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廃棄世界物語 作者:猫弾正

ハンター日誌 ライオット

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探知

久しぶりに小説書こうと思ったら文章の書き方忘れてた

 『ホテル・ユニヴァース』を捜索するに当たって雷鳴党が拠点として用いたのは、ホテルの正門と大通りを挟んだ対面に位置する複合型の遊戯施設『フェアリーランド』であった。


 およそ三百年前、大陸における最大の国家であったノエル連邦は、イデオロギーとしては国際的な自由競争を是とするグローバル資本主義を標榜していたものの、海外市場に対して苛烈な競争を仕掛けていた一方で、国内市場に関しては自国資本に手厚い保護を行っており、特に東海岸のような観光地においては、地場企業にとって極めて有利な税体系や法律を施行していた。


 大国の分厚い関税防壁に守られた為のゆとりもあってか。中世はスペインの宮殿を思わせる七階建て中層建築物を中心として配置された『フェアリーランド』には、必ずしも高い料金を必要とする娯楽ばかりではなく、地元民が気安く利用できる安価で身近な遊戯の類も一通り提供されていた。

 外国から訪れる観光客のみならず、東海岸の地元民も含めた幅広い客層を想定した娯楽施設として、屋外にはカートやメリーゴーランド、観覧車など、遊園地を思わせる設備が広がっている一方、宮殿を模した七階建て建築物の内部には、ネット対戦を可能とした卵型の大型ゲーム筐体や3D立体映像を利用した大規模な集団型アトラクション、睡眠時に望んだ通りの夢を見られるドリームマシンなど、ロマン主義な外見と裏腹に『フェアリーランド』には当時、最新の設備が揃っていた。


 他にもバーに併設されたビリヤードやダーツ、中層には若者向けにバスケやボーリングなどを楽しめる屋内設備も設置され、古今の様々な遊具が博覧会の如く揃っている。

 往時には親子連れや若い恋人たち、少年少女の利用客で賑わっていた地元密着型の遊戯施設は、しかし、現在、狂ったセキュリティロボットが要所で侵入者を待ち構え、奥部や上層、地下には変異したゾンビが呻きを上げて彷徨っている、ティアマットの何処でも見られる危険地域と化していた。



 狙い定めたクロスボウの鋼鉄製ボルトは、確かに迫りくる人影の顔面を撃ち抜いた。

 後頭部までボルトが貫通したにも拘わらず、しかし、ゾンビは、なお平然と動き続けていたが、衝撃で脳髄からの指令伝達に狂いが生じたのだろうか。見当違いの方向へと歩き出していた。


 慣れた動作で手早く次弾を装填すると、再びクロスボウを射出。

 脳髄の一部を撒き散らしながら、今度こそゾンビは地面へと崩れ落ちて動かなくなった。

「クリアー」奇妙な言い方ではあるが、生きた死体リビングデッドはたった今【死んだ】と、女の静かな声が告げた。


 今度こそ死んだゾンビを前にして雷鳴党の『書記』は安堵のため息をそっと漏らした。廃虚に似合わぬビジネススーツを着込んだ中年男の目の前に、十数体のゾンビが【死体】となって地面に転がっている。


 愚連隊と見做される風潮があるとは言え、仮にも雷鳴党は『町』での最大手ハンタークランで、主要構成員が押しなべて戦闘員では当然ながら組織を維持運営できない。

 雷鳴党の幹部とは言え『書記』は、デスクワークと機材の管理メンテナンスが主な仕事で、普段から荒事とは無縁の人生を送っている。生まれ育った実家も、頑丈な防壁に守られた安全な山の手。暮らしている自宅も比較的に治安の良い街区の一角で、流石に市民区画には及ばないものの、武装警備員の警邏もあって日常生活を送る上でも危険を感じた経験など殆どなかった。それだけに、慣れぬ廃虚での行動に神経も削られつつあった。妙な息苦しさと圧迫感がどうにも取れず『書記』は胸元のネクタイを緩めていた。


