はじめに
新型コロナウイルスSARS-CoV-2による新型肺炎COVID-19の世界流行で、一躍世間の注目を浴びたのがPCR検査です。WHOのテドロス事務局長が、感染者のあぶり出しに検査がいかに重要なことであるかを、"test, test, test... "と繰り返しながら訴えていたのが印象に残ります。
PCRという言葉は、完全に市民権を得たという印象ですが、いったいどういう検査なのでしょうか。SARS-CoV-2に感染しているかどうかは検査をしないとわからないので、その重要性はもちろんあるわけですが、一方で「検査をしても意味がない」とか、「検査を増やせば医療崩壊を招く」とかの意見が、いまでもテレビやSNSなどを通じて聞こえてきます。
そこでPCR検査の方法とその意義について、ここであらためて簡単にまとめてみたいと思います。
1. PCRとは?
まずはPCRの概要ですが、PCRは"polymerase chain reaction"の略で、邦訳では文字通り「ポリメラーゼ連鎖反応」と言われています。一般には、カタカナ読みの「ピー・シー・アール」という方が馴染みがあると思います。
PCRとは簡単に言えば「DNAポリメラーゼ(DNA合成酵素)の反応を利用した試験管内でのDNAの繰り返し増幅」ということになります。ヒトを含めて生物の体内ではDNAが休むことなく複製されていますが、この複製を担っているのがDNAポリメラーゼです。この複製のメカニズムを利用して、細胞の外(すなわち試験管内)でDNAを大量に増やす技術がPCRです。
PCRに必要な材料・試薬は、(1) 複製の元になるDNA(鋳型、template)、(2) DNAポリメーゼ、(3) 増やしたい領域の両末端にくっつくプライマーと呼ばれる2種類の短い合成DNA(オリゴヌクレオチド)のセット、(4) DNAを構成する4つの塩基(デオキシヌクレオチド)、そして(5)ポリメラーゼの働きに必要なマグネシウムです。
以上の材料・試薬混合液を試験管内(実際にはミクロチューブやマイクロプレート内)に入れ、3段階の反応温度の変化を1サイクルとして、これを30–40サイクル繰り返してDNAを増幅させます。そうすると2のn乗でDNAが増えていき、反応1–2時間で元の100万倍以上の量の標的DNAの産物(amplicon)を得ることができます(トップ絵参照)。
PCRを発明したのが、米国のシータスというベンチャー企業の、K. B. マリス(Mullis)氏です。彼はこの業績で1993年ノーベル化学賞を授与されています。
ちなみに、私が最初にPCR実験を行ったのは1980年代の終わり頃で、この技術で受託分析事業をやろうと、社内ベンチャーを立ち上げた頃でした。ある大学の先生にこのアイデアを持ちかけたときに、まだ「PCRって何?」と言われた時代の話です。
現在では、試薬やPCR機器の進歩があって、操作性は格段によくなっています。生命科学の分野や微生物・ウイルスの同定の研究では、必ず使われると言っていいほどの技術です。臨床検査、食品検査、犯罪捜査など、社会においても幅広く使われています。COVID-19におけるPCR検査というと、あたかも臨床診断のための検査のような印象を受けますが、上記のように従来の汎用的DNA増幅技術を臨床診断に応用しているに過ぎません。
2. COVID-19の検査をめぐる混乱
日本でSARS-CoV-2の感染者が増え始めるとすぐに聞こえてきたのが、「PCR検査を増やして感染者数の把握に努めるべき」という声です。1日の検査能力が6,000件とされているのに、その数分の1しか検査実績がないという状況は、この声を大きく拡大してきました。
海外に比べてなかなか進まない検査の実態(検査能力と検査実績数の間のギャップ)に、国会でもしばしば問題として取り上げられました。加藤厚生労働大臣の「どうしてそうなっているのかわからない」という、初期の頃の答弁が耳に残っています。
社会やメディアからは、「検査数を少なくして、わざと感染者数を少なく見せているのではないか」という疑問が出されました。それに対し「PCR検査を増やせば、治療の必要のない軽症患者までもが大量にあぶり出され、その入院によって、治療の必要な重篤患者が適切な治療を受けられなくなる」という厚生労働省の見解とともに、一般人からも同様な反対意見として多数出てくるようになりました。
その顕著な例として、「100万人分の簡易検査キットを無償提供したい」というソフトバンク・孫正義会長のツイートに批判が殺到し、すぐに撤回に追い込まれたことがあります。
