アメリカは軍事費を削減して世界に展開している部隊を撤退させようとしている。日本を守れなくなる可能性がある
http://blogos.com/article/81245/
創価学会員よ、これがどういうことかわかるか。
今まで日本はアメリカの軍事力によって守られてきたけど、
軍事費の強制削減によって、
アメリカは日本を守れなくなる可能性があるのである。
今までアメリカは世界の警察を務めてきたが
この世界の警察を辞めるといっているわけである。
そうなっても大丈夫なように
日本は自主防衛をしなくてはいけないのである。
自主防衛のための法案が今の安全保障関連法案である
中国による日本侵略工作文書、日本解放第二期工作要綱が40年前に存在した。
http://bit.ly/1HGyGZO
http://bit.ly/1f7UQ07
http://bit.ly/1h2YsTb
日本解放第二期工作要綱
(にほんかいほうだいにきこうさくようこう)とは、
中国共産党による対日工作活動が記されているとされる文書。
日本を赤化し中国の傀儡(かいらい)とすることを
目的とした工作作戦要項である。
中国の基本戦略
日本への工作の基本戦略として、
「日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、
我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある」と書かれている。
このほか日本のマスコミ、政党・政治家、極右極左団体、
在日華僑に至るまでの工作手段が記されている
解放工作の3段階
1.中華人民共和国との国交正常化(第1期解放工作)
(田中角栄内閣で成立)
2.民主連合政府の形成(第2期解放工作)
3.日本人民民主共和国の樹立(中国による日本統治)によって
天皇(昭和天皇)を戦犯首謀者として処刑すること
(第3期工作解放)
日本解放第二期工作要綱には公明党も打倒するべき政敵だと書かれている
http://homepage3.nifty.com/hougyokudou/newpage12.htm
第3.政党工作 3-1.連合政府は手段 に書かれている。
自民党のみではなく、社会党、公明党、民主社会党もまた、
無産階級の政党ではなく、
【最終的には打倒されるべき階級の敵の政党であることを
忘れてはならない】
つまり、はじめから創価学会公明党も
敵とみなされているということだ。
中国は信用できない
そもそも過去何回も中国の不審船が日本の領海に侵入を繰り返し、
近年では海洋保安庁の巡視船に中国漁船をわざと衝突させている。
その上、中国の不審船が日本の領海に入って
日本領土を一周するということまで過去にやっている。
何回も領海侵犯を繰り返す中国は日本に対して
友好的ではないのがこれでわかるはずである。
95年、村山総理(社民党)が中国に訪問する前にも
核実験をしているところを見ても普通だと思えるか。
社民党は核反対の立場であるにもかかわらず
村山総理訪問前に核実験を中国はしているのである。
また中国は沖縄は中国のものだと発言している
中国の侵略行為
http://kenjya.org/china4.html
李鵬(りほう)首相は1995年、オーストラリアハワード首相に「日本などという国は20年後には消えてなくなる」と発言したと、テレビ番組「TVタックル」(テレビ朝日系)で紹介された。
李鵬(りほう)首相は1995年、オーストラリアハワード首相に
「日本などという国は20年後には消えてなくなる」と発言
↓のリンク先では、中国外務省から出てきた
日本を侵略した後の統治地図が出ている。
西日本は中国領土の東海省となり、
東日本は日本自治区になっている。
http://bit.ly/1DKbij3
http://bit.ly/1DMYjwT
一国の首相がこんな発言をしている以上
中国が本気で日本侵略を考えている決定的証拠である。
年々軍事費を増大させる中国
http://bit.ly/1DN19lF
http://bit.ly/18xISsI
年々軍事費を増大させている中国を信用できるか。
