東日本大震災の翌日に発生、長野県北部地震から3年10ヶ月が経過した長野県栄村に行って来ましたー。

2011年3月12日、震度6強の地震に見舞われた栄村。しかし当時は、命名の規定外規模だとし気象庁による命名はなし。加えて、前日発生の東日本大震災により、多くの目は東北地方へと向けられてしまう。村の状況を伝える報道はほぼ皆無、そうした状況は現在も同様。なら、実際に行ってみるしかないっしょ!つーことで。

更新日: 2015年01月07日

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麺が太くて美味!山菜も美味しかったなー

こちらの食堂の方に周辺の様子をいろいろと伺い、ここから2キロくらいのところにある「市河氏志久見館跡」に向かうことに。交流館「ふきのとう」で頂いた地図によると、「信越国境付近のこと地を治めていた豪族市河氏の城館跡。架空の人物とされてきた山本勘助が実在したとわかったのは市河家に伝わる文書に彼に名前があったことから」と書かれています。

こん時、物産館「またたび」では、荷物を増やしたくなかったんで「山菜そば」を食べただけだったんすけど、帰りにもまたここに寄ったんすよ。んで、そん時食べたもんとかも、ここで一挙に紹介しときまーす。

皮生地に米粉を使用したおまんじゅうのようなもの。主に長野県北部地方及び新潟県中越地方で作られる伝統食。「おやき」に似ているが「皮の原料」が異なる。「あんぼ」は米粉で作られ「おやき」は小麦粉を使っている。これは「あんぼ」が作られた地域は稲作が盛んなところであり、「おやき」が作られた地域はソバや小麦が栽培されていたためだと言われている

具は野沢菜とあんこ
こーゆーの、ほんと好きだわー

「長野県北部地震ではあたたかいご支援をいただきありがとうございます」と書かれています

道の駅を背にして歩き、信濃川にかかる橋を渡り、右方向へ。

国道117号線沿いに流れる千曲川は、長野県側での信濃川の呼称。信濃川と呼ぶのは、新潟県域だけとのこと。この地点で、これから向かう方向から流れて来る志久見川と合流している

上の写真、左中央の家屋では屋根の雪下ろし作業が行われています。この季節の、この地域での日常風景。スコップ等で大きな塊を切り出し、階下へ落としていきます。

しばらく歩いて行くと、「市河氏志久見館跡」が位置する地区「志久見」と書かれた表札が。

辿って来たこれまでが「雪坪」地区

辺りには「市河氏志久見館跡」を記す表札等は皆無。
どーしたもんかなって想いながら歩いてっと、前方右側にお寺を発見。
こりゃとーぜん、行くしかないっしょ。

辺り一帯深い雪に埋もれていて名称を確かめることが出来ないまま境内へ

すると、お寺の方々が除雪作業を行っているところ。
そこで「市河氏志久見館跡」の場所を尋ねると、「こちら側になります」と寺社脇を通り、雪に埋もれた方角を指さします。
そして「行くのは無理」と。
そりゃそーっすよね、一目見ただけでわかるっす。
除雪作業の手を止めさせちって、ほんと申し訳なかったっす。
ちょっち、境内見学させて貰ってから帰りまーす。

下水内郡栄村堺9318