この記事は私がまとめました

創価学会(そうかがっかい)は、日本の宗教法人である。法華経系の在家仏教の団体で、国内に公称827万世帯を擁する。「創価」とは「価値創造」の意味。創価学会は価値の中心に「生命の尊厳」の確立を置き、それに基づいた「万人の幸福」と「世界の平和」の実現を目標としている。
1930年(昭和5年)に創立し、1952年(昭和27年)に宗教法人の資格を取得。
1975年(昭和50年)には創価学会インタナショナル(SGI)を発足させ、日本を含む世界192カ国・地域に1,200万人を超える会員を擁している。
1964年(昭和39年)に日本初の宗教政党、公明党を結成した。
wikipedia

賞賛と批判の分かれる人物である
一部で池田教との批判も
信者には神格化されている

池田自身は「代々の会長を神格化などしてはなりません。」「私などを絶対視してはならない。」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております。」と創価学会会長はあくまで信仰上の指導者であって、自身を含む歴代会長たちは神格化されるべきではない、仏ではないことを明言している。
が、一方ではこんな発言!

評論家・高瀬広居のインタビューにおいて、自らを「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と豪語したという。wikipedia

著名人からの批判

田中角栄(元首相、自民党幹事長経験者):秘書の早坂茂三によれば「池田大作はしなやかな鋼だ。煮ても焼いても食えない。公明党は法華さんの太鼓を叩くヒトラーユーゲントだ。
石原慎太郎:1999年東京都知事選挙を直前に控えた時期に、池田大作に対する人物評価を尋ねたアンケートに「一言で表現すれば、『悪しき天才、巨大な俗物』。」『週刊文春』 平成11年3月25日号。
ニコラエ・チャウシェスク:Jurnalul National(ルーマニア国営新聞)で池田を絶対的な権力を持っているよう他人へ見せかけるだけで強きものには諂い、弱きものには傲慢な態度で臨む小悪党だと批判。

数々の事件との関係が!・・・

実は伊丹監督の死亡前の次回作はなんと、あのカルト団体創価学会を追求する映画だったそうです。
それと伊丹監督の不審死(飛び降り自殺)は関係しているのであろうか?

そして大島渚氏や立川談志氏など古くから伊丹監督をを知る人物も、警察が死因を自殺と断定した後も『不倫報道ぐらいのことで、あいつは自殺しない』と話し自殺を否定したそうです。

酒多飲での自殺はおかしい?

自殺する時にお酒を飲んでから決行する人はいますが、飲む量はわずかですね。ブランデーのような強い酒をボトル1本飲み、したたかに酔ってから自殺する人はいません。このデータは多数の自殺事例から分析されたものです」。
司法解剖の結果、伊丹は、すきっ腹にヘネシーをボトル1本、飲んでいる。血液中のアルコール濃度及び残留量の分析の結果、短時間で体内に入ったものと推定される。
度数40度のへネシーブランデー1本を短時間で飲み干し、したたかに酩酊した人間が、一人で階段を登り、「争った跡が無く」、さもしらふのように静かにフェンスを乗り越え、ビルの屋上から落下したのである。
実際には酩酊ではなく、短時間で度の強いアルコールを多量に摂取したことにより、昏睡状態に陥ったと見るのが医学的所見だ。

さて13年前、年の瀬も押し詰まった12月20日、麻布の秀和マンション伊丹事務所に伊丹は一人いた。 
佐川急便の配達人によってベルが鳴らされた。伊丹がドアを開けた瞬間、ドアの側に隠れていた男2名を含む3名が押し入り、伊丹の身体をロープで縛り、口には猿ぐつわをかけた。殺気を感じた伊丹は、声を出して相手を鎮めようとしたが、暴漢グループは聴く耳を持たなかった。非人間的な冷酷さを直感した伊丹は、既にその時点で、死を覚悟したのではないか。
最後の時間稼ぎに遺書を書く提案をした。 暴漢もその方が都合が良いと思い許した。
「噂の女性との身の潔白を、死んで証明します」というワープロの遺書が残された。
伊丹は当時、写真週刊誌「フラッシュ」から女性スキャンダルを追いかけられていた。その身の潔白を証明する為の自殺だとする遺書が書かれ、それを持って、警察は覚悟の自殺として発表した。

