ニートになった理由をうまく言えたことは、一度もない

子供の頃から、自由気ままに生きていきたい、と。

石井:とはいえ、寅さんに強く憧れつつ、中学・高校まではどちらかというと優等生のフリをしてやり過ごしていたんですけれどもね。ただ、世間の圧力に負けて、その後、関東の大学に進みました。そして教育実習に行った学校で、学校内の先生方の中にも強い上下関係があるのを見て。ヒエラルキーの下の先生に対するパワハラ的指導も目の当たりにしました。それは当時の僕にはショックなできごとで。教育実習は最後まで完遂したものの、人間関係も煩わしくなって、その後引きこもりになり、実家のある名古屋に帰ってきました。

 大学は中退しました。アルバイトも多少やろうとしてみましたが、指示されたことをほかの人と同じようにうまく行うことができず、また人間関係もうまく築けずに続きませんでした。人生につまづいてしまったわけですが、一方で、さきほど申し上げたように、あまり働きたくないという希望も元々あったわけです。なるべく少なく働いて、楽しく自由に生きていく方法を模索していました。

 そんな風に名古屋で引きこもりをしていた折の2011年3月11日、22歳の時に東日本大震災が起きました。これは自分の中でも強烈な体験でした。時間だけはあったので、僕もボランティアにかけつけると驚いたことに、周りでボランティアをしている人がニートばっかりだったんですよね。でもよく考えると、それは当然なんです。毎日多忙な勤め人の方々は、大震災が起きたからといってすぐに会社を休んでボランティアはできないですから。動けるのはニートくらいで。

 そんな経験もあり、いざという時のために「労働力の余剰が、社会には必要なのではないか」「ニートのような人間も社会には必要なのではないか」という思いに至りました。アリの集団の中では、一定の割合のアリが必ず遊んでいるという話もありますよね。遊んでいるアリとニートは同類ではないか。震災でのボランティア体験は、そんなことを自分に考えさせました。そして、共生舎のニート募集に応募、今の生活につながっていきました。

 ただ──ですね。「なぜニートになったのか」と問われると、今申し上げたような経緯の説明をするのですが、理由をうまく言えたなと思うことは一度もありません。説明し切れない何かがどこかに残っている…。

共生舎の前を流れる清流。夏は共生舎の住人たちが水遊びに興じる。駆除されたシカを猟師にもらったときには、食べるまで川の水の中に一時沈めておくこともある。

意外にアクティブな一面を持つニートたち

なるほど…。ともかく…石井さんは引きこもりをやめて山奥に来て、そのかいあって、かなりアクティブなったのでは。ブログを拝見しても、ほかのニートのグループとも積極的に交流し、日本各地の様々なニート関連のイベントなどにも参加していますし、講演者としても活躍されている。一方、ほかのニートのグループの人たちも、案外、活発に色々活動していらっしゃるのを知って少し意外でした。

石井:僕は寅さんに憧れているくらいなので、様々な場所に出かけて行くのは元々、好きなんですよね。それに、ニートにも二通りあって、働き者のニートと、怠け者のニートがいるんですよ。いずれも、あくせく働きたくはないなというのは心の中にあるのですけど。

 ほかのニートの人たちやグループと積極的にコンタクトをとるのは、共生舎の運営上、非常に参考になるところがあるからですね。例えば、ネット上で「京大卒・日本一有名なニート」と呼ばれているphaさんが発起人となって作ったシェアハウス「ギークハウス」には主に、プログラマーやシステムエンジニアの方々などIT系スキルを持ったニートが集っています。ギークハウスを訪れて様子を見せてもらったり、お話を聞いたり、泊めてもらったりしました。

 また、新潟に低価格で住める「ギルドハウス十日町」というシェアハウスがあって──こちらはニートが集っているわけではないのですが──そこはアート系やクリエイティブ系の方々も来るのですね。ギルドハウスにも遊びに行かせていただき勉強させてもらいました。

 ここ共生舎の山奥ニートたちは、プログラマーでもなくアート系でもなく、とくに何か専門スキルを持っているわけではありません。「楽しく、自由に暮らしたい」という「ただのニート」なんですね…でも、ほかのグループやコミュニティも見ることで、共生舎の運営の参考にしたり、もし可能ならば、ほかのグループ・コミュニティとメンバー同士の交換留学みたいなこともできれば、面白いし相乗効果があるのかななんて思っています。