医療崩壊を理由に「PCR検査を広げるべきではない」という意見は、多くの医療専門家の間でも多く見ることができます。その一つが、2月26日に出たPCR検査に関するBuzzWeed Newsの記事 [1] です。
この記事は、ツイッターなどのSNS上でも賛否両論を巻き起こしました。なぜなら、BuzzWeedは割と現政権に批判的な記事を紹介することが多かったのですが、この記事では「無症状あるいは軽症な方にまで検査を拡大すると、重症な患者さんの検査が後回しになる恐れが生じます」という政府・厚生労働省寄りの医療専門家の意見が紹介されていたからです。医療専門家とは、坂本史衣氏(聖路加国際病院 QIセンター感染管理室 マネジャー)のことです。
さらにこの記事では、「無症状の人や軽症の人まで韓国並みに検査するのは、意義が少なくなっているのです。検査が必要な人が誰なのか、状況が違うということです。」というの見解を載せていました。
しかしよく読んで見ると、上記の見解を正当化するために、PCR法の性質そのものの話と臨床検査一般の解釈・運用上の話を、すり替えて述べていることがわかりました。図1にその記事の一部を抜き出したスクショを示します。
図1. 引用記事[1]からの抜粋:感度、特異度、陽性的中率の定義の部分を矢印で示す.
図1に示すように、「検査の精度」という問いに対して「感度」、「特異度」、「陽性的中率」という、臨床検査の性能を決める指標の一般論を持ち出して、あたかもPCR特有の問題のように述べられています。冒頭で「PCR検査を広げるべきでない」という理由づけの伏線が貼られているのです。
これは実におかしいことです。PCRは特定のDNA領域(遺伝子)を増幅・検出するための分子技法であって、元々、臨床用検査技術ではありません。このような分析技術そのものの性能をいう場合の感度や特異度は、まったく意味が異なります。
後述しますが、PCRの感度という場合には、通常「PCRで検出可能な標的の限界値」を言います。すなわち、どのくらい少ない量のウイルス(具体的には標的となるRNA)まで検出できるかということです。ところが記事では「陽性の人を正しく陽性と判定できる確率」と定義しています。
2番目の特異度という場合は、PCRで「どのくらい正確に標的ウイルス(RNA)を検出できるか」という話になります。一方記事では「陰性の人を正しく陰性と判定する確率」となっています。これも上記と同じ論理で、PCR自体に当てはめることができません。
3番目の「陽性的中率」ですが、PCR検査では「陽性の人に対してウイルスが検出できたと判定する確率」であって、この記事で言っている「感度」に相当します。ところが記事では「陽性という判定がどのくらい正しいかの確率」と定義しています。
これを今広く使われているインフルエンザの迅速検査に置き換えて考えてみましょう。この検査では「抗原抗体反応」を利用していますが、適用するのは発症して半日後に行うのが最適だといわれています。この理由は、感染直後は抗体が作られていないので、検査しても陰性となるからです。すなわち、記事が伝えている感度は感染直後では0%になるのです。そして、感染してからの時間経過でこの「感度」は変化していきます。
同じことがPCR検査でも言えます。感染直後の感染者群では、ウイルス量が少なくて陰性と判断され「感度」0%になることが考えられますが、時間経過とともに「感度」は上昇し、やがて感染者すべてが陽性(感度100%)となってはじめて感染者と特定されます。検体のサンプリングをし損なえば、感度0%です。
この記事では既出論文を引用してPCR検査の「感度」を論じていますが、論文の一つにも考察 [2] があるように、用いた検査キット、患者のウイルス量、不適切なサンプリングなどの問題などで、臨床検査上の「感度」はいくらでも変化します。一方で、最適化されたPCRの分子技法上の「感度」は一定であり、かつ高感度です。だからこそ、SARS-CoV-2感染を証明する、唯一の確定診断法として用いられているのです。たとえCTで肺炎とわかっても、PCRでSARS-CoV-2感染を直接証明する必要があるのです。
つまり、COVID-19の唯一の確定診断に使われているPCR(言い換えるとPCRが感度100%の基準になる検査)自体に、感度や特異度という診断特性を当てはめることが無意味なのです。
