また、ハイエクのソ連型体制批判をこの視点から敷衍すると、民間人の現場にある情報は、各自のリスクにかかわるが、大事な情報には容易に言語化・データ化できないものもあって中央当局が把握できない。それゆえ中央当局が、民間人のやることをケースごとに胸三寸で裁量的に決定すると、その決定は現場の事情をふまえないものになり、民間人にリスクをかけることになる。しかし、決定を下した当局者は結果に責任を持たない。そうするとリスクの高いことにどんどん手を出すことになる。
国のなすべき役割というのは、その時々に恣意的な決定をすることではなく、民間人が事前にはっきりと把握でき、そのことによってリスクが減ることになる「ルール」を制定することである。リスクがあって、事態に直面するごとに事後的にどうすべきか考えなければならないようなことには、政府は手を出すべきではなく、リスクを引き受けることができ、それにかかわる情報を把握している民間人に決定を委ねるべきであるとされる。
以上のような批判は、ソ連型体制には典型的にあてはまったが、西側先進資本主義諸国の公営企業や行政にも多かれ少なかれあてはまるものである。こうした「当局者の事後的な裁量判断」が1970年代までの国家主導体制の行き詰まりの原因だったというわけである。
しかし、1980年代以降、実際にとられた政策体制は、新自由主義や、それを若干マイルドにしただけの中道左派・リベラル派の「第三の道」体制であった。
これらの流れは、上記のような転換を誤認した。「リスク・決定・責任の一致」を促す政策をすべきだったところを、必要なのは「大きな政府から小さな政府へ」、「官から民へ」、「国家から市場へ」などだととらえて、民営化、民間委託、規制緩和、財政削減、国際的な市場統合などを推進することとなった。
それはしばしば、コルナイやハイエクが示唆するあるべき転換から見ると、むしろ逆行するもので、かえってコルナイやハイエクが批判の対象としたあり方を再現・強化するものだった。