※知り合い以外が見ることを想定していない記事です。
何やら電波ソングのbotによって拡散されてしまったようですが置いておきます。この記事は自分と友人が考えるための共有メモのようなものです。毎日のように加筆・推敲を繰り返しているので、注意してください。頭の中を上手く整理できたら、電波ソング通史を書くかもしれません。お兄様・お姉様、お手柔らかに。
現状の課題。
・電波ソングの早口の起源の特定。早口以外の表現は1980年の「ジェニーはご機嫌ななめ」が起源と思われる。電波ソングは、アイドル文化とゲーム音楽の折衷点で誕生したと考えている。アイドル文化とゲーム音楽が混交したという点で先駆的な作品は1989年に発表された「きみはホエホエむすめ」と思われる。しかし、早口や「語り・掛け合い」を含む典型的な電波ソングの登場は特定できていない。ただ、少なくとも2003年の電波ソング全盛期には、「語り・掛け合い」を含むいわゆる電波ソング的な要素の全てが認められる曲が複数あることが確認できるので、1989年〜2003年の間であることは恐らく間違いない。
・電波ソングの曲中で見られる「語り・掛け合い」の起源。アイドル文化を基本に、美少女ゲームとの関連があると思われる。今特定できている範囲では、1992年の『卒業 ~Graduation~』が最も古い。ただ、まともに調べていないのでより古いルーツがある可能性が極めて高い。
・「きみはホエホエむすめ」に至るまでの秋葉原の動向。とりわけ、当時の秋葉原のアイコンの桃井はるこのような活動をしていた人が存在していたかどうか。桃井はるこの自伝があるのでそれを資料として少しまとめる予定。←(『アキハバLOVE』を読了)
はじめに
電波ソングの文化的価値
70年代に誕生したヒップホップの創始者の一人として名高いAfrica Bambaataaは、ヒップホップの4大要素として「DJing(曲)」、「MCing(歌)」、「Breakdancing(踊り)」、「Graffiti(絵)」を提唱しました。この考え方は、電波ソングにも当てはめることができます。電波ソング的トラック(曲)、稚拙さを逆手にとる特殊な歌い方(歌)、オタ芸(踊り)*1、萌え絵(絵)と綺麗におさまります。これは、欧米からの影響を良くも悪くも強く受けてきた日本の文化としては極めて珍しい現象だと思います*2。60年代以降、上に挙げた4大要素の全てを満たす「純国産」の文化は、電波ソング(萌え文化?)が唯一とさえ言えると思います。「キモい」と忌避されがちですが、「純国産」の文化として極めて重要だと思います。ゲーム音楽、テクノポップ、同人文化、技術革新、美少女・アダルトゲーム、クラブミュージックなどが幾重にもなる層を形成し、電波ソング誕生に至るまでの過程はまさに奇跡の連続です。
音楽的表現
ウィキによると電波ソングの定義はこのようになっています。
電波ソング(でんぱソング、電波歌、電波曲)は、「過度に誇張された声色」、「意味不明、支離滅裂だが印象的な歌詞」、「一般常識からの乖離」、「奇異ではあるが耳に残る効果音や合いの手、掛け声」、「一度聞いたらなかなか頭から離れない」などを特徴に持つ音楽を指す
この定義からわかるのは、電波ソングの「何でも極端にする」という精神性です。ただ、この定義から見ると、足し算的な想像をされるかもしれませんが、引き算も極端にするのが電波ソングだと思います。わかりやすく言うならば、極端な単純化という感じでしょうか。例えば、単純性(幼稚性)を表現するのに有効な「ドンパン」というリズムが挙げられます。電波ソングは、4つ打ちであることが多いがそうでないこともあります。しかし、そうでない場合でも1拍と3拍のキックはほぼ外さないです。したがって、1拍目と3拍目のキックが基礎で、そこから発展したものとして4つ打ちがあると考えるのが良いと思います。また、打ち込みのためかスネアとキックの音が重なった時、完全に重なってしまうためほとんど聴き取れないことが多く、身体感覚を表す意味でも「ドンパン」という言葉を選びました。「4つ打ちからの引き算で考えることと何が違うか」と問われると難しいですが、より単純(音数が少ない)方を基礎と考えました。先ほど述べた1拍目と3拍目のキックを基本に、2拍4泊にスネアを置くと完全なる「ドンパン」が完成します。勿論、キックが4つ打ちでも「ドンパン」に含むとします。このリズムは、1989年の電波ソングの始まりからMosasic Wavに至るまで頻繁に登場します。
さらに、この1拍目と3拍目にキックが置かれることは、電波ソングが、ダウンビートにキックを鳴らすことを特徴とするトランスや、1拍目と3拍目のキックを内包する4つ打ちを特徴とするハウスとの相性が極めて良いことを意味しています。1990年代前半に誕生したドラムンベースなどのクラブミュージックが後に電波ソングと結び付くのは必然だったと言えます。例えば、2009年に発表された「【ハンマー状態】ハンマーを電波ソングにしてみた 」は「ドンパン」を基本としつつ、後半部分ではドラムンベースのようなパートを導入しています。また、フランス人のDJ(トラックメイカー?)のディミトリ・フロム・パリが、電波ソングを作成したことにも納得いきます。彼の曲はなかなかにツボを押さえていて、「ドンパン」を基本としながら、上手く彼なりに崩しています。「Neko Mimi Mode 」