 ティアマットを彷徨う数多の危険のうちでは、基本的にゾンビはさしたる脅威とは見做されていない。

 単独のゾンビと暴走状態の群れ(ホード)では、脅威として段違いであるとの認識を鑑みた上で、尚、よく訓練されたハンターの徒党であれば、5~6匹のゾンビの小集団など、全くの損耗を受けずに一方的に掃討するのも然程さほど難しくはない、と『書記』も何度となく耳にはしている。

 しかし同時に、それは連携の取れた兵士やハンターの集団が相応の火力を備え、かつ見晴らしの良い場所に陣取っての話でもあると承知していた。


 熟練の遺跡探索者たちであっても、込み入った建物内の暗い廊下や開けたドアの向こう側、物陰などから不意打ちを受けた際、焦りや恐怖から不覚を取る者も珍しくはない。

 暴走状態のゾンビが十匹も塊になって突撃してくれば、銃を乱射しても早々には止められない。戦列を食い破られて死傷者を出した事例もあれば、死街区を探索中のレンジャーたちにゾンビが四方の路地から迫ってきた際、新参戦闘員が恐慌状態に陥り、戦力では勝っているにも関わらず、円陣が瓦解して半壊したチームもあった。


 いずれにしても(運良く抗体を持たない限り!そしてゾンビの種類によって必要となる抗体やワクチンは異なっている!)ただ一噛みされるだけでほぼ確実に惨たらしい結末が避けられない致死の噛みつきが間近に迫っても、常に冷静さを保てる者など雷鳴党にも少ないだろう。


その意味で『書記』の護衛としてつけられた二人の女傭兵は、副頭目のバーンズが態々、荒野から呼び寄せただけあって確かに腕利きだった。無音の飛び道具を駆使し、冷静沈着な動きで行く手を塞ぐ十数匹のゾンビをあっさりと片付けてのけた。雷鳴党で同じ真似が出来る者など、頭目のグレンを除けば、後は精々がキースやガーニ。他には幾人もいないに違いない。

 かと言って、『書記』はこの小娘たちを、その能力は兎も角、人格において認める気には到底なれなかった。


 現在はメリーゴウランドの傍らに背中合わせに佇み、それとなく周囲に警戒の視線を走らせている二人の傭兵は、共に中々に整った顔立ちの若い娘であったカーキ色のアーミージャケット包まれた女たちの肢体に向けて、。『書記』の部下たちは揃いも揃って鼻の下を伸ばしている。

 だが、『書記』は、この二人の女傭兵がどうにも気に食わない。そうあからさまではないにしろ、護衛対象である『書記』をどこか侮っている節が見え隠れしていると感じていたからだ。


 大型遊具の設置されたエリアと園内の飲食店区画を区切る料金所が見えてきた。

 夜間休日に園内を閉鎖するための出入り口が閉じられているように見えるが、格子状の門を施錠しているのは細い鎖だけに見えた。

「よし、進むぞ」『書記』が前進を命じたが、傭兵の片割れが間をおかずに口を挟んできた。

「暫く待機。もう少し様子を窺う」

 黄色い髪をゴーグルで纏めた女傭兵の判断に『書記』はぐっと苛立ちを抑えた。


「お嬢さん、目的地はすぐ目と鼻の先なのだがね」

 押し殺した『書記』の言葉をもう片方の黒い短髪にバンダナの傭兵が露骨に鼻で笑った。

「目的地までの間に路地がある。見える?群れ(ホード)が潜んでいたらどうする?」と嘲弄混じりに指摘する。

「群れかね?あの小さな路地に?」わたしも大人げない対応をしてると思いつつも、傭兵たちの嘲弄に反応して『書記』の物言いも小馬鹿にしたような口調を含んだ。

「もっと小さな路地にゾンビが三十匹もすし詰めになっていたのを見たことがある。そして、どんな切っ掛けで刺激されて暴走状態になるかは、私たちにも分かってない。死にたいなら止めないけど、実行するなら逃げるから前もって書面にして提出してくれると助かる」とバンダナ。

「この人が自殺した場合、私たちへの報酬は?」傭兵の相棒が茶化した。

「不可抗力条項になると思う。多分」


 背後で部下の誰かが小さく吹き出した。

(……笑ったのはアントンだな)