なぜ年々軍事費を増大させているか。
それは、中国が周辺諸国を侵略するためだからである。
そうでもなければ、年々軍事費を増大させる必要はないではないか。
創価学会員よ。中国共産党に警戒せよ。
東海省には中国人が居住することになり、この区域からは日本人は追い出されることになる。
もし日本が中国に侵略されたらどうなるか
その場合は日本人全ての銀行預金は
中国当局に没収されてしまうことになる。
また、中国による漢人同化政策によって
日本の女性は全員中国に強姦されてしまい、
妊娠させられるか、
強制的に中国人男性と結婚させられてしまうことになる。
中国に侵略されたチベットでは漢人同化政策が
現実に行われたことである。
またあらゆる自由が中国によって奪われてしまい、
日本国内は北朝鮮のような刑務所の生活をするはめになる。
北朝鮮の強制収容所は生き地獄になっているが
この生き地獄を日本人は全員味わうことになる。
つまり、日本人は全員奴隷の扱いをされてしまうのである。
中国や北朝鮮は先の大戦による日本人に対する恨みがあり
この恨みを晴らすためにほとんどの日本人は
炭鉱などの強制労働をさせられてしまうことになるだろう。
上記の内容は生きているだけまだマシなほうで、
さらにもっとひどい日本人虐待虐殺がが行われることだろう。
チベットも同じ反戦平和主義だが中国によるチベット侵攻で
実質戦わなかったために民族抹消をされかかっている。
創価学会公明党も平和政党ならチベットの人権侵害を批判すべき。立ち上がれ!
アジア平和のために憲法9条改正に賛成せよ!
残念ながら、一番わかりやすいのがこれしかなかった。
一連の卑劣な行為について、中国当局は12日、このような発表をしている。「兵士が違法越境者に対して引き返すように説得したものの、抵抗したために発砲した。正当防衛だ」
これに対し、チベット人権民主センターのテンジン・ノルゲイさんは真っ向から反論する。「中国軍は何の警告もなく撃ってきたと亡命者たちは証言している。正当防衛と言うが、彼らはナイフすら持っていなかった。ビデオを見ればわかるように、ただ逃げただけだ」実際、ルーマニアのカメラマンが14日に映像を公開したことによって、中国当局のウソは全世界に明らかになった。
創価学会公明党も平和政党なら中国によるウイグル民族虐殺を批判すべき。立ち上がれ!
アジア平和のために憲法9条改正に賛成せよ!
残念ながら一番わかりやすいのがこれしかなかった。
創価学会公明党も平和政党なら中国によるウイグル人権弾圧を批判すべき。立ち上がれ!
アジア平和のために憲法9条改正に賛成せよ!
残念ながら、一番わかりやすいのがこれしかなかった。
●チベット族は仏教への帰依が激しく、
五体投池という肉体的にも過激な動作を繰り返して、
日々篤い信仰生活に明け暮れ、
今も漢族の暴虐を極めた血の弾圧と大虐殺への怨念を抱いているが、
新彊(しんきょう)ウイグルのイスラム教徒とは異なって、
過激な武力闘争・武装ゲリラ戦争を展開することはない。
ダライ・ラマ猊下(げいか)の地下からの
「無抵抗主義」の呼びかけに忠実であり、
純朴な国民性は宥和(ゆうわ)を旨(むね)とする。
《宮崎正弘 「出身地でわかる中国人」
他の著書「出身地を知らなければ、中国人は分らない」》
●チベットは7世紀初頭、ソンツェン・ガムボという王が
ヒマラヤ山脈の北部に広がる高原地帯を平定して以降、
どの国家とも同盟を結ばず、世界最古の中立国として
仏教を国の基本としてきた。
【【【それが1951年に中国人民解放軍が突然侵攻して、
併合してしまった。】】】
《櫻井よしこ 諸君!2005/8月号》
↓がわれわれ日本人に対する中国軍侵略の警告書だ
チベットへの侵略と虐殺
http://dadao.kt.fc2.com/fanzui03.htm
■有史以来一貫して独立国であったチベット