年表
電波ソングはまとまった文章が不足している上に、成り立ちが複雑で実態を捉えることがとても難しいです。その上私はオタクカルチャーには明るくないというありさまですが、気合いで年表としてまとました(随時更新)。単なる羅列ではなく、重要なことや気づいたことなども併記します。柱としたのは、美少女ゲームを筆頭とする萌え文化(≒オタクカルチャー)、技術の発展、ゲーム音楽、クラブミュージックなどです。私も暗中模索ですが、眺めているだけでも何かしら見えてくるものがあると思います。日本語と英語のウィキを中心に、個人ブログなど色々なところから集めた情報をベタ張りした箇所が多くあるので、言葉遣いが統一されていないですが許してください。
1970年
Kraftwerk 結成(『Autoburn』は1974年)
1975年
初期のアーケードゲーム『Gun Fight』誕生。
BGMはないが、勝利時にはファンファーレが聞ける。
1978年
『スペースインベーダー』の誕生 (実はスターウォーズの影響)
現代音楽のような不気味なループが、割とインタラクティヴになっている。
ゲームプレイにBGMが付いた。
※生みの親の西角 友宏 曰く、当時はPCも何も普及していなかったため、制作のために必要なものから全て作った。
https://www.youtube.com/watch?v=D1jZaIPeD5w
YMOは『スペースインベーダー』からサンプリングをした曲を制作。さらに、YMOは、「サーカス」というブロック崩しタイプのアーケードゲームの音をサンプリングした曲も制作。この2曲が収録されている『イエロー・マジック・オーケストラ』がリリース。ゲームミュージックに大きな影響を受けたYMOは、逆にゲームミュージックに大きな影響を与える存在となる。
1979年
80年代の流れ
美少女ゲームとしてはナンパゲームの時代。8ビットパソコンが普及し始めた1980年代の前半には、『野球拳』の様なゲームや、光栄(現コーエー)が発売したストロベリーポルノシリーズの様な、アダルトソフトしか存在しなかった。これには、当時のパソコンの外部記憶メディアの主流がカセットテープであり、画像データの扱いに時間が掛かってしまう事や、フロッピーディスクを搭載した機種がビジネス向けの16ビットパソコンに限られていた事も関係している。8ビットパソコンにもフロッピーディスクが普及し始め、また16ビットパソコンが低価格化して行った1980年代後半に入って、ナンパケームや恋愛アドベンチャーゲームが出る様になり、「擬似恋愛」の過程を楽しむ事へのニーズが掘り起こされて行くことになった。
In the history of computer and video games, the third generation (sometimes referred to as the 8-bit era) began on July 15, 1983, with the Japanese release of both the Family Computer (referred to in Japan in the abbreviated form "Famicom", and later known as the Nintendo Entertainment System,
As advances were made in silicon technology and costs fell, a definitively new generation of arcade machines and home consoles allowed for great changes in accompanying music. In arcades, machines based on the Motorola 68000 CPU and accompanying various Yamaha YM programmable sound generator sound chips allowed for several more tones or "channels" of sound, sometimes eight or more. The earliest known example of this was Sega's 1980 arcade game Carnival, which used an AY-3-8910 chip to create an electronic rendition of the classical 1889 composition "Over The Waves" by Juventino Rosas.[10]
The mid-to-late 1980s software releases for these platforms had music developed by more people with greater musical experience than before. Quality of composition improved noticeably, and evidence of the popularity of music of this time period remains even today.
