私には3歳の息子がおります。目に入れても痛くないとはまさにこのことで、日々のストレスも息子と過ごしているとすぐに吹っ飛ぶというものです。
そんな息子を、小学校に入る歳になったら私は朝鮮学校に入れようと思っています。
まだ3年ありますので、いろいろ情報収集しながらじっくり考えたいとは思いますが、家の近くの(ガラが悪いで有名な)公立小学校に入れることは無いと思います。別にガラが悪いから入れないという話ではないですが。
朝鮮学校と接点がなく、実際にどのような教育が行われ、どのような人間が育っているのかを知らない人たちは、なんで普通の小学校に通わせず朝鮮学校に入れるのか、不思議に思っている人もいるでしょう。また北朝鮮と朝鮮総連のダーティーなにこごりの部分のみ取り出して排撃することで快楽を得ているような連中に言わせれば、私のような人間は格好のターゲットでしょう。「スパイ養成学校になんでかわいい息子を送るのか?」と半ば変人扱いで聞いてくるのではないか、と思ったりもします。
私の息子を朝鮮学校に送る考えを整理しておきたいと思います。ひとりの親の立場を知ることで、朝鮮学校の意義の一端を理解する有用なレポートになると思います。そのうち息子が大きくなって、このレポートを見る日が来るかも知れません。息子に対し、親の責任で、なぜこのような教育を与えているのか、自信を持って示すためにも、しっかり書いて残しておこうと思います。
*なぜ朝鮮学校に息子を送りたいのか?
例えば、両親ともアメリカ人、自分の見た目もどう見てもアメリカ人なのに、日本生まれ、日本育ち、日本語しか話せない、書類上は間違いなくアメリカ人なのだが、アメリカ人らしい体験機会も一切持たない、という青年がいたとして、自分のルーツやアイデンティティを肯定的に自覚することができるでしょうか?恐らく相当に困難で、彼は相当に苦しむのではないかと思います。
我々在日コリアンにとって、「自分がナニ人なのか」は、日本人が日本に生まれ落ちた場合以上に相当重要なテーマです。日本において、日本人は周囲は日本語で溢れ、飯を食えば探さなくても日本食が出てきます。何の苦労もなく「日本人でよかった」などと平和(ある意味能天気)なことを言えるようになります。
しかし日本で生まれた朝鮮人はそうは行きません。朝鮮語も、朝鮮食も、意識して与えるか、自分で取りに行かないと触れることができません。教育や環境が無いと、自分が朝鮮人であることを発見することも、自覚することも難しいのです。
おのれのルーツがどこにあり、なぜに日本に居るのか、なぜに日本で「朝鮮人として」生き続けるのかについて、自分の息子には卑屈で意固地な考えではなく、時代錯誤的な被害者意識からでもなく、あくまで前向きで自分発進の考えを確立してほしいと思うのです。
朝鮮語に溢れ、日常的に読み、書くことができ、同じ境遇の人間同士で悩みや人生観を共有できる環境は、自分のルーツを自覚し、体感的に捉え、アイデンティティを育んでいける環境です。日本で朝鮮人として生きる上で、少年期の人格形成上絶対に外せない要素であると考えるのです。
ところで、日本で生まれ、日本で育ち、まず間違いなく日本で死ぬであろう我々在日コリアンの多くには、これまで以下のような体験が数多くありました。
・生まれた時から日本人っぽい名前をあてがわれる
・朝鮮人であることを自覚する機会もなく育てられる
・ある程度物心のついたときに親から秘め事のように自分が朝鮮人であることを打ち明けられる
・打ち明けられたほうは「朝鮮」「朝鮮人」という符号が「腫れもの」「障がい」のように感じられ、自分の身の回りから「朝鮮っぽいもの」を排除するべく必死になる
実際、私の兄妹がそうでした。日本学校しか通わなかった私の父が、朝鮮学校に子供らを送ろうとする朝鮮学校出身の母に猛反対し、結果長男(兄)と長女(妹)は絶対に日本の学校に送るが、次兄である私は勝手にしろ、ということで、三兄弟のなかで真ん中の私だけが朝鮮学校に通ったのですが、他の二人は日本人のふりをするのに必死で、家に自分の友人が来ることにやたらと恐怖していました。家には私の持つ朝鮮学校の教科書があるからです。私は兄妹と一緒に日本人のふりをするのに駆り出され、自分の教科書や制服を隠したりしたものです。罪人が証拠隠滅を図るかのようで苦々しかったことを覚えていますが、考えてみると、自分が朝鮮人であること、自分が日本で生まれたことは、「罪」であるはずも、「恥ずかしい」はずも、決してないはずです。それを「隠さなければならないもの」と捉えさせたのが、我が兄妹の置かれた環境であり、与えられた教育でありました。おかしいのは日本社会の在り様であり自分ではないのですが、日本社会のムラ意識のなかで、朝鮮人であることに怯え、どんどん卑屈になっていきました。