チベットには約2100年の歴史がある。とはいえ始めの数百年は神話と史実の境界が曖昧(あいまい)なので、チベットの歴史はソンツェン・ガンポが仏教に基礎をおく王国を築いた7世紀から語られることが一般的である。中国では唐王朝が栄えた時代だ。あろうことか中国では唐代よりチベットは中国の一部分であったという、それこそチベットの全歴史を否定するような歪曲を行っているが、西暦763年にチベットは唐の首都長安を占領し、一時的に唐はチベットの朝貢国になったこともある。
今日まで続くダライラマ制度は17世紀に始まったもので、それ以来ダライラマは転生を繰り返して現在では14世に至っている。一般的な歴史観ではチベットは1727年に清朝の支配下に入ったとされる。しかし実際にはラサに駐蔵大臣2人を置いていただけで、現代で言う大使館を開設していたに過ぎない。チベットは英領インドと国境条約を結ぶなど一貫して独立国家として主権を行使してきた。20世紀前半当時、チベットは日本、中国、タイと並んで欧米の植民地化を免れたアジアでも数少ない独立国家のひとつであった。
■中国共産党のチベット侵略戦争
1950年10月7日、中共軍がチベット東部へと侵略戦争を開始した。チベット国境警備隊と現地の義勇軍が抵抗したものの、武器・人員ともに圧倒的な中共軍を相手に退却を余儀なくされた。
そもそも中共軍は100万の軍勢を有している一方で、チベット軍は8500人に過ぎない。始めから軍事力による勝敗は見えていた。1951年5月、北京でチベットと中国との交渉が行われた。チベットから北京に派遣された代表2人は交渉に赴いただけで、チベット政府から条約を締結する権利を与えられていなかった。だが中共の脅迫により強引に署名させられてしまった。こうして1951年5月23日、チベットの平和解放に関する十七か条協定が締結(ていけつ)された。
■チベットが中華人民共和国の支配下に入ると早速チベット人と中国人の摩擦が激化した。当時人口7万人のラサに2万人以上の人民解放軍が進駐し、ラサ市民は住宅と食料の提供を強制され、瞬く間に食糧難と猛烈なインフレがラサを直撃した。チベットと中国を結ぶ道路建設には大量のチベット人が無報酬で強制労働をさせられ、数千人の命が奪われた。また、中国共産党はチベットの青少年に、チベットの宗教、文化、習慣を侮辱し、共産党を賛美する教育を強制した。
チベット人の不満が日増しに高まる中、ダライラマ法王は1954年、北京を訪問し、毛沢東、周恩来、劉少奇、朱徳らと会談した。このときダライラマ法王は一筋の希望を見出し、中国との協調も本気で考えるようになったという。だがその後にチベットでは、人類がかつて経験したことがないような悲劇に直面するようになる。
■チベットへの弾圧強化
中国共産党の悪政、度重なる条約違反にチベット人の怒りは頂点に達していた。1958年以降、東チベットではカンパ族を中心に反乱が続発、これに対し中共軍は見せしめのため、何千という寺院や町を砲撃や爆撃で破壊、寺院の仏像や経典を容赦なく略奪した。東チベットのいたるところで中共軍による虐殺が行われた。以下に『中国はいかにチベットを侵略したか』から引用しよう。
「妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。特に尊敬されている僧たちは狙いうちにされ、尼僧と性交を強いられたりもした。ある僧院は馬小屋にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。拒否した僧のあるものは腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。大勢のチベット人は、手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されていった。アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて中共の学校や孤児院に強制収容されていった。
貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲(あざわ)られた」
■ラサ動乱とダライラマ法王の亡命
