お金のしくみ | 思うこと

お金のしくみ

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安藤裕さんがお金の仕組みの解説をした動画を出していて、それを見てから、僕も自分なりに考えを巡らせていました。

 

なんとなくですが、お金の仕組みを解明する第一段階までは(よく考えさえすれば)多くの人が共通の理解に至れると思うのですが、その理解から何が言えるかをさらに言うと、そこでは見解の相違が出てくるような気がします。

 

出発点ではお金は融資によって発生するので、お金は借金によって生み出されるということは、誰でも(よく考えさえすれば)納得できると思うのですが、誰かが、借金から始めるなんておかしい、仕組みを変たほうがいいと言えば、それには異論が出るかもしれません。あるいは別の人が、そもそも借金から始まっているんだから、借金は当たり前のことで、借金は積極的にすべきだと言い始めると、これまた異論が出るかもしれません。

 

しかし現実には、最初の時点の理解で、なかなか合意に至れていません。それは、第二段階の個々人の解釈を含めて、最初から語ってしまうために、そこで不信感を持たれてしまう、ということじゃないかと思います。あるいはそもそも、見慣れない考えに違和感を感じ、遠ざけるというだけの人も多いんでしょう。そういう人は問題外なんですが、学者の世界ではなく、民主主義の世界では誰かを問題外として排除することはしていないので、嫌い!というような価値判断が、ひとつの意見として通用してしまうところがあります。

 

僕の理解では、経済的な力の源泉は、実際に取引が成立した時点で確定する経済価値の中にあるんだと思います。人間が、その経済価値を、どのように使うかによって、結果が違ってきますので、なるだけ賢く使おう、ということになります。

 

自分の命をつなぐために消費しなければならないものについては、消費する以外にどうしようもありませんのでそうします。食べ物だったら、なるだけ新鮮なうちに食べて腐らせないようにすると、価値を最大限に使えるということはあるかもしれません。

 

問題は、余剰や、交換を先送りすることで得られる権利です。それは、どのようにでも使えるので、賢く使うと個人や人間社会を良い状態にし、愚かに使うとせっかくの価値を台無しにします。

 

お金は、そんな経済価値を指し示すので、お金という表現手段があると、あとどれくらいの経済価値を使えるかを、知ることができます。お金という表現手段を持たずに、どんぶり勘定でやると、使いすぎたり、使わなすぎたりすることになるでしょう。

 

金本位制が廃止されるなどして、お金がバーチャル化する流れは、あといくらくらい使える経済価値が残っているかが、わかりにくくなるという問題があるんだと思います。

 

お金を増やすと、使える経済価値が増えるようにイメージしてしまいますが、経済価値は、生産者と消費者の間で取引が成立することによって生じるので、生産体制や消費者の数を裏付けとして持っています。お金だけを水ぶくれさせると、その時の生産体制や消費者の数をまったく考えないで経済活動をすることになるので、生産に負担をかけすぎたり、そんなに必要ないのに商品を作りすぎたりするでしょう。

 

そして、お金の方を経済的実態に合わせる作用が自然に働いて、いち単位あたりのお金の実質の価値が目減りしていくことになるでしょう。金余り現象があちこちで見られるようになると、お金を大事にとっておこうという気持ちがなくなりますし、お金をもらっても、長期的に価値が保たれる気がしなくなります。それで、お金が好まれず、受け取りたいという気持ちがなくなります。それで何かの実物を持っておく方が安心だということになれば、さらにお金からの逃避が始まります。

 

また、銀行で、預金者から集めたお金よりも、多くの貸し出しを行っているのは、一時に多くの人が引き出しに来ないので、集めたお金を上回って貸し出しても大丈夫だというところから来ているんだろうと思われます。

 

たくさんの貸し出しを行った方が、銀行も利ざや稼ぎができますし、貸して欲しい側に立っても、銀行が自己資本比率を考えて貸し渋りをするなんてことがあると困るので、銀行が預金残高の総量を上回って貸し出しをしてくれることはありがたいことじゃないでしょうか。

 

銀行からの貸し出しを期待する企業の立場に立てば、銀行が無理して貸し出しをすることで地域経済の活性化につながっていると見えるかもしれません。

 

そう考えると、銀行は、バーチャルなお金を創造することで、企業のニーズに応え、地域経済の活性化を行っていると言えるかもしれません。

 

これと同じことが国に関しても言えるんでしょう。バーチャルなお金を創造することで、企業の融資ニーズに応え、国民経済の活性化をはかることができる、ということでしょう。