このように、当該記事における専門家の見解は、紛らわしい定義の言葉を用いながら、つまり臨床検査一般の判定における適用上の話を持ち出しながら、あたかもPCR技術そのものの意義が低いような話にスリ替えている、そして確定診断のPCRそのものを否定している結果になっているところが問題なのです。したがって一般人には、PCR検査の意義や問題について、正しく判断できないような煙に巻くような説明になっています。
そして「偽陰性」や「偽陽性」という言葉も出てきます。PCR検査においては、検体中に感度(検出限界)以下のウイルスしかいなければ検出できません。すなわち、本来なら陽性であるはずなのに、陰性と判定される場合があります。これが偽陰性です。しかし、偽陰性を証明するためには後のPCR検査で陽性と確定しなければいけません。感度70%という固定した話にすると、70%の検査なのに100%にしなければならないという矛盾した話に陥ります。
一方で、PCRでは検体にウイルスがいなければ基本的に増幅シグナルが出ることはないので、偽陽性という確率は限りなく低くなります。あるとすれば、プライマーの設計ミス、操作上のミス、キャリーオーバーによる汚染などのヒューマンエラーがほとんどでしょう。
標的ウイルス以外のRNAを拾う可能性はゼロではありませんが、それは技法の工夫で回避できますし、拾った場合でも、増幅パターンを見ればある程度判断できます。たとえば韓国の場合、3つの異なる標的領域(遺伝子)を同時に検出して、はじめて陽性と判断し、偽陽性が出ることを回避しています。世界的には、精度の高いプローブPCR(TaqMan PCR、後述)で2カ所以上の標的領域を同時に検出することが、SARS-CoV-2検出用の標準のPCR検査となっています。
つまり、PCR検査で偽陰性が出ることはあっても、偽陽性が出ることは限りなく低いということです。この記事ではこのようなPCRの技法上の性質に触れるのではなく、検査を受けた人の中から何人陽性が出るとか、陰性が出るとかの感染の確率と解釈に関する診断特性の話にシフトし、PCR検査自体の問題としてすり替えているのです。
このようにして考えると「PCR検査を広げるべきでない」という見解は、医療現場が受け入れるべき患者数の調整の問題を、PCR検査の問題としてすり替えていることになります。PCR検査の目的は、あくまでも精度の高い技術でウイルスに感染した人を見つけ出すことです。その後の感染者(患者)としての病院の受け入れは別問題であり、指定感染症であっても柔軟に対応できるはずです。
そうしたら今日(3月24日)、「新型コロナウイルス感染の「検査数増=医療崩壊」論に潜むふたつのすり替え」という古賀茂明氏の見解をネット上に見つけました [2]。PCR検査は「トリアージ」とセットで行うのが世界の医療の常識であり、軽症患者と重症患者の選別を行なって医療対応すべきという見解が述べられていました。
この記事にもありましたが、いい例が韓国です。当初日本の20倍近くにもなる数のPCR検査を積極的に行なって、大量の感染者をあぶり出してきましたが(現在は約10倍)、医療崩壊は起きていません。トリアージを徹底させ、軽症者を緊急建設した専用施設「生活治療センター」に隔離・収容して、重篤患者のベッドとは分別してきたからです。その結果、感染者数は減少に転じています。
日本には、このような軽症患者を受け入れるための発熱外来と中間収容施設がなく、そのような準備をしているという話も聞こえてきません。そして、軽症患者を受け入れるのは重症患者治療への圧迫になるので、感染者をあぶり出すのはやめよう→PCR検査を拡大するべきではないという流れになっているのです。
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーである東北大学の押谷仁教授は、3月22日のNHKの番組で、いま患者確定診断として使われているPCR検査限定の意義を強調しました。以下に要約します。
●(PCR検査不足で)感染者を見逃しているなら必ず感染爆発が起きているはずだが、日本では起きていない
●80%の人は誰にも感染させておらず、すべての感染者を見つける必要はない
●検査に殺到した場合の医療崩壊を避けるべき
よく見ると、これらの押谷教授の見解は矛盾に満ちています。上述の韓国の例も踏まえて、以下にそれぞれについて順に矛盾を指摘します。
1) 感染を検出する手段がPCR検査である、したがって、徹底的に検査をしないで感染爆発が起きていない(感染者が拡大していない)とどうして断定できるのか
