権にしたからといって改善できる問題ではない」
まず、法律上の親子関係について、簡単に解説したい。日本の法律では、母親が出産すると自動的に「法律上の母子関係」が成立する。他方、父親は、認知の手続をとると「法律上の父子関係」が成立する。ただし、母親が結婚している場合、その子は夫の子と推定され、自動的に夫との「父子関係」が成立する。法律上の親子関係があると、親権を持っていようといまいと、扶養義務や相続権を持つ。親権がないからといって、「法律上親子ではない」ということはなく、扶養のためのお金を払わなくていいということにもならない。むしろ、親権の有無に関わらず、子を扶養する責任は継続する。
次に、親権について説明したい。現在、親権には、同居して世話をしたり、養育したりする権利である「身上監護権」と、財産の管理や教育・進路の決定、職業選択、契約などの重要事項を決定する「財産等管理権」が含まれている。
第一の身上監護権については、誤解が多い。民法766条は、監護や面会交流については、単独親権になったとしても、親権者が自由に決められる事柄ではないと定めている。父母は、どちらが親権を持つかに関わらず、「子の利益」を最優先して監護・面会交流の方法を協議で決めなくてはならないとしている。「親権を持たなくなった方は、法律上、親と扱われなくなり、子どもに会うこともできなくなる」という説明は誤りだ。
具体的には、民法766条1項・2項は、次のように定めている。この規定は、協議離婚(裁判所を通さない夫婦の合意による離婚)についてのものだが、民法771条で裁判離婚(裁判所の判断による離婚)にも準用されている。
例えば、親権がお母さんにある場合も、「お父さんとは、どこどこで月1回3時間会いましょう」とか、場合によっては「子どもの家にお父さんとお母さんが交代で泊まりこみ、半分半分で面倒をみよう」ということを合意によって決める。その時は、父母の都合ではなく「子の利益」を最優先させるべきとされている。合意できなかった場合も、「子どもにとって一番いいのはこういう監護のあり方だから、こうしなさい」ということを家庭裁判所が決めることになっている。今年2月の答弁(衆議院予算委員会2月25日)で、安倍総理も、"親の面会、そういう権利については対応している"と説明している。
では、別居親が子どもに会えない場合とは、どういう場合か。一つには、裁判所が、子どもが忙しい、遠方に住んでいる、暴力の恐れがある、子ども自身が嫌がっているなど、「別居親による監護や面会が子の利益を害する」と判断し、それに十分な理由がある場合だろう。もう一つには、裁判所の判断が不十分だったという場合もあり得る。前者は、安心・安全な面会場の整備や交通費の支援、父母子の気持ちどうやって解きほぐしていくかというカウンセリングの支援など。後者は家庭裁判所の人員などを強化しなければ解決できない。つまり、共同親権にしたからといって改善できる問題ではない。
このように、この身上監護権と財産管理などの重要事項決定権は、別々に考えると分かりやすい。
DV被害者を守るためには単独親権の方がいいのは間違いないし、共同親権の導入後もそのような家庭は単独親権が選択できるようにすべきだと思う。でも、DVとは関係のない家庭を犠牲にするのは乱暴ではないかと思う。
■しばはし氏「共同親権になったから共同養育が浸透するかといえば、そうではない」
宮澤エマ:みんなが法律のことを考えて生きているわけではないから、お互いに話し合い、会える関係性であれば、そこは意識しないのではないか。これまではアメリカ的に共同親権がいいと思っていたが、どう思われますか?と尋ねられたとき、「ケース・バイ・ケース」としか答えられなかった。やはり離婚にもたくさんの形があるし、単独親権の方がいいケースと共同親権の方がいいケースがあると思う。だからこそ法律はどちらにも対応できるようになっていた方がいいと思う。
木村:お互いがいい関係を築けていれば、離婚していても相談をすると思う。そういう父母にとって、法律上、共同親権にしておくメリットはさほど大きくない。他方、円満ではないところで共同親権にしてしまうと、デッドロックの問題が出てきて、子どものためにならないということだ。
ただ、離婚後も両親が子育てに関わることを「共同養育」というが、共同親権になったから共同養育が浸透するかといえば、そこには警鐘を鳴らしたい。夫婦としては「さようなら」でも、親子としては何らかの形で関わっていかないといけないという覚悟がないまま、離婚しているケースが散見されるし、あくまでも子どもを真ん中にして、お父さん側、お母さん側それぞれが歩み寄る努力がなければならない。離婚後も旅行ができるような家庭もあれば、親同士は没交渉で子どもだけが行き来するような家庭もある。小さいうちは親のやり取りが必要だが、基本的には自由に行き来し、発言できる関係性や環境を整えられるよう、お互いが協力することが離婚後の子育てには大事だ。
堀:前回も時間を延長して議論した末に、柴山前文部科学大臣から最後の最後に「共同養育」という言葉が出てきた。やはり親権云々の前に、子育ての良好な環境づくりということをゴールに議論を進めないといけないのではないか。
伊藤:面会交流の機会や交流については、民法で親権の帰属や監護権、養育費について書いたところに書き込まないと、家裁の離婚の調停条項の中にも書かれないことになる。また、調停では"最低限このラインなら合意できる"というところから積み上げていくので、現場の感覚としては月1回、数時間程度という形をまず作り出していた。ただ、それではあまりにも少ないのではないか、もう少し子育てに関与したいという意見があるので、そこは柔軟性を持って動き始めていると思う。ただ、かなり激しい対立もあるのが実情だ。