結果、現在社会生活を本名で送るのは兄弟で私だけ、妹は未だに「国籍が障害で彼氏に逃げられる」などと言い、兄はさっさと帰化して「海外旅行に再入国許可なしで行ける」などと喜んでいました。私の母は今となっても、我が子供を朝鮮人として育てられなかったことを恥じています。
私は、息子にはおのれの運命を肯定的に捉え、それと向き合って生きてほしいので、その環境としての朝鮮学校に通わせようと思います。
2.朝鮮人であることを否定されない
人格形成期において、かなり重要であると考えるのは、「自分の人格、存在が否定されない」ことです。すなわち、自分のルーツ、名前が、それを理由にした心ない攻撃に遭わない環境が、人格形成に大きく作用すると考えます。
自分が日本で朝鮮人として生まれたこと、自分の名前が「金○○」であることは、当然に悪いことでも何でもない。しかし日本の小学校では、なぜ自分の息子が日本の地に生まれ落ちたのか、きっちりと教えられることはまず無い。当然自分の息子には自分が教えますが、息子の周りのその他大勢は教わる機会はありません。
子供の社会で、自分達とは違うカテゴリの人間が存在する際の排除意識、群れを守る効果としてのケガレモノ探しは、子供であるがゆえに直截的かつ残酷です。
障がい者、バカ、デブ、ブス…
子供の社会ではこれまで、異質な者が集団から露骨に除け者にされてきました。教育現場が変わらない限りこれからも恐らくそうでしょう。そんなときに小学校の教師が、教育委員会が、PTAが、矢面に立ちその者を守ったでしょうか?言わずもがなです。朝鮮人であれば…明らかでしょう。
「よそ者」のイメージの悪い部分のみ取り出して躍る人間が多くなってきた今日の日本社会において、その不安は余計に強く感じるのです(※)。その点、朝鮮学校は、少なくとも「朝鮮人だから」と排除されることはありません。
3.少人数の教育でしっかり子供の成長を見てくれる
朝鮮学校は、少子化や「朝鮮学校離れ」の影響もあり、どこの学校も生徒は非常に少ない。これが逆に少人数学級の実現をもたらし、学校の教師全員が、一人ひとりの生徒の顔と名前と性格と能力を把握し、親身になって接してくれます。これは実際に現在子供を2人朝鮮学校に通わせている友人から聞いた話ですが、相当なやんちゃ者の彼の息子に対し、投げ出されたりせずとことん付き合ってくれる教師の姿に感謝しきりでした。
当然、生徒が少ないがために教師の生活は本当にきついことを承知しています。月の給与は独身者で手取り12万円程度。慢性的な遅配傾向であっても出るだけまだいいほうだと聞きます(つまり本当に全く出ない学校がいくらでもあるということ)。それがかえって(職業的なのでなく)朝鮮学校の教師という生き方を志した者のみが教師となり、保護者も彼らを支援し、学校全体が家族的な付き合いで、子供たちの成長を支えているのです。
1.何を持って「反日」「偏向」なのかは、言う人にとっていくらでも座標が変わります。
反日の「反」とはどのような状態で、「日」とは誰の言う「日」で、偏向とは標準が何でその標準から何がどう偏っているのかが、説得力もなく、ろくに定義もできないのに、馬鹿のひとつ覚えのように「反日」「偏向」と責められても、私には何にも響きません。
「非日本」であることは確かですが、「日本でないこと」がなぜ「反日」なのかが理解できません。
2.民族教育ですので「日本的なもの」がある程度割り引かれた環境であるのは当然です。
英語や数学は普通に教えますが、国語は朝鮮語です。日本語は「日本語」という教科で教わります。逆に朝鮮人を集めて日本政府の推奨する「日本的な教育」を貫徹する民族学校って何なんでしょうか?