 偏見混じりに嫌いな部下の仕業と決めつけながら、『書記』の腹の底では傭兵たちに対する怒りがふつふつと湧いている。


「見てくるから、あんたら暫くここで音を立てないように。物陰で身を伏せて。ゾンビが来たら、とりあえず来た道を追いつかれないように入り口まで小走りで駆け戻って」取り敢えずは的確と思える傭兵たちの指示に『書記』は物陰に座り込んだまま、陰鬱に沈黙に沈み込んだ。

 主導権争い、とまでいかないが荒野に慣れた傭兵との論争は、どうにも『書記』にとって不利な形勢へと傾きつつあった。

 初顔合わせの時から、二人組の傭兵には風彩の上がらない小男である『書記』を軽んじる態度が見えた。容姿にコンプレックスを持つ者特有の洞察力で『書記』も、それを敏感に察知している。

 もっとも『書記』の方も、治安と清潔さが行き届いた『町』育ちとして多分に荒野生まれの人間に対する嫌悪と偏見を抱いている側面があった為、第三者から見ればお互い様だと思うかも知れない。

 険悪な視線でそろそろと進んでいく傭兵たちの背中を睨みつけ、思わず怒鳴りつけてやろうと口を開きかけた『書記』だが、現在地が危険領域であるとの認識が、辛うじて破滅的な決裂を思い留まらせた。

 そもそも二人組の傭兵は『書記』に雇われた訳でもなかった。『書記』の上司であるバーンズが知己の傭兵団から借り受けた危険地帯での道先案内人であり、副頭目からは、マードック傭兵団は東海岸でも名うての傭兵団だと聞かされている。

 しかし、それを承知で『書記』の堪忍袋はもう切れる寸前だった。たかだか傭兵風情。それも自分の半分程度しか生きていないような野蛮な荒野人の小娘共にあれこれと指図され、慣れぬ場所での行動や言動で一々、あげつらわれるのは『書記』のような立場がある男でなくともひどく不快であったろう。


 だが、一般人にとっては、単独のゾンビでさえ脅威であることは間違いなく、また『ホテル・ユニヴァース』ほどではないにしろ、ゾンビ彷徨う遊戯施設は危険地域なのも確かで、腕利きのキースやガーニーと別行動している現状、『書記』と彼が率いる一団の命の保証が傭兵二人の能力に多いに負うところがあるのも間違いなかった。


 十分か、十五分ほどが経過した。正確には分からない。体感で恐らくそんなものだと感じた。世界から電子機器の大半が失われ、何の変哲もない腕時計が貴重品となって三百年が経過している。

 『書記』たちが物陰で息を殺しつつ、戻ってくるのを待ち続けていると、傭兵たちがゆっくりとした歩調で戻ってきた。危険な偵察をこなした割には、奇妙に弛緩した雰囲気を漂わせていた。

「進んでも大丈夫だ」と、顔を見合わせてクスクスと笑っている二人がすれ違う際、肩の辺りから安物の煙草特有の刺激的な化学臭が漂ってきた。サボっていたのではないかと勘ぐった『書記』が不機嫌そうに口元を曲げる。


 虫の好かない人間に頼らざるを得ない現状が、さらに苛立ちを募らせるが、兎も角も仕事に対する義務感が『書記』を動かした。

「前進するぞ」

 全員に命じて境にある料金所へとたどり着くと、部下たちが大型ニッパーを取り出して遊戯施設の門を閉鎖していた鎖を切断する。



 護衛の傭兵たちは、偵察以降の緊張感のない態度で駄弁っている。小型カタパルトで手早く弦を巻き上げて次弾を装填しつつ、施設中央に聳える宮殿を眺めた護衛の傭兵パンプキンは思わずぼやきを洩らした。