 

国の場合は、(通貨発行権を持っていると)倒産の危険がなく、銀行のように取り付け騒ぎを心配することもありません。それで、計算上は、無限にバーチャルなお金を創造できます。

 

しかし経済価値の総量を、はるかに上回るお金を市中に流してしまうと、実体経済に基づかない、コントロール不能な、お金の使い方がなされることになるでしょう。

 

生活のために必要なものを買って使うというだけだと、高くても買うし、気分が変わったので買わないということもできません。しかし余裕部分での取引が始まると、いかようにでも使えるので、でたらめに使う人が多く出てきます。貧しい時は、余裕部分が少ないので、でたらめな使い方をしたくてもできないので、経済が健全化する部分があります。余裕ができても理性的に経済が運営できるようになるには、人間が理性的にならなければならないでしょう。

 

お金が余る現象をあちこちで作り出すわけにはいかないので、国家も発行できるお金の量には限度があります。銀行の場合は、へたをすると倒産するという危険性があり、それが歯止めになりますが、強気の人間が歯止めを超えて融資を拡大する可能性もあるので、内規や法令で縛りをかけています。

 

国家の場合は、倒産の危険がなく、自分たちが困る理由がないので、強気の人間が出てきた時に歯止めがかかりません。それで法令でのみ制限をかけていますが、今の日本政府だと財務担当者の倫理観の中に、財政均衡に対する非常な献身があるようなので、それが一番大きな歯止めになっているかもしれません。

 

しかし銀行と同様に、国にもバーチャルなお金をいくらか創造できる余地がありますので、それを世のため人のために使いたい、という人が出てきます。そんな人から見ると、日本政府の財務担当者が、せっかくの力を有効に活用させない障害になっていると見えます。

 

経済的な力を引き出す源泉があるなら、多くの人がそれを利用したいと考えます。一方で、国民思いの人が、それによって苦境にあえぐ人を助けられると考えている時、他方では、そこから自分たちのグループにお金を引き込んで、鎌倉武士団のような方式で、勢力を拡大するために使いたい、と考える人がいるでしょう。

 

そしてあれこれの思いを持った人が、経済的な力を求めて殺到して、収拾がつかないことにならないように、政府の財務担当者が自分たちが歯止めにならなければならない、と決意するという構図なのかもしれません。(財務担当者は、そこまで国民思いじゃなくて、自分たちの省益(他の人たちをひれ伏させる力を持つ)を考えているという説もあります)。

 

今の経済世界では、巨大なプレイヤーが負債を抱えることで、使えるお金を増やすということが、現実に行われています。

 

それは儲け話を増やすためという利己的な理由でもありますが、取引を活性化するために、未来を先取りし、今手元にある資金の制限を超えて取引を行う仕組みを作っているという公共的な理由でもあります。

 

未来を先取りする機能を使わず、負債を抱えることを嫌い、今手元にあるお金だけで取引を行うということでは、なかなか経済が活性化していかないという現実があるため、負債を抱えながら仕事をする巨大プレイヤーは、ある程度評価されています。

 

しかしもっと負債を拡大していくと、存続可能なのか心配になる人が出てくるということでしょう。逆の考えの人は、出し惜しみをして、成立するはずの取引を不成立にしたり、資金を求めている企業を見捨てて倒産させることで、生産体制が損なわれ、失業者が出ることを問題視します。この人たちは、少しの後押しがあれば成立する取引を守りたいと考え、負債によってそれができるなら、数字上の負債の積み増しなんてどうとでもなると考えるんだと思います。

 

バーチャルなお金に頼らずに、経済を活性化する方法を考えるというのが、ひとつありえる方向性です。そこでは人間の精神力を高め、投資を活性化させ、余剰は積極的に融資に回し、権利にはしがみつかずに返済不能な債権は放棄するというふうに持っていくことを考えればいいのかもしれません。それの反対である、守りに入り、お金や権利にしがみつき、何もしないでじっと耐えるというようなことをすれば、経済は不調になるでしょうから。

 

それ以外では、バーチャルなお金の創造の余地を使って、何をすべきか、どうすれば最大限の効果をもたらせるかを考えることになるでしょう。ここで、借金の残高を危険視する人と、借金によって生み出される経済的な力をどのように使っていくべきかを考える人とは、別のことを考えます。

 

借金を危険視する人は、バーチャルなお金は創造しない、他からお金を調達して借金の穴埋めをする、ということになるでしょう。

 

