山が「共生舎」を守ってくれている
共生舎への居住を申し込む人に対して、審査や選別のようなことはしていないのですか?
石井:共同生活なので、皆と仲良くなれることは大前提です。でも審査のような厳密なことは特別していません。とはいえ、ここに来る人にとっては、「山奥」という環境が一つの乗り越えるべき条件になっていると思います。それが実質的な「審査」なのかもしれませんね。
このあたりは本当に林業しかない過疎の山奥で、現実として万人が住めるわけではありません。とりわけ都会の引きこもりであれば、ここまで来るにはかなりのエネルギーが必要です。それに、例えば台風が来て雨漏りしてしまった時などその対応作業は本当に悲惨ですし、仮に火事にでもなったら消防が来るまで1時間くらいは自分たちで消火しないとならない(編集部注:移住して1年経った頃、実際に地元住民の家が火事になり、消防団が来るまで消火作業を続けたことがあった)。
この場所は、言い換えれば「行きづらい」「街から遠い」ということによって守られている場所だと言うことができます。逆に、山奥ではなく、東京や大阪などの便利な都会でニートの居住者を募ったら、あっという間にトラブルが起こっていたでしょう。
「不便益」という言葉があって、平たく言えば「不便でよかった」という意味なのですが、まさに共生舎は不便なところにあってよかった、と思っています。
思想なきヒッピー、「功利主義」でつながる
石井さんたちの共同生活は、かつての「ヒッピー」の生活共同体のようだと指摘する人もいるのでは。日本でも、理想郷を目指した武者小路実篤さんの「新しき村」の運動などが昔からありますよね。新しき村は開村ちょうど100年の今もなお、埼玉県の毛呂山町の方で続いているといいますが、農業収入をベースにしていることで共生舎と似た部分もあるのではと思います。
石井:宗教的な信条や思想的なバックボーンを持った生活共同体は、日本の歴史上でも結構たくさんのものが知られています。また、米国にはもちろん、もっとたくさんある。映画になったような有名なものですと「アーミッシュ」(編集部注:米国への移民当時の生活様式を守り、農耕や牧畜によって自給自足生活をしている宗教集団。「刑事ジョン・ブック/目撃者」など多数の映画でその生活が描かれている)などがありますよね。
似ている部分もあるのかもしれませんが、やはり僕らはそれらとはまったく違う。一番大きな違いは僕らには思想が一切ない。政治的信念や宗教を基礎としたものでもまったくありません。僕らはいわば「思想なきヒッピー」。山奥で一緒に暮らした方がコストが安いとか楽しいとか、単純に「得である」「効用がある」という功利主義でつながっている、ただそれだけなんです。
引きこもりだったから、守るものなんてない
とある著名ニートの方の言によると、ニートが乗り越えるべきポイントは2つあって、1つは「地域との交流」、2つ目は「おカネ」とのことですが──共生舎の住人の方々の場合はどうなっていますか。
石井:地域との交流についてはうまくいっていると思いますよ。先ほども申し上げましたが、僕たちはこの地域の人たちの呼びかけに応じてここにやって来ました。この地区には現在、5世帯8人しか元からの住民がいない。平均年齢は80歳以上です。「限界集落」を超えた「超限界集落」なんです。そういう背景もあり社会的弱者に理解の深かった山本さんが、現代社会に適応できないニートを呼んだわけですね。弱者を救済するという目的のほか、どんな形であっても若者たちが過疎の村に来てくれれば、頼りになるという思いもあったのだと思います。
出発点がそういうところなので、地域との交流は濃いです。実際に労働力を提供して農作業の手伝いをしたり、街のイベントに参加したり、地域のアルバイトを請け負ったりしています。
土地の猟師の人には「害獣」として駆除されたシカを頂いて、解体して食べたりということもよくあります。この地域の人はとても心が広い人ばかりで、僕らニートを冷たい偏見の目で見ることなく、温かく受け入れてくださいました。本当に様々な面で助けられていて感謝しかありません。地域とは「Win-Win」の関係です。
2つ目のおカネという面では、1つ目の「地域との交流」と関係しますが、土地の人に労働力を提供して対価をもらったりしています。しかしそれも限度がありますから、生活費が不足すれば、この地域の外へ「出稼ぎアルバイト」に行くこともあります。そして必要なだけ稼いだら、またこの山奥に帰ってきます。
もし可能なら、石井さんが山奥に来るまでの経緯も少しお聞きしたいのですが…。ここに来るにあたって親御さんの反対はなかったのですか。
石井:もともと家の中に引きこもっていたので、ほとんどなかったですね。むしろ、引きこもりから脱出してくれたから、ありがたいという感じでした。
僕自身、ネットさえあればどこにいても同じだろうという気持ちがありましたし。引きこもりだったから守るものなんてないですし。一時はバックパッカーもしていて海外移住も考えたことがあるんですよ。いわゆる「外こもり(海外の都市で引きこもる)」というやつですね。でも、山奥なら海外とほぼ同じだろうと(笑)。
それに、もともと「自由気まま」「全国を旅して歩く」という、男はつらいよの「寅さん」のような、あくせく働かないライフスタイルに憧れていましたから。普通の会社員ではない生き方の方が自分には合っていると、かなり小さな頃から思っていました。
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