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魔導具師ダリヤはうつむかない 作者:甘岸久弥
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282.氷の結晶模様のプレゼント

「まさか筋肉痛になるなんて……」


 塔の階段を下りながら、ダリヤは苦笑いをする。


 昨日、ジェッダ子爵の屋敷でダンスを教わる際、覚えるのにプラスして、少しでもウエストの余剰が落ちないかと、気合いを入れて頑張った。


 そして今朝、ベッドから起き上がろうとし、足腰の痛みに固まった。

 一角獣ユニコーンのペンダントもしっかり肌に当たるように付け直してみたが、違和感は消えない。

 鈍い痛みよりも、動きが不自然になることが気になり、考えた末に痛み止めを飲んだ。


 今日はこれからヴォルフの屋敷へ行き、ダンスの練習をする予定なのだ。

 彼に心配はかけたくない。


 ヴォルフが迎えに来るまでには、まだ時間がある。

 ダリヤは作業場のテーブルの上、銀の箱をそっと開いた。

 中にはアイボリー色のまっすぐで短い棒――ここのところ試行錯誤している、水魔馬ケルピー短杖スタッフがぎっしりと並んでいる。


 そのうちの一つを持ち上げると、みっしりとした重みがあった。

 空蝙蝠スカイバットの骨の倍ほどだろうか、骨密度の違いかもしれない。


 商業ギルド長ではなく、レオーネの個人名で届いた、一ダースの短杖スタッフ

 それに加え、短杖スタッフ回路の設計参考書が一冊、参考設計図と仕様書が四枚、水魔馬ケルピーの骨の注意事項がメモで一枚。

 これらの支払いをしようと申し出たら、レオーネに『見積りに込みだ』と言われてしまった。


 剣と短杖スタッフに対する魔法の付与料金は、金貨四枚。

 それが正しかったし、けして高くはなかったと思える金額だ。

 ガブリエラに叙爵の際の付添人を頼む条件で金貨一枚に下げてもらったが――気を使われたとしか思えない。


 イヴァーノに相談したら『レオーネ様は損をかぶる方ではないので、気にする必要はありませんよ』と笑顔で言いきられた。

 今はどうにもできぬので、機会をみて返したいところだ。


「うーん、やっぱり表面積が足りないのよね……」


 短杖スタッフは意外に短く、持つとほんのわずかに楕円だ。

 その表面に魔法で魔導回路をひき、氷の魔石を使って、氷魔法を付与する。


 魔法補助の短杖スタッフとして、目指す機能は、二つ。

 氷の結晶と粒が出せ、目くらましに使えること。

 そして、氷を短剣のように細く出せ、咄嗟の威嚇や防御に使えることだ。


 試行錯誤の結果、魔導回路自体は設計できたが、表面積的に足りない。

 二つ目の機能を削れば入るが、少しでもグイードの安全につながるようにしたい。

 二倍以上の回路をどう入れるか、もしくは削るか――考えを巡らせていると、ノックの音が響いた。


「こんにちは、ダリヤ」

「いらっしゃい……ヴォルフ」


 急いで開いたドアの外、立っている彼の姿に目が釘付けになった。

 肩にマントを乗せてはいるが、黒の燕尾服に白絹のシャツ、黒のタイ、白い手袋――完全にダンス向けのきちんとした装いで、あまりにも似合う。

 『王子様』と呼ばれそうな姿である。


 ただ、これから彼の屋敷に行くはずなのに、赤い花の入ったかごを持っている。

 途中でどこか寄るところがあるのだろうか。


「ダリヤ、そのドレス、よく似合っているね。当日もそのドレス?」

「いえ、これはガブリエラから借りたものです。練習着だそうです」


 アイボリーのドレスは、叙爵のダンス練習が終わるまで使うようにと渡された。

 首回りと裾にレースがあり、自分にはかわいすぎるのではないかとちょっと不安である。


「すぐに練習に行った方がいいですよね。今、コートを羽織りますので――」

「ダリヤ、怪我してない?」


 コートを取りに行こうとし、数歩進んだだけで呼び止められた。

 忘れていたが、ヴォルフはこういうことにひどく目が利く。


「してないですよ、大丈夫です」

「無理はいけないよ。調子が悪いなら練習は別の日にしよう」


 とても心配そうになった彼に、あわてて理由を告げる。


「本当に大丈夫です。昨日ダンスの練習をちょっと頑張ったら、軽い筋肉痛になりまして。さっき痛み止めは飲んだので――」

「筋肉痛? 痛み止めを飲むほどって、かなりひどいんだよね?」

「いえ、たいしたことはないです!」


 説明している間にも、ヴォルフの表情の険しさが増していく。

 もっと早く痛み止めを飲むべきだった。


「ダリヤ、君が努力家なのはわかるけれど、練習しすぎはやめた方がいい。倒れたりしたら大変だし、肉離れなんかを起こすとクセになりやすい」

「いえ、本当にほんの少しなんです、日頃の運動不足がたたっただけです……」


 結局、ヴォルフをとても心配させてしまった。

 今年の春まで、片道一時間くらいは平気で歩いていた。それが今はすべて馬車移動である。

