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びゃっこ!!

作者:鳩村ピジョン

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2.紅染豊色

 騒ぎが起こるのは放課後。そんなお決まりが出来て、めんどくさいとわかっているのに。

 どうして毎日来てしまっているのだろうと、この日も既に現場へ到着していた白縫は、一人自問する。

 だって「また明日」なんて約束じみたことを、一方的とはいえされてしまったわけですし、断りも無く帰るのはいかがなものかと。

 そう自答するも、それがただの言い訳でしかないことは、誰より白縫が知っている。

 なんとか自分を正当化しようと思考するが、『嫌なら帰ればいいのに』→『だって昨日「また明日」なんていう約束云々……』というくだりを繰り返すだけだった。

 考えても考えても倒せない自分に悪戦苦闘しているさなか。

「あ」

 白縫は、ようやく現れた虎助の姿を捉えた。

 十五分の遅刻だ。おまけに、隣に紅染も居る。

 しかし、その『隣』というのが、あまりにも近過ぎてはいまいか。

 虎助の腕を両手で抱え込むようにくっつき、紅染はしきりに少年へ話しかけている。

 一方、虎助少年の方は、なんだかわかり易くげっそりとした顔で、白縫の姿を見つけるなり、砂漠でオアシスを見つけたような、救われた表情を浮かべた。

 ……どうやら、遅れた原因は紅染にあるらしい。

 しかし白縫は、十五分弱待たされた上に、ここへ来てしまった自分への言い訳問答で余計な疲労を蓄積させられたこともあり、開口一番、辛辣な言葉を吐くことにした。

「どうしたんですか。また明日などと勝手に約束しておきながら待たせないでください。女子も引き連れていいご身分ですね」

 低身長ながら見下す感じで言ってやると、少年はどこか疲弊した様子で弁解してきた。

「違うんだ聞いてくれ白縫。紅染がしつこくてそれで」

「何を言う芹沢・・。私はただ一緒に帰ろうと誘っているだけだろう」

「だからそれがしつこいんだと何度言えば……」

「なんですか、もう呼び捨ての関係ですか」

 意図せずジトリとした目で虎助を見てしまう。

「その方が友達っぽいと言っただけなんだが……今日だけでどれほど連呼されたか」

「気安く呼ばれる側の気持ちがわかったでしょう?」

「ああ。さすがに連呼されると、鬱陶しいものだな」

「おい芹沢、早く帰ろう。この辺りでいい場所なら全て知っている」

「だから俺は白縫と召喚術の鍛練が……」

「おお、そうだそうだ白縫だ。君の名前は、水島白縫だそうじゃないか」

 妙な食いつきを見せた紅染に、白縫は「そうですが」と興味なさげに視線を向ける。

「水島姉妹の三女が入学したという話は、前の学校にも届いていたぞ」

「ああ、そうですか」

「して、水島白縫」

「なんですか」

「お前は芹沢の、なんなのだ」

「はい?」

 紅染の問いに、白縫は眉根を寄せる。

「なんなのだとは、どういう意味ですか」

「いいか。芹沢はな、私が何度下校に誘っても、『白縫が、白縫が』としか言わんのだ」

「それがなんなんですか」

「どうしてくれる」

「どうしてくれると言われても、どうもしてあげられませんが。というより、無理を言ってるのはあなたなんですから、いい加減、彼を解放してあげたらどうです」

「なんだ? 私が芹沢と居てはいけないのか」

「そういうことではなく。虎助さんにだって用事はあるんですし、紅染さん個人の都合で、他人を勝手に振り回さない方がいいですよと言ってるんです」

「ほう、なるほど。つまり私は君の邪魔をしていて、君は私の邪魔をするということだな?」

「邪魔してるのはあなたが、虎助さんに、でしょうが」

 めんどくさくて、つい口が悪くなる。

「水島は知っているよな。私が芹沢に好意を抱いていることは」

「フられたことまでご存知ですよ」

「それを知っている上で私の行動を妨害しているならば、私はお前を、恋敵として見なければならない」

「意味がわかりませんし、そもそも、そう至る式が成り立ってません」

「だってそうだろう。私が芹沢と一緒に居ることが気に食わないのなら、それすなわち、つまりは、そういうこと・・・・・・だろう」

「自分を中心に物事を考えないでください。何度も言ってますが、虎助さんには先約があるんですよ」

「先約? 芹沢はお前のものではないだろう」

「そのままお返しします。相手の都合も考えられないようじゃ、交際が始まっても一ヶ月と保たないでしょうね。ね、虎助さん」

「ここで俺に振るか……なんとも言えんが、少なくとも俺は今、白縫に味方したい」

 単純に紅染から逃れたい気持ちから来るものだろうが、虎助少年の賛同を得た白縫は、ホラねと紅染に視線を送る。

「別にあなたの恋路を邪魔する気はありません。好きに青春を謳歌してくださって結構です。ただ、虎助さん(相手方)にも都合はあるのですから、そこはちゃんと考えてという、むしろこれは助言」

「そうかそうか。ああ、そうかそうか」

 自分だけ何か察したように頷いて、紅染が言う。

「では、戦争だ」

「はイ?」

 意味がわからなかった。

「水島白縫。私はお前に《決闘》を申し込む」

「なんでですか」

「いいか水島。この闘いに勝った者が芹沢を自由に出来る。それでどうだ」

「どうも何もわたしは決闘を受けるなどと言ってませんし、だいたい虎助さんなんかべ」

「決まりだな。では三日後のこの時間、この場所で会おう」

「また一方的な。やってられません。さ、鍛練を始めましょう虎助さん」

 こちらも勝手に話を切り上げて、少年の手を牽く。だがその直後の紅染の言葉に、白縫はぴたりと足を止めた。

「逃げるのか? 《水島》の名を持つ者が」

 ぴく、と白縫の片眉が僅かに跳ねる。

「……苗字は勲章じゃないです。仮にそうだとしても、あなたみたいな人に付き合うことで、格を下げたくありませんから」

「そんなことを言って、本当は負けるのが怖いのだろう、水島の末っ子。そうだ、私は今からお前のことを『末っ子』と呼ぼう。スウェットみたいで機動性がよさそうじゃないか」

