ほ、ほ、ほもですわ。
昔、偉いお坊さんは、「お稚児さん」を抱えていました。表向きは小姓だけれど実体はしばしば愛人である少年のことです。
当時の僧侶は女色を禁じられていたので、男色が盛んだったのです。
醍醐寺の秘宝、『稚児之草紙』。僧侶のためのポルノ短篇絵巻です。作者未詳、1321年。
情報が少なすぎるので、『夜想』15号・少年特集の記事の受け売りをいたします。
(ちなみに画像の原画は昭和52年に“忠実な模写”をした模本から採ったとかで、本物は門外不出。三島由紀夫は本物を目にした幸運な人で、小説『禁色』において「ほほゑましい稚拙な肉感を湛へ.....」とほめております。)
***画の横の文句***
(稚児が僧侶によりよく仕えるために、下男を相手に性的な訓練をしています。愛欲に萌えながら交わることを許されない下男は、たまったものではありません。)
稚児 「では、もう一寸深く突き入れてごらん。さあ、どうだね。」
下男 「何とまあ仕方のない事でしょうか。世間並の御奉公もあるというのに、私の一物が勃起して我慢出来なくなるので、毎夜せんづりをかくので、男根の腰が弱くなり、女房に憎まれておるような次第です。」
男色ネタの中では、まっ先に『稚児之草紙』を取り上げたいと思いました。
後世に流行した武士的な男色とはちょっとちがう感じがするからです。
どの短篇もあらすじは、「ステディ(死語)な僧侶がいる稚児と、彼に横恋慕する下男や修行僧が、一時的に戯れる」という話のようです。
前文では、稚児が僧侶に仕えるときの忠実な心ばえが重視されています。また稚児は、下男や修行僧と戯れる際には、僧侶に隠れて戯れている。
一応、浮気=罪ではあったのでしょう。
でも、お馬鹿で陽気なのですわ。
『夜想』解説から一部抜き書き。
「主題は『主ある稚児』の姦通?物語りである。しかしこれを『不道徳』とせず、仏の衆生への愛の如く、あまねく『施す』徳を賞賛しており、その点おおらかな好色譚である。」
江戸時代になると、主ある稚児が他の男と情を交わすことは、罪とされてしまうのだそうです。あたかも結婚のような独占契約になります。
それはそうでしょうね。何かを独占したがるというのは、攻撃性や支配力を重んじる男性上位社会の特色ですから。武士が支配した時代はまさにそれです。
独占的な価値観に染まった男色は、暗いのです。精神的に尽くす愛を重んじます。武士に殉じる少年小姓と、少年のはかなさを愛でる武士のイメージ。
暗さがかえって倒錯的です。
***画の横の文句***
(若い僧が、貴い僧に仕える稚児に横恋慕しました。やがて首尾よく思いを遂げ、こっそり通って戯れるようになりました。)
若い僧 「生まれて以来、見ながら行った事は初めて。良いやり方だと思います。おお何と良い形でおいでか。」
稚児 「そんなに明るくして(燈火をかざすので)何て騒がしい。何をおっしゃる。」
あたくしは『稚児之草紙』の性を絶賛するつもりはありません。
だって聖職者の児童買春でしょう。かなり鬼畜ですわ。
身売りや略取によって無理やり稚児にされた少年は多かったはず。今日貧しい国々で起きている少年少女搾取と同じです。
それでも、すばらしい草紙ですわ。この何ともいえない可愛い色香。
日本の性風俗史を知る上でも貴重な文献と思います。
国は国宝に指定して、上野公園の国立博物館で展示するべきです。
西郷どんも喜びますわ。 (薩摩は男色で有名でした。)
Posted by maririanna at 00:00│
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万里アンナさんのブログ「官能の大海/エロ民俗」で紹介された、『稚児之草紙』を見て感激。そして色々検索して見つけた「浮世絵春画と男色」という本を購入しました。
これらの絵を見てこれまで引っ掛かっていたものがちょっとすっきり。と、言うのは、室町から江戸時代
『稚児之草紙』と月代、そして「契り」【サー・トーマスの「美少年へ捧げる」】at 2004年11月01日 00:02
来年の大河、タッキーの義経、美しいですね、楽しみですね[:ラブ:]
本来成人前(少なくとも10代前半まで)のお稚児さんファッション、オロナミンCのCMでも違和感ないもの。
NHK大河ドラマ「義経」
書店にも義経関連本いろいろ出てますけど、アイヌのアテルイになった
司馬遼太郎「義経」ほか義経本ガイド【あんどおのJUGEM】at 2004年12月30日 22:50