 今後は塔の階段の上がり降りを多めにし、庭を歩こう。あと食事を少し減らそう。

 何度目かの誓いを深めつつ、話題を変えようとあわてて口を開く。


「あの! ヴォルフも今日の装いが合っていて、とても素敵です」

「ありがとう……そう言ってもらえるとうれしい」


 ヴォルフは黄金の目を丸くした後、はにかんだ笑いを返してきた。

 本当にうれしそうなその笑顔に、続けようとした言葉がすっぽり抜け落ちる。

 あわあわしていると、赤いブーゲンビリアの飾られたかごを差し出された。


「ダリヤ、あらためて、お披露目おめでとうございます」

「ありがとうございます……」


 お礼を言いつつ記憶を辿るが、ブーゲンビリアの花言葉が出てこない。

 貴族女性には冬に贈られることの多い花だったような気がするのだが――後で貴族のマナー本を確認しよう。


「あと、これを君に――」


 続けて差し出されたのは、真っ白い小さな布包み。

 ダリヤは花籠を作業テーブルに置くと、ヴォルフからそれを受け取った。


 白い布を外すと、現れたのは赤いビロードの小箱。

 その蓋を慎重に開けると、金色の輝きが見えた。


 雪の結晶を模した、小さなイヤリング。

 金の輝きはまばゆく、こまやかな細工は腕のいい職人が作ったものだと一目でわかる。

 おそるおそる持ち上げると、結晶の下に付けられた細い鎖がしゃらりと小さく歌った。

 角度を変えただけでまたたくように光り、ため息が出るほどに美しい。


「あの、これは?」

「できれば、これをお披露目で付けてもらえればと思って」


 ヴォルフが少しだけ表情を硬くする。

 思い出したのは、スカルファロット家の家紋。

 あちらは水を模した紋章だが、スカルファロット家は氷の魔石も扱っているので、その関係かもしれない。

 自分の貴族後見人はグイード、ロセッティ商会の保証人の一人がヴォルフだ。

 このような高級品、絶対に落とさないようにしなくては。


「ありがとうございます。すごくきれいです。落とさないよう、気をつけてお借りしますね」

「いや、ちょっと待って! それは君に、俺からのプレゼントだから!」


 ヴォルフに全力で否定され、声高くプレゼントだと告げられ、理解するまでに間があった。


「え、あの、私に、プレゼント、ですか?」


 驚きで区切って聞いてしまった自分に、彼は落ち着かなげに説明する。


「この前、商業ギルドにヨナス先生の依頼で行ったとき、レオーネ殿に装飾品のお店を聞いて行ってきたんだ」

「そのお店で、ヴォルフの物を買わなかったんですか?」

「それはその、ダリヤのお披露目だし、お祝いにと思って……あ、何の付与もないから、必要なものがあれば裏石うらいしに付けてほしい」

裏石うらいし、ですか?」


 ダリヤの手のひらの上、金のイヤリングを、ヴォルフがそっとひっくり返す。


「これ、耳にじかに当たる部分は、黒瑪瑙ブラックオニキスなんだ」

黒瑪瑙ブラックオニキス……」


 ヴォルフの髪と同じ色。

 それはまるで恋人に贈るアクセサリーのようで――

 いや、落ち着くのだ、仮にでもおかしな想像をしてはいけない。


 耳にじかに当たる部分が石ということは、金属アレルギー防止かもしれない。

 今世に来てから金属アレルギーの話はあまり聞いたことはないが、アクセサリーの苦手な人はそういったこともありえるではないか――

 ぐるぐると思考を立て直していると、ヴォルフが言葉を続けた。


「地味な色だけど、黒瑪瑙ブラックオニキスは邪悪なものから心身を守ると言われてるんだって。だから、君のお守りになるかと思って。それに軽い魔法なら付与ができるから、馬車の酔い止めなんかもいいんだって。もちろん、ダリヤの好みじゃなかったら他の色に貼り替えるよ」


 少し早口で、少し不安そうに言う彼は、きっと懸命に選んでくれたのだろう。

 装飾店は女性が多い場だ。これを購入するのも大変だったかもしれない。


「いえ、石はこのままで――このままがいいです。勘違いしてすみません。本当にきれいなイヤリングをありがとうございます、ヴォルフ」

「どういたしまして」


 お礼を言うと、ヴォルフがようやく表情をゆるめた。

 それに反比例したように、ダリヤの動きにぎこちなさが加わる。


「ええと、私もありまして……仕上げたばかりですが、早めの方がいいかと思いまして」


 ダリヤは棚に置いていた縦長の魔封箱を持ち上げる。ちょっとだけ重い。


「この前、ヴォルフが睡眠不足だって言ってたので、『仮眠ランタン』です。よろしければ使ってください」


 作業用テーブルに箱を乗せると、なぜかヴォルフは困った表情かおとなった。


「いや、その、君にそんなに気を使わせ――いや、心配させた上に、手間のかかるものを、すまない……」

「そう難しいものではないですから。それに月光蝶げっこうちょうの羽根は頂き物です。魔物と戦うのは大変ですよね。疲れがたまると眠りが浅くなったり、悪い夢をみたりすることもあると思うので」