※Home console systems also had a comparable upgrade in sound ability beginning with the ColecoVision in 1982 capable of four channels.Approach to game music development in this time period usually involved using simple tone generation and/or frequency modulation synthesis to simulate instruments for melodies, and use of a "noise channel" for simulating percussive noises. Early use of PCM samples in this era was limited to short sound bites (Monopoly), or as an alternate for percussion sounds (Super Mario Bros. 3). The music on home consoles often had to share the available channels with other sound effects. For example, if a laser beam was fired by a spaceship, and the laser used a 1400 Hz square wave, then the square wave channel that was in use by music would stop playing music and start playing the sound effect.
In the popular music industry, video game music and sounds have appeared in songs by various popular artists.[52] Arcade game sounds had a particularly strong influence on the hip hop,[53] pop music (particularly synthpop)[54] and electro music[55] genres during the golden age of arcade video games in the early 1980s. Arcade game sounds had an influence on synthpop pioneers Yellow Magic Orchestra,[56] who sampled Space Invaders sounds in their influential 1978 debut album, particularly the hit song "Computer Game".[37] In turn, the band would have a major influence on much of the video game music produced during the 8-bit and 16-bit eras.[36]
AKIHABARA 1983 (1983年の秋葉原) - YouTube
昭和61年の秋葉原 Akihabara 1986 - YouTube
昭和末期の秋葉原電気街。まだ家電と電子部品の街で表通りに家電店、裏通りに部品屋とジャンク屋という感じです。現在のダイビルやUDXの場所は神田市場で、休日は薄汚い立体駐車場が買い物客に開放されていました。ヨドバシのあたり一帯は貨物ヤードと日通の倉庫で、とにかく秋葉原駅一帯が一種独特な雰囲気でした。
また、ニコニコ大百科「秋葉原の歴史」のコメントによると、80年代後半の秋葉原にはオーディオの時代があったようです。
25 : ななしのよっしん :2017/10/30(月) 18:01:24 ID: aNGX9s70Vg
1980年
6月: ジューシィ・フルーツが「ジェニーはご機嫌ななめ」をリリース。
今のところ、この曲が恐らく電波ソングの元祖と考えています。「ドンパン」、ぴこぴこサウンド、稚拙(良い意味で)なヴォーカル、萌え的なあざとさ、「イチャイチャ」、「ベチャクチャ」、「キュンキュン」などの擬音語・擬態語の多用など、後の電波ソング的な要素が確認できます。面白いことに、電波ソングが全盛を迎える2003年、Perfumeは同曲を中田ヤスタカの編曲でカヴァーしています。
ニコニコ大百科などで元祖とされている「キミはホエホエむすめ」は、いわゆる萌え文化ととテクノ歌謡が結びついた記念碑的作品と考えています。
1981年
Konami's 1981 arcade game Frogger introduced a dynamic approach to video game music, using at least eleven different gameplay tracks, in addition to level-starting and game over themes, which change according to the player's actions.
「コンピューターおばあちゃん」が発表。
「ジェニーはご機嫌ななめ」とほぼ同様の理由で掲載。
深川通り魔殺人事件が発生。違法薬物を常用していた男が供述中に「電波が命令した」という言葉を発したことが世間の注目を集め、「頭がおかしい」という意味での「電波」の用法が一般化。後の電波ソングの命名に繋がる。
1983年
YMO「君に胸キュン」
この曲には随所に「キュン♪キュン♪」という擬音が見られるなど、あざとさ(萌え)の芽生えが見えます。また、ぴこぴこサウンドは勿論、典型的な電波ソングに見られるドンパンのリズムを確認できます。色々な面で誇張を意識されているあたり、電波ソングに繋がる多くの要素を発見できます。
任天堂、ファミリーコンピューターを販売開始。
1984年
細野晴臣氏のプロデュースにより、アルファレコードは『ビデオ・ゲーム・ミュージック』のレコードをリリース。これが、ゲームミュージックだけを扱った国内初のサウンドトラックとなる。オリコンチャート20位以内に入るヒットを記録。