立場が変われば歴史観が変わるのは当たり前で、それこそが民族教育の意義ですので、「韓国併合」を日本の学校では日本国家の都合や背景を主に教えるように、朝鮮学校では当時の朝鮮の状況と、日本がどのように朝鮮に干渉し主権をどうやって奪ったかを教えます。
だからといって、過去の日本国家がしでかした歴史上の出来事を(在特会界隈の連中の思考回路のように)現在の日本人個々人に短絡させ、恨みを持つような言説を説くわけが無い。日本人個々を敵対視する教育など、日本社会で生きて死ぬ我々には何の価値も無いからです。
3.おそらく、朝鮮学校を外から眺めて文句を言う人は「金父子礼賛の教育」が気に入らん、ということなのでしょう。
「朝鮮学校は悪の枢軸・北朝鮮の指導者を礼賛する教育機関だ」という言説が根強く語られます。
朝鮮学校は草創期に北朝鮮から援助を受け整備され、現在朝鮮総連の指導のもと運営されています。朝鮮総連が指導者を正面切って批判できない翼賛体制であるため、朝鮮学校にも指導者を批判できる空気感は確かにありません。私も確かに北朝鮮の指導者に良い印象は持っていません。帰還事業で永住帰国した私の叔父が、帰国後本当に散々苦労し、今となっては生死さえわからない状況になり、そのような「人の価値がやたらに低い」国家を作り上げた指導者が栄光を一身に浴びていることに同意できるほど、私は呑気ではないからです。
しかし、私自身が朝鮮学校の出身者だから言える話ですが、朝鮮学校は北朝鮮の指導者を礼賛することを目的にした学校ではありません。朝鮮学校の父母たちは、「金日成主義」を習わせたいから朝鮮学校に送っているのではありません。朝鮮語、朝鮮文化、朝鮮の歴史を学ばせたい、その環境が北朝鮮の援助の下に成立した朝鮮学校で、唯一無二の教育機関です(絶対数が少ない韓国学校がある事はこの際置く)。その教育内容に国史としての指導者に関する内容がある、ということです。重要性も、優先順位も、全然違います。ハタからいろいろ文句を言う人はそこだけを取り出していろいろ言いますが、保護者も馬鹿ではありませんので、それが主目的の学校なら、とっくの昔に全部つぶれているでしょう。
他にも以下のようなことが確実に言えます。
・北朝鮮というと、日本社会では「ミサイル」「拉致」「独裁者」というダーティーなイメージでしか語られず、伏魔殿か魑魅魍魎かという程度の扱いですが、在日コリアンにとっては紛れも無く、韓国とともに我が祖国です(在日コリアンにとってみれば北も南もありませんので)。そこには普通の人が住み、それぞれ独自の文化があります。為政者や国際関係の都合で確かに国民は苦労を強いられていますが、海外僑胞として、北朝鮮の国際的な関係性の改善を願うことはあれ、北朝鮮という国家、国民を全否定して切り捨てるなどという発想があるわけがありません。
・教育の「意図」と「効果」は別のものです。教育の意図から、自分の感性や価値観、知識の深度という様々なフィルターを通して、教育の効果が出るのです。教育の意図通り生徒が育つのであれば、その効果は「全員がテストで100点」「全員が歴史観一緒」でなければなりませんがそんなことはある訳がありません。それは妄想ということです。
・言うまでもなく、生徒は学校以外にもいくらでも情報のソースは持っています。テレビも新聞も雑誌も見ます。いくら肖像画を掲げ、指導者に関することを教わることがあったとしても、それを字面のまま額面のまま盲目的に吸収し、純正培養で育つことは絶対にありません。日本の学校の生徒は全員が全員、日の丸に忠誠を誓い、天皇を敬い、さきの大戦で先人が何千万人も死んだことを「国民は尊い命を国家のために捧げた」「さきの戦争はアジア解放のための聖戦だった」などと純粋に考え忠実に行動するのでしょうか?あり得ません。
・学校内では、生徒間でいくらでも金父子について議論し、批判的な本も読んでいます。オフィシャルな場で正面切って批判できないだけです。ミッション系の学校ではキリストを正面切って侮辱でき、右傾オッス系の大学で天皇制を正面切って批判でき、宗教系学校の生徒は教主を正面きって批判でき、中華系の学校で正面切って体制批判ができるのでしょうか?教師も生徒も属する集団の空気を読めます。全体の空気感がある中でひとり騒いでも、自分の周りに迷惑をかけるだけです。
・私と、私の周りの数十人の友人と、私の同窓生数百人が、朝鮮学校で人格形成をしながら、指導者の歴史なんぞも散々習いましたが、誰ひとり彼らに盲目的に賛意を示すような人生にはなっていません。
*朝鮮学校は「スパイ養成学校」なのか?
