小池都知事が再選 新しい社会への一歩を
2020年7月6日 07時08分
東京都知事選で小池百合子氏が再選された。新型コロナウイルスと共存する時代を見据え、未来へ踏み出すグランドデザイン(全体構想)をどう描くのか。首都のかじ取り役の使命は重い。
有権者は都政の「継続」を選んだ。都知事が再選されるのは、九年ぶりである。石原慎太郎氏から三代の辞任が続いた影響だ。
トップが次々に代われば、組織の方針は二転三転する。知事主導の計画、施策がいくつも破棄されてきた。都政の混乱に終止符を打ちたいと有権者が望むのは、自然な流れではある。
◆コロナ禍の日常支えよ
未曽有のコロナ禍が、小池氏に有利に働いた面もあるだろう。人々は危機に直面すれば、これ以上の混乱を避けたいと、安定志向が強まるからだ。
街頭演説や屋内集会など従来の選挙活動が難しく、知名度や実績で劣る新人候補らに不利だったことも否めない。
新たに四年間を託された小池氏だが、先行きは険しい。コロナ対策は待ったなしである。当初は秋以降に流行の第二波が懸念されていたが、都内では連日、百人超の感染が確認されており、再び警戒水域に入っている。
小池氏は経済活動を維持しつつ、感染拡大を抑える方針だ。アクセルとブレーキを同時に踏むようなもので、相当の困難が予想される。
都は既にコロナ対策で一兆円超を投じ、貯金に当たる財政調整基金をほぼ使い切った。第一波の時のような、大規模な現金給付策はもう採りにくい。
企業倒産や失業はこれから増えるとの指摘がある。必要な支援を迅速に届けねばならない。
人々の日常をどう支え、ウイルスをどう抑え込むか。ワクチンが行き渡るまで、ある程度長い闘いを覚悟しなければならない。
◆開催危うい五輪・パラ
もうひとつの課題は来年の東京五輪・パラリンピックだ。小池氏は旗振り役である。
延期の追加費用は当初、数千億円に上るとみられた。納得できない人も多いだろう。大会簡素化の方針が打ち出されたものの、費用や開催方法は不明である。
一方、都民の大多数は「開催は難しいのでは…」という懸念を抱いているのではないか。
ウイルスは約二百カ国・地域に広がり、今も中南米などで多くの死者が出ている。国際オリンピック委員会(IOC)が中止を決断すれば、選手だけでなく大会を楽しみにしていた観衆、経済効果を期待した経済界など日本全体にダメージが及ぶ。
コロナも五輪も、小池氏はこれから数カ月間の自身の対応やメッセージがカギになると、あらためて自覚するべきだ。
近年、世界で変革のうねりが起きていることを思い起こしたい。国連が掲げる「持続可能な開発目標」(SDGs)。経済最優先からの決別である。
日本でも、そして東京でも経済成長が頭打ちになり、人口減少と少子高齢化が進む。
一極集中が地方の活力を奪い、都民自体の暮らしも、住宅や子育て、老後や防災の備えなど決して豊かとは言えない。
人々の意識の上では国のため、会社のためという観念が薄れ、個人を尊重する風潮が高まっている。働き方改革、障害者や性的マイノリティー(LGBT)の権利向上はその延長線上にある。
コロナ禍は、そうした社会の変化を明確にした観がある。
かつてのような好景気は当面見込めず、立場の弱い非正規労働者らの困窮があぶり出された。リモートワークで職場を離れた人々は、自己や家族関係を見つめ直す時間を持ったはずだ。
変革期に行政が果たした役割は、ちょうど百年前の東京がヒントになる。一九二〇(大正九)年、現在の二十三区に当たる「東京市」の市長に、ある政治家が就いた。
後藤新平である。
江戸時代以来の旧態依然とした首都の大改造を発表し、世間の度肝を抜いた。市の年間予算の七倍のプロジェクトで、「大風呂敷」と揶揄(やゆ)された。
◆大風呂敷・後藤翁に倣え
計画は、三年後の関東大震災の復興を機に順次実現する。昭和通りなど縦横の幹線道路。明治通りなど八つの環状道路。都市の膨張に備えた先見性のたまものだ。
この後藤を「尊敬する人物」と公言するのが、他ならぬ小池氏である。ならば先人に倣い、五十年後、百年後に届く都政の未来図を示してはどうか。
方向性は後藤と異なる。「発展」から「成熟」へ。「ハード」から「ソフト」へ。「格差」から「連帯」へ。一人一人が「幸せ」を実感できる、そんな社会への大風呂敷を広げてほしい。
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