 ヴォルフがいつか言っていたことがある。母の亡くなった夢をいまだに見ると。

 最近は見なくなったが、ダリヤも一時悪夢に悩んだ。

 前世、己が死ぬときをなぞるような夢だ。

 その後は眠れずに、そのまま朝を迎えてしまったこともある。


 だから、寝入りをよくする他に、悪夢をみなくて済むことを願い、同じ仮眠ランタンを先に作って試した。

 時間がなくて模様などは入れていないが、なかなかによく眠れた。夢も見なかった。

 できればヴォルフにも効果があってほしいと思う。


「ちょっとだけ使い方を説明しますね」


 薄青い丸ガラスがはめこまれた、金色のランタン。

 スイッチは二つ。通常の灯りと、睡眠効果の後に自動で消えるものだ。

 丸みのあるガラスの表面には、雪の結晶の模様を魔魚まぎょのウロコでいくつも入れた。


 ランプをつけると、薄青い光の中、雪の結晶が壁や天井にその形を投影する。

 これでヴォルフが気持ちよく眠れ、いい夢が見られればいいのだが――こればかりはわからない。


「今夜、寝るときにでも試してください」

「ありがとう、ダリヤ。大事にする」


 ヴォルフの笑顔に満足しつつ、ランプを魔封箱に入れ、大きめの白い布で包んだ。

 その布の端、押されているのは小さな商会紋――赤い花を背負ってそこにいる、黒い犬のシルエット。

 イヴァーノが目立つようにと強硬に赤と黒の二色を主張したので、二色スタンプである。


 なお、説明はしないが、ランタンの裏にも商会紋が入っている。

 販売品ではないので入れなくてもいいと気づいたのは、完成後だった。


「ああ、そうだ。ダリヤ、一度イヤリングを付けてみない?」

「そうですね。私は鏡がないと、うまく付けられないので……」


 イヤリングを付けることが少ない上、この繊細な細工が曲がったらと思うと怖い。

 棚に鏡を取りに行こうと思ったとき、白手袋の指先がイヤリングを持ち上げた。


「俺が付けてもいいかな?」

「ええと、お願いします……」


 ヴォルフにイヤリングを付けてもらうという、大変予想外なことに、口とは裏腹に身体が固まる。

 彼は自分の真横に来ると、あまり耳に触れずに付けてくれた。

 その動作は、意外すぎるほどに手慣れていた。


「とても似合うよ。きつくない?」

「大丈夫です、ありがとうございます……」

「よかった。昔、出かけた先で母のイヤリングを直すのが俺の役目だったんだよね。母はめったに付けないから、自分でやると左右で位置が違って、落とすこともあって。でもピアスは怖いから嫌だと言ってて――なんだか、急に思い出した」


 なつかしげに語る彼に納得した。なかなか優しい息子さんだったらしい。

 そして、失礼ながらヴォルフの母君に共感を覚える。


「もう一つも、付け――」


 彼が言い終えぬうち、ドアが強く三度叩かれた。

 ダリヤがうなずくと、ヴォルフがすぐにドアを開ける。


「失礼致します! ヴォルフレード様、王城から三度、赤の光が上がりました!」

「わかった、すぐ行く!」


 王城から三度、空に赤の光が上がる――

 それは魔物が出て、王城内待機の魔物討伐部隊員だけでは足りぬ、そう判断された召集の合図。

 めったにないそれに、大量の魔物か、あるいは大型の魔物の出現を覚悟する。

 つい我が身を抱くようにした腕、上腕に指が食い込みかけた。


「心配ないよ、ダリヤ。たぶん、緑のワイバーン」

「え?」

「少し前に目撃情報が出てて、カークと先輩が一撃目指して準備してるし、隊長はワイバーンの鎧を着て、灰手アッシュハンドで一撃を目指してるし。きっと俺に出番はないよ」


 とても明るく言う彼に、なんとかうなずく。

 だが、出番がないはずはない。

 弓騎士やグラート隊長の待ち構える場所、そこにワイバーンを引き込むのは、きっと赤鎧スカーレットアーマーの役目だ。


「ごめん、ダリヤ。なるべく早く戻るつもりだけれど、魔物と状況によっては、お披露目に間に合わないかもしれない。君の大切な日なのに――」

「私は大丈夫です。魔物討伐は、人の命を守る大事なお仕事ですから……」


 本当は止めたい。

 お披露目などどうでもいい、危ない討伐に行ってほしくはない、そう思ってしまう。


 だが、これはヴォルフの、魔物討伐部隊員の仕事だ。

 どうか何事もなく、戻ってこられますように――自分はそう祈るしかできない。


 だからダリヤは、ただ精一杯に笑んで、彼を送り出す。


「どうか、気をつけて――行ってらっしゃい、ヴォルフ」


 自分の言葉に笑み返した彼は、一言を告げて駆け出していく。


「行ってきます、ダリヤ!」


 見送る背中はたちまちに遠くなり――

 片耳のイヤリングの先、金の鎖がしゃらんと鳴いた。

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