 だからなんなんだ。白縫は思った。

「挑発の仕方が幼稚ですね。転入早々の騒ぎは控えた方がいいですよヒモスケさん」

「ヒモスケ?」

「初対面の時からずっと下着の紐が透けてるんですよ。今日もまた赤いですね。中にシャツぐらい着てください」

「これは芹沢に対する愛と情熱の表れだ。恥じることなど何もない」

「そこは女性として恥じるべき部分ですよ」

「話の主題をげ替えるな。決闘は受けるのか」

「受けないと言ってるでしょう。くだらない」

 口調だけじゃなく人の話を聞かないところまで、どこぞの誰かと似なくていい。

「何故そこまで頑なに闘いを拒む? まさか、召喚術が使えないわけでもないだろうに」

 ぎくっ。

 つい、肩が跳ねた。けど、大丈夫。バレるほどでは、

「ん、どうした白縫。肩が跳ねたぞ」

 ……このばかちんめ。

 最後まで黙っていればいいのにと、白縫は蛇眼だがんで虎助を睨み据えた。

「ほう……」

 嫌な感じに、ヒモスケが口元を歪める。

「まさか、図星じゃないだろうな?」

 まずい。

 白縫は内心慌てつつ、表向きは努めて冷静に対応する。

「あり得ないことを言わないでください。召喚術が使えるから、わたしは今この学園に居るんですよ」

「中学卒業程度の学力と、召喚術師を目指す熱意があれば入学できると聞いた。それにお前は水島の人間だ。コネが無いとも限らん」

「さっきも言いましたよね。私の苗字は勲章でもなければ、会員証でもありません。ただ、少しばかり有名なだけです」

「そうか。もし本当に術が使えないのだとしたら、じゃあお前はそのくせに、芹沢へ偉そうに『鍛練』を行っていたのか?」

 心は「うぐっ」と思い、しかし発言は「何を馬鹿な」と反発。

「使えないわけがないじゃないですか。わたしは水島の子ですよ」

「あれほど言っておいて、ここで苗字を持ち出すあたりが余計に疑わしいな。あれだけ苗字は云々と言ってたのに」

「……」

 懐疑的な口ぶりと視線に、ぐっ、と声が咽喉に落ち込む白縫。

 どうしたものかと悩むものの、このが延びればそれだけ怪しくなる。

「……いいでしょう。決闘ぐらい、受けて立ちますよ」

 何言ってんの!

 心の中で、白縫は自分に怒鳴っていた。

「よし。そうと決まれば人も集めておこう。あの水島が敗北するところを、ひとめ見たい者も居るだろうしな」

「好きにすれば、いいんじゃないですか」

 引き下がれない状況に、したくもない挑発を返す白縫。もはや一言一句が墓穴を掘る。そうと自覚しつつも、もう戻れない。

「ああそうだ。敗者に課す罰も考えておけよ。恋路の邪魔をした反省を、させる為にな」

 白縫は何も言わず、静かに蛇の目で睨む。ただ、こちらが圧倒的に劣勢だとわかっているので、その眼にはいまいち、普段の迫力が乗っていなかった。

「楽しみにしているぞ。水島の末っ子」

「あなたも大勢の前で恥をかかないよう、色ぐらい変えてくることですね、ヒモスケさん」

 口では毅然と達者に言葉を返すものの、蛇目へびめの瞳孔は微かに震え、目玉の奥では狼狽と後悔と動揺がぐちゃぐちゃに混ざり合い、とにかくやっべーこりゃやっべーと、心の臓を痛めていた。

 言うだけ言った紅染は、そのさっさと立ち去ってしまう。

 その背を追う、白縫の視線。それは、ここで呼び止めなければ後々絶対後悔するとわかっているのに。でもそうすると相手が調子に乗るし、嘘がばれるかもだし、かっこわるいし、悔しいし、だけど……という、迷いの塊だった。

 その間に紅染の姿は消えてしまう。それと同時に、最悪とわかりきった未来が確定した。

 頭痛がする。耳鳴りもひどい。過度の緊張と懸念に、急激な尿意も覚える。

「……受けてよかったのか?」

 虎助の言葉が指すのは、当然、決闘についてだ。

「……」

 白縫は口を閉ざしたまま、どうしよう、と胸中で呟き続ける。

 召喚術を使えない自分が勝てるわけない。文字通り、勝負にならない。

「……虎助さん」

「なんだ?」

 白縫は、ある可能性を信じて、尋ねた。

「紅染さんの、召喚術の腕前はどんなものでしたか?」

「腕前か」

「ええ。同じクラスでしょう」

 実技の授業は毎日ある。だから彼なら、紅染豊色の力を目前にしている筈だ。

 自分の目の前で、虎助という人間るいが、紅染ともを呼んだ。

 めんどくさくて、友達がいなくて、落ちこぼれ。そんな虎助が引き寄せた人物であるなら、もしかすると。

「紅染の腕か。まあ転送から召喚まで、難なくこなしていたな」

 あ。もう駄目だ。

『紅染も落ちこぼれ』という可能性は、もはや潰えてしまった。

「確か杖は、戦斧ハルバードとかいう、やけにでかい……どうした白縫。見ない間に、目が生焼けの魚に似てきたな」

 虎助の声は、白縫の耳を左から右へと素通りする。

 少女の心は、折れていた。

 もう、なるようになれ。

 なるべくして成った結果だ。因果応報に、殉じよう。

「あはははは」

「白縫?」と怪訝な面持ちで居る虎助のことなど忘れて、虚空に空っぽの笑いを漏らす。

 彼女に出来ることと言えば、わずかに残された期間での鍛練と。

 せめて……この決闘はなしが、拡散しないことを願うばかりだった。



 来る三日後、金曜日。

 話の拡散は仕方ないにしても、せめて土日を挟んで、月曜日にしてもらいたかった。

 なんてことを考えながら、白縫は今、裏庭に突っ立っている。

 召喚術師の決闘は、杖を用いた剣戟、ほぼ肉弾戦で繰り広げられる。

 相手を追い詰め降参させるか、決闘を続行不能にすれば勝者となり、敗者は素直に生徒証明書を差し出さなければならない。

 純粋に、自身の成長を望む者。己の力量を試す者。感心・意欲・態度の内申点を稼ぐ為に、ひたすら周囲に挑みかかる者。

 決闘を行う生徒たちの理由は、各々それぞれ色々あるが、今回のような私怨から始まる決闘も、決して珍しくはない。

 そしてその場合、生徒証明書以外にも、敗者にが課せられることがあった。

「まあ、それに関しては追々だ」

 一〇メートル向こうに立つ紅染が、足場を慣らしながら言う。

「お前に勝てば芹沢を貰えて、かつ、あの水島の生徒証明書を手に出来る。うまみのある決闘じゃないか」

 涼しげな顔で笑う紅染に、対する白縫は、疲労と呆れの溜め息をひとつ漏らす。

「報酬だけを考えれば、そうでしょうね。でも、少しは負けた時のことを考えたらどうですか」

 いつもの刀を胸に抱き、落ち着いた口調で返すものの……胸中では、小学生の頃の陸上競技会以上の緊張が、大層な撞木しゅもくとなって、白縫の心臓を派手に打ち鳴らしていた。

