上記拙著で取り上げた例のうちのいくつかは次のようなものである。新自由主義は金融の規制緩和を行なったが、自由化された金融取引を決定するディーラーは、自分ではリスクをかぶらず顧客がリスクをかぶるので、過剰にリスクの高い決定をすることになる。
あるいは新自由主義は、役所が民間企業のようになるのが必要な転換と心得、トップダウンの決断を称揚したが、それは現場の情報をふまえずに人々に事前に読めないリスクを課してしまう。ところが、決定者は自腹を切ってその結果の責任をとることがないので、過剰にリスクの高い決定が行われる。
さて、規制緩和一般をめぐる問題も、このような「転換の誤認」の一環であった。
そもそもハイエクは国家による経済規制に反対していたわけではない。民法や商法のような取引ルールはもちろん必要とされていたわけだし、それだけではなく、労働時間の制限や働く環境の維持向上、公害や環境破壊を防ぐための生産方法の規制も必要とされている。個々の民間人が事前にはっきりとわかるルールとしての規制ならば、民間人が経済活動をする際の不確実性を減らすので、それらは肯定されているのである。
本来なくさなければならないのは、ケースごとに権力者や行政担当者が裁量的に判断し、それを民間人が事前に読めない規制である。1990年代に規制緩和が世論として盛り上がった時、人々が本当に求めていたのは、このような規制の理不尽さから解放されることだったはずである。
特に日本の場合よくないのが、官僚がはっきりと指示を出さず、「ほのめかし」みたいなもので民間人を動かそうとすることである。筆者が大学院を出て最初に勤めた前任校は、商学部経済学科を経済学部に改組するための認可を文部省から受けた。このとき、筆者も許認可行政のいやらしさを垣間見ることができた。
呼び出した学部長予定者である国際経済学界重鎮の木下悦二教授に40代の官僚が指示書を復唱させるというだけで顰蹙ものだが、やはり実際、官僚は直接指示を出さず「ほのめかし」のようなことを言うだけのことがたびたびあったのである。我々はこれが何を言いたいのかを学科の教授会で懸命に議論し、先方の意向に沿うように新学部を作っていった。
後年、森友問題で「忖度」という言葉がマスコミを賑わせた時、そうだあれは「忖度」だったと思い出したものである。