2020-07-08 06:12:21
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なぜいつも肝心なときにブログにアクセスできなくなるか
みなさん、おはようございます。
この朝も武漢熱と雨災害に苦しみ抜かれている同胞がたくさん、いらっしゃいます。
いずれの厄災にも、どんな厄災にも、おのれのできるすべてを尽くして取り組み続けます。
▼きのう7月7日の夕刻、このブログに、香港をめぐる非難決議について「その4」を書き込もうとして、ぼく自身もアクセスできない情況に、またしてもなってしまいました。
みなさんにも、たいへんご苦労をおかけしたと思います。
技術者の本格的な調査が本日から行われますが、ぼくとしては、ある程度は予期していたのも事実です。
▼今朝は、一応はアクセスできるようです。
「その4」というのは、その昨日午後からオールドメディアが一斉に報じている「非難決議は自由民主党の総意にならなかった」という話が、大間違いだという内容です。
今朝の新聞各紙にも、大々的にそのように出ています。
正直、心が冷えます。
オールドメディアと呼び続けているのは、きっと少なからぬかたがたがお察しのように、ぼくの古巣の共同通信を含め現状のマスメディアをこゝろの底から叱咤激励いたし、ほんらいの志を記者のひとりひとりに取り戻してほしいからでした。
だから、「日本の尊厳と国益を護る会」(護る会)の代表として総理官邸を訪ねたときは、必ず、丁寧に総理番の取材に応じてきました。
また、若い記者を中心に、ぼくが委員会や本会議から出たり、あるいは時にはトイレから出てくるのを立ち尽くして待っていたりすると、意を尽くしてその真剣な問いに応えていました。
そのとき、どこの社というのは一切、関係ありません。
▼そうしてきたのは、まず第一に、高齢者をはじめ日本社会ではまだまだ、マスメディアを情報の入手先として当てにされているかたがたが、多くいらっしゃるからです。
その情報の受け手のことを考えれば、記者諸君への応対をなおざりにすることは決して、できません。
第二に、不肖ぼくには、メディアの内部の動きがありありと手に取るように分かります。
マスメディア、報道機関のいちばんズルいところは、他人、他の組織のことはいくらでも好きなように批判するのに、自分の問題は決して明かさず、保身に徹しているところです。
しかもその保身を図らねばならないときには、例えばふだんまったく立場の違う産経新聞と朝日新聞も、一瞬にして、何の裏協議も必要なく、一致して行動する、つまり組織の保身にだけ共に走るのです。
この事実を変えていくには、入社試験を突破した頃の志のすべてをまだ喪ってはいない、すくなくとも胸の奥には健在であって、放っとけばそれが永遠に眠ってしまいそうな若い記者諸君が、ほんものの取材とは何か、ひとのために生きる日本ほんらいの報道活動とは何か、それをみずから考えてくれることしかありません。
自分が記者経験があるからといって、上から教えようとしたり説教しようとするのではなくて、彼らの取材に応じる姿勢から、おのずから学んでほしいという気持ちです。
第三に、人生は一度切りの一方通行の道をただ前へ進んで果てるだけです。
その人生のオン・ザ・ロードにて、ぼくは26歳から45歳まで、報道機関から給与をいただいて生きました。家族も養いました。
なにがどうあっても、その恩義を忘れることはありません。
そして報道機関が、その良きところも悪しきところもすべてが栄養となって、ぼくを育ててくれました。
天の差配によって、二度と帰らないおよそ19年をそのように生きたのですから、よきお返しを致すことを忘れてはいけません。
その気持ちは変わることがありません。
しかし、今回の、中国という人類の厄災に日本が公正に対峙しなければならないこのときに、オールドメディアがこぞって保身にだけ走っている姿を目の当たりにして、絶句しています。
いや、絶句ではいけません。
きのう夕刻から、上述の「その4」を書こうとして、自分のブログにアクセスできず、今朝はアクセスできても、もう次の生の動きが始まっています。