「もったいね。この奥は宝の山だってのに」

「何の話?」相棒の愚痴を耳ざとく聞きつけたのか、傭兵のオレンジが尋ねる。

「ゲームの筐体」パンプキンがニヤッと笑って言葉を続けた。

「一つ持ち帰れば、キャラバンが500でも800でも出して買い取ってくれるって」

「その手の話は、何度か耳にしたことぁあるけど……そんなん高く売れるの?」

 荒野訛りが抜けきらないオレンジが、疑わしそうに首を傾げて疑問を口にした。

「そもそもが持ち帰ってもまだ動くのかしらん?崩壊世界じゃ碌な電源もないだろうに」


「欲しがる奴らがいるんだってさ。異界人」

 周囲を軽く警戒しつつ、収まりの悪い髪を掻いてパンプキンは脳裏の記憶を探った。

「当時の筐体とやらが限定版なんかで、ゲートある地方まで持っていければ貿易商がジャンクでもなんでも、2000でも3000でもで買ってくれるってキャラバン連中言ってたんよ」

「2,000?」

 オレンジが口笛を吹いた。

「それも食料紙幣や、其処らの居留地の通貨じゃないよ。大陸中央銀行の銀札でさ」とパンプキン。

「マジか。まあ、その話が本当なら、道理で命を賭ける連中が絶えないはずだねぇ」

 言いながら、前方の路地から出てきたゾンビをクロスボウの一撃で仕留めた。横倒しになったゾンビを靴の爪先で蹴ってひっくり返すと、手袋をした手でボルトを乱暴に引き抜いた。

 遊戯施設の出入り口付近を呻きを上げつつ彷徨っていた数体の動く死者リビングデッドは、元はスカベンジャーか、傭兵と思しき装束と装備を身に纏っていた。遺跡漁りの一団が一攫千金を夢見た挙げ句に、木乃伊取りが木乃伊に成り果てるのも、よく聞く話ではあった。


 緊張感なく駄弁り続けている二人組の傭兵に向け、『書記』が冷たい声音で告げた。

「行くなら自分たちだけで行け。ただし、この仕事が終わった後でな」

 パンプキンとオレンジは顔を見合わせたが、

「アイサー」

 取り敢えずは、護衛対象の言葉にうなずいた。

 彼女たちの雇い主は、雷鳴党の名目上の副党首バーンズ。金払いは悪くない大筋の客であるし、何よりもマードック傭兵団にはバーンズを蔑ろにする訳にはいかない理由があった。

「お前らも、ゾンビに成りたくなければ、気を抜くな」

『書記』が部下たちにも発破を掛けるも、返ってきたのは何処か気が抜けたような返事だった。

「へーい」



 灰色のベールが懸かったような空色の下、ひび割れたコンクリートに散らばるチラシを踏みしめて、雷鳴党一行は飲食店エリアを進んでいた。

「ふん、フェアリーランドか。当時は、ゾンビと戦えるゲームが売り物だったそうだが」

 チラシを一瞥した『書記』が、口元を歪めて皮肉っぽく呟いた。

 遊戯施設に巣食っている動く死者には、3Dバイザーをつけたまま彷徨っているかつてのアトラクション利用客も混ざっていた。

 不測の事態が何時、いかなる場合でも起こりうるのがティアマットの荒野で、ゾンビには時折、人間を丸呑みに出来る巨体の持ち主や有毒の霧や酸性の胃酸を撒き散らす変異体も存在しているが幸い、そうした怪物の気配も感じられなかった。

 元より滅多にも遭遇するものでもないという話ではあったが、今のところは少数のゾンビに対処しつつ、対応困難な大規模ゾンビ集団とは慎重に距離を保ち、一行は施設の南西。人気がもっとも少ない一角の、かつては各階にレストランが入っていたと思しき5階ほどの小型ビルへと足を踏み入れた。


 遠く離れた正門からではあるが、園内の様子はあらかじめ双眼鏡を用いてある程度の予備調査を行ってある。特に目的の建物付近のゾンビの行動範囲は、ほぼ掌握済みだった。

 ゾンビの強さや習性は、地域や集団ごとにまちまちに異なっているというのがハンターたちの定説で、噂では9ミリ弾を三十発叩き込もうとも殺せない小走りゾンビもいるそうだが、一方で土地に拠ってはバットを持てば少年でも倒せる鈍重なゾンビもいる。