 こめかみの辺りが血の濁流に脈打ち、一定のリズムで脳味噌を叩く。

 胃が極限まで縮こまり、吐き気と、腹痛も併発する。

 口内や咽喉のみならず、眼球も乾いてきた。きっと恐らく、その水分は膀胱に溜まっていることだろう。それはいずれ強い尿意となって、更に白縫を苦しめる糧となる。

 体調も悪いが、何よりこの場の環境・・が、非常にまずい状況だった。

 ただ紅染に負けただけなら、まだ良かった。一対一で敗北しただけであれば、まあまあ不幸中の幸いだ。ここに居るのが紅染一人なら。まだ嘘は突き通せる。誤魔化しようは、いくらでもある。

 というか、召喚術が使えないという真実が露呈しなければいいのだから、別に決闘の勝敗など、白縫にとってはどうでもいいことだった。

 紅染が宣伝したのかどうかは知らないし、もしかすると、三日前の話に聞き耳を立てていた生徒が居て、そこから広まったのかもしれない。

 この場において、白縫が真に恐れる相手とは、目の前の紅染ではない。

 ベランダから裏庭を見下ろす、多くの観客ギャラリーだ。

「ふむ、思ったより少ないな。多く見積もっても、二〇人程度か」

 紅染が観客席ベランダを見上げて、少し期待が外れたように言う。

「天才水島と、転入生の決闘……気にならない筈もないだろうに」

「あのですね。何度も言いますが、あなたは他人の都合を考えてなさすぎです。放課後は普通、部活動というものがあるんですよ。特にうちの学校は、所属率が高いですからね」

「そうなのか。まあ、いい。今居る観客が、結果を広めてくれるだろう」

「……なんでそこまで、わたしの負けにこだわるんですか」

「恋敵は潰す。それだけのこと」

「だからわたしは虎助さんのことなんか」

「お喋りはおしまいだ。始めるぞ」

「ほんとにあなたは人の話を――」

 その瞬間とき、咄嗟に身を反らせたのは奇跡だった。

 ゴウっ。

 瞬前まで白縫の顔があった場所を、拳が通り過ぎる。

「――へ」

 咽喉に詰まった空気が、間抜けな声となって漏れる。

やはり・・・躱したか。だが」

 瞬時の接近から強襲を仕掛けてきた紅染の、過剰評価な呟きが聞こえた。次いで。

「二度とはけさせん」

 確信に満ちた宣言と共に、くうを穿った紅染の右拳を、あお雷花らいかが走る。

「――!」

 迸った光に驚いたのも事実だが、決闘のルールを破り、なんの合図も、術の詠唱もなしに突然かかってくるとは思っていなかった。

「ちょと、ヒモスケさ……!」

 まずお互いの準備が整ってからでしょう! という、どこか言い訳じみた批難、忠告をしてやろうと思うものの。

「《転送スタンバイ》」

 小声でありながら、まさに『命令』とも言うべき、強かな詠唱が紅染の口から紡がれる。

 白縫が頭を働かせるよりも早く、陣の雛形が現れ。

「《執筆シグネイト》」

 距離を取ろうと考えたときには、既に呪文スペルは記されており。

「ッ……!!」

 白縫の身体が逃げよう、距離をとろう、と動き出したその時点で、敵の詠唱は終わっていた。

「《召喚コール》」

 白縫の視界が、白く染まる。

 ぎゅっと目蓋を閉じ、腕で目を庇った直後に。

 白縫はまるで、丸太で殴られたかのような衝撃を、その華奢な身に受けた。

 同時に、身体が一瞬、痙攣する。

 電気――!?

 胴を横殴りにされた気のした白縫は、疑問を抱えたまま二回転ほど地面を転がったのち、打たれた脇腹を押さえながら、顔を上げ、敵を視界に収めた。

 少しだけぼやけた視線の先には……蒼白い光芒こうぼうを右手に、凛とした態度で仁王立ちする、紅染豊色の姿があった。

「どうした、早く立て」

 彼女の手に携えられた光の正体は、ほのかに雷光を纏う、長柄の戦斧ハルバードだった。

 どうやら先程の一発は、彼女のが召喚された際の衝撃か、もしくはそれで既に一発もらった際のものらしい。

 最前の状況を把握した白縫は、節々の痛みに顔をしかめつつ、起き上がった。

 そこに、紅染の声が降りかかる。

「私が前に居た学校は、海外・・にあってな。ここよりも召喚術教育の最先端を行く場所にあり、主に《研究対象》となる生徒が通う場所だった」

 海外? 研究対象?