その遺書の内容、どう読んでも稀代のインテリであった伊丹らしからぬ、三文歌詞であり、その遺書には殺人を訴えるものが隠されていた。
そもそも女性スキャンダルは伊丹夫婦の間で既に話題になっており、伊丹は、「芸能界だからね、少しは映画の宣伝になるかな」と、笑っていたが、虫の知らせか、もし自分が殺されるようなことになったら、「死をもって身の潔白を証明する」、という暗号を残すシナリオを妻に伝えた。

死後にそのような遺書が出てきたら、自分は自殺ではなく殺されたのだというメッセージであることを妻に示唆した。これは良くできたシナリオだと伊丹自身も気に入っていたのだが、紫煙が揺らぐような少しの不安も同時に覚えていたに違いない。
さて他殺の現場、縛られた伊丹は、じょうごで口を割られ、ヘネシーを胃の中に流し込まれ、たちまちにして酩酊し、そして昏睡状態に陥った。その身体はサーフボードバッグに入れられ、何食わぬ顔で伊丹の部屋から出てきた暴漢グループは、エレベーターと階段を使い、冬の冷気をはらむ屋上に出た。外は既に暗い。そして、ためらうことなく、フェンス越しに伊丹の身体を地上に投げ落とした。伊丹は僅かな時間、空中をさまよったが、既に意識はなかったろう。
遺書を書いたとき、パソコンに呼び出し、最後の別れをした妻、宮本信子の顔が寂しく笑っていた。

このような犯行を実行できるのは暴力団関係しかいないだろう!

朝木明代転落事件 これも謎

朝木明代市議転落死事件(あさきあきよしぎてんらくしじけん)とは1995年(平成7年)9月1日22時頃、東村山市議会議員の朝木明代が西武鉄道東村山駅の駅前のロックケープビル(以下、「本件ビル」という。)から転落死した事件。警察(東村山警察署)は自殺と断定、事件性はないとされたが、朝木が創価学会の脱会者の救済活動をしていたこと、議会において創価学会・公明党を追及していたことから創価学会による関与を示唆する動きがあり、政界、宗教界、マスコミ、遺族等を巻き込んだ一大騒動に発展した。

福岡県筑後市のリサイクル店「エース」の従業員ら数人が行方不明になり、経営者夫婦の中尾知佐、伸也両被告が従業員や知佐被告の親族ら3人に対する殺人や傷害致死の罪などで、2014年に起訴された。伸也被告の供述などから、県警は両被告が4人の死亡に関与したと結論づけた。うち従業員1人については傷害致死罪の時効が成立し、不起訴となった。

この事件は警察の怠慢が明らか!

日高さんがいなくなったとき、家族は警察に捜索願を提出していた。その際、警察はリサイクルショップにも事情を聞きに行っていた。10年前のことだが、警察もその対応を正確に報告している。店の金を持ち逃げされて逃げた。それが説明だったという。そのままそれで追求は終わっていたのだと。馬鹿な話である。もしそうなら窃盗犯として、その行方を捜索しなくてはいけない。しかし、何もしていない、つまり、何かおかしい、リサイクルショップの関係者と警察関係者に何らかのつながりが有ったのではないか、そんな想像をする。それは、日高さんの家族が、経営者から日高さんが持ち逃げした1500万もの大金を保証しろと迫られた際、警察に相談しているが、警察がそれに関してなんらの行動をしなかった事情である。親族にしてみれば子供が行方不明で、しかも1500万の金を要求されている。警察に必死で相談したことは当然だったろう。しかし、警察の動きはなかった。

日高さんを知る同県みやま市の実家近くの人たちからは「なぜ捜索願を出した時に、すぐ捜査しなかったのか」と批判の声もあがる。捜査関係者によると、日高さんが殺害されたのは10年前の2004年6月下旬ごろ。両親は翌月には筑後署に捜索願を出し、その後も同署などに3度相談していた。
 県警も当時、伸也容疑者に直接事情を聴いていた。だが、伸也容疑者は「勝手に出て行った。店の金を持ち逃げされた」などと主張。最終的に日高さんは家出人として手配されただけだった。親族は「事件性がないと判断され、動いてもらえなかった」と振り返る。当時の筑後署幹部も「店の存在は知っていたが、捜査の対象だったという記憶はない」と証言する。

テレビ報道では言及はしないものの、NHKニュースやテロ朝「報ステ」などの映像から、この福岡県筑後市のリサイクルショップ 「リサイクル&ディスカウントショップ・エース」 の店先に【創価学会三色旗】が掲げられてることが確認されている。

これだけ手抜きの捜査の裏には、警察関係に創価関係者がいるとしか・・・・・

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