003
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だから、問題は生き残る方法。つまり戦略だ。
いくつか考えはある。
その中で最も重要なのはナルヤ王国軍が俺という存在をまったく知らないという事実。つまり、彼らは俺が奇襲攻撃について知っているという事実を知らないということ。
実は、これがとても大きい。
これを最大限利用しなければならない。
ただ、心配なのは我が軍の現状。
領主がこんな調子なのに、その下の軍隊がまともなはずがない。
実際にゲーム内の歴史でも何の反抗もできずに敗北したから状態はひどいはず。
まずは我が軍を見つめ直すことが先だ。
自分を知ることは敵を知ること以上に大事だから。それが兵法の基礎でもある。
ひとまず、俺は侍従長を呼んで何の前触れもなく言った。
「侍従長。これから兵営に向かう」
「兵営ですか? 何かご用でしたら指揮官をお呼びしますが」
「いいや、俺が直接行こう」
「では、すぐに馬車を待機させます」
侍従長は慌ただしく扉の外へ飛び出して行った。
領主の悪評はこんな時に大いに役立つ。失言をして命を落とした者が何人もいるようだ。気になることがあっても聞かない雰囲気。俺が何をしようとしているのかを事ごとに説明できる状況でもないため、その点はかなり助かった。
やがて侍従長が戻ってきた。彼の後について行くと領主城の外に馬車が用意されていた。屋根付きの豪華な馬車だ。興味深かったがそれを表情には出さずに馬車に乗り込んだ。馬車の中はそれほど広くはなかった。4人乗りくらいだろう。車の後部座席をつなげた広さとでもいおうか。
侍従長は自ら馬車を走らせるつもりか中には入って来なかった。俺はひとり心おきなく馬車の中を見回した。
すぐに馬車が動き出す。ガタンッという音と共に体が浮く感じがした。そう、乗り心地は最悪。乗り物酔いのレベルだ。
おえっ。
ガタガタ揺れる度に吐きそうになった。ひどい揺れだ。やはり車とは比べ物にならない。まあ、技術力の差は大きい。
必死に吐き気をこらえて壁に体をもたれていると、間もなく馬車が止まった。
「ご主人様。ご到着です」
なんとも朗報だ。俺はすぐに外へ飛び出して地に足をつけた。風にあたると少し吐き気が落ち着いた。これは、慣れるまで大変そうだ。軽く深呼吸をして周囲を見回す。
木造の兵舎が目に留まった。俺が知る限り、このゲームでは都市にある兵営は都市の治安を担当する。さらに、領地軍の指揮部がある場所でもあった。おそらくエイントリアンも同じはず。
俺はひとまずスキルで情報を確認した。
[エイントリアンの兵営]
[兵力:1200人]
[士気:20]
情報を見た俺はすかさず片手で頭をぐっと押さえた。また頭痛が襲ってきたからだ。
そして、思わず失笑が漏れた。兵力の士気がたったの20だ。最大値が100だから20という数値はほとんど最悪に近い。
さすが領主エルヒンの軍隊だ。烏合の衆に支離滅裂。これだから何の抵抗もできずに囮部隊に全滅するんだ。
兵力はエイントリアン全軍ではなく、都市の守備を担当している兵力の数を表したものである。多くもなく少なくもなく程よい数字だ。
ここ以外にもエイントリアン領地の各地には兵営が複数存在する。都市は領主城がある領地の中心部で、その周りに農業を営む広い領土がある。まあ、農耕社会の時代だから。
見るからに他の兵営の士気もこれより高そうにはなかった。俺はその現実にめまいがしそうになるのを何とかこらえて兵営の中へと入って行った。練兵場では兵士たちがあちこちに集まっていた。訓練中かと思いきやすぐにそれが愚かな考えであることに気づいた。
兵士たちは練兵場のあちこちで群れをなして賭場を開いていたのだ。簡単な双六から始まり、あらゆる種類の賭博が行われていた。
一瞬、俺は目を疑った。これが兵営の本当の姿だというのか?