 これは戦前の列強諸国が各々、別口でゾンビウィルスを開発・保菌していた上に、大崩壊時に報復で各陣営のウィルスが撒き散らされた為だと言われている。

 現在は、ウィルスが各地の保菌者キャリアーの体内で混ざり合い、或いは変異を起こしている為、大崩壊時に開発されていたワクチンの何種類かは既に効かなくなっているとも囁かれている。


 いずれにしても、『フェアリーランド』のゾンビは数こそ侮れないものの大人しい性質であり、また強さも東海岸一帯の平均的な性能を外れてることもなく、鉄パイプやレンチなどを持った屈強な大人なら、さほど苦戦せずに単独のゾンビを退治できると言われている。

 あまり奥の縄張りに踏み込まなければ侵入者に対して執拗な攻撃性を示すこともないと、あらかじめ遊戯施設から生還した遺跡漁りなどから情報は聞き込んでおいた。

 もっとも、傭兵たちが言うようにゾンビ集団の暴走というものも何が切っ掛けになるか分からない側面も有る為に、出来る限り刺激しないに越したことはない。


 天井の崩れた食堂の跡地に踏み込むと、手練の傭兵たちは近隣を彷徨う僅かなゾンビをクロスボウとナイフを駆使して手早く始末し、『書記』は運ばせた機材を慎重に階上へと運ばせた。壁の崩れた上方の

階から『ホテル・ユニヴァース』へと向けて、早急に無線アンテナの調整を開始しなければならない。


 薄暗いダイナー風レストランの店内は、大崩壊発生時の面影をそのままに留めている様相であった。

 往時は、恋人や親子連れの客で賑わっていたのだろう。窓際の客たちは逃げ出す隙もなかったようで、席についたままの黒焦げになった骸骨に座席が埋められていた。

 一方で、内側の席や通路からは、逃げ惑うように床に将棋倒しになった骸骨や散乱するトレイ、商品などが転がっており、当時の混乱がそのままに伝わってくるようだ。

「なにがあったんでしょうかねぇ」

 感傷を覚えた訳でもないだろうが、部下の誰かが呟いた。

「さてな」

 ダイナー内部の埃っぽい空気に人体の成分が含まれているようで『書記』は少し気分が悪くなった。口の中にジャリジャリとした苦味を覚えて舌が微かに嫌な痙攣をした。

 それにしても設備や建物には破壊の痕跡を残さず、客や従業員だけが黒焦げの骸骨となっているとは、一体、いかな兵器を用いたのだろうか。

 特殊な中性子爆弾の一種にしても、なぜ内側の人々には逃げ惑った痕跡が残っているのか。頑丈な人骨を炭化するまで焼き尽くしながら、建物が無事なのはどういうことなのか。


 階段を昇っていく。文明の大崩壊時に折悪しく『フェアリーランド』を訪れていたのだろう。踊り場の片隅で抱き合った小柄な黒焦げの遺骨に目を留めて、『書記』は首を軽く振った。

「兄弟か、それとも姉妹か。守ろうとしたんだろうな」

 小さな骸骨が、より小さな方を抱きしめて体を丸めている。

「なぜ、家族だと?」部下のホーガンが顎を撫でながら『書記』に尋ねる。

「同じブレスレットをしている」

 『書記』の指摘で気づいたのか。後ろで黙って聞いていた傭兵の片割れが進み出ると遺骸からブレスレットを引き抜いた。

「おい」咎めるような『書記』の視線に、傭兵はヘッと笑った。

「死人にゃ必要ねえ」

 遺跡探索が墓荒らしと同義なんてことは、言われないでも分かってる。それでも僅かに不快な気分に襲われた『書記』は、軽く舌打ちしてから部下に顔を向けた。

「で、どうだ?」

「完了、何時でもいけます」設置した無線機の前で部下がうなずいた。


「アロー、アロー。

 此方、ブレグマン。誰かいないか。応答しろ。繰り返す。此方、ブレグマン」

 無線に向かって根気強く呼びかけていた部下が、音を上げたように首を振った。

「誰も出ません」

「周波数を変えてみろ」

 三世紀も前の不味い粉末コーヒーを啜りながら『書記』が指示する。レストランの食品棚から見つけた代物で密閉されている場合、理論上は千年後でも飲食できるはずだったが、どうにも泥のような味がする。それでも、粉末とは言え、本物のコーヒー豆の誘惑は抗い難かった。