「私の記憶によると、当時、スタジオでの音楽録音の際、ミュージシャンに多くの待ち時間があったんですよ。アルファのスタジオに限らずだと思いますけど、たいていのスタジオにはビデオゲームが置いてあるんですよね。ミュージシャンにはみんな空き時間があるので、その時間にビデオゲームをやっているんですよ」
1985年
『スーパーマリオブラザーズ』(1985年/任天堂)が大ヒット
1986年
1987年
1988年
The KLFが、「What Time Is Love? 」リリース。トランスの原点と言われる。
The KLF - What Time Is Love? (1988 Pure Trance Original) - YouTube
1989年
10月:日本初の大型情報機器専門店ラオックスが、ザ・コンピュータ館を秋葉原外神田一丁目7-6に仮オープン。1990年にはザ・コンピュータ館が全館開店。秋葉原の新名所となる。
2007年に閉店した後、AKIBAカルチャーゾーンとなる。
アイドル八犬伝 「きみはホエホエむすめ」
アイドル八犬伝(FC) ED きみはホエホエむすめ - ニコニコ動画
電波ソング史における極めて重要な曲。ポップなメロディ、ぴこぴこサウンド、ドンパンのリズム(一番上で解説)など、電波ソングとして重要な要素が確認できます。この曲に萌え系の歌詞が混ざると、電波ソングそのものになります。実際、桃井はるこに2007年にヴォーカルを入れたヴァージョンをリリースしていますが、電波ソングそのものです。
90年代の流れ
ゲームのプラットフォームであるハードウェアや記憶媒体が進化したことで、BGMの音楽的表現の技術的制約が解消され、音楽表現の幅が広がっていった。記憶媒体がフロッピーディスクからCD-ROMへ移行すると、記憶容量が数百倍にも跳ね上がり、現在のCDと同じ音質のBGMや楽曲を収録することが可能になった。これを機に主題歌が付属する美少女ゲームが主流となった
コンピュータゲームに特有の事情として、コンピュータの性能は時とともに大きく進歩している。例えば、1987年の『学園物語』と1992年の『同級生』ではデータ量が単純比較で18倍にもなる。また、1990年代中期から普及し始めたCD-ROMの容量は、1992年の『同級生』の60倍近いものである。このことはゲームの中で声優の演技が楽しめるだけではなく、画像の品質も向上させることになる。また、最近では当たり前になったDVD-ROMの容量はCD-ROMの6.8倍にもなる。
また、パソコンの演算能力の飛躍的な向上は、3次元人体コンピュータグラフィックスの導入を容易にした。いわゆる「アニメ調」の画風が主流である恋愛ゲームにおいてリアルな3次元人体コンピュータグラフィックスはほとんど用いられず、痴漢や強姦をテーマにした成人指定のポルノゲームに用いられることが多かった。しかし、2003年に発売された『ゆめりあ』(PlayStation 2用:12歳以上推奨)、2005年に発売された『らぶデス』(Windows用:成人指定)では、3次元人体コンピュータグラフィックスでありながらトゥーンレンダリングなどでアニメ調の人物表現が行われ、あらかじめ用意された肖像ではなく、コンピュータが状況に応じて描き出した画像によってキャラクターが表現される様になったのである。
セガサターン、プレイステーションの頃から、ディスクメディアが主流になっていった(但し、NINTENDO64はディスクメディアを使用せず、ROMカセットを使用。)。メディアの大容量化、ハードの高性能化により、「限られた音色で多くの曲を鳴らす」という制約が大幅に緩和され、さまざまなジャンル(ロック・アンビエント・オーケストラ曲・ヒップホップ・テクノ・イージーリスニング・ジャズ等さまざま)の音楽が取り入れられるようになった。また、録音済みの音楽をストリーミングで流すという方法もしばしば登場するようになった。その結果ゲームミュージックは鑑賞用に販売されている通常の音楽CDと同等の品質を獲得するに至り、21世紀初頭現在の主なゲーム機の音声処理系はPCM系の録音済み波形を用いる方式が主流になっている。
小室哲哉が、1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵など、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立てた。
※彼が影響を受けたアーティストには、ジョルジオ・モロダー(ディスコの父)が含まれる。無論YMOも含む。
第3次声優ブームの発生。
用語として一時期頻繁に用いられていたが、明確な定義は存在していない。おおむね1990年代半ばごろに起こったとされる。
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声優のマルチ活動化やアイドル化が進む。
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声優の歌手活動が増える。
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声の演技力のほかにも、特にアニメ・ゲームで活躍するには容姿の良さや歌唱力などといったようなことも声優に求められる傾向。
などといったようなことが、このブームの主な特徴として挙げられる。
90年代前半は、ドラムンベースとトランスが誕生。
トランスの特徴は以下。
Classic trance employs a 4/4 time signature,[6] a tempo of 125 to 150 BPM,[6] and 32 beat phrases and is somewhat faster than house music.[21] A kick drum is usually placed on every downbeat and a regular open hi-hat is often placed on the upbeat or every 1/8th division of the bar.
(上にあるように、ダウンビート(1拍目と3拍目)のキックがトランスの特徴として挙げられています。1と3を強調する電波ソングのドンパンと極めて相性が良いことが確認できます)
Rapid arpeggios and minor keys are common features of Trance, the latter being almost universal.