2) クラスターの検出に検査を限定していれば、その外にいる感染者(感染経路不明者、国外からの帰国者、無症状の濃厚接触者など)を見逃し、感染拡大に繋がる恐れがある
3) 80%あるいは20%の区分けも、サンレント・キャリアー(潜在感染者)の存在も、そもそも検査しないとわからないし、2)の問題もクリアできない
4) 検査と患者の受け入れは別問題であり、医療崩壊に結びつけるのはすり替えである
3月17日、当該専門家会議は「入国拒否の対象となる地域からの帰国者は検疫時において健康状態を確認し、症状の有無を問わず、検疫所におけるPCR検査を実施し、陽性者については検疫法に基づき隔離の対象とする」と厚生労働省に提言していますが [3]、「検査で感染者をあぶり出し隔離するのが原則」の現れと思います。専門家会議は、見解に矛盾のない一貫性を持ってほしいと思います。
3. PCR検査マニュアル
私はPCR検査に関わるこの問題が浮き彫りになって、すぐに検査の主導的立場にある国立感染症研究所のホームページと検査マニュアル(初版は2月17日公開)[4]をみてみました。まずは、一体どのようなプロトコールでPCR検査をやっているのだろうという興味からです。そして、ひょっとしてその方法が、検査数の律速になっているのでは?と思ったからです。
マニュアルは詳細に示されていました。特異性を上げるための工夫もされています。しかし少し驚いたのは、3種類のPCR技法が示されていたのですが(図2)、最初に標準PCRの方法が書かれていたことです。いずれの方法も検体中のRNAを抽出し、それを一旦DNAに逆転写し、それを鋳型とするところまでは同じですが(これをRT-PCRと言います)、標準PCRは検出に電気泳動を使うので、その手作業に余計時間がかかるのです。
図2. 標準PCR、リアルタイムPCRおよびTaqMan PCRの概要.
実際はnested PCRという標準PCRの変法が示されていました。すなわち、SARS-CoV-2ゲノムの上流側にある領域、あるいは下流にあるスパイクタンパク質をコードするいずれかの領域を標的としますが、最初にそれぞれの少し大きな領域を増やすプライマーを使ってPCRを行い、さらに、そのPCR産物を鋳型としてその内側の狭い領域を増幅する2回目のPCRを行います。
このPCR法は二つのプライマーセットを使うので非常に特異性が高くなる利点があります。一方で、PCR操作を2回行うので時間がかかります。さらに、増幅産物は電気泳動で流して増幅バンドとして確認するということになりますので(図3)、余計に時間がかかるわけです。研究用や学生の実験ならいざしらず、流行感染症の検査用としてはとても実用性に適うものではありません。
図3. PCR産物のアガロースゲル上ウェル内への充填(左)およびその電気泳動後のバンドの検出の例(臭化エチジウム染色)(右)(筆者自身の実験より).
まさか、こんなPCR検査を県の衛生研究所などがやっていて時間がかかり、それが検査数の伸び悩みのボトルネックになっていたということは考えたくないですが。
後の二つは、リアルタイムPCR(RT-PCR)とその変法のプローブRT-PCR(TaqMan PCR)です。こちらは機器の中で増幅と検出を自動的に行いますので、操作時間を短縮でき、かつ増幅のパターンをリアルタイムで見ることができる利点があります。テレビなどで流れているPCR装置の画像を見ると、各衛生研究所や検査会社ではプローブRT-PCRを使って検査が行われているように思えます。
ちなみに逆転写(reverse-transcription)PCRとリアルタイム(real-time)PCRは同じRT-PCRという略称になるので、それらの組み合わせた場合はrRT-PCRという略称が使われることもあります。
リアルタイムPCRでは、二本鎖DNAの中に侵入する蛍光試薬(これをインターカレータと言います)を反応液に入れておきます。そうすると、二本鎖DNAの増幅量に応じて蛍光シグナルが強くなっていきます(図4左)。増幅パターンをチェックすることである程度の非特異的なシグナルも判断することができます。増加曲線の直線部分に、ある閾値で線を引き、それに対応するサイクル数(Ct値、例:図中の矢印部分では26.6サイクル)の計算よって、元の検体中の遺伝子のコピー数を定量できます。
図4. リアルタイムPCRによる蛍光シグナルの検出(左)と検出機器(初期のキャピラリー式ライトサイクラー)(拙著論文 [5] より転載).