「駄目だ。さっきから何度かやってますが。こうなると、ジャミングされてるんでは?」

 無線ジャミングとは、通信に使用される無線周波数に対して同様の周波数を強力に発信して周波数帯を乱雑にかき乱すことで通信妨害を引き起こす方法であった。

「ふん、チンピラが電子機器を持ってるものかね?」膝をついた楽な姿勢で椅子に腰掛けたまま『書記』は鼻を鳴らした。

「連中、元は帝国の敗残兵だと聞きましたよ。

 アルトリウスの元軍人であれば、そうした軍用の電子機器を持ち合わせても不思議はないんでは?」

「有りえん」

 賞金首たちがそうした電波器具を有しているのではないかとの部下の危惧を退けた『書記』だが、特に根拠があった訳でもない。多少頭を冷やすと考え直した。

「いや、現地で手に入れた可能性もあるか」

 ぶつぶつと独り言のようにつぶやいてから『書記』は部下に確認した。

「先遣隊が最初に突入して三時間ほどか?」

「ええ。それくらいの筈です」

「よし。アントン、様子を見てこい」

 背後に控えていた技師の一人がギョッとしたように目を見開いた。

「なんで俺が」

「何も内部に踏み込めとは言ってない。連絡要員だ」

「予定通りなら、連中かなり深く潜ってますよ。連絡とれんのも仕方ない」

『書記』とて現状を其処まで深刻に捉えている訳でもない。

 味方との通信が完全に途絶しているという状況は望ましくないが、逆に言えば、一度でも連絡がついて味方の状況を把握すれば、其処からいかようにでも手は打てるのだ。兎も角、味方との連絡を回復させるのが最優先事項だった。

「そろそろ斥候の一人二人戻ってきてもおかしくない。

 ホテルの中庭に行って戻ってくるだけだ!さっさと行け!」

『書記』に叱り飛ばされたアントンが不承不承の不満顔で立ち上がった。



 パンプキンとオレンジは、ダイナーレストランの2階階段の踊り場に待機して、侵入者に備えていた。

 傭兵の日常とは言え、危険な遺跡を奥深くまで潜るのは、そう気分が良いものではない。

 ゾンビに対しては、余程の数が相手でなければ戦闘にしろ、逃走にしろ、対応できるだけのセオリーを築き上げているパンプキンとオレンジだが、それでも侵入者の気配に突然の暴走をしないとは言い切れないし、相手が鈍重なゾンビだけだとも限らない。

 今、追っている賞金首同様、レイダーやバンデッドが遺跡を塒にしてる事例は有り触れているし、崩れかけた壁から変異獣が入り込んでないとも限らない。


 銃やクロスボウで武装したマードック傭兵団の腕利きとは言え、迂闊に深入りすれば命を落としかねない。それどころか浅い場所でさえ、現状の装備と人数で動き回るには余りに危険な『フェアリーランド』に敢えて『書記』率いる一団が踏み込まざるを得なかったのは、賞金首を捕獲すべく『ホテル・ユニヴァース』に踏み込んだ探索部隊との連絡が完全に途絶したからに他ならない。



 無論、オレンジとパンプキンも気が進まない。『書記』の判断に対しても明確に反対した。しかし、無線の通信状況が悪すぎた。状況を把握する為に近隣でも比較的に高台となっている『フェアリーランド』に電波アンテナを設置して、通信を試みる必要があった。