 なんだか嫌な響きの感じられる単語だった。

「私がそこに留学していたのは、この『体質』があったからでな」

 言う紅染の手を、青白い雷荷らいかが走る。それは少女の手から戦斧へとうつり、刃をほんのりと発光させた。

「魔力の励起と共に発せられる雷。これは、古代の召喚術師の力と近しいらしく、自然の力を借りて発生しているのだそうだ」

 そんな話、白縫は初耳だった。

 姉からも聞いたことが無いということは、まだ海を渡ってきていない、本当に最先端の情報なのだろう。

「私は天才ではない。だから、まだ扱いきれていない。が、お前相手なら、加減が出来なくとも、一向に構わん。むしろ、暴走してもいいぐらいだ」

 びジッ、と紅染の手の甲を、蒼い光が走る。

 見たことのない、未知の力。

 紅染に宿る白光よりも明らかな敗北を、白縫は放心したまま悟った。だが。

「……それはそれは。良い体質にうまれましたね」

 泥をはたきながら、白縫は上辺だけの余裕を取り繕う。

「扱えていないにしても、えらく乱暴な召喚ですね」

「ふん。召喚術に雑も上品もない。どれだけ素早く迅速に起動できるかが鍵だろう」

「先手を打てるという優位性に関しては否定しませんけど、決闘の決まりを破るのはどうかと思いますよ」

「つねに杖を携行しているお前が何を言う。私は油断できない相手・・・・・・・・に対して、勝つ為の策を講じたに過ぎない」

 ほう。

 紅染の言い分を聞いた白縫は、向こうもなんだかんだで、水島の名を警戒しているらしいことを察した。

 でもそれはつまり、敵は一切の遠慮なしにぶつかってくるという意味でもある。

 敵が慎重になっている点を突いた打開策が浮かべば、万に一つ勝てるかもしれない。が、その策が発案されるまでにやられてしまう予想の方が、考えるに易い。

 とにかく、時間が必要だった。どうにかして策を張り、一瞬の隙を突いて一本取る。

 その策とやらが思いつくかどうかも不確かだが、白縫には、そうするしかなかった。

「……」

 白縫は無言で鯉口を切り、刀の切っ先を相手に向ける。

 鞘は置かない。もしかすると、何かに使えるかもしれないから。

「……本当に、貴様の杖はそれだけ・・・・なのか?」

「えっ? あなたのみたく、光ってほしいんですか? ぴかぴかーって? ハッ、子供のおもちゃじゃないんですから」

 肩を竦ませ、眉を互い違いにして挑発する。これで多少は心を乱してくれないだろうか。

「いいですか。召喚術がすべて、目に映るものばかりだと思わないことです」

 用意していた言葉に多少の修飾を施して、白縫は返してやる。すると紅染が口の片端を吊り上げて笑った。

「なるほどな。それは楽しみだ」

 紅染の右手が電気を放つと、電流が蜥蜴トカゲのように戦斧を駆け、刃に灯る。

「行くぞ、水島の末っ子」

「……」

 何も言わず、白縫はぐっと腰を落とした。

 避ける。避けて、時間を稼ぐ。体力を消耗させる。回避に関してなら、これまでの決闘で培われてきたものがある。

 元々が華奢な白縫は、昔から小回りの効いた動きが取れるのが強みで、運動神経もそこそこあった。小学校、中学校の体力テストでも、割りと良い成績を残してきた。

 特に、相手は大斧の使い手だ。一撃の威力と攻撃範囲はあっても、隙は大きいだろうし、持ち主は女の子だ。さほど素早い動きは出来ないはず。

 ――敵が動いた。

「!」

 瞬時に身体が命じるまま、頭上から迫る斧の道筋から退避する。

 完全に潰す気で振り下ろされた戦斧は、思い切り地面を破砕し、そこから更に広い範囲を、雷花が蹂躙した。

 ――はやっ!

 足元を追ってミミズのようにのたうつ付加電撃から逃れつつ、白縫は考えを改めた。

 殺す気ですかっ……!

 ――学校の敷地全域には、杖による負傷、致死といった危険を回避する為に、変換器セイフティと呼ばれる術式が組み込まれている。

 全てのダメージを単なる『衝撃』に変換するそれは、刀剣類の危険を取り去る、非常に重要な対処策であった。

 校則でも『必要以上の攻撃は禁止』とされている為、決闘での重傷者が出ることは、まず滅多に無い。

 つまり、少なからずという程度には、怪我人が出る場合も時たま存在するということだ。

 いくら衝撃に変換されるといっても、受けた攻撃が強力である程、衝撃は増す。

 杖にリミッターはかけられても、生徒個人の身体能力までは抑制されない。いくら科学技術が発達していても、人体に干渉するまでには至っていない、ということだ。

「ふんッ」

 地面を砕いた戦斧の肉厚な刃が向きを変え、逃した獲物を屠らんと下段から白縫へ迫る。

 ゴルフスイングの要領で切り上げられる斧を、白縫は咄嗟ではなく自分の意思で身を反らし、ぎりぎりで回避した。

 斧が空気を砕き、ぶぅん、と、鈍く唸る。

 予想以上に動作が速い。だがやはり、攻撃の振りは大きい。

 鉄臭い威嚇の音を間近に感じながらも、白縫は冷静に努める。とにかく攻撃を躱し、機を待つしかない。勝負の内容など、勝敗と同じくらいどうでもいいのだ。

(だから、次っ!)

 先の切り上げがくうを切ったとわかるや、その勢いを使って、振り子のように紅染が踏み込んでくる。

 空振った斧はもはや槍が如く腰に構えられている。鋭利な眼光をきながら迅速に動く紅染の様子は、人間というよりも、獣だった。

「逃げるな」

 紅染が無茶な指示を要求し、戦斧の先端から伸びる槍先で、鋭い突きを放ってくる。

 白縫はその攻撃を避けようと、備えていた。備えていたのだが。

 無理でしょ――

 予想と反射神経を容易く上回っていたその一撃は、少女に回避行動を行う間を与えてはくれなかった。

 空気を穿つその瞬速の刺突。それは一瞬で、白縫の胸へ突き立った。

 瞬時にセイフティが働き、身を貫く斬撃が、衝撃へと置換される。が、それでも。

「コほッ……!」

 胸骨に叩き込まれた一撃が、咽喉をさかのぼって口から漏れる。

 ブレの無い突き筋。紅染自身の筋力。更に攻撃部位が槍の先端という、衝突面積の狭さ。

 それが、脂肪の少ない胸の中央への精確に突き込まれたのだ。

 白縫は胸を突き破られる衝撃と共に、後方へ突き飛ばされた。

 束の間の浮遊感を味わった直後、砂利が背を削り出す。

 次に備えて素早く身を起こすも、心臓辺りに残る窮屈な圧迫感に膝がつき、白縫は身を折って地面に伏した。

「ご、ほっ……ぇ!」

 舌を突き出し嗚咽を漏らし、身を丸めて空気ばかりを吐き出す。

 芯を見事に捉えてきた一撃。胸部に響く鈍痛は、吐いても吐いても無くならない。

 蛇の目を驚愕に見開き、体勢を立て直すことも出来ず、白縫は咳き込みながら、地面を見つめることしかできなかった。

 これまで戦ってきた生徒たちとは、まったく比べものにならない。これだけ強いのに、紅染なんて苗字、姉からだって聞いたことが一度も無い。

 激しい呼吸で必死に新たな酸素を取り入れながら、白縫は自分の弱さと、世界の広さに対して絶望していた。

 これほどの力を持っていても、彼女は無名なのか。これでも彼女は、《天才》には及ばない、ただの召喚術師見習い・・・だというのか。

「……終わりか? 呆気ないな、水島のスウェッ子」

 新たな呼び名をつけてくる紅染。

「……!」

 プライドが白縫に顔を上げさせたが、本当はもう、戦いたくなかった。ここで降参しても、いいんじゃないかと思った。

 だが。

 わずかに周囲へ目をやると――そこには数々の視線がある。《水島》を見る目だ。

 あれ? え?

