ほぼ日刊イトイ新聞

2020-07-08

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・思えば、なのだけれど、
 桜もちの季節も、柏もちの季節も、
 あわただしく通り過ぎてしまった。
 惜しいなぁ、もっと何度も食べて、
 おいしいおいしいとか言いたかったなぁ。

 季節を味わうというのは、
 季節の変化が、暮らしも変えてくれるから
 昔から、人はそれがうれしかったのだろうな。
 前に、ドイツの人が
 「くだものと言えばりんごです」と言ってた。
 冗談めかして「りんごしかないですから」とも。
 日本にいると、季節によって食べるものも変わるし、
 家のなかでの暑さ寒さへの対応も変わる。
 こたつを出したり、布団の厚さを変えたりもする。

 季節によって、いろいろ変わる環境に、
 いちいち反応したり対処したりするというのは、
 合理的な考え方からしたら、コストが高すぎることだ。
 環境も一定で、室内の空調も一定だったら、
 着ている服だって、いつも同じようでいい。
 冬もの夏もの、春もの秋もの、衣替えもめんどくさい。
 変化があるというのは、高くつくものなのだ。

 しかも、風物詩とか言ってられないこともたくさんある。
 冬は寒波も襲いかかるし、豪雪だってある。
 春には花粉が飛ぶし、黄砂も飛んでくる。
 そして、梅雨がくれば湿っぽいし、活動もしにくい。
 夏は猛暑、酷暑で人死にさえも出る。
 涼しくなったころには台風がやってくる。
 さらに四季にも関係なく、この島国は地震大国だ。
 大きな津波の被害も経験させられている。
 悲観的な人には、この島国に住むのは勧められない。

 これほどまでに住みにくい環境条件が揃っているのに、
 どうして、ぼくらは、ここに暮らしているのだろうか。
 そして、これまでもこの環境のなかで生きてきたのか、
 それなりの文化や文明を育ててこられたのか。
 外から見たら、「あいつら、どんだけがまん強いの?」と
 呆れられてしまうようなことなのかもしれないね(笑)。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
このひと山を越えたら、次はかき氷のことを考えようっと。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る