週のはじめに考える 戦略としての「平和国家」

2020年7月12日 07時48分
 政府が「国家安全保障戦略」の見直しに着手しました。自民党内からは、歴代内閣が認めてこなかった「敵基地攻撃能力の保有」を求める意見も出ますが、戦後日本が歩んできた「平和国家」の道を踏み外すことは許されません。
 国家安全保障戦略は二〇一三年十二月、安倍晋三内閣が初めて定めた戦略文書です。同様の文書を持つ米国などに倣ったもので、策定時から十年程度を念頭に外交・安保の基本方針を示しています。
 安保戦略と同時に、防衛力の在り方を示す「防衛計画の大綱(防衛大綱)」や「中期防衛力整備計画(中期防)」も改定され、三文書は一体のものとして日本の防衛政策を方向づけています。

◆国家安保戦略見直しへ

 政府が今回、想定より早めに安保戦略の見直しに着手したのは、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画を撤回したためです。
 敵が発射した弾道ミサイルを迎撃ミサイルで撃ち落とすミサイル防衛システムを、従来のイージス艦ではなく、地上に配備するのが「イージス・アショア」です。
 安倍内閣は秋田、山口両県にある陸上自衛隊演習場の二カ所に配備する計画でしたが、迎撃の際、打ち上げるためのブースターと呼ばれる部品が演習場の外に落ちる可能性があるため、両県への配備計画を断念しました。
 これによって生じる抑止力の空白を埋めるために、安保戦略を見直す必要があるというのです。
 その中で浮上したのが敵のミサイル発射基地を直接攻撃し、発射を抑止する「敵基地攻撃能力の保有」です。
 北朝鮮など周辺国のミサイル技術の高度化に伴い、迎撃能力に頼るだけでは対処しきれない恐れが強い、というのがその理由です。
 確かに歴代内閣は、敵の基地を攻撃すること自体は、憲法が認める個別的自衛権の範囲内であるとの解釈に立ってきました。

◆敵基地攻撃力は持たず

 日本が誘導弾(ミサイル)などで攻撃された場合「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない。他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能である」(一九五六年三月の鳩山一郎首相答弁)というものです。
 とはいえ、戦後日本は先の戦争の反省から、他国に脅威を与えるような軍事大国にはならない平和国家の道を歩んできました。
 いくら合憲とはいっても、敵の基地を攻撃できる装備を平素から整えておくことは憲法の趣旨とはいえません。歴代内閣は、敵基地を直接攻撃できるような装備は備えてこなかったのです。
 敵から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、保持する防衛力も自衛のための必要最小限に限るのが、戦後日本の「専守防衛政策」です。敵に攻撃を思いとどまらせる「拒否的抑止」の考え方です。
 これに対し、報復能力を示すことで、敵に攻撃を思いとどまらせることは「懲罰的抑止」と呼ばれます。敵基地攻撃能力の保有は、拒否的抑止から懲罰的抑止への転換を意味します。
 日本が専守防衛政策を転換したらどうなるのでしょうか。
 日本が、軍事大国への道を再び歩みだしたという誤解を周辺国に与えるかもしれません。地域の軍拡競争を加速させれば、情勢の不安定化が加速して「安全保障のジレンマ」に陥ります。
 北朝鮮などのミサイル技術の進歩は著しく日本が巨費を投じて敵基地攻撃能力を持っても、実際に抑止力となるかは疑問です。
 戦争とは政治の延長線上にあると指摘したのは、プロイセンの軍事学者クラウゼビッツです。長年読み継がれる「戦争論」の慧眼(けいがん)に学べば、軍事的衝突は政治・外交の失敗にほかなりません。
 外交に知恵を絞り、文化、技術や経済の力も駆使して、粘り強く地域の安定を築く。日本が今、力を注ぐべきは、ハードパワーと呼ばれる軍事力とは対照的な、ソフトパワーの外交・安全保障です。

◆軍事大国にならぬ選択

 敵の攻撃を待ち構える専守防衛政策は確かに険しい道です。
 しかし、戦後日本がその険しい道を歩み、再び軍事大国になろうとはしなかった生きざまが、日本という国への世界の信頼を培ったことも、紛れもない事実です。
 そのことは、現行の国家安全保障戦略にも明記されています。平和国家として生き抜く決意を世界に示すことこそが、日本人の血肉となった国家戦略なのです。
 敵基地攻撃能力を保有すれば、その戦略を転換することになります。築き上げた信頼も失いかねません。日本が平和国家の道を歩み続けるのか。安倍内閣による安保戦略の見直し作業を、危機感を持って注視する必要があります。

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