それでも一晩が空いたことを逆に活かして、おのれの記述がほんとうに公平にして客観的かどうか、あらためて良く点検してから、いずれアップします。
この朝も武漢熱と雨災害に苦しみ抜かれている同胞がたくさん、いらっしゃいます。
いずれの厄災にも、どんな厄災にも、おのれのできるすべてを尽くして取り組み続けます。
▼きのう7月7日の夕刻、このブログに、香港をめぐる非難決議について「その4」を書き込もうとして、ぼく自身もアクセスできない情況に、またしてもなってしまいました。
みなさんにも、たいへんご苦労をおかけしたと思います。
技術者の本格的な調査が本日から行われますが、ぼくとしては、ある程度は予期していたのも事実です。
▼今朝は、一応はアクセスできるようです。
「その4」というのは、その昨日午後からオールドメディアが一斉に報じている「非難決議は自由民主党の総意にならなかった」という話が、大間違いだという内容です。
今朝の新聞各紙にも、大々的にそのように出ています。
正直、心が冷えます。
オールドメディアと呼び続けているのは、きっと少なからぬかたがたがお察しのように、ぼくの古巣の共同通信を含め現状のマスメディアをこゝろの底から叱咤激励いたし、ほんらいの志を記者のひとりひとりに取り戻してほしいからでした。
だから、「日本の尊厳と国益を護る会」(護る会)の代表として総理官邸を訪ねたときは、必ず、丁寧に総理番の取材に応じてきました。
また、若い記者を中心に、ぼくが委員会や本会議から出たり、あるいは時にはトイレから出てくるのを立ち尽くして待っていたりすると、意を尽くしてその真剣な問いに応えていました。
そのとき、どこの社というのは一切、関係ありません。
▼そうしてきたのは、まず第一に、高齢者をはじめ日本社会ではまだまだ、マスメディアを情報の入手先として当てにされているかたがたが、多くいらっしゃるからです。
その情報の受け手のことを考えれば、記者諸君への応対をなおざりにすることは決して、できません。
第二に、不肖ぼくには、メディアの内部の動きがありありと手に取るように分かります。
マスメディア、報道機関のいちばんズルいところは、他人、他の組織のことはいくらでも好きなように批判するのに、自分の問題は決して明かさず、保身に徹しているところです。
しかもその保身を図らねばならないときには、例えばふだんまったく立場の違う産経新聞と朝日新聞も、一瞬にして、何の裏協議も必要なく、一致して行動する、つまり組織の保身にだけ共に走るのです。
この事実を変えていくには、入社試験を突破した頃の志のすべてをまだ喪ってはいない、すくなくとも胸の奥には健在であって、放っとけばそれが永遠に眠ってしまいそうな若い記者諸君が、ほんものの取材とは何か、ひとのために生きる日本ほんらいの報道活動とは何か、それをみずから考えてくれることしかありません。
自分が記者経験があるからといって、上から教えようとしたり説教しようとするのではなくて、彼らの取材に応じる姿勢から、おのずから学んでほしいという気持ちです。
第三に、人生は一度切りの一方通行の道をただ前へ進んで果てるだけです。
その人生のオン・ザ・ロードにて、ぼくは26歳から45歳まで、報道機関から給与をいただいて生きました。家族も養いました。
なにがどうあっても、その恩義を忘れることはありません。
そして報道機関が、その良きところも悪しきところもすべてが栄養となって、ぼくを育ててくれました。
天の差配によって、二度と帰らないおよそ19年をそのように生きたのですから、よきお返しを致すことを忘れてはいけません。
その気持ちは変わることがありません。
しかし、今回の、中国という人類の厄災に日本が公正に対峙しなければならないこのときに、オールドメディアがこぞって保身にだけ走っている姿を目の当たりにして、絶句しています。
いや、絶句ではいけません。
きのう夕刻から、上述の「その4」を書こうとして、自分のブログにアクセスできず、今朝はアクセスできても、もう次の生の動きが始まっています。
それでも一晩が空いたことを逆に活かして、おのれの記述がほんとうに公平にして客観的かどうか、あらためて良く点検してから、いずれアップします。