TaqMan PCRでは、リアルタイムPCRと同様に自動蛍光検出を行うところはおなじですが、インタカレータを使うのではなく、蛍光標識したオリゴヌクレオチド(TaqMan プローブ)をDNAの増幅領域の間にくっつけるところが違います。プローブの反対側にはクエンチャーがくっついていて、この時点では蛍光は消光状態です。DNAの両側から増幅が起こると結合したプローブが分解され、DNAから離れます。この時点ではじめて蛍光が発せられます。
TaqMan PCRは、二つのプライマーで挟まれた標的領域を確実に増幅しているということを、TaqManプローブの分解(蛍光)でわかるようにしています。つまり、標的遺伝子部分を3種類の特異的オリゴヌクレオチドの結合で証明しているということになるので、非常に特異性が高いです。
4. PCR検査の現場と検査法に思うこと
今回のCOVID-19流行に関わる日本でのPCR検査実績は、3月21日時点で累計約4万件と報告されています。これは海外の実績に比べれば、そして政府が発表しているPCR検査能力から比べると、きわめて少ないです。そして、PCR検査の技術や体制も圧倒的に韓国、中国、そして欧米の国が先を走っています。
最近、PCR法に替わる技法として、検査時間を短縮できるスマートアンプ法 [6]が注目されています。感染研ではPCRと同じ精度であると確認しているようです。これ自体はもう10年近くも前に日本で開発された技法ですが、今まで広がらなかった何か理由があるのでしょうか。やはり商業ベースの実用化にまで持っていく日本企業の力量の問題なのでしょうね。とはいえ、そのうち出て来るでしょう。
米国の知人から聞いたところでは、検体調整から結果判定まで5分で完了するAbbott社 ID NOW というポータブル型検査機が、発売されるようです。これは等温反応による遺伝子増幅を利用しています。等温反応では、栄研化学が開発したLAMP法もありますが、これもPCRよりはるかに短時間で終了します [7]。
しかし、PCR検査にかかる時間的な問題は、むしろ検体の採取とPCRにかける前のRNA抽出をも含む試料の調製の段階にあるように思えます。検体としては、鼻咽頭からぬぐい液を採取するという方法がとられていますが、飛沫感染ということから考えれば、唾液中にも相当のウイルス量が含まれると考えられ、そうすると検体は唾液でもいいのでは?と思います。
行政が行なっているRNA抽出の工程は自動化されておらず、まったくの手作業で作業者の技術にもいささか左右されます。調製されたキットを使うものの安全キャビネット(BSL2+)の中での、多数の検体相手の泥臭くて、細かいピペッティング作業はかなりストレスがかかります。将来の感染症に備えるためにもこういう工程こそ自動化するべきだと思います。
抽出工程を含めた全自動PCR検査システムはすでに世界中で稼働しており、日本でも大学病院を中心に導入されているはずです。日本発の自動検査システムもあります。プレシジョン・システム・サイエンス社(千葉県松戸市)は、全自動PCR検査システムをすでに開発しています [8]。フランスの医療現場では、同社がOEM (Original Equipment Manufacturing) 供給したエリテック社のブランド名で、この自動検査システムが稼働しています。国は当初からPCR検査の拡充を掲げているにも関わらず(→新型コロナウイルス感染症流行に備えるべき方策)、どうして検査工程を自動化しないのか(してこなかったのか)、不思議です。
いま日本でPCR検査に関わっている検査員、技術者は、目一杯の作業を行なっていることと察っします。検査の結果が陰性に終わればそこで一安心ですが、一度陽性の検体が出てくれば、周辺の濃厚接触者の検体がどっと増えて忙しくなることは想像にかたくありません。とはいえ、中国、韓国、米国、ヨーロッパ諸国も圧倒的な数のPCR検査をこなしているわけですから、日本は言い訳はできませんが。韓国の研究者に話を聞いたところでは、韓国の民間会社では、自動PCR抽出機を用いて1日1万件のPCR検査を30人程度で行なっているそうです。
蛍光PCR装置は数百万円とやや高価ですが、これからますます大きくなるであろう検査ニーズに応えるために、検体採取も含めた検査法の改善、備品と検査技術者増員などの検査体制の拡大、民間の検査機関の拡充が望まれるところです。
おわりに
COVID-19の実態把握としてのPCR検査のゴタゴタは、どうやら日本だけに見られる現象のようです。WHOはもとより、各国における検査の取り組みについてできる限り情報を集めて見ましたが、「検査は意味がない」とか「検査を増やすと医療崩壊を招く」という見解はどこにも見つけることができませんでした。
ちなみに韓国、ドイツ、米国にいる知り合いの研究者にも訊いてみましたが、みんな「そんな話聞いたことがない」という回答でした。