 そんな声が聞こえてきそうなほど、一様に同じ目をしていた。

 恐怖が背を這い上がる。

 嘘が露呈する。勝たないと、完全に敗北する。

「……ッ!」

 |戦う(立つ)しかなかった。

 本能ともいえる心身の根幹が、薄っぺらい、身から出た錆でしかない嘘の為に、満身創痍の自分を起き上がらせる。

 苦しい。痛い。つらい。もう、いやだ。

「こほッ」

 小さな咳。たったそれだけの身動みじろぎひとつひとつに、胸骨が軋む。

 泥だらけの袖で口の端の唾液を拭って、しっかと足で地面を踏みしめて。

 白縫は、刀を構える。

 視界が霞む。もう、蛇の眼は機能していない。

「……ふむ」

 紅染が顎に手をやった。

「お前が常人であるなら『大したものだ』と言うところだが……水島であるなら、『その程度か』というレベルだな」

 必死に戦闘続行の姿勢を見せた白縫に、ただ失望だけを浴びせる紅染。

 だがそんな罵倒は、もはや震える脚を支えることに精一杯な白縫の耳には、一切、届いていなかった。

 もう、回避することすら諦めかけている。

 避けようとは思っている。けれど頭が、相手の動きを読もうとしてくれない。肉眼で敵の動きを捉え、ぎりぎりで躱すしかない。でもそんなの無理だ。そもそも脚が動かない。

 頭を使っても、目で捉えても、結局、肋骨が痛い。

 緊張と恐怖に呼吸は荒くなり、閉じることを忘れた口から、また唾液が垂れていく。

 凡人であるなら、大したもの。

 天才であるなら、その程度か。

 今更紅染の言葉が聞こえてきて、白縫は、自分の守り続けてきたものが今、自分の身を滅ぼさんとしていることを今頃になって理解した。

 紅染は手加減しない。何故なら、自分が《水島白縫てんさい》だから。

 くふふっ。

 一瞬、白縫から正気がトんだ。途端、刀の柄を握る少女の手から、力が抜けた。

「芹沢は、渡さん」

 紅染が重厚な戦斧に電荷を迸らせて、大きく腰を捻り、薙ぎ払いの構えをとる。

 それに対して白縫は、もはや喪失寸前の意識の片隅で。

 だからわたしは別に、虎助さんのことなんか。

 なんていう指摘を、のんびりと考えていた。

 風が唸る。

 青白い稲妻が残光を曳きながら、重厚な刃と共に瞬速で迫る。

「あ――」

 意識を取り戻した白縫の身体が、迫る横薙ぎの刃に対し、咄嗟に手離しかけていた刀を握り直して、刀身での防御を試みた。

 しかし握力のない、柄も握りきれていない未熟な防御姿勢など、意味を成さない。

 ぱきっ。

 氷柱つららを折ったような音が、まず聞こえた。

 間もなく、直撃。

 その威力は、まるで、巨大な木槌ハンマー

 左半身すべてを殴り潰される、凄まじい崩撃ほうげき

 静止したボールは、唸るバットに対してどんな抵抗が出来るだろうか。

 何も出来ないまま、振り切られるしかない。

 跳んだ。飛ばされた。薙ぎ払われた。

「――」

 受身など取れるはずも無く。白縫は裏庭を囲う外壁へ叩きつけられた。硬い壁がしっかり受け止めてくれる、なんてこともない。

 むしろ壁は、ぶつかられた衝撃を倍にして跳ね返した。その為、白縫は腹から臓器が飛び出すのではと思うほどの追撃を受けると、前のめりに倒れ込んでしまった。

「ごほッ……」

 なんとか手をついて、四つん這いの姿勢に起き上がる。

「ごほッ……げほっ……!」

 体内で暴れるダメージが、内臓を傷つけまいと、せきとなって口から漏れる。が、今の白縫では、それだけで全ての衝撃を放出することは出来ずに。

「――ぁ」

 びちゃびちゃびちゃっ。

 酸味の利いた、粘っこい余計な物まで、咽喉から溢れてしまった。

 被弾と壁の衝突によって混濁しているものの、白縫の意識はまだ、そこに迫った危機を知れる程度の強靭さを発揮していたらしい。

 はっとして、ゆっくりと面を上げる白縫。

 そのふやけた視界に、紅染らしき姿が映った。

 それが意味する焦りと絶望が、白縫の身体を一瞬で支配する。

 血が心臓に吸いとられ、思考回路が寸断される。

 視線の先には、両手を振り上げた紅染。その手には、あの戦斧。

 今まさに自分へ振り下ろされんとする斧の軌跡を先読みしてしまい、白縫は完璧に、身動きが取れなくなった。

 しぬ。

 気付けば斧は、そこにあった。

 気を裂き地を割る戦斧は、白縫の顔前がんぜんを通り過ぎ。

 ――ズドンッ!!