自分のかわいい子供を「北朝鮮のスパイ」にさせたいからと、高い月謝を払って遠くから通わせる親がどこにいるのでしょうか?
なぜ「スパイ養成学校」のようなくだらない学校が、終戦直後から60年以上も日本にあり続けているのでしょうか?
「スパイ養成学校」の卒業生は数万人にも及ぶのでしょうが、これほどのスパイが量産されていれば、そのスパイ発信の政変なり、大規模テロなりが起こって然るべきですが、どうやらそのようなことはないようです。
このような言説は、朝鮮学校の教師を、生徒を、保護者を、卒業生の人格を侮辱する、許せない言葉です。
*「高校無償化の朝鮮学校除外騒動」についてどう思うか?
1.高校無償化という政策の是非はさておき、高校無償化から、朝鮮高校「だけ」が排除されたことについては、朝鮮高校の生徒たちの心情を思うと本当に心苦しく、大人として情けない限りです。
この間、高校無償化の適用によって朝鮮総連にカネが行かないようにと、恥ずかしくないのか、子供も騙せないような稚拙な屁理屈で、どうにかして排除しようとあらゆるキャンペーンが張られました。しかし、高校無償化の受益者は、生徒あるいは納税者たる保護者ですので、これ自体が国家レベルの壮大な屁理屈であり、相当下劣であると言わざるを得ません。
2.これまで高校無償化の実現のために垂れ流されてきた言説はこんな感じですが、朝鮮学校「だけ」排除したいのが見え見えで理屈が理屈になっておらず実にくだらない。一部を挙げてみましょう。
・国交が無いので本国の教育内容を確認できない→同じく台湾にも国交はないが、無償化排除の対象に議論されたことも無い。もっとも朝鮮学校の卒業生はほとんどの大学の入試受験資格が認められ、実際に多数が入学し、既に法曹界やスポーツ界や経済界で活躍している。検証済みであるものを理屈をこねるために持ち出したに過ぎない。
・拉致問題について教えていないし、拉致被害者家族が反対している→つまり国の教育方針に準拠していないということだが、韓国は独島を、中国や台湾は釣魚島を、「当然に」自国の領土として教えているが、無償化云々の話では持ち出されていない。拉致や領土の問題を解決するのは両国の政治レベルの話であるが、現状に国の立場の違いがあることに関して、教わる生徒に責任がある訳が無い。どう考えても無い。拉致被害者家族も、朝鮮学校の生徒にお門違いな人権侵害をするように政府に働きかけているが、政治レベルや国家間交渉で解決すべき問題である拉致事件について圧力をかける先は民族教育の学び舎では絶対にない。朝鮮学校の生徒に理不尽な差別をすることを正当化したところで、自分達の家族の人権侵害が解消されるはずが無い。政治の無策のタテに朝鮮学校の生徒が人質になっている、というのが実際である。
・民族教育をなぜ日本人の血税で面倒を見なければならないのか?→在日コリアンも税金をびた一文まけてもらうことなく払っている。福祉サービスが享受できない理由がない。
・各種学校である朝鮮学校は正規の高校ではない→確かに朝鮮学校は多くのインターナショナルスクール同様学校教育法の一条校ではないが、民族学校の自主性を守る為に、民族学校の存在意義を否定するような一条校になる道を選ばず、各種学校として運営しているのである。ちゃんと都道府県の認可を得た正規の学校である。
・朝鮮学校はもっと情報公開して疑念を払拭すべきだ→朝鮮学校は各地域の日本の学校と交流したり授業を一般に公開したりしている。教科書も公開しているし、スポーツの全国大会でも活躍している。マスコミの取材対象にも頻繁になり、ことあるたびにネタにされている。全国に10校しかない朝鮮高校が、自分達のただでさえ少ない資源で出来ることは十分過ぎるほどやっていると言えるだろう。ただ情報の受け手が北朝鮮や朝鮮総連にしか関心が無く、それとの関連がどうのというものにしかニュースバリューを見出さないだけだ。
結局どうがんばっても法的にも理論的に朝鮮学校「だけ」排除などできる訳はなく、為政者がむりくりに変な難癖をつけて朝鮮学校の生徒を排除し、マジョリティーのささやかな人気を拾っていた、というのが実際なのです。