1990年代末以降インターネットが急激に台頭し、パーソナルコンピュータのウェブ端末としての利用が一般化した
「萌え」という言葉が広まったのは1990年前後であると推測されており[1][5]、その起源に関する主要な説も概ね1980年代末〜1990年代初頭頃に集約されている。一方で「萌え」の現代的用法の成立・普及については様々な説や主張があり、その起源や成立の過程は明らかではない
1980年に来場者数6000人だったコミケの来場者数が、1990年には、230,000人に増加。同人サークルの数は、380から13,000に増加。その後も急速に来場者数を増やし続けます。※コミケの始まりは、1975年で来場者700人。
その後の推移は、以下のリンクを確認。
1990年代の中ごろに差し掛かると、現在のオタク系コンテンツを総合的に取りそろえる店舗が登場した(とらのあな が筆頭か?)。
萌え系電波ソングがオタク文化の産物とされるようなった経緯
電波ソング黎明期に美少女ゲームをプレイしていた顧客層はPCに関する知識が豊富な層に限られていた。1989年前後のPC市場は様々な規格が乱立しており、Windows 3.1以降のPCよりも求められる専門知識が多かった。この頃の秋葉原は日本一の「電脳街」であり、パソコン関係の製品を取り扱った店舗が数多く存在しており、ハードウェアのみならずゲームを含めたソフトウェアを取り扱う店舗が営業していた。そのため、美少女ゲームをプレイしていた層が秋葉原を利用する機会が多かった。
95年に、Windows95が日本で発売されます。
1991年
初期トランスと言われる作品の発表。
Another possible antecedent is Yuzo Koshiro and Motohiro Kawashima's electronic soundtracks for the Streets of Rage series of video games from 1991 to 1994.[14][15][16] It was promoted by the well-known UK club-night "Megatripolis" (London, at Heaven on Thursdays) whose scene catapulted it to international fame.
https://www.youtube.com/watch?v=5PqfoOBJBlk
1992年
『卒業 ~Graduation~』美少女ゲーム(ゲームに主題歌がつくように)
(主題歌の曲中でキャラの会話や語りが見られる)
[ PCE ] 卒業 - Graduation - - YouTube
12月:アダルトゲーム会社のエルフは、16ビットパソコンPC-9801シリーズ等用の成人向け恋愛ゲーム『同級生』を発売する。企画当初は従来のナンパゲームの様に50人の女性をナンパする内容だったが、女性の人数を13人に減らして、一人一人のストーリーを描く、恋愛小説の様な内容に変更された。この試みが大成功し、作品は成人向けゲームのみならず、『ときめきメモリアル』等のその後のゲームに大きな影響を与えた。また、同作品自身も性描写を他の表現に差し替える等して、家庭用ゲーム機用に発売されている。
1993年
やはり、ドンパンのリズムが基本。
1994年
6月:秋葉原で創業。当初は、秋葉原の路地裏にある雑居ビル(神林ビル)の3階の一室に店を構える同人誌の古書店だった。当時、同人誌を扱っている店はまだ少なく、同じビルの2階に入居していた「湘南通商」とはしごして同人誌やジャンク品を買い漁るマニアの姿が多く見られた。
12月:PlayStationの販売開始
小室哲哉のブーム到来(1999年まで継続?)