それも領主が練兵場に入ってきたというのに警戒兵の姿もなく誰も気づいていない。慌てて身を乗り出そうとする侍従長を止めて、俺はサイコロを投げようとする兵士の襟首を掴んで思いっきり引き寄せた。
「何だてめぇ!」
引っ張られた兵士はサイコロを持ったまま憤怒して振り向いた。そして俺と目が合う。
「ヒェェエエエッ! りょ、領主! 申し訳ありませんっ。い、いつお見えに……!」
エルヒンの顔はここでも有名なのか、彼は一目で気づくとすぐさま地べたにひれ伏す。領主の悪名は兵士たちの間でも効果満点だ。
「もういい。それより、今すぐ指揮官を呼んできてくれ」
「か、かしこまりました! うわあああああっ!」
兵士はすぐに地面に手をついて立ち上がり発狂しながら走って行った。彼がそんなふうに絶叫したおかげで、周囲でも俺に気づいては驚愕して全員立ち上がり気をつけの姿勢をとった。びくびく怯えた様子の兵士もいる。ここまでくると、領主そのものがほとんど災害レベルなのでは?
まあ、今重要なのは指揮官だ。俺は練兵場の中央にある建物、すなわち軍の指揮部へと足を運んだ。先ほどの兵士が駆けこんで行った場所でもある。
「おい、こんなに盛り上がってるってのに何なんだ」
「その……。領主が……領主がお見えになられました!」
指揮官も集まってポーカーをしていた。こっちでは外の賭博とは桁違いの大金が積まれている。指揮官がこんな調子だから兵士たちも朝から賭博に耽ているわけだ。本当に未来がない。未来が。
「閣下がお見えになられただと? ハッ! 閣下!」
その指揮官のような男は俺に気づくと兵士を押しのけて駆け寄ってきた。その男と一緒に賭博をしていたある程度地位のある軍人たちも、俺を見るなり立ち上がって姿勢を正した。
そして、閣下。
これは公爵から伯爵までの高位貴族の呼び方だ。この呼び方は貴族同士で使われる呼称でもあった。平民は領主と呼び、閣下とは呼べない。エイントリアン・エルヒンは領地を持つ高位貴族だ。そう、今の俺はなんと伯爵だった。
そして、軍の指揮官ともなればこっちも貴族。もちろん下位貴族だが。おそらく男爵くらいだろう。それに、エイントリアン家の家臣であって。
[バーク・ゴードン]
[年齢:38歳]
[武力:33]
[知力:23]
[指揮:20]
[所属:エイントリアン領地軍の指揮官]
[所属内の民心:10]
情報を確かめた。やはり思った通りだ。まさに無能そのもの。指揮官のくせに武力数値が兵士よりも低い。貴族だから指揮官になった、まあそんなところだろう。だがしかし、家臣に無能な貴族を雇うことはあっても、こんな人材を軍の指揮官につかせていただと?
いくらエルヒンが無能だとはいえ、これは酷い。
「朝から何かご用で? へへッ」
俺の元に歩み寄ってきたバークは両手のひらを擦り合わせながら笑い出した。それを見てわかった。エルヒンは親しさから彼を指揮官に任命したようだ。軍を荒らそうと気にも留めず、親しい家臣を気遣ってあげたという感じか。
そして、エルヒンと親しいということ。それは言うまでもなくクズという証拠だ。
「外の賭博は君の指示か?」
「はい、もちろんです。閣下がお許しくださったことですから。賭博をする者は私に賭博税を納める義務がありますので。ハハハッ」
賭博税? 賭博の税金? ばかばかしい。俺は首を横に振って侍従長の耳もとで囁いた。
「侍従長」
「はい、ご主人様」
「あの者がずっと軍の指揮官を?」
「いえ。前領主の時は別の者が……」
「俺が変えたのか?」
「はい。さ、左様でございます」
そういうことか。
前領主。つまり、エルヒンの父親は数年前に病死した。
エルヒンは領主に就任してまだ間もない。自分を制御していた父親が死ぬなり、彼は水を得た魚のようにあらゆる悪行を働くようになった。
「では、前指揮官は今どこに?」
「……はい?」
「前指揮官はどこにいるのかと聞いているんだ」
エルヒンが交代させたなら、少なくとも目の前の男よりは優秀な人物だろう。
暴君が忠臣を遠ざけようとするのは不変の真理だろ?