1959年2月、中共はダライラマ法王を、3月10日に開催される観劇に招待した。その際、警備をつけないようにという注文をつけた。法王が拉致されるのではないかという不安が瞬く間にラサ市民の間に広がった。1959年3月10日、3万人のラサ市民が市の中心部にあるノルブリンガ宮殿に集結、人々は口々に「チベットに独立を、中国人は帰れ」とシュプレヒコールを叫んだ。法王は観劇への出席を取りやめることにしたが、大群衆はノルブリンガを去らなかった。これに対し中国共産党は軍を増強し、事態は一層緊迫の度を増した。3月16日、ダライラマ法王はついに決意して、一般庶民に変装してノルブリンガを脱出し、インドへ亡命した。
3月19日、ついに悲劇は起きた。中共軍はノルブリンガ宮殿に一斉に砲撃を開始。集中砲火は41時間継続し、宮殿は蜂の巣のように破壊され、何万人という民衆が虐殺されたのであった。3月28日にはチベット政府が完全に解散させられ、チベット自治区準備委員会に統治されることとなったのである。(チベット自治区は1965年に発足した)
その後も中国共産党による残虐行為は絶え間なく続いた。1959年4月には「民主改革」運動が行われ、ありとあらゆるチベット人が摘発の対象となった。多くのチベット人が出頭を命ぜられ、投獄、殺害された。比較的軽いものでも数ヶ月間の洗脳教育を受けさせられた。以下はダライラマ法王が難民からの報告をもとにまとめたものである。
「彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまで鞭打たれたり、はりつけにされたり、生きながら焼かれた。溺死させられたり、生きたまま解剖されたり、餓死されたものもあった。絞め殺されたり、首をつって殺されたり、熱湯によるやけどで殺された。また、あるものは生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首をきられたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。村人たちはそれを見物するように強制された。自分の家族のものが強制されて見ているその目の前で、ゆっくりと殺されていったのである。さらに小さな子供たちは、その両親を射殺するように強制された」
■文化大革命
1966年5月にはチベットにも文化大革命の嵐が吹き荒れた。8月には紅衛兵の数は1万人に達し、最盛時には十数万に達した。紅衛兵は「四旧」を打破し、「四新」を建設しようというスローガンの名のもとに、数少なくなったチベットの寺院、文化施設を徹底的に破壊し、通りの名称を変更し、個人の家に入り込んで祭壇や民俗家具などをかたっぱしから壊しまわった。民族衣装を着ることもペットを飼うことも屋上で香をたくことも、伝統の模様を描くことも全て禁止された。宗教文献、写本、彫像などはあとかたもなく破壊された。【【【チベット語も弾圧の対象となり、会話以外ではありとあらゆるチベット語の書物、教科書、が廃棄された。】】】チベット語で印刷されたものといえば毛沢東語録と共産党の宣伝文書ぐらいになってしまった。全ての僧侶は「反動分子」として扱われ、罪名を書いた板を首かけられ、市内を引き回された。チベットのありとあらゆるものが破壊された大混乱の10年間であった。
■総括
1978年から始まった改革開放政策によって、中国共産党のチベットによる残虐行為は大幅に緩和された。しかし28年間にわたる中国共産党の支配は、2000年かけてチベット人が築き上げたものを根本から徹底的に破壊しつくしてしまった。6000箇所以上あった寺院はことごとく破壊され、完全な破壊を免れたのは8箇所であった(それとて全く被害がなかったわけではない)。虐殺、戦闘、飢餓によって120万人のチベット人が命を失った。チベットの人口の5分の1に相当する。(中共侵略前のチベットは貧しくはあったが、その歴史において飢餓を経験したことがなかった)。
■今でも続く弾圧、文化破壊
改革開放以来、大規模な殺戮はなくなったし、仏教を信仰することも可能になったし、破壊された寺院の再建や修復も進んでいる。それでもチベット人に対する弾圧は依然として続いている。
