東日本大震災の翌日に発生、長野県北部地震から3年10ヶ月が経過した長野県栄村に行って来ましたー。

2011年3月12日、震度6強の地震に見舞われた栄村。しかし当時は、命名の規定外規模だとし気象庁による命名はなし。加えて、前日発生の東日本大震災により、多くの目は東北地方へと向けられてしまう。村の状況を伝える報道はほぼ皆無、そうした状況は現在も同様。なら、実際に行ってみるしかないっしょ!つーことで。

更新日: 2015年01月07日

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長野県栄村を震度6強の地震が襲ったのは、2011年3月12日3時59分頃。震災当時の様子は、栄村のHPから見ることが出来るっす。でも、じゃあ現在の栄村の状況はどうなの?って疑問に思っても、実はそれを詳しく紹介してくれてはいないんすよ。マスコミによる栄村に関する報道も、まさに有りや無しやっつー状態。他に栄村発信の情報源としては、NPO法人の栄村ネットワークさんの「栄村復興への歩み」っつーブログがあるくらい。こちらは、ピンポイントで栄村の方々の生活を紹介しています。その中には当然、生活に密接した問題としても、震災に関する記述が多く紹介されているんすよ。今回の栄村訪問では、こちらのブログを大いに参考にさせて貰ったのでしたー。

毎度の旅行同様にあちこち見て回ってやろうっつー熱い意気込みは決して衰えることは無いながら、今回訪れた、豪雪地帯である栄村の前ではそんな一個人の想いなど無力なものでしかないのだと思い知らされずにはいられないのでした。
何しろこの季節、到達不可能地点がてんこ盛り。つーか、今そんなとこ目指してこーとかいう奴居ないってさ。遭難するぞって言われたし。
辺り一面白一色。大好物の神社仏閣もほとんど雪に埋もれてて、屋根辺りがチラッと見えてるくらい。何で、それらの名称等確認出来なかったものがほとんど。帰宅後調べてみてはいるんすけど、わっかんないままのもんばっかなんすよ。
最初に言い訳しておきますからね。みなさんも、それじゃあ仕方ないよね、ってな感じで受け入れておいて下さいよね。頼みましたよ。

雪国、なめたらあかん(天童よしみ風)

つーか、栄村にはスキー場もありますからね。冬ならやっぱふつーこっちなんじゃね。

おはようございます*ヾ(✿❛◡❛ฺฺ)ノ 昨晩の降雪で、雪はバッチリです 気持ちい〜だろうなぁ〜(≧∇≦) 皆さん‼️楽しんじゃって下さいね pic.twitter.com/jfdniKIx0K

2015年1月4日(日) 長野県栄村にキター!

長野県栄村には、新潟県南魚沼郡湯沢町にあるJR越後湯沢駅から南越後観光バスに揺られて約1時間ほどで到着。辺りは一面雪景色。ここに至るまでの道路はほぼ、車両通行部だけを除雪して作った雪の壁に覆われていました。

駅舎に交流館「ふきのとう」が併設

昭和20年に記録した7m85cmを実際の高さで表しています

東京芸術大学大学院在籍の相子恭平氏により、2014年6月に作成。プレートには、「2011年3月12日 3時59分に発生した長野県北部地震により栄村は局地的に想像を絶する被害を受けた。生活に最も必要な住居が次々と解体された。この悲惨な事実を後世に伝えることが我々の使命であると考え、取り壊された建物の梁を媒体としたモニュメントを作成し据え置く事とした。 河川、道路、農耕地、橋、鉄道等、甚大な損害を受け、更にこの震災に関連して3名もの尊い命が犠牲になった事は決して忘れてはならない。」と記されている

栄村は2014年12月22日に苗場山麓ジオパークに認定。地震で土砂崩落した中条川をジオサイトの一つとしている。同様の手書きカレンダーが栄村役場にもありました

「また乗ってくんねかえ」の文字が

観光案内や地場食品の販売、喫茶コーナーがあります

ここからバスで通って来た道のりを300mほどさかのぼって「道の駅・信越さかえ」を目指します。周辺の積雪量は膨大ですが、車両や人が通る箇所の除雪は完璧に為されていて生活圏の交通に不自由はありません。けれど、この時期のみなさんの生活にとってあまり重要でない箇所を整備する余裕があるわけはないとのこと。それも当然のことでしょう。ひどく雪が降り積もった危険でさえある場所にわざわざ入り込んでいこうとする物好きな輩なんて、そうそう居るもんではないでしょうからね。

栄村物産館「またたび」内の食堂には、2013年4月25日に訪れた、せんだみつお親子のサインと記念写真が飾られています。これマメな。