■伊藤氏「調査官1人ではとても無理だし、時間もかかるが、志望者は減りつつある」
他方、欧米諸国では、婚姻中でも別居命令など不当な親権行使には公権力が積極的に介入しているという。ドイツでは親権制限判決数が2万9405件(2015年)、フランスでは9万2639件(2016年)となっている。日本では、支援と介入が乏しく、自ら逃げて別居を実現し、離婚を具体化している面がある。つまり自力救済を前提とした家族法になっているため、親権喪失審判数は25件、親権停止審判数は83件(2016年)となっている。
しばはし:そう思う。離婚する人たちは調停に行けば自分の気持ちの部分の話し合いもできると期待している。しかし実際は自分たちのことをよくわかっていないのではないかという方が仲介に入り、面会の頻度や、お金のことだけを取り決めていく。そうすると感情の部分が置いてきぼりになってしまって納得がいかないどころか、「会わせたくない」「会わせろ」というような話にもなってしまう。
伊藤:例えばお父さんとお母さんに揃って運動会に来てほしいと思う年齢もあるが、やはり10歳くらいになると、別れているお父さんが来るのは嫌だと感じる子どももいる。そういうことについてお互いの気持ちを伝えることのできるよう面会交流であって欲しい。また、法律上は15歳以上なら意思の表明ができるとされているので、裁判官が調停の場や審判の場で直接確認することはあると思う。ただ子どもにとっても相当な負担なので、実際は調査官が個別に調査面接で確認している。子どもの権利条約の考え方や面会交流の規定も入ってきているので、意思確認をもっと丁寧に行えということで、10歳前後から本人の意思を確認する形になってきていると思う。ただ、一緒に暮らしているお母さんが同席しているところで"どうなの?"と聞くような場合、すごく難しい。調査官1人ではとても無理だし、時間もかかる。調査官は全国に1500人くらいいると思うが、実働部隊は1300人くらいだと思う。少年事件など、非行の総数は激減しているが、それでも450人くらいが担当していて、家事の方に割けているのは800人くらいだ。それで全国をカバーしている。それも全国異動がある仕事だし、調査官の志望者は減りつつある。
そして、調停でも審判でも、身体的DVに比べて精神的DVの認定はすごく難しい。当事者同士はあった・なかったで感情的にエスカレートしていくし、話し合うという関係も壊れてしまう。そこで私は、親の紛争・対立の下にいて引き裂かれている子どもの調査を尽くし、どんな意見を持っているか。どういうことを願っているかを丁寧に考え、それを親にフィードバックする。共同親権を導入するのであれば、少なくともそういうことについて十分に手当てできるような形にすべきだ。それができないのであれば、残念ではあるが期限を設け親権を制限する制度が必要だ。
他方、現在の家庭裁判所の人員や予算は、単独親権制度を前提に組み立てられている。今の裁判所の調査能力で、どちらか一方が拒否している場合に共同親権を命じる制度を導入してしまうと、裁判所がDVを見抜けず、被害が永続してしまうケースが出てくる懸念は理解できる。また、DVがなくても、話し合いができないくらいに仲の悪い父母に共同親権を命じると、政府が強調しているように、スムーズな合意ができず、子の利益を害する事例がたくさん出てくるだろう。不適切な親の親権を裁判所が事後的に制限しようとするなら、裁判所が、ドイツやフランス並に、年間数万件の事案を捌くことになることを覚悟しなければならない。現在の司法や国には、それだけの予算を立てる覚悟や財政力はなさそうに見える。
共同親権の選択肢があれば、親権を巡る争いがなくなり、夫婦の葛藤を下げるという主張も根拠がない。共同親権であれ、どちらの親が日常同居し監護するかは決めなくてはならない。親権争いに変わって、子どもの生活の本拠の争いが、これまで通り継続するだけだろう。さらに、裁判所から強制的に共同親権を命じられるかもしれないということになれば、共同親権にしたくない父母は、「自分の同居・監護で問題はない」と主張するだけではなく、「相手は共同親権を持つのにふさわしくない酷い親だ」という主張までしなくてはならなくなる。単独親権制度の下での離婚よりも、葛藤が高まる危険があるだろう。
こういう問題を考えると、検討に値するのは、お父さんとお母さんが合意した場合に限り共同親権を選択できる「選択的共同親権」の制度に限られるだろう。また、単に合意があればよいというだけだと、DV加害者が「共同親権に合意しろ」と脅迫した事例や、離婚手続を早くすすめたくていい加減な気持ちで子の利益にならない共同親権の合意をしてしまう場合も出てくる。そうすると、合意は「真摯かつ積極的」なものでなければならない。
最後に、これから離婚や共同親権の報道が増えると思う。メディアの方には、注意して欲しいことがある。NHKの「生活ほっとモーニング」が、離婚の一方当事者だけを取材・報道し、もう一方の当事者から名誉毀損で訴えられた事件がある。この事件の判決は、次のように述べ、賠償を命じた。
離婚問題について当事者の声を報じるときは、お父さん、お母さん、双方からの取材を尽くして、できるだけ真実の把握に努めなければならないとされている。報道に関わる方も見る側も、そこに注意しないといけない。
また、両親が離婚や親権で争っているという事実は、多くの子どもにとって、人に知られたくない事実だろう。両親が同意していても、当事者の顔出しや実名での離婚報道は、子どものプライバシーの保護のために、できる限り控えるべきだ。
報道関係者のみなさんには、真実を探求することと、子どものプライバシーに配慮してほしい。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)