政治家の皆様方は、高い給料をもらっておられるようですが、実際に議論の中で、朝鮮学校に入り込むなりして、ありのままの彼ら彼女らの姿に触れてみたのでしょうか?北朝鮮とか朝鮮総連とか、おおよそ生徒の手の届かない次元で勝手な価値判断をして帰ってきたのではなかったでしょうか?彼ら彼女らが自らと日本社会と在日社会の在り様をどう考え、どのように成長しているのか、確認してみたのでしょうか?彼ら彼女らが、自分達の処遇が理念なき政策と植民地主義丸出しの愚論の具にされていることをどう思うか、膝を交えて聞いてみれば少しは勉強になるというものでしょう。朝鮮学校の生徒たちのほうが、はるかに日本社会のことを鋭く洞察していることに気づくでしょう。
3.朝鮮学校の生徒たち、保護者たちが高校無償化排除に反対の声を挙げているのは、なぜでしょうか?
約一万二千円が欲しいからではありません。
「すべての人に学ぶ機会を」と言っておきながら、無茶苦茶な理由で自分たち「だけ」を排除し、本来争いや対立などあるわけもないところに、それを無理やりに持ち込まれているその理不尽さに抗っているのです。
「政治利用はしない」と言っておきながらミサイル事件があった途端に政治理由で手続を止めた政府の対応も物凄いが、国連から重大な人権侵害と名指しで批判されても、何が言いたいのかわからない幼稚な新聞とか、得点を稼ぎたいだけの脂っこい政治家とか、もはや意味不明の圧力団体に成り下がった何某会とかが頻繁に出てきて、どうにかして朝鮮学校にカネが行かないようにと、足らない知恵を絞り合っている醜悪さはもはや異常です。そのたびに否応なく巻き込まれる生徒の身にもなってみろというものです。朝鮮学校の生徒は拉致に加担し、ミサイルを飛ばしたのか、政治家の連中に聞いてみたいものです。北朝鮮絡みなら何でもありで思考停止になっている日本社会に、本当に社会の有り様がこれでいいのか、差別が是認される社会が本当に良い社会なのか問題提起をするために、生徒や卒業生、保護者らは声を上げ、この理不尽が後代に引き継がれないように戦っているのです。本来勉学やクラブ活動に汗を流すべき生徒が署名活動に立ったり、集会で発言したりしています。これを日本社会がどう捉えるかということです。
日本政府は北朝鮮本国に対して、対話の門戸の一切を閉ざし、経済交流も文化交流も政策で禁止することで、当然に拉致問題や国交正常化問題に対し打つ駒が無くなった訳ですが、それを「内なる北朝鮮」の朝鮮学校の生徒に圧力をかけることで打ったような気になっています。少し考えれば分かることですが、朝鮮学校の生徒に圧力をかけても、北朝鮮との関係改善なり、北朝鮮当局の態度軟化なり、拉致問題の解決へは1mmも動きません。逆に、日本政府のこのような子供たちを人質に取るような政策は、北朝鮮の姿勢をより硬化させ、かつ日本の国際社会での地位を確実に低下させることになるでしょう。差別を是認する政策に世界の賛意が集まるはずがありません。実際に、国連でこのことがどのように議論されているか、少し調べれば分かるので、調べてみるといいでしょう。
4.朝鮮学校の無償化排除が実現しても、朝鮮学校が日本から無くなることはありません。
高校無償化で朝鮮学校がクローズアップされたときに、低俗な新聞でよく書かれていたのが「民族教育なら自分たちの資源でやれ」「日本の言う通りに教育するなら無償化対象にしてやってもいい」という言説です。
何をいわんやです。同化政策のもと朝鮮人子弟を漏れなく日本の学校に通わせようとしたのが日本政府です。それに抗い、金と知恵を出し合ってバラック建てから学び舎を守ってきたのは、他ならぬ在日コリアン自身です。朝鮮学校を閉鎖しようとし、それに抗う少年を銃弾で葬ったのが日本政府であり、逆に援助の手を差し伸べて支えて来たのは、朝鮮戦争後の戦災復興ままならぬときから少ない国家予算から数百回にわたり資金援助を続けてきた北朝鮮政府です。それが今になって「日本の援助が欲しければ北朝鮮との関係を断て」とはどの口が言うのでしょうか?
