都会の列車はどこまで行っても高いビルの間をすり抜けるようにして走ります。清潔な摩天楼の小部屋の一つ一つには、きちんとした服を着た有能そうな人々が納められているのが見えます。そんな建物が無数にあって、そんな人々が無数にいることを想像すると気が遠くなってきます。
私によくなじんだ車窓からの眺めとは、駅と駅との長い間隔の間に広がるぼうぼうの木と原っぱ、そして遠くにときどき見える謎めいた工場のことです。
世の中には人間の種類を二分する様々な基準が存在しています。ある特徴を有しているかいないかでまるで違った人間になってしまうことがよくあります。ここでの特徴とは、身体的な特徴ではなく精神的なものです。
私は、工場で働いたことがあるか・ないかという基準をここに提唱したいと思います。
今、私の周りにいる人のほとんどは、工場で働いたことがないと言います。
比較的都会の比較的裕福な家庭に生まれ育ち、比較的高い教育を受けて育てられた人々にとって、工場で働くことは彼らの考えるところの「仕事」ではありません。そうした人々は人当たりが良く、思いやりがあり、社会と適切に繋がっています。自分たちの世界の外にいる人間に対しても、分け隔てなく平等に接することを心がけています。そうあるべきだと教えられてきたし、様々な経験を経てそうあるべきだと実感しているからです。
かつての私がたとえば工場の話をしたら、彼らはきっと興味を持って聞いてくれるでしょう。
しかしその姿勢は、彼らが自分たちの世界の中にいる人間から何か話を聞く場面でのそれと同じではないことを私は知っています。それは動物園にいる珍しい動物や、自分たちの生活を豊かにしてくれる新しいコンピュータを眺めるような感じによく似ています。そして、彼らと会話をしているとき、彼らはきっとそれまでの人生の中で常に自らを個別の人間であると認識し続けており、その唯一性を失って自分が大量生産品の一つにすぎないような感覚を覚えたことがないのだろうなぁという思いを抱くことになるでしょう。これらを敏感に捉えることができたとき、あなたは境界の外の私たちの側にいます。
ときどき、自分がはじめから比較的都会の比較的裕福な家庭に生まれ育ち、比較的高い教育を受けて育てられた人間であると錯覚することがあります。そういうときには都会を飛び出して、名前の知らない駅が長い間隔で並ぶ路線を走る列車に乗って、自分が本当はどういう人間であるのかを思い出すのでした。
****
私がお弁当工場で働いたのは、一人暮らしを始めてから三年後の夏のごく短い期間でした。
その工場は最初に住んだこの国で一番大きな都市の隣の隣の街に位置していて、私もその街で暮らしていました。
なぜお弁当工場で働くことになったのかはあまりよく覚えていません。単にまとまった金を必要としていて、ほとんど喋ることのできない人間がこなせる数少ない仕事だったからなのだと思います。そこのお弁当に思い入れがあったわけでもありません。当時まで、私はスーパーやコンビニで売られているお弁当を食べたことがありませんでした。信じがたいかもしれませんが、それは私にとっては些か高価な代物だったのです。
早朝の駅のロータリーはいつも湿ったような匂いがしていました。集合場所では、私と同じように着古した服を身に纏った何人かの人が憂鬱そうに佇んでいました。少し待っていると白いワゴンがのろのろとやって来て私たちを詰め込みます。汚れた窓ガラスを通して見える景色はどんどん野性味を帯びてきて、古い車のシートと染み付いた煙草の匂いで私が吐きそうになっている頃にようやく目的地に到着するのでした。
工場で着る服を見たとき、私は少し前に新聞の見出しを飾っていた、炉心溶融後の原子力発電所へ調査に赴く人々が身に着けていた白い防護服のことを思い出しました。それを身につけて、消毒液が出てくるシャワーを二回浴びて集合すると、私たちは既に自分たちが工場で働く区別のない複数の人々になっていることに気がつきます。
****
私はお弁当工場の他に靴工場をはじめとする他の工場でも働いたことがありますが、お弁当工場ほど混沌とした場所はありませんでした。