1995年
1月:エルフは、『同級生』の続編である成人向け恋愛ゲーム『同級生2』を発表する。前作以上に個々のヒロインのストーリーが作り込まれており、プレーヤーにとって選択の幅が狭まり、難易度が高くなった。この為、実質的には攻略本を片手に読み解く楽しみ方になったのである(これが後にビジュアルノベルというゲームジャンルを生み出す事になる)。そしてこの様なスタイルが恋愛ゲームの主流となるのである。後に、性描写を差し替えた家庭用ゲーム機版や、攻略ヒントを兼ねたアニメーションビデオ、そのビデオから性描写を除いたアニメーションのテレビ放映、ラジオ番組、キャラクターフィギュアなどのメディアミックスを行う様になる。元々成人向けゲームであった作品から、広く親しまれるキャラクターを産み出したという点で、『同級生』シリーズは特筆するべき存在となった。
10月:『新世紀エヴァンゲリオン』放映開始
※実は、初めからメディアミックス作品で、漫画版が前年12月で始まっている。つまり、アニメより漫画版が先。
11月:恋愛ゲーム『同級生』、性的描写を差し替える形で、NECの家庭用ゲーム機PCエンジン用のゲームソフトとして発売される。以後、同級生シリーズは、PC-FX版『同級生2』を除き、性的描写を緩和もしくは削除する形で家庭用ゲーム機に進出していく。
11月23日:Windows95の日本版発売。11月23日(勤労感謝の日)の秋葉原などでは、当日になった瞬間に深夜販売を始める店が多く、業界関係者や報道陣を中心に一種のお祭り騒ぎの様相を呈した。
Windows 95発売当時の秋葉原 (sm20912964) - ニコニコ大百科
1996年
桃井はるこが、秋葉原にオタク文化が集積しはじめた(本当か?)頃の1996年、電波ソング発展に貢献したアイドル活動を開始。
夏のC50(50回目のコミケの意)から、同年完成した東京ビッグサイト(有明)での開催となる。C50の開催はビッグサイトの会場の一部で行われたが同時開催の他のイベントからの多数の苦情が来たことから、次のC51では早くもビッグサイト全館貸し切りでの開催となった。
サウンド環境およびその他処理性能の充実から「音楽自体をゲームにする」という発想も登場した。1996年の『パラッパラッパー』、続く1997年の『beatmania』などが先駆けとなりいずれも大ヒットを記録、音楽ゲームという一つのジャンルを形成するに至った。
1997年
小池雅也の楽曲提供により、桃井はるこが「GURA GURA」をリリースした。小池は「かわいい声に汚れた音を乗せると、ギャップで萌えが引き立つはずだ」というコンセプトのもとで楽曲が提供された。桃井はるこは「萌え」をコンセプトに活動し、「ときめきメモリアル」のヒロイン藤崎詩織のコスプレにパワーグローブという出で立ちで、路上ライヴ
夏のC52以降、夏のコミケは3日間開催が定着、参加サークルは3万を超えるまでに至った。
8月:『同級生2』、Windows 95に対応する形で、再びパソコン用ソフトウェアとして発売される。家庭用ゲーム機版と同様にCD-ROM版となり、声優によるヒロインの演技を聞く事ができる様になった。
リズムなどは電波ソングではないですが、歌詞に露骨に性的な描写が見られます。
1998年
『デ・ジ・キャラット』 緑髪、メイド服、猫耳(1999年アニメ化)
主題歌のサビが、かなり小室サウンドに似ている。
モーニング娘。(9年ほど全盛期が継続?)
1999年
5月:2ちゃんねる開設
6月:Key、Windows95/98用恋愛ゲーム『Kanon』を発売する。このゲームによって、泣きゲーと呼ばれる、シナリオ志向のゲームの中でも特に感動的なストーリーに重点を置いたジャンルが開拓されることとなる。
NINTENDO64 が販売開始。
4つ打ちが基本。ただ、微妙に裏にキックを入れていたりしているので、かなりファンキーに聞こえる。曲としての完成度が高い。
2000年代の流れ
美少女ゲームの世界観を広げることが目的の電波ソングは隆盛を極めた。2000年代初頭になるとインターネットが爆発的に普及し、PCユーザーのコミュニケーションプラットフォームである2ちゃんねるが、美少女ゲームや電波ソングの話題を共有する場として機能した。
90年代の年表から分かるように、コミケの参加者からわかる同人の普及(東方Projectなど)、家庭用ゲーム機の普及、アダルトゲームの家庭用ゲームへの移植、匿名掲示板の誕生、今日的なアイドル(モーニング娘。)、WindowsPCの普及、ドラムンベースとトランスの誕生、萌え文化(デ・ジ・キャラットが象徴的)の一般化など、大きな動きが立て続けに起こります。そして、その流れが一体となり、2000年代前半に電波ソングは黄金期を迎えます。
2005年には、今日的な電波ソングを制作する精鋭集団MONACAが本格始動します。
2000年
3月:PlayStation 2が販売開始
2001年
桃井はるこが「萌え」を追求したロリ声妹系ソング「いちごGO!GO!(エロゲ―「いちご打」主題歌)※やはりリズムはキックとスネアのドンパンが基本
「恋愛CHU!」がリリース。「ハレ晴レユカイ」的なリズムが聞ける。
モーニング娘。のサブプロジェクト的な、三人祭が「 チュッ!夏パ~ティ (Chu! Natsu Party) 」をリリース。典型的な電波ソングとは異なるが、地下アイドル(?)が電波ソングとアイドルソングの間のような曲を制作している現在につながるかのような曲。
2002年
5月:まんがタイムきらら「萌え4コマ」を初めて専門的に取り扱う雑誌
※複数女性声優が主題歌を歌うように?(要検証)
2月:小池雅也と共に「UNDER17」を結成した。「萌えソングを18禁という束縛から解放し、誰もが楽しめる萌えソングを作る」というコンセプトを掲げて楽曲の提供に取り組んだ。これを筆頭として、現在まで活動を続ける電波ソング・萌えソングユニットが続々と結成された。
2003年(全盛期開始?)