 白縫のスカートを斬り潰して、少女の両脚の間に、刃を埋めていた。

「…………ぁ」

 驚愕に愕然とし、声ならぬ声が白縫の咽喉から漏れる。

 ぱく、ぱく、と微かに口が動き、光の無い瞳が宙に視線を漂わせている。

 直に触れていないのに、内腿うちももには、酷く冷たく、ひやりとした戦斧の無機質な感触があった。

 恐怖の出所でどころであるそれが、自分をの命を見逃してくれたことにいまさら気付き。すると今度は恐怖に代わって、今度は安心というものが白縫を満たしていく。

 生暖かい安堵は、まるで氷を解かすように、少女の強張った心身を弛緩させる。

 気持ちのいい温もりは留まることなくちょろちょろと溢れ出し、白縫の下半身を徐々に、じっとりと濡らしていった。

 下着とスカートに滲みた白縫の安堵は、未だ止まることなく、怖かった分だけ、次々と漏れ出ていく。

 がこっ。

 不意に、戦斧が持ち上がった。

 白縫によって湿った泥を零して、刃は主の肩に担がれる。

「……おい」

 呼びかけに、くうを見つめる白縫は無反応。抜け殻のように、座り込んだままだ。

 その態度が気に食わなかったのか、単に意識を呼び戻そうとしたのか。

「起きろ」

 紅染が、ぱんっ、と白縫の頬を、適度な平手で打ち据えた。

「……あ」

 ようやく光と焦点を取り戻した白縫が、寝起きのような声を漏らす。

 復帰した彼女の目の前には、紅染豊色。

「うあっ!?」

 白縫の身体はびくりと痙攣し、必死に後退しようとする。

 だが後ろは壁。また白縫は最前と同じ絶望を味わい、泡を食って逃げ出すその姿を、敵の前で無様に晒してしまう。

「……これが、《天才》だと?」

 心底から疑念を抱いたらしい紅染の言葉に、白縫の身体がびくりと跳ねる。

「おい末っ子」

 呼ばれ、恐る恐る視線を合わせる。

 そこには既に、蛇の片鱗すらなかった。

「お前、本当に召喚術師か?」

 核心を突かれ、反射的に否定しようとする白縫。だが。

「…………」

 衰弱しきった状態では、頭が働かず、本来の良心が嘘を咎める。返事をしようとすればするほど、挙動不審になっていく。

 そしてそれは、紅染の抱いた疑問を、意図無く肯定する形となる。

「……とんだ《天才》が居たものだ」

 紅染の語気が、どっぷりと沈んだ。

「魔力の流れも何も感じないとは思っていたが、まさか、本当に何も使えなかったとはな」

 言って、紅染が立ち上がった。

「来い」

「ぁっ……」

 襟首を掴まれ、白縫は強制的に立たされる。

 引き摺られるように暫く移動させられると、そこは裏庭の中央。校舎に居るギャラリーたちから、よく見える場所だった。

 おもむろに、紅染が声を張り上げる。

「この中に、水島白縫と決闘し負けた者、もしくは彼女を目標としていた者は居るか」

 通りやすいその冷涼な声は、二階三階に居る観衆たちへしっかり届いたらしく、数名の者が戸惑い気味に、それらしい反応を示した。

「すまないが、正面になる位置まで移動して欲しい」

 その言葉の意味は、見物客の誰も、無論、白縫にだってわからなかった。

 何、なんなの。と。白縫はただ、紅染の動向を窺う。

 やがて先程の生徒たちが移動を終えると、紅染が白縫を振り返った。

「お前、謝れ」

「は…………は?」

 この上更に困惑する白縫は、自分の襟が解放されていたことにようやく気が付いた。

「お前が今まで騙してきた彼らに、謝罪しろと言っている」

「しゃざい……?」

「言わないなら、私が代わってやろう」

「え、えっ」

 言葉の意味が飲み込めない白縫は無視され、紅染が校舎の方を向く。

「あー、見ていたなら気付いた者も居るだろうが、ここに居る水島白縫は、天才などではない。召喚術の初歩、《転送》すら行えない、ただの」

「あ、ち、ちょっと! ちがっ」

 白縫は慌てて紅染の腕にしがみつき引き止めようとするも、再び襟首を掴まれてしまう。

 そしてそのまま前のめりに牽引され、白縫は顔から地面へ倒れこんだ。

「なん」

 起き上がろうとして、後頭部を押さえつけられた。

「あぎ、ぃッ……!」

 額に砂利が食い込む痛みに身を起こそうと両手をつくと。

「動くなッ!!」

 至近距離で、紅染の凄まじい大音声が轟いた。

 びくりと跳ねて怯んだ白縫の身体は、心身ともに、紅染へ完全に屈服してしまっていた。

「その格好のまま、動くなよ」

 その、格好。

 額を地面につけ、両手が頭の横にある今の白縫のその格好は、まるで。いや、まさに。

 土下座。

「!!」

 それに気付いた白縫はまた抵抗しようとするも、ぐっと後頭部を押さえつけられて、動きを止めた。

「自業自得だ、末っ子。これ以上抵抗するなら、貴様の下半身の状態・・・・・・を、晒してやってもいいんだぞ」

 言われて白縫は、自分の下半身の状況を、今はっきりと自覚した。

 冷たいびしょ濡れの下着。乾き始めた皮膚が突っ張る、内腿。

「本当に……たいした天才だ」

 かあああっ、と急激に体温が上昇する。

 顔を伏せたくなる羞恥。今だけ、土下座の体勢は丁度良かった。

 だが、情けない姿に変わりはない。

 自分で濡らした衣服を身につけたまま、裏庭の中央で土下座をさせられている。

 先生が来れば、紅染が引っ立てられること間違いなしなのだが……今の無様な白縫には、多少の運すらも寄り付かなかった。

「さあ、謝罪しろ。自分は天才なんかじゃない。召喚術の使えない落ちこぼれだとな」

「な……んで」

「ん?」

「なんで……こんなこと……」

 涙声になるのを堪えて、白縫は尋ねた。

「なんでというのはおかしな質問だな末っ子。言ったはずだ。負けたものには罰ゲームを考えておけと」

 そういえばと、白縫は思い出す。

「これが、お前への罰だ。水島の名で多くの人間を騙していたお前には、丁度いい」

 否定はできなかった。

「という理由は、たった今考えたのだが」

「……へ?」

「本当は、ここでお前に、暫く登校できないぐらいの恥をかかせてやろうと思ってな」

「そ、それこそ、なんでですか!」

 土下座姿勢のまま、白縫は非難の声を上げる。

「何故か? 決まっている。芹沢から距離を取ってもらう為だ」

 紅染の発言の直後、白縫はお尻が涼しくなるのを感じた。

「……何、してるんですか?」

「尻を叩いてやろうと思ってな。なに、汚れることなど気にしない」

「わたしが気にしますやめてください!」

「罰ゲームだ末っ子。天才の実態と敗北の痴態を晒して、登校拒否になるがいい」

 スカートの持ち上がった尻、下着の襟に紅染の手がかかる。

「ちょ、ちょっと、いくらなんでもそれは……!」

「なに、よいではないか、よいではないか」

 はっはっはと笑いながらも脱がそうとする紅染。

 パンツの横を掴んで抵抗する白縫。

 泣きそうになる。涙はとっくに流れている。

 こうなったのは自分が悪い。

 わかってはいるけど、こんなのは違う。こんなの、こんなの……!

(……もう、やだ……!)