「ハディン男爵は牢獄に監禁されています」
「ほう、そうか」
幸いにも、死んではいないようだ。貴族だからか? まあ、そこはよかった。指揮官に相応しい人を一日で探し回るのは大変なことだが、有力候補がいるともなれば話は別だ。
もちろん、その候補者をよく調べた上で決めることだが。
「そうか。つまり、君が訓練時間に賭博をさせたんだな?」
「そそ、そうですが?」
俺と侍従長のひそひそ話は聞こえていないだろうが、何だか雰囲気が怪しいことに気づいたのか男は妙な顔つきになった。
「すぐに指揮官バークを牢獄にぶち込め! 軍の綱紀を乱した罪を問う!」
彼の目の前で俺は厳命を下した。バークは驚きのあまり飛び跳ねる。
「かっ、閣下! どういうことですか! ……エルヒン閣下! 私はゴードンですぞ!」
だからどうしろっていうんだ。
答える必要もない。
これ以上相手にする価値もない男だった。
*
やはり牢獄は殺伐としていた。
地下に造られていて、辛うじてろうそくの火で明かりが灯されている。長いこと監禁されたりなんかしたら、本当に精神病を患ってしまいそうなところだった。
「おいっ、放せ! 閣下! 閣下ぁぁぁああ! どうしてこんなことを! 閣下っっ!」
俺は、牢獄にぶち込まれて騒ぎ立てるゴードンを無視して前指揮官のもとへ向かった。軍の指揮官が監禁されるという事態に緊張が走ったのか、牢獄の看守長はロボットのような動きで俺を案内した。
「こ、こちらに……ハディン男爵が監禁されています!」
背筋を伸ばし姿勢を正して声を張る看守長。
「静かにしないか。わかったから、黙って牢獄の扉を開けてくれ」
俺のその言葉に看守長は慌てて両手で口を塞ぐ。そして、へいこらしながら牢獄の扉を開けて後ろに下がった。
牢獄の中に入ると、壁にもたれて座り込むひとりの男の姿が見えた。憔悴している。
「閣下……?」
すぐに[情報確認]を使った。
明日の戦いに命がかかっている俺は切実な思いで情報を確認した。
[メルヤ・ハディン]
[年齢:45歳]
[武力:60]
[知力:57]
[指揮:70]
[所属:現所属なし]
[所属内の民心:75]
へぇ。まあ、この程度なら悪くはない。バーク・ゴードンの能力値を見た後だからか、この能力値を見たら目が浄化されたような気がした。
兵士の平均武力は30から40ほどである。
60という武力はそれほど大した数値ではないが、衰退しきったエイントリアンに軍を指揮できるまともな人材がいるということだけでも少しほっとした。
このゲームでA級の能力値を持つ者は珍しい。S級ともなればかなり貴重だ。
それに、どのみち重要なのは指揮の数値。すぐに必要なのは烏合の衆と化した部隊を率いる指揮官なのだが、指揮が70ともなればそれは申し分なかった。
「閣下! こんなところまで、何かご用で……」
「ハディン男爵。君、戦争の経験は?」
俺は彼の言葉を遮った。今は俺につくよう説得などしている時間はない。だから、このまま領主の権限で任命した方が早い。この人材を完全に手に入れるのは明日の戦争で生き残ってからでも十分だ。
「戦争ですか? もちろんです。二十年前は規模の大小を問わず戦闘が頻発していましたし、私はその時も軍にいましたが……」
そうか。確かに、今の彼が45歳だから二十年前とはいえ当時は25歳だ。貴族であっても、下位貴族は軍で奉職する場合も多いため、ある意味当然なことではあった。
「よし、ハディン男爵。今から君をエイントリアン領地軍の指揮官に復帰させる!」
「え……? かかか、閣下! それは本当ですか?」
「君が復帰してまずやるべきことは、国境の警戒兵を除くエイントリアンの全兵力を城郭の南門前に召集することだ」
驚きのあまり思考が止まってしまったのか、目を瞬かせるだけのハディンにそう命令して、俺は牢獄から出てきた。
領主の命令は絶対だ。
身分制社会における身分の違いは絶対的。
俺は高位貴族の伯爵。
下剋上や反乱を起こしたところで、王国全域で犯罪者として追われる。
領主に抗命する存在はいないと言っても過言ではない時代というわけだ。
だから、その権限も悪名も最大限利用して生き残れるよう戦略を練る。
必ず生き残るために。