 『フェアリーランド』には数千のゾンビが彷徨っている。銃やクロスボウで武装した集団とは言え、あまりに深く踏み込めば、あっさりと壊滅しかねない危険な遺跡でもあった。

 しかし、浅い場所であれば、充分に対処できるだけの知識と能力は有るというのが『書記』の下した判断だった。傭兵2名は、雷鳴党の正規隊員ではない。副党首がコネを使って態々つけてくれた腕利きの水先案内人だが、雇用主の判断に従うというのが契約書の内容であり、出発前に『書記』の命令に従うように傭兵団のマネージャーから重々言い含められてもいた。


 しかし、手練の彼女たちにしてからが、必ずしも生きて帰れるとの命の保証が出来ないのが大規模遺跡の探索であり、危険領域での護衛任務であった。


『フェアリーランド』の出入り口へ向かって、歩を進めているアントン他2名の背中を壊れた壁越しに眺めて、ダイナーの回廊の椅子に腰掛けた傭兵のオレンジが嘲笑を浮かべた。

「見なよ、アントンの奴。見るからに嫌そうにしてやがる」

 壁に寄りかかって腕組みをしていたパンプキンが、噛み煙草を床に吐き捨ててから相棒に問いかけた。

「どう思う?」

「なにが?」とオレンジ。

「どうにも手こずっているんじゃないかね?」

「どうしてそう思う?」オレンジが振り返った。

「奥まで誘い込まれた節が有るよ。『ホテル・ユニヴァース』の奥まで行けるとしたら、相当に腕利きに違いない」

 そう戦況を分析したパンプキンは、冷たい微笑みを浮かべると

「面倒なことになるかもね。中々に手強そうだ」

 言葉とは裏腹に、酷く楽しげな表情でそう呟いた。


「狩りは、連中の仕事だ。私らの仕事じゃない。それに……」

 楽しげな相棒とは裏腹に、オレンジは面倒くさそうな表情を浮かべて呟いた。

「期待してるところ悪いけどさ、パンプキン。連中、逃げ回ってるだけかも知れないよ」

「百人からの人間の追跡を逃げ延びてるだけで大したもんさ」とパンプキン。

 少し考え込んで、オレンジは肩をすくめた。

「やりあうとしても手持ち(の装備)だとちょっと辛いよ」

「前に帝国軍の敗残兵、下士官とやりあったのを覚えてる?」

「ああ、あいつ強かったな」とオレンジ。

「帝國騎士は単独でその帝国兵の一個小隊に匹敵するとも言われてる」

「そりゃあない」

 それまでのんびりした口調だったオレンジが、鋭い口調で断言した。

「奥でふんぞり返ってる奴が強いと思うか?親玉が一番強いなんてのは、フィクションだけの話。前線で戦う兵士こそが最も鋭く研ぎ澄まされている」

 オレンジの言葉にパンプキンは楽しげに微笑んだ。


 ところで通信電波は、異なった二箇所以上の受信地点から発信された方角を特定することで、発信源の位置を三角測量などに拠って割り出すことが出来る。


 パンプキンの応答がなかった。オレンジが振り返ると、壁に寄りかかっていた相棒の姿が消えている。

「パンプキン?トイレか?」

 オレンジが立ち上がった。怪訝そうに呼びかけた瞬間。天井の鉄パイプの隙間より、蛇のように女の腕が伸びてきた。

 音もなくオレンジの首を掴むと、くしゃりと呆気なく脊髄を握りつぶす。と、悲鳴を出すことも許さずにそのまま脱力した傭兵の体を一気に天井の闇へと引きずり込んだ。


 電波方向による逆探知は、中継地点を設置することで無効化出来るが、中継のための機器を設置するだけの知識や技術を持っていたにも拘わらず、雷鳴党はこの時、完全に手間暇を怠っていた。

 理由として『書記』の認識では相手は元軍人ではなく、たかがチンピラの二人組に過ぎないと考えていたからであるし、まして自分の方が狩られる立場に陥ろうとは想像もしていなかった。


 もっとも大動員した賞金稼ぎがただの二人に返り討ちにされる結末など、幾らなんでも『書記』に予想できよう筈もない。仮に百人の武装集団が全滅するかも知れないから念の為に中継機器を設置しておこうなどと提案する者がいたら、きっと狂人扱いされていたに違いない。