「何をしてる、紅染」

 突然、それまでは無かった声が参加した。

 怒っているようにも聞こえるが、怒気は感じられない。そこにある光景に対して、冷静に意見を投じただけの、平淡な発言だ。

 姿を見ずとも、白縫はそれが誰なのかわかった。

「芹沢」

 紅染が呟き、虎助の声が続ける。

「勝敗が決したなら、もういいだろう。過度の追い討ちは禁止されている筈だ」

 決闘のルールを、普段よりも堅い口調で告げる虎助。対し、紅染はこう返す。

「しかし芹沢。これは水島も了承した、罰ゲームありの私闘なのだ」

「今の時点で充分に罰だろう。違うか」

 虎助の言葉に、紅染の声がしなくなる。

 ずっと土下座の姿勢を強いられたまま、声で状況を予想するしかできない中。

 白縫の後頭部を押さえていた力が、無くなった。

「……」

 慎重に顔をあげる白縫。

「水島」

 一度は消えた紅染に声が振ってきて、びくりと肩を震わせる。

「約束だ。芹沢の優先権を、私に譲ってもらうぞ」

 白縫は頷きもしなければ、首を振りもしない。だが、紅染にはそれで充分だったらしく。

「では芹沢、明日からよろしく頼む」

「俺の意思は尊重されないのか」

「いや、私に至らないところがあれば是非言ってくれ。努力する」

「じゃあ言うぞ。俺の意思を尊重」

「ではまた明日」

「おい話を」

 虎助の呼びかけにも振り返らず、紅染が浮かれた足取りで消えていく。

「なんなんだ、あいつは……」

 ぼそりと零したのち、虎助が校舎を見上げる。

 するとギャラリーが気まずそうにぞろぞろと動き出し。

 最前までの騒ぎはなんだったのかと思うほど呆気なく、裏庭には普段の静けさが戻った。

 嵐は、去った。

「…………」

 白縫は、急に訪れた静寂と、未だ残る喧噪の余韻に戸惑い、ただ呆然と、地べたに座り込んでいた。

 特に意識していたわけではないが、彼女の視線の先には虎助少年が立っており……。

 彼は、静かに口を開いた。

「すまん、日直の仕事が長引いた」

 謝罪味しゃざいみに乏しい口調は、普段通りの、彼のものだった。

 白縫は思う。

 もう、紅染は居ない。観客も居ない。ここに居るのは、自分と、彼だけ。

 助かった。全部終わった。

 ……全部が。

 全てが、終わったのだった。

「……で」

 白縫が、震える唇を開いた。

「なんで、来てくれなかったんですかッ!!!!!」

「!?」

 突然の怒声に、さすがに少年の目も丸くなる。

「どうしてもっと早く来てくれなかったんですっ!! 酷い目に遭ったんですから! たくさんの人の前で負けて! たくさんの人の前で醜態を晒して! たくさんの人の前で土下座させられたんですよ!? しかもあの人のっ、ヒモスケさんのっ、命令どおりに!! 全部っ!!」

 拳を握り締めて、白縫は怒鳴り続けた。

「虎助さんがもっと早くここに来てくれてたらっ! わたしがこんな目に遭うこともなかったんですっ!! それをあなたはっ!! わかってるんですかッ!!?」

 熱を帯びる目頭。詰まってくる鼻。震えだす唇。

「あなたが『やめろ』と一言あの人に言ってくれれば、こんなことに……ならずにっ、済んだんですっ……!」

 視界が水でふやけて、温かいものが頬を伝った。

 鼻をすすり、痙攣する唇を噛み締めて、まだ、白縫は続ける。

「あなたが……! あなたがっ……きてっ……くれない、からっ……!」

 遂に句を継げなくなり、白縫は俯き、しゃくりあげながら、奥歯を噛み締めて、泣いた。

 決闘に負けたからじゃない。

 辱めを受けたからでもない。

 全ての責任を、勝手に少年へ押し付ける自分。それすらもやはり少年へぶつけてしまっている自分。

 自業自得なのに、自分で撒いた種なのに。

 なんで、自分はこうなんだろう。

 どうして、怒鳴っているのだろう。

 どんな理由から、彼に罵声を浴びせているのだろう。

 そんな権利など、自分にはないのに。

 全ての責任は、自分にあるのに。

「なんで……なんで……!」

 土を引っ掻いて拳を握り、ことの全責任を押し付けるが如く虎助を怒鳴りつけた、身勝手過ぎる、自分という愚か者に歯を軋ませた。

 下唇に歯を立てて泣く白縫。そんな彼女へ、少年の声がかけられる。

「……白縫」

 静かな声に、白縫はびくりと肩を跳ねさせた。何を言われるのだろうと、怯えていた。

 ことの始終を把握している上で、彼は一体、何を言うんだろう。

 呆れ、不信、失望。

 もう、目を見るのも怖かった。だから、こっちがぐしゃぐしゃの顔を伏せている間に、はやく言ってしまってほしかった。

「すまん」

「…………ぇ……」

 思わず、白縫は声だけでなく、顔まで上げてしまった。

 彼は今、謝ったのか?

「こんなことになっているとは、思ってなくてな……」

 その声音は、明らかな後悔の念をはらんでいた。

 なんの後悔?

 わたしを助けられなかったこと? ヒモスケさんを止められなかったこと? 決闘を事前に止められなかったこと?

「確かに、俺の言うことなら紅染も聞き入れたかもしれん。俺がもっと強く言っておけば、こうはならなかった筈だ」

 いつになく、反省の色が濃く、深い。

 ここまで沈んだ彼の声を、白縫は、聞きたくはなかった。

「白縫、すま」

「謝らないでくださいッ!」

 二度目の謝罪に、白縫は再び声を張り上げた。

「何を謝ってるんですか!? 虎助さんはひとつも悪くないんですよ!? なのになんで謝るんですか! よく考えてください! あなたは今、誰を、どんな人間を、目の前にしてると思ってるんですか! 自業自得の責任を押し付けるようなやつに……本当は召喚術のひとつも使えない嘘つきの雑魚に対して! あなたはなんでっ」

