自殺した朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長の告別式が13日午前8時40分から約1時間、ソウル市庁8階の多目的ホールで執り行われた。これに先立ち、午前7時30分にソウル大病院の遺体安置所を出発した朴市長の遺影が20分後にソウル市庁に到着した。告別式は遺族と共に民主党関係者、ソウル市幹部、全国の地方首長ら100人が参列し、非公開で行われた。ソウル市の公式ユーチューブ以外にソウル市傘下の交通放送(TBS)、文化放送(MBC)などのメディアがユーチューブで生中継した。
共同葬儀委員長として弔辞を朗読した李海チャン(イ・ヘチャン)共に民主党代表は「我が友・朴元淳は私と共に40年を生きてきた。彼と不動産対策について話したのは(亡くなる)ちょうど前日だった。親切な元淳さんという彼のニックネームのようにソウル市の首長として、市民の友、気さくな近所のおじさんのような市長として、市民のために熱情をささげて仕事をしてきた」と述べた。
やはり共同葬儀委員長である白楽晴(ペク・ナクチョン)ソウル大名誉教授は「セウォル号の遺族に記憶と真相究明運動の空間を設けてくれたのもあなたであり、何よりもこの国の歴史を根本から変えた2016-17年のろうそく抗争はソウル市長がそのインフラを構築し守ってくれたおかげで、世界史にまれな平和革命として成功した」と語った。
弔辞に先立ち上映された長さ8分の追悼ビデオには、セウォル号沈没場面、朴槿恵(パク・クンヘ)政権退陣ろうそく集会の場面なども登場した。朴市長がろうそく集会に出席し、「全ての集会に国民が安全かつ平和的に集まれるように守っていく」と発言した場面、朴市長がろうそく集会で「朴槿恵退陣」というビラをひざに置き、ろうそくを灯す場面などもあった。朴市長の学歴については、京畿高を卒業し、ソウル大に入学後除籍された事実は紹介したが、除籍後に入学、卒業した檀国大は紹介されなかった。遺族代表としてあいさつした娘の朴タインさんは「市民運動家だった父はあれだけ避けに避けていた政治に身を投じることとなり、市民の名で市民の力でソウル市長になった」と述べた。
朴市長の遺体は同日午後、故郷の慶尚南道昌寧郡丈麻面に埋葬された。午後5時25分、遺体が故郷に到着すると、支持者や住民ら600人は「信じられない」「もう一度返して」などと泣き叫んだ。生家前での告別儀式の後、家族は故人の意思に従い、600メートル余り離れた場所にある朴市長の両親の合葬墓の脇に遺体が埋葬された。