ほぼ日刊イトイ新聞

2020-07-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・どうして、お風呂のなかでアイディアは出るのだろう。
 これまで、何度も、「アイデイアが出なかったら
 お風呂に入ればいい」と言ってきたし、
 じぶんでも、そうしてきた。
 アイディアを出すつもりでなくお風呂に入ったのに、
 お湯から上がる直前に、ついアイディアが出ちゃったり、
 ついでに、それをすぐに忘れちゃったりもしてきた。

 世の中に、アイディアを必要としない人はいない。
 それこそ、お金じゃないけど、あって困るものじゃない。
 もちろん、たいしたことないアイディアで、
 家族にも聞いてももらえないようなアイディアは、
 たしかに価値はないのだろうけれど、
 アイディアを出す通路を確保しておくためにも、
 いつもよく出しておくに越したことはない。

 お風呂と、いまでは当たり前になっている西洋式トイレ、
 このふたつがなかったら、ぼくは、
 アイディアの要る仕事をし続けてこられなかったと思う。
 お風呂は、ぼくにとっての特級の「開発室」なのである。

 いままで、アイディアを出させてくれるお風呂について、
 ありがたがっているばかりで、
 どうしてそういうことが起こるのかについては、
 考えたことがなかった…のだけれど、
 幸いなるかな、今日、お風呂のなかで答えがわかった。
 簡単なことだった、つまり、「安心しきっている」から。
 まるっきり裸になって、お湯に浸かっている。
 とんでもなく無防備である。
 なんの緊張感もなく、なんの恐れもない。
 アイディアとは、こういうときに、
 「おもらし」のように出てくるものなのだ。
 行き詰まったり、真剣にひねり出そうとしているとき、
 アイディアは出てきてくれない。
 緊張感は、アイディアを整理したりするためには、
 とても大事なものなのだと思うのだけれどね。

 ぼくはいま、あらためて実用的な助言として言い放つ。
 アイディアの質量をもっともっと増やすためには、
 もっとどんどん風呂に入るべきである、と。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
シャワーみたいな機能優先はいかん。湯船だ、バスタブだ。


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