僕個人のTwitterのフォロワーは1000人ほどだ。すごく少ないというわけでもないと思うが、すごく多いというほどでもない。それでも今夜は、何気なく投稿したツイートでざわつかせてしまった。
件の投稿は削除させていただいたが、見た方がスクショを撮って投稿されているので見ることもできる。こういうことを書いた。
“正直今どき海外の俳優とかを「イケメン俳優」ってキャッキャしているのオバサンだけだと思うんだよね”
この投稿に対して「女性蔑視」「好きな俳優を応援していた私はオバサンなのか」というご指摘を頂いた。もちろんそういう意図はまったくなかったのだが、そうとらえられてしまってもおかしくない書き方だった。とても反省している。不快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。
どういう意図があるかを記しておく。(意図というほどのものでもなくて、ちょっとしたつぶやきのつもりだった。それも後の祭りだが…)
主な意図としては、洋画の宣伝まわりに対して日頃から抱いていた疑問を皮肉ることだった。(特に誰かや何かを指すものではないです)
宣伝の表現では時として分かりやすい表現が好まれるので、俳優や人物を売り出すとき、盛り上げるときに「イケメン俳優」と謳うことがよくあると思う。僕が疑問視したかったのは、安易に「イケメンイケメン」と表現することの是非だった。
人物を「イケメン」とばかり表現していると、その人物の内面、努力、才能を軽視しているような気がするからだ。容姿が「イケメン」だったら、人間性は重要ではない、と言われているような感覚を常々抱いていた。自分は男性なので、いつも違和感があった。
「イケメン」という表現の一切がいけない、と言いたいわけではない。「あの人イケメンだよね」みたいな言い方が日常にあることは自然だと思う。もちろん自分だって、カッコいい人物を見て「カッコいい」と言うことはある。あくまでも、「イケメン」というワードを安直に使えば良いというような、主に宣伝文句における風潮を疑問視したかった。
たとえば「イケメングランプリ」「イケメン決定戦」「イケメン大集合」といった企画は今も昔も多いと思う。そうした企画や表現を見るたびに辟易としていて、虚しさを感じ、この一種のルッキズムはいつになったら終わるのだろうと見ていた。
とても小さな問題提議のつもりだった。ただし、「オバサン」という表現を使ったのが良くなかったと深く反省している。男性の外見を安易に言いまとめることは、そろそろ前時代的なのではないかという考えを皮肉的に表したつもりだったが、不愉快な表現になってしまった。お詫び申し上げます。
また、「小さな問題提議」や「皮肉」として、何の気無しに絵文字をつけていたが、これも逆効果で、むしろ嫌味に見えてしまったと思う。実際にスクショを見て、自分でも嫌な感じのツイートだなぁと感じている。考えが及ばずまったく未熟でした。反省しています。申し訳ございませんでした。