おはようございます。
忖度の問題は今後も扱いますが、とりあえず小休止。
で、今日は『君はずっと一緒だった』完売御礼に書きたいことを書きます。
最初この自費出版のお話が持ち込まれたとき、だいたいのご予算をききました。
一般的な自費出版レートを想定していらっしゃるようでした。
私は20万円ディスカウントしました。
なぜなら、これはぜひうちの読者の皆様に読んでいただきたかったし、読んでいただける自信もあった。
要するに私の手間賃のうち20万円は読者の皆様からいただけるかたちにすればいい。著者よし、読者よし、版元よしのWin-Winです。
最初自費出版系の会社が使っている印刷所に行ってみました。
わりといい加減な仕事していることがわかりました。素人相手にぬるい商売しているので、あっちもプロの編集者がくっついてくるのをいやがっているのがはっきりわかりました。
で、うちの取引先で製本がしっかりしているところに打診しました。
予算以内でできそうでした。
そのとき言われたのは
・200部以下だとオンデマンドになります。
ということ。
読んでいただければわかりますが、この本は製本が大事。ということで、オンデマンド製本はふさわしくありません。
ということで200部は刷ることになりました。
実は最初、「何部くらい刷りたいのですか?」と著者におききしたら「わかりません。本当に少しでいい。配る予定もないし」ということでした。
最初にコンタクトがあったとき、ちょっとびっくりしたのは、お子さんの死因(自死)を誰にも話せていないということでした。それこそご親戚とかにも。
だからご親戚にすら配らない本です。
それほどの衝撃だったのです。
そしておつきあいするうちに、これは仏前に供える本なのだ、と理解するようになってきました。
できあがったとき著者は、ご自分の棺桶に入れてもらうつもりだとおっしゃいました。
そういうけじめのための本なのです。
けれども5部10部では作れません。
そこで私は200部刷って、対価の一部を現物でくださいとお願いしました。
うちの読者の皆様の中にも関心のある方はいるはずです。買っていただきましょう。
そうすると心ある人たちだけが読んでくれることになります。
支援者は誰一人お線香を上げにこなかったけど、どっとこむにコーナーを作り、そこに読者の皆様が感想等書き込んでくださればそれが供養になる。
そういう心づもりでした。
そうしたら著者は、「うちは30部もらいます。あとは全部浅見さんの売上でいいです」と言ってくださいました。
そこで170部いただきました。
私の手元に5部残しておこうと思います。
ですので販売可能部数が165部で、それが完売しました。
このように
「できるだけお金はその商品を喜んでくれる市場からいただく」というのが民間人の発想です。
社会保険料にあぐらをかいて、プレコロナ時代には健康な人まで社交に通ってくることを当てにしていた医療とか、最初っから給付目当ての福祉とかと発想が違います。
国に守られることはないのが民間人です。
でも市場を開拓したら、自由に好きなように生きられるのも民間人です。
医療の人も福祉の人も、そして教育の人も「金が足りない」「もっと予算を」と上から金を取ろうとする。
そうではなく必要な金は市場からもってこよう、そのための商品を作ろう、というのが民間人の発想です。
愛甲さんの今月のカウンセリングは、定員を超える四名の方に決まりました。
私は自分もカウンセリングを受けた方がいいのではないかと思っていました。
なぜなら私は今、謎の罪悪感に駆られたりする瞬間があるからです。
それは何か。
コロナ禍を私は無傷で乗り越えました。
健康も経済面も損ねることはなかった。いや、むしろ飛躍したかもしれません。
そしてあれこれ職場等により活動が制限される人が多い世の中で、私は自由です。
ずるすぎるんじゃないの私、と思ってしまうのです。
愛甲さんにそんなお話を先日きいていただきました。
そして話しているうちに気づきました。
これは、この歳にしてたどりついた一つの達成であるかもしれない。
この自由を手にするために私は何をしてきたか。
小学校の頃から同調圧力に負けなかった。
若い頃は長時間労働した。
リスクを取って起業した。
信念を貫いた。そこで起こる炎上には真っ正面から対応した。
決して、決して「異様な怖がりに媚びる」ことをしなかった。
だから異様な怖がりに合わせる今の風潮が若干不満ではありますが、私はそことは最低限のかかわりしかもたず自由に生きていけるのです。
それは、ずるいかもしれない。
でもそれは、負けなかったから。同調圧力に。それこそ小学生のころから。
「い~けないんだいけないんだ、せんせーにいってやる」みたいな子たちと距離を保ってきたから。
大人になっても、版元になっても「い~けないんだ」みたいな小学生みたいな人はいます。
でもそこには1ミリも妥協しなかったから。
そして今後は「嫌いな人とは距離を保つ」ことがやりやすい時代になるかもしれませんね。
私はもう、怖がりの人とは飲み会もやりません。めんどくさいから。zoomでいいと思います。
というわけで、皆さんが『君はずっと一緒だった』を買ってくださったおかげで
著者にはディスカウントでき、私はディスカウント分を取り戻し、かつ利益を得ました。
そして今後は皆さんが本の内容を享受し、対価を得る番です。
複数冊の方には、週末から早い方には届くと思います。
一冊のみの方は若干遅れて届きます。
今回、発送がまだまだ人員の関係で平時ほどは一気にできないことをお許しください。
どうぞ、お楽しみになさってください。
一人の純粋な人がこの世を生きた。
そして彼を彼であるがゆえに愛している人たちがいた。