1989年にはラサでチベット人による大規模なデモが行われ、これに対し中共軍が数百人のチベット人を虐殺している(そのときのチベット自治区の共産党書記は胡錦濤である)。現在でも数千人が政治犯として収容されていると言われている。ダライラマの写真やチベットの国旗を所持しているだけですぐさま摘発の対象となるほど自由は制限されている。ほかにも子供たちにダライラマ法王の写真を踏み絵さたり、中国共産党のイデオロギー教育を行うなど前近代的な植民地支配が継続されている。2006年10月にヒマラヤ山脈を越えてインドに亡命しようとしていたチベット人を人民解放軍が射殺した映像が世界に流れたのは記憶に新しい。
1995年には即位したばかりのパンチェンラマ11世を拉致監禁し、別のパンチェンラマをたてるという暴挙に出た。拉致されたゲンドゥン・チューキ・ニマ少年は当時6歳で、世界最年少の政治犯となった。ダライラマ法王は亡命から48年間、一度も祖国への帰還を果たしていない。
中国共産党は半世紀以上にわたる残虐行為を認めないどころか、「かつてのチベットは5%の僧侶及び貴族、地主が、95%の奴隷を搾取していたが、中国共産党がチベットを平和解放し、チベットに幸福を繁栄をもたらした」などというまるで幼児向けのアニメみたいなストーリーを「歴史」として宣伝しているのだから開いた口が塞がらない。当然ダライラマ14世のことは分裂主義者、仏教秩序の破壊者として悪者扱いである(ダライラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞している)
近年特に深刻なのは大量の中国人がチベットに入植していることである。もともとチベットの一部分であった青海省は今や中国人が多数派となっている。チベット自治区では今でもチベット人が多数派であるが、2006年7月の鉄道開通によって今後は自治区内にも大量の中国人が入植することが予想される。大規模な虐殺や破壊はなくなったが、今でも中国共産党によるチベット文化の破壊は着々と進んでいる。50年代から70年代にかけてチベット文化は徹底的に破壊されたが、さらに80年代にかけてチベットの中国化が強化されている。ラサ市街は今や社会主義国らしい地味な5階建てのコンクリート建築が並び、チベットらしさが失われてしまった。道路には北京路、福建路、解放路などの中国的な名称がつけられている。
今回は「中国共産党の犯罪」という連載記事の一部としてチベット問題を取り上げた。なるべく多くの方に読んでもらうためにも、あまり長文になり過ぎないように、中共のチベット侵略史をコンパクトにまとめるよう努めたつもりであるが、凝縮しすぎたために、十分には伝えきれていないかもしれない。にも拘らず字数は4500字を超えている。中共のチベットへの残虐行為がいかに膨大なものかを示しているといえよう。
日本が中国に侵略されると、チベットのように国民の自由が奪われる。自由を奪われる代償は非常に大きいことを知らなければいけない。↓はまだマシなほう
中国ではミュージック体操が流行っているが
中国当局が認めた曲しか
ミュージック体操をしてはいけないことになっている。
中国が日本に侵略された場合は、
同じように好きな音楽を聴く自由すら
奪われてしまうことになるだろう。
これはひどい。。中国で音楽の自由が無くなってきた
http://bit.ly/1KhVyAw
中国が統制強化 「社会批判」120曲の
販売・放送・配信などを禁止
http://bit.ly/1Plm3tk
また中国では金盾(きんじゅん)という
中国共産党にとって都合の悪い情報を遮断(しゃだん)する
インターネット情報検閲(けんえつ)システムがある
金盾(きんじゅん)
http://bit.ly/1Plh9g2
中国で規制されているウェブサイト
http://bit.ly/1J4AwZK
日本が中国に侵略されると日本人は消されてしまう。チベットやウイグル民族は中国によって消されかかっている
中国の少数民族弾圧
http://kenjya.org/china5.html
●中国はチベット文明の虐殺を目論んでいる。
チベットに漢族を移住させ、
人民解放軍の若い兵士をチベット族女性と結婚させるなど、
