世界中の頭脳に触手伸ばす中国の「静かなる侵略」 「千人計画」の甘い罠
2020年06月26日 06時00分 大紀元時報
米国を必要以上に刺激しないため、中国政府が意図的に引っ込めたキャッチフレーズがある。
ハイテク分野での覇権を目指す「中国製造2025」であり、建国百年の2049年までに軍事や経済、科学分野で米国を打ち負かすことを目標とした「百年戦略」だ。これらと同様、中長期の達成目標を持ちながら、その実態がいまだ厚いベールに包まれているのが「千人計画」である。大紀元では何度も取り上げているので、私がここで「千人計画」についてくどくど書いても仕方ないのだが、この計画に参加した日本人研究者と最近、接触できたので紹介したい。
この研究者は、中国・上海にある国立の理科系総合大学の復旦大学で教鞭をとり、10人の研究員を率いて自らも研究を続けている服部素之教授だ。日本や米国でタンパク質の構造などを研究していたが、2015年に千人計画に応募して中国に渡った。
服部教授は、2005年、東大理学部生物化学科を卒業し、09年に東工大で修士、12年まで米オレゴン健康科学大で博士研究員となり、東大で特任助教を務め、復旦大で教授を務めている。専門は構造生物学だ。現在、復旦大から教授職と5年間で1億円以上の研究費を提供され、10人の研究員や学生を率いてタンパク質などの研究を続けている。
筆者は5月下旬、服部教授に取材依頼の電子メールを送った。メールには、取材に応じてもらった場合を前提に、中国に渡った動機や服部教授のような日本の頭脳流出などについての簡単な質問を列挙した。すると、誠実な人柄なのだろう。その日のうちに返事が来た。だが、「専門の科学分野以外の取材には応じられない」という丁重に取材を断る内容だった。服部教授は2018年に紫綬褒章を受章した東大の濡木理教授の研究室出身なので、濡木教授にも電子メールで取材をお願いしたのだが、残念ながら返事はまだない。
服部教授の存在を知ったのは、実は2018年放送のNHKスペシャルだった。服部教授はNHKの取材に対し、「日本だと私の同僚で私より業績がある人でも、研究室をまだ持てないという人がたくさんいる。日本だとほぼ不可能な環境なので非常に感謝している。中国の場合、博士課程での研究経験はとても高く評価され、給料も高くなる。だからみな積極的に博士課程に進むし、研究成果を出したいという熱意を持っている。復旦大の学生は東大の学生とまったく遜色ないどころか、むしろ上ではないか」と語っていた。
一方で、この千人計画をめぐり、米国では大変な事件が起きている。米司法省は2020年1月28日、千人計画への参加をめぐって米政府に虚偽の報告をしたとして、極小の世界を扱うナノテクノロジーの世界的な権威として知られる米ハーバード大化学・化学生物学科長のチャールズ・リーバー教授(60)を逮捕、起訴したのだ。リーバー教授は、軍事関連の研究などで国防総省などから研究費を受け取っていたにもかかわらず、米政府に報告する義務を怠った。米国内法では、外国から資金提供を受けた場合、政府に報告しなければならない規定がある。
おさらいすると、千人計画とは、ノーベル賞受賞者を含む世界トップレベルの研究者を破格の待遇で中国に招聘する国家プロジェクトのことだ。
中国政府は1990年代、海外に留学していた中国人研究者の帰国を積極的に働きかけた。彼らは海を漂って母国に戻ることから「海亀」と呼ばれる。中国政府は、北京五輪が開催された2008年以降、50年(49年は建国百年に当たる)をめどに、科学技術分野における世界のリーダーになることを目標に掲げ、米国を中心に中国人以外の外国人の招聘に乗り出した。それが、千人計画だ。現在は200近い招聘プログラムがあるとされ、これまでに7000人の研究者を集めたことから、「万人計画」などとも呼ばれている。集められた研究者には、ボーナスや諸手当や研究資金が用意される。
米国は、こうした中国の国家プロジェクトとしての「頭脳狩り」に警戒を強めている。リーバー教授のように、高度な技術や学識を持つ、いわゆるハイレベル人材の頭脳流出が、米国の安全保障上、重大な危険を及ぼしかねないためだ。
米連邦議会上院小委員会は2019年11月19日、中国の千人計画は脅威であるとの報告書を公表した。
問題なのは、契約内容だ。ポートマン上院議員によると、契約書は千人計画に参加する科学者に対し、中国のために働くこと、契約を秘密にし、ポスドクを募集し、スポンサーになる中国の研究機関にすべての知的財産権を譲り渡すことを求めているという。さらに契約書は、科学者たちが米国で行っている研究を忠実にまねた「影の研究室」を中国に設立することを奨励しているという。
報告書は米連邦捜査局(FBI)の見立てとして、「千人計画に参加した科学者たちの全員が、いわゆる古典的なスパイだとは言えないが、中国政府から情報提供を求められているのも事実であり、違法性がある。米政府は防諜の観点からすぐにでも行動を起こすべきだ」としている。
中国側から見てみよう。2017年3月28日付で、外交部、公安部など4部門共同発行の形をとる公文書「外国人訪中就労許可制度全面実施に関する文書」には、「世界中の英才を集めて起用するという戦略的な思想を実践する」「ハイレベル人材の訪中を奨励し、一般人材は制御し、低レベル人材は制限する」とある。
頭脳流出は米国だけではなく、日本にとっても極めて深刻な問題だ。米議会報告書にある通り、安全保障上の面でも問題があるからだ。日本政府は年間2500億円程度しかない科学研究費について、もっと厳密に審査し、国益に資する優秀な人材に投資できるよう運用を見直すべきである。
折から、スーパーコンピューターの富岳が8年ぶりに日本に世界一をもたらした。米グーグルなどGAFAや華為技術(ファーウェイ)などBATHの影に隠れて技術革新の世界競争から取り残された感もあった日本の科学技術力だが、まだ捨てたものではない。新型コロナウイルス禍で中国へのサプライチェーン(供給網)への依存過多が問題となってもいる。中国とはうまくデカップリング(切り離し)しながら、頭脳と資金力を結集し、モノづくり大国の原点に立ち返るべきではないか。
千人計画はアンチテーゼとして、それを日本に突き付けているのである。詳しくは、近日発売の拙著、静かなる日本侵略シリーズ第3弾(書名は未定、ハート出版社)をご覧いただきたい。
執筆者 佐々木類
産経新聞論説副委員長。1989年早稲田大学卒業後、産経新聞社に入社。栃木県警での警察回りを振り出しに、社会部時代は警視庁で経済・組織暴力事件を担当。1995年から政治部。首相官邸や自民党、野党、外務省の各キャップ(責任者)を経て、2007年、政治部デスク(次長)。10年からワシントン支局長。その後、九州総局長を経て18年から現職。沖縄県・尖閣諸島への上陸や2度の北朝鮮訪問など、現場主義がモットー。主な著書に「静かなる日本侵略」(ハート出版)、「日本が消える日」(同)など。「静かなる侵略」シリーズ第3弾(書名は未定)を近日発売予定。
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