(本来やってはいけない、バーチャルなお金の創造に入り込んでいることが気持ち悪い。そんなことを一切しない、平常時に早く戻したい。しかし危機状況にだけは、バーチャルなお金の創造をやってもよいと考える。危機状況にそうできるように、普段はお金を増やすようなことはしないと考える)

 

名目上の借金残高は気にせず、経済的な力を使っていくという人は、使い方と、それからバーチャルなお金を創造できる上限について考えなければならないと思います。お金を作りすぎてしまえば、もう手遅れで、そうなってしまうと混乱が生じてしまいます。なので、限界のずいぶん手前で止めておく必要があります。そこがどこなのか、を考える必要があります。使い方は、上限があることを分かっていれば、慎重に考えるようになるでしょう。後で支出を切る可能性があることを考えれば、ずっと出し続けなければ存続できない支出よりは、一時的に助ければその後自立できるというタイプの支出の方がいいかもしれません。

 

 

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選挙に行こう

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【東京都知事選】7月5日は投票日!俳優・タレントの松尾貴史さんからのメッセージです。 - YouTube

https://www.youtube.com/watch?v=Zz9_4IFvpm0

Choose Life Project

 

 

チューズ・ライフ・プロジェクトで出している、選挙に行こうメッセージは、なかなかいいです。

 

僕は松尾貴史さんのものが気に入りました。

 

お題は、選挙をサボタージュ、ボイコットしている人に、行く気にさせるメッセージを出すということなんだと思います。そして長くてしゃべっても見てもらえないので、3、4分にまとめるということなんだと思います。

 

3、4分と言えば、ちょうどポピュラー・ソングと同じくらいの長さなので、この人はこのお題でどんな歌を歌うのかなという関心で見てもいいと思います。

 

松尾さんの答えは結構良かったと、僕は感じました。

 

そもそもの話をすると、今の日本で選挙に行かない判断をする人は、世界観、道徳、思考などのうち、どれかあるいは全部がどうかしているんじゃないかと思うのです。それでそんな人たちが、短い、選挙に行こうメッセージを聞いたところで、あ、俺は間違っていたとか、これはひとつ選挙というものに行ってみよう、と思うわけがないと思うのです。

 

なので、ほとんど効果のない、むなしい試みだと言ってもいいかもしれませんが、何度か行ってみたけどあんまり意味がわからなかったという、貢献の意欲は持っているものの、選挙というものにどう向き合っていいのか理解ができず、脱落気味の人がいたら、そんな人を少し励ますくらいの効果はあるかもしれません。

 

そういう効果は、ポンとハマれば効果を持つし、聞いた状況が悪ければ逆に反感を買ってしまうということにもなる、微妙なものじゃないかと思います。

 

もしかしたら、このメッセージが届く人がいるかもしれないので、いちおう投げかけてみるということなので、頭を悩まして考えるほどのことはなく、気軽な形で自己表現をし、自分のこれまでの蓄積が自然に流れ出てくれればいいくらいの気持ちでやればいいことじゃないかと思います。

 

そしてそういう時に、うまい表現ができるかできないか、受け取った人が前向きなメッセージを受け取るか受け取らないかは、ポピュラー・ソングの形で、歌ってみて、聞いた人がいいと思うかどうか、というやりとりと似ていると思います。

 

期待されている効果は、ほとんど起こらないものだし、風向き次第で逆効果にもなるような微妙なものなので、力を入れてやって全く手応えが感じられずに落ち込むようなことを避け、気軽にやって1人でも何か感じてくれる人がいたらいいな、という程度でやればいいんじゃないでしょうか。

 

実際に僕も、政治の世界に全く関係していなかった時に、選挙に行こうという歌詞の歌を聞いても、全くピンと来ませんでした。その時、僕にとって、受け取れたメッセージはゼロだったわけです。何でも好意的に受け取る気があった僕に、全く何も届かないのですから、疑い深い人や反感を抱きがちな人にはますます届かないでしょう。

 

歌う姿勢は、それでも投げかけてみるという時に、適しているような気がします。

 

根本的なことを言うと、普段、なんやかやと色々考えていると、結果として、選挙に行かねばと思うようになるという順番なので、前提として存在する、なんやかやの部分を、そんなものを持っていない人に感じ取ってもらうようにすることが大事なのかなと思います。

 

いかにして、なんやかやの部分を持つことができるのかを直接教えようとすると、弟子をとって教育するということになるかもしれません。そこまでできない場合は、「教養の世界」というものがある、ということを予感的に伝えることができればいい、ということになると思います。