スウェーデンのように重症化しない限りPCR検査をしない(集団免疫を待つ)という方針の国もあるようですが、多くの国では「重症患者数が増えると医療崩壊を招く、そうしないためにPCR検査を充実させ、いち早く感染者を見つけ感染拡大を防ぐ」というのが、COVID対策の基本方針です。少なくとも日本のように、行政検査のシステムで検査が阻害されるということはなく、軽症者は自主隔離が前提としても、検査は医師の判断に委ねられているというのが国際標準です。その結果、各国では、PCR検査を徹底することで感染者数がどんどん明らかになっています。
一体、日本におけるPCR検査をめぐる混乱ぶりは何なのでしょうね。おそらく、厚生労働省と政府専門家会議が決めたクラスター戦略と積極的疫学調査をベースにする受診の目安も含めた検査方針に、この問題の根っこがあるように思いますが(→ブログ記事:新型コロナウイルス感染症流行に備えるべき方策、国内感染者1,000人を突破、パンデミック)、それについては機会をあらためて、また述べたいと思います。
少なくとも、この程度の検査数でそれを正当化しているようでは、この先予想される感染者の爆発的増大に対する準備としてはとても不安になります。検査をしなければ誰が感染者かは決してわからないのです。そして感染拡大も医療崩壊も防げないのです。
大至急の方針の転換、改善を望むところです。
引用文献・記事
[1] 岩永直子: 新型コロナ、なぜ希望者全員に検査をしないの? 感染管理の専門家に聞きました. BuzzFeed News. 2020.02.26. https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-sakamoto
[2] Fang, Y. et al.: Sensitivity of chest CT for COVID-19: Comparison to RT-PCR. Radiology published online Feb. 19, 2020. https://pubs.rsna.org/doi/10.1148/radiol.2020200432
[3] 週プレNEWS: 新型コロナウイルス感染の「検査数増=医療崩壊」論に潜むふたつのすり替え(週プレNEWS) - Yahoo!ニュース 2020.03.24.
[4] 厚生労働省: 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の見解等(新型コロナウイルス感染症).
[5] NIID 国立感染症研究所: 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)PCR検査法の開発と支援の状況について. 2020.03.11. https://www.niid.go.jp/niid/ja/others/9478-covid19-16.html
[6] Hiraishi, A. et al.: Estimation of “Dehalococcoides” populations in lake sediment contaminated with low levels of polychlorinated dioxins. Microbes Environ. 20, 216-236 (2005). https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsme2/20/4/20_4_227/_article/-char/ja/
[7] Kwai, Y. et al.: One-Step Detection of the 2009 Pandemic Influenza A(H1N1) Virus by the RT-SmartAmp Assay and Its Clinical Validation. PLoS ONE 7, e30236 (2012). https://doi.org/10.1371/journal.pone.0030236
[8] 牛久保宏: LAMP法の原理ー遺伝子の簡易・迅速な増幅法. ウイルス 54, 107-112 (2004). http://jsv.umin.jp/journal/v54-1pdf/virus54-1_107-112.pdf
[9]プレシジョン・システム・サイエンス社: PSS、ELTechと全自動遺伝子診断装置「geneLEADXII}に関してOEM供給契約を締結. 2015.01.06. http://www.pss.co.jp/ir/press/pdf/20150106_01.pdf
引用拙著ブログ記事
2020年3月12日 パンデミック
2020年3月4日 国内感染者1,000人を突破
2020年2月19日 新型コロナウイルス感染症流行に備えるべき方策
カテゴリー:ウイルスの話
カテゴリー:社会・時事問題
カテゴリー:感染症とCOVID-19