ほぼ日刊イトイ新聞

2020-07-15

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・7月15日は、14歳で亡くなった犬の誕生日だ。
 こんなふうに、誕生日がわかっている犬というのは、
 ある程度の幸せを約束されてきた犬だ。
 だれかが生まれたことを見ていてくれて、
 しかもそれを記録して、その犬と共に生きる人に伝える。
 犬といっしょに生きる人は、その日を記憶していて、
 自分勝手かもしれないけどなんて思いながら、
 犬の誕生日を祝ったりもする。

 生まれたときのこともだれかに知られぬまま、
 生きられるかどうかわからない場面に立たされて、
 そこから遅れて、共に生きようという人に会う犬もいる。
 そういう犬は、実際に生まれた日でなくて、
 いっしょに生きる人に出会った日が誕生日になったりね。
 その日からは、少しずつ、生きることへの安心感とか、
 人を信じていいのかもしれないとか、
 いっしょにいる人たちをよろこばせる方法とか、
 いろんなことを学んで、幸せを身にまとっていく。

 幸せなんて、なんのことだか、うまく言えないけれど、
 なんかそういう、幸せと呼ばれるようなことって、
 ぼくらは、なんとなくのまま、つかみとっている。
 「幸せそうですね」なんて言われて気づくこともあるし、
 「これが幸せってやつなのかな」と思うこともある。
 幸せなんて感じたこともないよと言いながら、
 にやにや笑ったりしているのも、幸せかもしれないし。

 犬とか、猫とかも、幸せについて考えたりはしてない
 ような気もするのだけれど、
 幸せそうなほうに、少しずつ身を寄せていくものだ。
 犬や猫って、かなりの不運や不幸せについても、
 それはそれで受け容れてしまうやつらなのだけれど、
 ほんとは、向日性というのか、やっぱり、
 幸せのほうに行こうとしているように思える。
 ということは、人でも犬でも猫でも、
 うまくは言えないけれど、「こういうのが幸せ」という
 実際の感じを知っているということかな。
 くさりでしばられてなくて、雨や風がしのげて、
 ひだまりがあって、水があって、ごはんも食べられて、
 なによりも「安心ななかま」がいるという世界。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
犬と猫のアプリ「ドコノコ」にも、遊びにきてくださいね。


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