米国では、金融危機をきっかけに中央銀行が設立された経緯がある。
そもそも米国では、1913年にFRBが設立されるまで、中央銀行が存在しなかった。東部産業資本と農村地帯の中西部州の対立を背景に、ポピュリストのアンドリュー・ジャクソン大統領が1836年に第2合衆国銀行の更新を拒否して以来、70年以上にわたって中央銀行不在の時代が続いたのだ。
その間にも金融危機は休みなしに起きた。特に1933年の世界大恐慌が起きるまで最大の金融危機と呼ばれたのが「1907年のパニック」と呼ばれた1907年恐慌で、金融機関の取り付け騒ぎが起き、株式市場が4割以上下落した。
では、中央銀行なしにどう対処したのか?この時は金融界の長老だった「モルガン商会」のジョン・P・モルガンがリーダー役を買って出た。自宅書斎(今もマンハッタン に残る「モルガンライブラリー」)に主要金融機関のバンカー達を缶詰にして(鍵までかけた!)緊急基金を作り、破綻のふちにあった信託会社(Trust Company、規制の緩い当時の「ノンバンク」)に貸付をして、危機を切り抜けたのだ。
さすがにこれ以来、危機発生に対処する中央銀行の必要性が強く認識され、FRBの設立につながった。FRBは最初から、金融崩壊の発生を未然に防ぐ使命を帯びて誕生したとも言える。
しかし昔と違って今の金融市場は、レバレッジや自動取引、デリバティブ(金融派生商品)などによって、実体経済よりはるかに大きく複雑になってしまった。「経済の金融化(ファイナンシャリゼーション)」とも言われるが、リーマンショックの渦中に身をおいたベン・バーナンキ元FRB議長は、それを「金融の尻尾が経済の犬を振るようになってしまった」と形容した。
「尻尾(金融)」は、今や「犬(実体経済)」より大きい。
例えば、GDP(国内総生産)を実体経済の指標とすると、
コンピューターによる高速プログラム取引などトレードの増大で、近年の米国株や日本株の年間取引額は、GDPを上回っている(世銀、BIS)。
世界の負債もリーマンショック前のレベルを超えており、途上国の負債(政府・民間)はGDPの約170%、中国では250%を超える(世銀)。
また為替、金利、債券、株式といった幅広い分野で、先物、オプション、スワップなど豊富な種類のデリバティブが取引されている。本来リスク回避に使われるはずのものだが、少ない手元資金で大きな金額を動かせることから、ヘッジよりも投機目的の取引が大きくなり、実体経済との乖離を生む一つの要因になっている。