 ゴツンっ。

「イタイっ!?」

 脳天へ訪れた硬めの拳骨に、白縫は悲鳴を上げた。

「何するんですかっ!」

「いや、謙遜と自虐の境を見失った友人に、程度というものを教えてやろうと思ってな」

 虎助の目や態度は、普段の彼と、何も変わっていなかった。

「あ……あなたに教わることなんて、何一つありません!」

「いいか白縫」

 こちらの発言を遮る少年の物言いに、白縫はぐっと声を飲んだ。

「決闘に負けたからといって、俺は変わらん」

「……は?」

「嘘のひとつやふたつ、誰にでもある。お前のは少しばかりでかい嘘だったが、俺がお前を遠ざける要因には、決してならない」

「な、なんでですか」

「友達だからだ」

 馬鹿みたいにまっすぐに、その言葉は発せられた。

「嘘をつかない友人など居ない。むしろ、互いの嘘を笑い飛ばせる間柄こそ、本当に友達といえる」

「……それでも」

 ずず、と洟をすすって、白縫は続ける。

「……限度が、ありますよ」

 沈みがちの口調に対し、虎助の声は、常の語気で返ってくる。

「白縫は言ったな。お前と俺との友人関係は、一方的なものだと」

「い、言いましたけど……」

 それを今出されると、白縫の胸中はまた、苦みを増すのだった。

「ならば俺も言っておく。いいか。お前が思っている以上に、俺は白縫のことを、友達だと思っている」

「…………え?」

 彼は何を言っているのだろう。

「一方的でも、お前は俺の友達だ。だから俺は、お前の嘘を笑って済ませる。後で自分にかえってくるような嘘を、よくもついていたものだ」

 直後、虎助の口の端が吊り上がり、歯が覗いた。

 くしゃっ、と顔がつぶれた、どこか歪なその表情は。

「思ってたよりバカなんだな、白縫は」

 笑顔。らしき何か。

 にっ、と口端を上げている少年の表情は、おそらく、笑顔なのだろう。

 口元は笑っていても、目がまったく笑っていない。満面の笑みのように表情はくしゃりと崩れているものの、眉間に皺が寄っているし、頬の筋肉は引き攣っている。

 例えるなら、困り顔のなまはげ・・・・みたいだった。

 どう見ても笑顔とは呼べない。が、それは白縫が初めて見る、そして今までで最も大きな、彼の表情変化だ。

 普段がつち人形みたいな感情の乏しい顔つきをしていることもあって、それは白縫の目に、記憶に、とても印象強く映った。

「ともあれ、決闘は終わった。負けはしたが、友として、よく頑張ったと褒めておこう」

 ぽん、と大きな手が頭の上に乗ってきて、がしゃがしゃと犬を撫でるような手つきで、白縫は頭を撫でられる。

 白縫はしばらくぼーっとしていたが、はっと我に返り、手を払いのけた。

「きっ、気安く触らないでくださいっ」

「はっはっは。すまん、白縫の頭が、ちょうど撫でやすい位置にあったからな」

「だからって撫でていい理由にはなりません! 不愉快です!」

「そうか、すまん」

「そんなにぽんぽん謝らないでください! 謝罪が癖になるのは、よくないですよ!」

「すま」「なんですって?」

 虎助の反応を先読みした白縫は、視線と共に彼の発言を制した。

「……わかった、肝に銘じよう」

「よろしいです」

 ずびび、と洟をすする。

 普段の調子が戻ってきたような気がしたが、そう考えた時点で、嫌な記憶も蘇っていた。

「……これから、どうなるんでしょうね」

「さあな。だが今まで誰にも本当のことを言わず、負け、恥をかいたのはしょうがない。言わなかったお前にも、責任はあるからな。これはしょうがない」

「う……はい」

「しかしだ」

 急に、虎助少年の口調と目が、真剣なものに変わった。

「負けたお前を辱める必要は無かった。敗北し、嘘が周囲に露見するだけで、お前の罪は裁かれた筈だ。恐らく明日からしばらく、お前は罰のような日々を送ることになるだろう」

「あなたは占い師か何かですか」

「聞け。いいか、やり過ぎた・・・・・。しょうがなくないことまでしでかした。必要性などないのに、個人的な都合で、お前を苛めた」

 虎助の眉間に、皺が寄る。

「俺は、そいつが許せない」

 これまで以上に硬く、意思の確固とした発言だった。

「リターンマッチだ、白縫。己の気分で過剰にお前を辱めたあいつを、このまま放っておくわけにはいかん」

「……」

 呆気にとられる白縫をよそに、虎助は続ける。

「友達の友達は仲間。だが友達の敵は、ただの敵だ」

 すっ、と。大きな手が差し出された。

「リベンジする気があるなら、この手を取れ。協力する。なに、遠慮することは無い。俺はお前の友達なのだからな」

 べらべらと勝手に言ってくれる目の前の少年に、白縫は、疑問を抱いていた。

「……どうして、そこまでしてくれるんですか」

「何度も言ってるだろう。お前が友達だからだ」

「友達なら、全員に手を差し伸べるんですか。……例えば、ヒモスケさんでも」

 意地悪な問いかけだったが、答えはわりと、すぐに返ってきた。

「確かに、奴は中学時代のクラスメイトで、今は友達という関係だ。だが、白縫ほど打ち解けてはいない。いくら友達とはいっても、接する時間の長さで、それぞれに友好度の差は出来てしまうものだしな……まあ、紅染のことも、友達だとは思っている。だがそうなると、白縫は俺にとって、もっとずっと、『友達』だ」

「……なんていうか、わかりづらいです」

「ふむ、そうだな」

 少し考えた様子を見せて、虎助少年は再度、口を開いた。

「俺にとって白縫は、《親友》なのではないかと思う」

「……は?」

「確かに出会ってからの時間は短い。紅染と大差ない。しかし確実に俺は、お前の良さに気付き始めている。悪いところも見た。恐らくこの学校内で、一番お前のことを知っているのは、俺だ。そしてお前も、俺のことを知っている」

「いや、だから……」

 結局、何が言いたいんだろう。

 白縫が眉根を寄せ始めたとき、虎助が思わぬ言葉を吐いた。

「言ってしまえば、俺はお前に対して抱いている友情を、『好きだ』と表すことが出来る」

「ふエ」

 思考が停止した。マヌケな音が漏れた。虎助は続けていた。

「『好き』とまで思える友人はかなり希少だと思うのだが、どうだろう」

「しっ、し、ししし知らないです、そんなこと! ああぁああなたはぃいぃ一体何を言ってるんですか!?」

「いや、ここはハッキリしてもらうぞ白縫。俺はお前にそれほどの友情を持って接しているわけだが、お前はどうなんだ。お前は俺を、どう思ってるんだ」

「ドゥドどどどうも何も?! あなた、自分が何を言ってるかわかっ、ひィっ?!」

 虎助が、一歩詰め寄ってきた。白縫は慌てて、二歩退いた。

「白縫。お前は俺の《親友》だ。ならば俺は、お前の、なんなんだ」

 少年の大きな手が伸びてきて、逃げる白縫の頭部は、バレーボールか何かみたいに、がっしりと掴まれてしまった。

 そのまま顔を正面に固定され、強引に面と向かされる。

「どうなんだ白縫! やはりこれも、一方的なものなのか!」

「や、やめてくださっ、はなしてくださいっ!!」

 顔を両サイドから潰されながら、恐怖と緊張で涙目になりながら。白縫は抵抗する。

 しかし、全く歯が立たない。

「言え、白縫! 俺の気持ちゆうじょうを認めてくれるのか! 否か!」

 問う度、虎助の顔が迫ってくる。鼻の先が触れそうになる。

「ち、ちか……ちょと……うぅううッ!」

 白縫は羞恥でいっぱいいっぱい。まつ毛が絡みそうな超☆至近距離まで迫られて、限界の限界を迎えた少女は、意を決して降参した。

「しっ、親友ですッ! 虎助さんはわたしの・・・・親友です!」

「本当か白縫っ! 一方的じゃなく、俺はお前、親友なのかッ!!」

 言い方を誤って親友同士を認めてしまうも、白縫は気付かない。ただ早く、目の前の顔をどかしたかった。

「ほんとですから! だから離して……離してってば!」

「おぉすまん。つい力が入った」

 ぱ、と手が離れた瞬間、「ぷわっ」と妙な音を口から漏らし、白縫はケツをまくって裏庭の隅に退避した。

「へ、変態! スケベ! 痴漢! 莫迦! ヘンタイ! ヘンタイ! ヘンタイ!」

 関係を承認してから僅か数秒ののちに、白縫は親友に対して、レパートリーのない暴言を吐き散らした。

 だが当の虎助は右から左どころかそもそも聞いておらず、瞳を輝かせて拳を握っていた。

「よし、安心しろ白縫。《親友》となった俺は今までとは違うぞ。身をにして協力してやる。打倒、紅染だ。頑張ろう」

「やっぱりめんどくさい人ですあなたは! もう!」


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