手塚治新社長インタビュー「東映全社員が企画者」コロナ禍で映画業界大打撃も「映画とは何か、映画館に行くことの意味を再考するタイミングです」
2020年07月11日 12時00分 スポーツ報知
東映は、このほど前任の多田憲之相談役(70)の後を受け、手塚治氏(60)が新社長となってスタートを切った。大手映画会社であえてテレビ畑を歩み「スケバン刑事」「科捜研の女」などのヒット作を手掛けた異色の経歴の持ち主。コロナ禍で映画業界も打撃を受ける中でのバトンタッチで、就任あいさつでは「社員全員が企画者。自由闊達(かったつ)に」と述べた。個性の強い会社を率いるにあたり、どんなリーダーでありたいのか聞いた。(内野 小百美)
アウトロー路線を標ぼうしてきた東映の6代目社長。プロフィルの写真は堅物そうな印象を与えるが、実際に会うと少し違う。ドラマの撮影現場から「ジェントルマンのような人」という役者の声も聞いた。話し口調は柔らかくスマート。しかし秘めた意志を感じさせる。大手の映画会社でテレビ畑一筋でトップに上り詰めた人は初めてだろう。しかし、これが強力な武器になりそうだ。
「希望してテレビに配属になり、一度も異動していません。なので(社長を打診されたとき)『私でよろしいのでしょうか?』と最初に思いました」。自由闊達な社風を生かし「社員全員が企画者で」と述べた就任あいさつ。「社員が何かやりたい、と言ってきたらそのとき、『やってみれば』と言える存在でありたい」
当たり前なようでこの言葉は重い。会社は違うがテレビで始まった「男はつらいよ」の映画化は若かりし山田洋次監督が製作に反対される中、城戸四郎氏(当時、松竹社長)に直談判して実現したのは有名な話。新社長の「社員皆、企画者であれ」は、今こそ作る野望を持ってほしいと強く願うからだ。東京、京都に撮影所を持っているのも東映だけだ。熱意は後回しでヒットを見込めないもの以外は企画が通りにくい会社もあるだけに対照的かもしれない。
千葉・木更津で生まれ育った。実家は規模の大きな新聞販売店。「自宅と店舗が一緒で朝刊がトラックで届くころに夜型だった自分は眠り始める日々でした」。幼少期より活字に慣れ親しみ、好奇心旺盛だった。高校、大学と映画研究部。当時、木更津に映画館が5つあり「その中に木更津東映という専門館が。2本立てて2週間ごとに変わった」。欠かさず見ていた。東映愛は10代で芽生えていた。
それを証明するかのように入社試験で受けたのは東映のみ。「唯一、プロデューサーと一般職と職種別採用だったんです」。映画に飽き足らずドラマへの関心が膨らんでいた。「新聞のテレビ欄のタイトルの下に脚本家の名前が出ていた。ドラマのランクが上がったころ。これからさらにテレビが面白くなると思い、志願したのです」
手掛けてきた「スケバン刑事」「科捜研の女」「京都迷宮案内」「大奥」も東映作品だ。テレビから映画セクションはどう見えていたのか。「『視聴率』と聞くだけで気持ち悪くなったこともあります」と重圧を振り返る。
その一方で「映画は1本作れば一度終わり。でも連ドラは視聴率を確かめながら作り続けられる。評価をフィードバックできて補正できる」といい、「テレビ局には何分何秒のどこのどんなシーンで数字が上下し、CMが入るタイミングひとつでも徹底的に分析する者もいた」。ヒット作は偶然で生まれるのではなく、必ず裏付けがあることを理解していく。自然に経営者としての目も培われていった。
2代目社長、岡田茂氏の有名な造語「不良性感度」と「東映は映像の総合商社だ」という言葉を、いま改めて思い出すという。コロナ禍で映画界も長く厳しい闘いを強いられる可能性は高い。
「映画とは何か、映画館に行くことの意味を再考するタイミングです」。原点回帰の機会でもあることを踏まえたうえで「どこまで以前のように戻るか分かりません。でも中世の時代はペストの流行があってルネサンスが生まれたと言われる。お客さんはこれからどんな映画が見たいのか、逆にどんな作品をつくりたいと思うのか…」。“全社員企画者”。真剣でしびれるような野望から、東映の歴史を変える一本が生まれるかもしれない。
〇…個人的な話では昔から好きなジャンルとして、登場人物の置かれた状況で笑いを誘うシチュエーション・コメディーを愛し、ビリー・ワイルダー監督「アパートの鍵貸します」をお気に入りの映画に挙げた。また名前が漫画家の手塚治虫氏と1字違い。手塚社長が生まれた1960年は手塚漫画がまだ広く知られていないころ。縁戚関係もなく「家族全員“さんずい”が付くので、たまたま治に」とのことだった。
◆手塚 治(てづか・おさむ)1960年3月1日、千葉県生まれ。60歳。83年青学大文学部卒。同年、東映入社。「スケバン刑事」「京都迷宮案内」「科捜研の女」などの人気シリーズを手掛け、「ときめきメモリアル」「大奥」では映画も経験。2010年執行役員、12年取締役、16年常務に。東映作品で好きなものとして「仁義なき戦い」。独身。