恐らく、電波ソングが完全に完成した年。
3月:アダルトゲーム『さくらんぼキッス 〜爆発だも〜ん〜』が発売。
電波ソング史上で重要と重要な以下がリリース。
「♪好〜き好き好き(×4)」、「ハイハイ」などの合いの手を含んだ電波ソング。歌とセリフの掛け合う部分では単なる合いの手ではなく長めのセリフパートを挿入したり、「ハイハイ」といった合いの手に限らずKOTOKOが声優のようなパフォーマンスを見せる部分もあったりと、歌だけでなくセリフや合いの手など様々な仕掛けを含ませたエンターテイメント性や演出性の高い楽曲となっている[1]。電波ソングブームの先駆けとなった作品の1つとして知られる[2]。制作陣のなかで「キュンキュン系」と称される方向性を持った楽曲
音楽ユニットMOSAIC.WAVのボーカル・み〜こはユニット結成時に、当時リリースされた本作から「こういう明るくて、楽しくて、ちょっと笑えるような曲調でいこう」と考えたと語っている
アダルトゲーム『DA・パンツ!!』が発売。
主題歌の強烈な世界観が典型的な電波ソング的要素を持つ。
DAパンツ!! 主題歌 PAPAPAPAPANTSUだってパンツだもんっ!
5月: 『巫女みこナース』が発売。柏木るざりん作曲の同名主題歌が流行る。
最初の語り部分、ぴこぴこサウンド、4つ打ち、良い意味で稚拙な歌、萌え系の言葉を使ったキメなど、完全に電波ソングです。
余談。「巫女みこナース」の「ときめき」と歌う箇所のリズムは、「Rydeen」のイントロ、「きみはホエホエむすめ」の一部、
Colorful Kiss - OP / 「カラフルキッス ~12コの胸キュン!」がリリース。
8月:『やっちゅーロボ-MEGA・みなみん-長崎みなみ-MEGAやっちゅーキャノン』のリリース。後に発表される「恋のミクル伝説」のように「下手な」歌い方をする電波ソング。リズムはドンパンが基本。
12月:「きみはホエホエむすめ」を歌っていた桃井かおりの所属していた音楽ユニットUNDER17が、『美少女ゲームソングに愛を!!』がリリース。
その中の1曲。やはり、リズムはドンパンが基本。
「Under17 - 天罰! エンジェルラビィ☆~ですver.~」
その他、2003年は電波ソングにとって豊作の年だった模様。
2004年
2ちゃんねるの訪問者が700万人を超え[15]、Alexa Internet社の世界ウェブサイトのアクセスランキングで34位となった
「電車男」がヒットし「アキバ系」文化が注目を集める。「メイド・コスプレ」と共に同年のユーキャン流行語大賞にノミネート。
4月:『CLANNAD』が発売。Keyの前2作である『Kanon』、『AIR』が18禁のPCゲームとして発売されたのに対し、本作は全年齢対象のPCゲーム。
7月:ave;newが結成された
10月:有限会社MONACA 設立
※ナムコを自主退社した神前暁が2005年に参加して以降、アニメに力を入れるようになる。
MOSAIC.WAV結成、8月には初のシングル「Magical Hacker ☆ くるくるリスク」がリリースされた。結成当初は貸切のメイドカフェ等でPCゲーム主題歌カバーライブを行っていたこともある。初シングル「Magical Hacker☆くるくるリスク」のリリースは5月。あまり電波感はないですが、ドンパンのリズムは見られます。
彼らは、典型的なゴチャゴチャとした電波ソングの文脈ではなく、電波系ポップスの文脈として理解すべきか?
2005年
4月 - OVA『MUNTO~時の壁を越えて~』のBGM、ED主題歌を神前暁が担当
※MUNTOは、京都アニメーションのスタッフ自らがオリジナル企画を立ち上げ、製作・販売までのすべてを自社で行う「京アニプロジェクト」の第1弾として製作された作品。
5月:『THE IDOLM@STER』(アーケードゲーム)の稼働開始
「True my heart」がリリース。かなり現代アニソンに近付いたかも?