 恐らく『町』で唯一、ギーネたちの雷鳴党に対する勝利を予想していた女はその頃、定宿のロビーで空の酒瓶相手にクドクド泣き言を洩らしつつ、駄目なお酒を飲み続けていた。

 少なくとも『書記』はごく常識的な発想と思考力の持ち主であったから、賞金首たちを捕まえるのはささして難しい仕事ではないと考えていたし、多少手こずったとしても、数人が死傷する範囲で収まるだろうと考えていた。

 最悪でも、逃してしまった場合に副頭目のバーンズに対していかな言い訳をするかで頭を悩ませる程度で収まるはずだった。



『フェアリーランド』の屋根が崩れかけた廃屋の五階で、『書記』は一向に応答しない無線に苛立ちながらぶつぶつと愚痴を垂れ流していた。

「……全くつまらん仕事だ……どいつもこいつも」

 無線の周波数を調整している『書記』の隣の部屋では、部下たちが屯してくだらない会話に精を出していた。

「あいつらのケツ堪んねえな」

「帰りしなにベンジーの店に寄ろうぜ」

「それより、賞金首捕まえたら責任を取ってもらうべきだな」

「写真みたか?中々の美人だ」


『書記』が唸り声を洩らした。

(どいつもこいつも、馬鹿どもが。そもそも賞金首が悪い。連中がわたしの手を煩わせるような真似をするからいけないのだ)

「……全く。身の程知らずの亡命者が。分相応を弁えて大人しくしていれば賞金を掛けられることもなかっただろうに……」

 思わず不満が声に出ていたようだ。舌打ちした『書記』が、アンテナの方向を操作するよう部下たちに指示しようとして、ふと気づいた。いつの間にか隣室から音が消えていた。


 部下たちが沈黙を保って仕事に励んでいるとしても、其処には衣擦れや呼吸の音、いわゆる人の気配がする筈だった。それが完全に消えている。それに気づいた時、『書記』のうなじの毛が感電したように総毛だった。静かに息を呑むと、『書記』は眼球だけで通信機器の設置されたテーブルの上を探った。

 其処には出発時に与えられたリボルバー式の拳銃が雑多に置かれていて、『書記』はそっと指先を動かした。次の瞬間、切断された『書記』の利き腕が壁にぶち当たっていた。


 咆哮が鳴り響いた。それが自分の喉から迸った絶叫だと『書記』が気づいたのは、椅子からひっくり返った彼の体が放り投げられ、赤毛の女の恐ろしく力強い足に胸を踏みつけられてからだ。

 息もできずに喘ぐ『書記』を見下ろすように、いつの間にか二人の女が音もなく傍らに立って『書記』を押さえつけていた。


「お前で最後です。下郎」

 化け物みたいなナイフを携えた赤毛女の傍らで、斧を掴んだ銀髪の美しい女が涼やかな声で宣告した。しかし『書記』の視線は、隣室に釘付けだった。

部下たち。血塗れの部下たちが壊れた人形のようにいびつな形となって壁やテーブルの上に転がっている。

「それにしても、戦い方も知らぬ連中を数だけはうじゃうじゃと連れてきたものです」

 無線機に近寄りながら紫の瞳を微かに細めた銀髪の言葉に合わせて、無言のままの赤毛女の踏む力が強まった。

 『書記』の胸を激痛が走り抜ける。骨と肉の軋む音。息ができない。意思によらず、涙がボロボロとこぼれ落ちる。苦悶の中、それでも『書記』は必死に視線を走らせた。誰か生きていないか。

「なんとも身の程知らずなのだ。汝ら平民どもが拠ってたかったとて、騎士に敵う筈もなかろうに」

 振り返った銀髪の女が気怠げに呟いてから『書記』に視線を落とした。

 「お前には聞きたいことが幾つか有ります。素直に応えるのであれば、大いなる慈悲によって安らかな死を与えると約束してやっても良いぞ?」優しげな囁きが『書記』の耳元をくすぐった。

 顔を見上げた『書記』は、茫漠たる深さを湛えた紫の瞳に見つめられた瞬間、絶望に身震いした。



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