これまで数十年間、朝鮮学校はほぼ保護者らの月謝と理解者のカンパ、本国からの援助で成り立たせてきました。私学助成金などの公的援助は大きく削られ、これまで自治体が独自に支給してきた支援金も、昨今の衆愚政治を弄ぶ独裁主義的首長の台頭によって、どんどん削られています。挙句には震災の中で東北の朝鮮学校の補助金打ち切りが決まりました。かの大震災で朝鮮学校「だけ」が被災しなかったとでも言うのでしょうか?呆れるしかありません。
たとえ、高校無償化から排除されようとも、あらゆる補助金が打ち切られようとも、朝鮮学校はこれまでも在日コリアンと理解ある日本の市民が資源を出し合い守ってきたし、これからもそうだと確信します。カネをタテに恫喝し、人気取りの道具にしようとする衆愚政治の寵児に屈するほど、何十年間も守ってきた価値ではないのです。その価値は現在の生徒、保護者、卒業生がよく知っています。交流機会のあった人や周辺の理解ある市民がよく知っています。この価値が永遠に理解できないのは、よそ者に敵愾心を持つことで自尊心を保ってきたような人間か、マジョリティの人気にしか関心がない政治家ぐらいでしょう。
我々卒業生のような立場の者が、もっと考えや体験を社会に発信し、市民一般の広範な理解で支えられるようにしなければならないと感じています。
かなり脇にそれた感がありますが、
自分の息子を大事に育てるためにも、民族教育を守り抜いていかなければならないと思います。そのために微力を尽くし、息子が将来、「ウリハッキョ楽しい」と笑顔で言えるようにしたいと思います。
ところで、これまで偏った情報に踊って「スパイ養成学校」だと本気で思っていた人がいるのなら、もう少し様々な情報を吸収してほしいと思います。そんなくだらない学校に、何千人も行きませんよ。何千人も高い月謝で通わせませんよ。少し考えたらわかるでしょ?
(※)もっと言うと、日本とは世界の中、アジアの中の日本であり、現在の日本社会は、日本的なものに多くの「よそ者」的なものを取り入れ形成されている。日本人と、大勢の「よそ者」で構成され、それが社会の拡がり、多様性、彩りを保っているのだが、現在の日本社会は日本人のみで形成し、日本人の資源のみで経済が成り立っていると、大いなる勘違いをしている空気感が確実に存在しており、痛々しいのは、政治やマスコミに身を置いている人間すらそうだと思っているきらいがあることだ。
彼らの目は見えているのか?君たちの家の周りには中華料理屋やイタリア料理屋は無いのか?君たちは洋画やクラシック音楽やブロードウェイミュージカルに触れないのか?日本から日本的でないものを排除したらどんな社会になるのか想像してみればいい。実にくだらない社会ではないだろうか?多文化が交わる場合、負の効果が出ることも残念ながら一部にあるけれども、多くは双方に大きな利益があるのである。
そこまで想いが至らない想像力の欠如はかなり痛々しいが、それで朝鮮学校の教育内容云々と語るのだから本当に激痛である。