追悼・岡井隆さん 時代と矛盾を歌に昇華

2020年7月14日 07時04分
 戦後の前衛短歌運動を進めた歌人の岡井隆さんが十日に亡くなった。短歌という古い器に同時代の先鋭的な問題意識を注ぎ込む、一見は矛盾する行為を優れた歌へと昇華させた九十二年の生涯だ。
 岡井さんの創作活動は、早くも少年時代に始まる。医学や生物学系の学問を志しつつ、優れた歌人であった父の影響で文系の書物も愛読し、短歌誌の「アララギ」を読みふけって作歌に取り組んだ。
 後に本紙で、先人らの至言を読むコラム「けさのことば」を長年書き続けられた土台には、その懐の深い教養があった。
 こうした知的な面を持ちつつ、戦時中は「神国・日本」という観念をすり込まれていた少年でもあった。だが敗戦後の世相は、そして周囲の大人たちは一変する。
 その中で登場したのが、上代からの伝統ある短歌や俳句を時代遅れとし、西洋の小説などに劣るとみる「第二芸術論」。批判に抗して岡井さんは、新しい時代の意識をも表現できる歌を目指した。
 思想や観念。政治や社会など同時代の問題。それをわずか五・七・五・七・七の短い文字列で描きだす困難な営みに、盟友の歌人・塚本邦雄氏らと乗り出したのだ。
 先行世代からけなされても意に介せず、自らが求める次の時代をつくる歌を「未来」と命名された歌誌を舞台に追い求めた。短歌の命脈が尽きていたかもしれない状況の中、戦後の文学運動の中でも際だつ挑戦的な試みといえよう。
 医師として活躍しつつ、創作に評論にと打ち込み、政治運動にも関わった。公安警察につけ回されたこともあるその人が、後に宮中で歌会始の選者や和歌の御用掛を務めるという大転向を果たす。これも「前衛短歌の歌人・岡井隆」を語るときには切り離せない。
 四十代の頃には勤め先の病院を突然辞め、短歌を捨てる気で五年近くも九州で暮らすが、後に歌壇に復帰した。こうした奔放で矛盾に満ちた軌跡は時に信奉者さえ落胆させたが、一方、この国では珍しいほど自由な生き方を貫き、複雑で魅力ある人物像を造形していた。
 伝統や対立者の批判、社会の規範にはとらわれず、短歌の持つ可能性を探り続け、若い歌人への関心も持ち続けた。
 敗戦の焦土の上に築かれた戦後の空虚さを見すえつつ、精いっぱい生き、歌った人。戦後七十五年となる今年、その死を惜しむ。
 今は戦後のむなしさに居て見おろせば水の上の蟻(あり) 空襲死あり
 (「眼底紀行」より)

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