民族の抹殺さえ行っている。
《櫻井よしこ 〃 》
●チベット少数民族は一人っ子政策の対象外として、
子供をどれだけ作ってもいいということになっているが、
実際には医者はどれだけ避妊・断種手術をしたかで表彰されている。
《ペマ・ギャルポ 中央公論2008/5月号》
●チベットのラサは東のラスベガスと言われるぐらいに、
中国人がどんどんやってきて、
売春・麻薬などでチベットの文化を骨抜きにしようとしている。
ラサの市内だけで600ヶ所くらいの売春宿がある。
まさに「文化大虐殺」なのである。
●イギリスのMI6(情報局秘密情報部)は、
中国がチベット人やウイグル族の政治犯を使って
筋肉増強剤などの人体実験をしている事実を公表した。
《浜田和幸 SAPIO 2008/4/23》
■文化大革命
1966年5月にはチベットにも文化大革命の嵐が吹き荒れた。
8月には紅衛兵の数は1万人に達し、最盛時には十数万に達した。
紅衛兵は「四旧」を打破し、
「四新」を建設しようというスローガンの名のもとに、
数少なくなったチベットの寺院、文化施設を徹底的に破壊し、
通りの名称を変更し、個人の家に入り込んで
祭壇や民俗家具などをかたっぱしから壊しまわった。
民族衣装を着ることもペットを飼うことも
屋上で香をたくことも、伝統の模様を描くことも全て禁止された。
宗教文献、写本、彫像などはあとかたもなく破壊された。
【【【チベット語も弾圧の対象となり、
会話以外ではありとあらゆるチベット語の書物、
教科書、が廃棄された。】】】
チベット語で印刷されたものといえば
毛沢東語録と共産党の宣伝文書ぐらいになってしまった。
全ての僧侶は「反動分子」として扱われ、
罪名を書いた板を首かけられ、市内を引き回された。
チベットのありとあらゆるものが破壊された大混乱の10年間であった。
『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム著
49年中国共産党に侵略されたウイグル
●中国政府が長期的に目指しているのは、
ウイグル民族を地球上から消し去ることではないかと思う。
【【【例えば言語。03年以降、ウイグル語を教える教師が
学校から追放されてしまった。】】】
今は漢語による教育が中心となり、
ウイグルの文化は危機に瀕している。
《ラビア・カーディル 週刊朝日2007/12/14》
●中国政府はウイグルで06年から「扶貧政策」と称して、
15~25歳までの未婚の女性を強制的に連行して、
中国本土の工場で働かせる政策をとっている。
08年までには40万人が連れ出された。
すなわち、40万人のウイグル人青年が
ウイグル人女性と結婚できなくなったわけである。
中国は一人っ子政策の影響で、男女の出産比率が120:100で、
嫁不足は深刻になっている。実態はそんなものではなく、
男児の数が圧倒している。
強制的に連れ出された女性たちは、東トルキスタンに戻ることなく、
地元の漢族と結婚することになる。
共産党政府は「扶貧政策」という国家的誘拐によって、
ウイグル人の血を絶つと同時に、
漢族男性の嫁不足も解消しているのである。
●ただ、このことが海外に知られるようになり、
国際的な非難を恐れた中国共産党は、
09年からウイグル人青年も強制的に連れ出すことを始めた。
ただし、男女を同じ割合で1つの職場に送り込むわけではない。
それでも国際的な批判から逃れられないと思ったのだろう。
ウイグル自治区政府は10年からウイグル人の若者を
東トルキスタンから外に連れ出さないという政策を出したそうだ。
●ウイグルの就職差別は露骨である。
地下資源の豊富な東トルキスタンには
いろいろな職場があるのだが、
大学、専門学校、専門的な高校を卒業した者の95%は
失業者になってしまう。
自治区政府はわざわざ中国の本土の大学に行って募集するのだ。
地元に人材があるにもかかわらず、漢族を連れてくるのである。
《イリハム・マハムティ 正論2010/4月号》
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