東日本大震災から4年が経過、復興進む宮城県・女川町から福島県の「帰還困難区域」まで行って来ましたー。

2011年3月11日に東日本大震災が発生。そして翌3月12日には長野県北部地震が。それから早くも4年が経過。なかなか復興が思うように進んでいるとは言えない現状ながら、かつて足を運んだ懐かしい場所からは嬉しいニュースもちらほら聞かれるように。そんなん聞くと、ぼら、やっぱムズムズして来るもんなんすよね。

更新日: 2015年04月13日

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この記事は私がまとめました

そんな中、ひと際大きく伝えられて来てんのが、2015年3月21日に、4年ぶりに全線開通が再開されるっつー宮城県内を走るJR「石巻線」のニュース。
これまでは東日本大震災の影響で、女川町にある「浦宿」駅~「女川」駅間を代行バスで運行して来ていたんすよね。
その区間の路線整備も整ったっつーことで、いよいよ列車運行が開始されるわけなんすよ。

宮城県女川町には震災後に、2度訪問してるっす。
そのどちらも、「浦宿」駅~「女川」駅間は徒歩で移動してたんで、結局、代行バスには乗らずじまい。
一度くらいは乗っときゃよかったな、なんてことを思いつつ、この「石巻線全線運行再開」っつーニュースには、やっぱワクテカ感が半端ないっす。
じゃあ当然、実際に、その運転再開された区間の列車に乗ってみなくちゃってなるじゃあ~りませんか(チャーリー浜風)

2015年4月6日(月) 宮城県女川町の新生「女川駅」さん、ごめんくさい!あ、こりゃまたくさい!

つーことで、前回の女川訪問の様子はこちらっす。さんこーまでに。

14時50分、女川駅に到着!
空は今にも雨が降り出しそう。天気予報も微妙だし。
この後いろいろ予定を考えてあるんで、なんとか雨よ降らないでくれーなどと思いつつ、まず新しく出来た「女川駅」周辺を見て回ることにしましたー。

メンテナンス中で、残念ながら入れませんでいた。とほほ

3月28日にオープンした、起業支援や町内外住民の地域交流拠点

なんか「女川駅」凄い!って感じっすけど、実は駅周辺は、これらの施設以外まだなんも出来てないん状態なんすよ。辺り一面造成中で、道路の通行禁止個所もあちらこちらに多数。駅前幹線道路はほぼ全域で舗装整備済みのよーなんすけど、しばらく進むと通行止めで、ここに来るのは工事関係車両だけってとこばっか。
綺麗に整ってはいるけれど、実は他方とはまだ繋がっていない。
そんな印象が強い女川駅周辺。震災から4年も経過していながら、こうした状態の被災された地域がまだまだ多くある現状。
各方面の方々には、もっともっと頑張って頂きたいもんすよね。ふんとにもう。

中央奥に見えるのは「女川町地域医療センター」

ここで一旦、本日の宿泊先、お馴染みのトレーラーハウス「エルファロ」へ。
荷物を置き、「エルファロ」備え付けのレンタル自転車を借りて女川町内を巡る予定なんすけど、これまで「エルファロ」へ繋がっていた道が通行止めに。
ちょっちあたふたしちゃったんすけど、造成工事が進む様子を、なんか実感しちゃったりしたのでした。

画像の右側中ほどにある表示が「嵩上げ地点」を示す。左に見えるのは「女川町総合体育館」

「嵩上げ地点」を示す右上の看板。この地点では、この高さまで「嵩上げ」する

辺りは前来た時とはすっかり様変わり。それは、あちこちで行われている「嵩上げ」工事の所為。現場の方によると、「嵩上げ」予定地内の、現在あるこの道筋もほぼ埋め立てられちゃうっつー話。なんで、今後ここに形成されていく道路は、どーゆー道筋になるかまだわかんないんだって。

それでは、「エルファロ」で自転車を借りて、予定していた女川町高白浜にある「果樹園CAFE ゆめハウス」にレッツゴー。
まず来た道を戻り、「女川駅」前を抜け、「女川町地域医療センター」横を通って、国道398号線へ。そこから県道41号線を女川港沿いに進んで行くっす。
目的地までの距離は約5キロ。山あり谷ありで、こんなキツイとは思わなかったっす。おまけに工事車両もばんばん通るし。
途中、鹿さんとの遭遇も。女川町には、野生の鹿がたくさん居るんすから。これ豆な。