風光明媚でクジラ料理が美味しい、和歌山県太地町に行って来ましたー。

町住民が、シーシェパードなる如何わしい団体メンバーらに不当な嫌がらせを受け続けている現状を何とか出来ないかという思いが切欠で太地町に関心を持ったのですが、初の太地町旅行ではあるし、土地勘も伝手も無い訳だから、まー思う存分太地町で楽しんじゃえば?てな感じで、要するに太地町観光に行って来たのでしたー。

更新日: 2014年04月07日

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「太地町役場」から400メートル程の距離。

太地町漁業協同組合の向かい側に位置しています。

食事のおこぼれにありつこうと、漁具の掃除をしている漁師さんの周りに集まって来るカモメ。漁師さんは「こいつら!」とか言いながら、餌になりそうなものをカモメたちに向かって投げてやっていました(笑)

カモメたちは、漁具の掃除をする漁師さんの周りに集まり、そこで出る餌になりそうなものを狙っている。何か見つけると、一斉にブツに向かって飛び掛っていく。

マッコウクジラの顎の骨で出来た鳥居。
太地町漁業協同組合の斜め向かい側に位置している。
この「鯨骨鳥居」は江戸時代の状況を想像し昭和60年に再現、その後腐食した為、平成8年に太地漁商組合が再建したものです。

「蛭子神社」の階段上から「太地漁港」方向を望む。

ここから太地湾沿いに東に向かいます。
自転車ではかなりきつい坂道。
その途中に、「漂流人記念碑」があります。

中央に見えるのが「太地町漁業協同組合」社屋。

明治11年、荒天の中を漁に出かけ百余名が遭難した「大背美流れ」の惨事を今に伝える。

「漂流人記念碑」から1キロ行ったところに「金刀比羅神社」があります。
ここは太地中学校のすぐ裏手。
なんだかここら周辺は、ちょっち南国っぽい雰囲気でーす。

「金刀比羅神社」をすぎると直ぐのところに、「燈明崎」突端へ向かう歩道入り口が見えてきます。
自転車はここに置いといてっと。

燈明崎への途中にあります。 
遣唐使だった吉備真備が唐からの帰途遭難し、牟漏崎(燈明崎)に漂着したと「続日本紀」に記されている。

網取法が始まった延宝3年、燈明崎山見台よりおよそ20m手前に設置されたと推定される。