2006年
mosaic wav 「最強まるばつ計画」
4月:アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』放映開始(7月まで)
意味不明な歌詞と電波ソング的なドンパンのリズムを基本とした曲。
2005年の「True My Heart」的なものと、「魔理沙は(以下略)」的なものが組み合わさり、2007年の神前暁の「もってけ!セーラーふく」に繋がる気がしなくもない?
2007年
1月: 「ニコニコ動画(β)」としてサービス開始し、1月の月間ページビューが1億を超えたことを発表。
Xbox 360版の『THE IDOLM@STER (Xbox 360)』が発売。この後ライブシーンやストーリーを気軽に楽しむ、という潮流が顕著になり[8]、また同時期にサービスが開始されたニワンゴのニコニコ動画上でゲームのライブシーンにアイドルマスター外も含めた様々な音楽を組み合わせた動画(「ニコマス」と呼ばれている[9])が多数投稿
Imoutoid が、「 はなはず☆じぇーむす!! OP[そうあい?4Seasons」を発表。
彼は当時14歳でしたが、電波ソングの文脈で重要な役割を果たしてきた萌え文化、ゲームミュージック、クラブミュージック、ポップスの全てに極めて深い理解があり、それを自分の作品に落とし込むだけの制作能力を持ち合わせていました。電波ソングやアニメソングの新たな可能性を示しました。
ってことで、RichardさんことAphex Twinの名曲"4"を、電波ソング風にアレンジにしてみました。
彼は若くして亡くなりましたが、「もし」があったとするならば、同年に「もってけ!セーラーふく」を発表した神前暁と並ぶ巨匠となっていたに違いありません。偶然というには出来すぎた話ですが、神前暁の弟子で現代アニメソング界のトップとも言える田中秀和は、影響を受けたアーティストにImoutoidを挙げています。
4月:『らき☆すた』アニメ放映開始(9月まで) 。
神前暁「もってけ!セーラーふく」が誕生。
極めて重要な曲です。これ以前と以後で線が引けます。曲は洗練されたものになり、リズムも単純ではなくなっていますが、ドンパンの基本構造は生きています。既にその兆候が見えますが、この曲以降の電波ソングは、アニメソング・アイドルソングに接近していく気がします。ドンパンの登場回数は減り、電波ソングに内包されていた萌え、曲中での語り(お喋り)などの全部盛りが無くなり、さまざまな工夫を加える時代が到来します(本当か…?)
神前暁御大に質問したところ、以下の回答をいただきました。
リスナーは強引な文脈化をするきらいがありますが、それを覚悟した上でかなり強引な解説を加えておきます。
ORANGE RANGEは典型的なミクスチャーロックのバンドで、闇鍋的な意味で電波ソングとの親和性は高いと言えます(?)。ファンクからの影響は、「もってけ!セーラーふく」におけるスラップベースの使用、ホーンセクションの使い方から伺うことができます。また、UKロックからの影響は、「もってけ!セーラーふく」のサビのコード進行がTelescopesの「Celeste」、Oasisの「Married With Children」「She's Electric」でも使われていることから伺うことができます。BOOM BOOM SATELLITESは、彼らの曲に4つ打ちが多く、テクノやトランスなどからの影響が散見されることから、電波ソングと近いルーツを持つアーティストだと思います(恣意的で失礼)。
神前暁は作曲依頼を受けた際、「既存の曲ではないもの」との注文を受けたそうです。彼が「既存の枠に収まらないポップで奇抜なもの」を求めた結果、極端さを美学とする電波ソングに図らずも接近してしまったというのが妥当な落としどころかと思います。世の中を変えるのは「若者・よそ者・馬鹿者」との言葉を見たことがありますが、彼が電波ソング界隈の「よそ者」だったからこそ、「もってけ!セーラーふく」を作ることができたのかもしれません。
8月31日 - クリプトン・フューチャー・メディア、「キャラクター・ボーカル・シリーズ 01 初音ミク」を発売
9月:ニコニコ動画に『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』が投稿
2010年
ドンパンのリズムが聞ける
2011年
ドンパンのリズムが聞ける
2013年
ドンパンのリズムが聞ける
参考リンク
電波ソング、その起源と隆盛 – はろさんはろさん、聞いてください。
【メモ】電波ソングの起源についての一考察~萌えと悪ふざけとアイドルポップの系譜~ - 今私は小さな魚だけれど
Adult Game Vocal Collection
90年代から現在に至るまで大量のPCゲームの主題歌のリストがまとめられています。
気合いのある人は、読むと良いです。