お弁当工場内にはお惣菜部門、炊き込みご飯部門、下ごしらえ部門、パッケージング部門などが存在していましたが、作業の途中でしょっちゅう行方不明者が出るためかどこも常に人が足りておらず、一日に色々なセクションを行ったり来たりしたものでした。
工場内の空気は蒸し暑く、床はいつも汚らしい液体で濡れていて、防護服の隙間からは腐った食べ物と腐っていない食べ物が混ざり合った暴力的な匂いが入り込みました。出来上がったお弁当を載せたベルトコンベアはしょっちゅう不具合を起こし、私たちが作って詰めた食材が床にばらばらに散らばりました。私たちはその光景を無感動に眺めました。
代替可能な人間としての自分に耐えきれなくなった人が、差別化を図ろうとして歌を歌い出したり、踊ったり、炊き込みご飯をつまみ食いし始めました。
こんなにめちゃくちゃな工場なのに、それでも不思議なことにお弁当は毎日きちんと出荷されていくのでした。
防護服を脱ぐと、いつものように髪がぺったりと張り付き、体は汗でべたべたしているのがわかりました。工場の入り口を出た目前には晩夏の夕暮れが広がっていて、火照った頬を風が撫でていきます。
その日は駅まで歩きました。誰もいない帰り道で、音のない口笛を吹いて、小さく踊りながら。駅のホームのベンチに座って、私たちが作ってきたお弁当を初めて食べました。炊き込みご飯は冷えていて、もし炊きたてだったらどんな感じなのだろうと思いました。
****
お弁当工場のことを思い出したのは、この間恋人と動物園に行った帰りに立ち寄ったコンビニで私たちが作っていたお弁当を見かけたからです。
今でも値段に少し抵抗はありますが、これを買うと生活が立ちゆかなくなるということはなくなりました。私は自分と恋人用にお茶を躊躇なく買いました。あの頃は水道水を水筒に詰めていて、時間がたつと金臭い味になるのが嫌だったことを思い出しました。
お手洗いから出てきた恋人が私を探しているのが見えます。今日もポケットにきちんと洗濯されたハンカチを入れていて、夏でも清潔な襟付きのシャツを着ています。
恋人も無理に聞き出そうとはしないでいてくれます。きっと、私が何か昔のことを話そうとしたら、必ず耳を傾けてくれるだろうという気がしました。でも、そのとき彼に動物園の動物を見るような優しい目で見られたら、きっと立ち直れないだろうとも思いました。
恋人は、彼自身の過去について後ろめたいことは何もないように私には見えます。でも私は、彼が都会の列車の窓から見えたあの人々とは少し違っていてほしいと思っています。今までもこれからも、何かに傷ついて悲しい思いをすることがなければいいと心から願っているのに、その一方で人には言えない小さな染みを密かに抱えていることを求めているのでした。
完ぺきな衛生状態の弁当だから安心して食べられる さすが日本だ偉大な国だ
裕福な普通の男を捕まえることができたわけだ めでたし、めでたし
シンデレラがハッピーエンドを迎えたんだな。おめでとう。
明らかに工場で働いたことないやつのコメントが微妙に引っかかる。
割と長い期間、非正規で勤めてた身内から聞いた話とは微妙に違うな。 正社員にとってはブラックそのものな労働環境だったようだけど、自分の身内のように、長時間単純労働が苦にな...
文学的な価値(笑)を出すために脚色するのに必死だからな
炉心融解→炉心溶融
00年代ニコ厨オタクにありがち
これは恥ずかしい。カマトトぶった文体なのに素性がバレてしまっている。
工場仕事って誰がやってもいい仕事なんだけど誰かがやらなきゃいけない仕事なんだよね。 「自分」がなくなる感覚はあるけど確実に誰かの役に立ってるという実感もあるから充足感が...
つまみ食いするには手の数も時間も場合によっては材料も足りないから この手の話で必ず書かれてるの見るとどれだけ楽な仕事だと思ってんだよとかなり腹が立つ
パチンコ店は換気が悪い三密だと思い込んでるのといい 自分の知らない世界は全部昭和から進んでないって認識なんだろうな
うーん、この
消毒液のシャワーはやばいと思うが。揮発したのを吸い込んだりり目や口に入ったりしたら毒だと思うんだが、一体どんな消毒液を使っているのやら。プールの塩素くらいのもんだろ...