その証です。
忖度の問題は今後も扱いますが、とりあえず小休止。
で、今日は『君はずっと一緒だった』完売御礼に書きたいことを書きます。
最初この自費出版のお話が持ち込まれたとき、だいたいのご予算をききました。
一般的な自費出版レートを想定していらっしゃるようでした。
私は20万円ディスカウントしました。
なぜなら、これはぜひうちの読者の皆様に読んでいただきたかったし、読んでいただける自信もあった。
要するに私の手間賃のうち20万円は読者の皆様からいただけるかたちにすればいい。著者よし、読者よし、版元よしのWin-Winです。
最初自費出版系の会社が使っている印刷所に行ってみました。
わりといい加減な仕事していることがわかりました。素人相手にぬるい商売しているので、あっちもプロの編集者がくっついてくるのをいやがっているのがはっきりわかりました。
で、うちの取引先で製本がしっかりしているところに打診しました。
予算以内でできそうでした。
そのとき言われたのは
・200部以下だとオンデマンドになります。
ということ。
読んでいただければわかりますが、この本は製本が大事。ということで、オンデマンド製本はふさわしくありません。
ということで200部は刷ることになりました。
実は最初、「何部くらい刷りたいのですか?」と著者におききしたら「わかりません。本当に少しでいい。配る予定もないし」ということでした。
最初にコンタクトがあったとき、ちょっとびっくりしたのは、お子さんの死因(自死)を誰にも話せていないということでした。それこそご親戚とかにも。
だからご親戚にすら配らない本です。
それほどの衝撃だったのです。
そしておつきあいするうちに、これは仏前に供える本なのだ、と理解するようになってきました。
できあがったとき著者は、ご自分の棺桶に入れてもらうつもりだとおっしゃいました。
そういうけじめのための本なのです。
けれども5部10部では作れません。
そこで私は200部刷って、対価の一部を現物でくださいとお願いしました。
うちの読者の皆様の中にも関心のある方はいるはずです。買っていただきましょう。
そうすると心ある人たちだけが読んでくれることになります。
支援者は誰一人お線香を上げにこなかったけど、どっとこむにコーナーを作り、そこに読者の皆様が感想等書き込んでくださればそれが供養になる。
そういう心づもりでした。
そうしたら著者は、「うちは30部もらいます。あとは全部浅見さんの売上でいいです」と言ってくださいました。
そこで170部いただきました。
私の手元に5部残しておこうと思います。
ですので販売可能部数が165部で、それが完売しました。
このように
「できるだけお金はその商品を喜んでくれる市場からいただく」というのが民間人の発想です。
社会保険料にあぐらをかいて、プレコロナ時代には健康な人まで社交に通ってくることを当てにしていた医療とか、最初っから給付目当ての福祉とかと発想が違います。
国に守られることはないのが民間人です。
でも市場を開拓したら、自由に好きなように生きられるのも民間人です。
医療の人も福祉の人も、そして教育の人も「金が足りない」「もっと予算を」と上から金を取ろうとする。
そうではなく必要な金は市場からもってこよう、そのための商品を作ろう、というのが民間人の発想です。
愛甲さんの今月のカウンセリングは、定員を超える四名の方に決まりました。
私は自分もカウンセリングを受けた方がいいのではないかと思っていました。
なぜなら私は今、謎の罪悪感に駆られたりする瞬間があるからです。
それは何か。
コロナ禍を私は無傷で乗り越えました。
健康も経済面も損ねることはなかった。いや、むしろ飛躍したかもしれません。
そしてあれこれ職場等により活動が制限される人が多い世の中で、私は自由です。
ずるすぎるんじゃないの私、と思ってしまうのです。
愛甲さんにそんなお話を先日きいていただきました。
そして話しているうちに気づきました。
これは、この歳にしてたどりついた一つの達成であるかもしれない。
この自由を手にするために私は何をしてきたか。
小学校の頃から同調圧力に負けなかった。
若い頃は長時間労働した。
リスクを取って起業した。
信念を貫いた。そこで起こる炎上には真っ正面から対応した。
決して、決して「異様な怖がりに媚びる」ことをしなかった。
だから異様な怖がりに合わせる今の風潮が若干不満ではありますが、私はそことは最低限のかかわりしかもたず自由に生きていけるのです。
それは、ずるいかもしれない。
でもそれは、負けなかったから。同調圧力に。それこそ小学生のころから。
「い~けないんだいけないんだ、せんせーにいってやる」みたいな子たちと距離を保ってきたから。
大人になっても、版元になっても「い~けないんだ」みたいな小学生みたいな人はいます。
でもそこには1ミリも妥協しなかったから。
そして今後は「嫌いな人とは距離を保つ」ことがやりやすい時代になるかもしれませんね。
私はもう、怖がりの人とは飲み会もやりません。めんどくさいから。zoomでいいと思います。
というわけで、皆さんが『君はずっと一緒だった』を買ってくださったおかげで
著者にはディスカウントでき、私はディスカウント分を取り戻し、かつ利益を得ました。
そして今後は皆さんが本の内容を享受し、対価を得る番です。
複数冊の方には、週末から早い方には届くと思います。
一冊のみの方は若干遅れて届きます。
今回、発送がまだまだ人員の関係で平時ほどは一気にできないことをお許しください。
どうぞ、お楽しみになさってください。
一人の純粋な人がこの世を生きた。
そして彼を彼であるがゆえに愛している人たちがいた。
その証です。