第37話:使徒がきた
晴天に恵まれた残寒の候。
日陰を覗けば所々残る積雪が肌寒さを物語るが、帝都アーウィンタールの中央に位置する皇城はポカポカとした陽光に包まれていた。
この日、バハルス帝国皇帝ジルクニフは、ロウネを筆頭とする優秀な秘書官たちから論文を受け取り、その内容にひとり熟思していた。
題名は“新たな戦争形態”。
その内容は遠くない未来、国家間の争いの場が兵士が駆けまわる戦場から民の生活の場、つまり“経済”に移ると主張していた。従来の戦争は経済戦争によってもたらされる副次的なものになるというのだ。
半年前のジルクニフであれば馬鹿ばかしいと一蹴していたであろう。
彼だけではない。誰に聞かせても同じだ。帝国、王国、法国、都市国家連合、どの国の知識人に読ませても鼻で笑われるだけだろう。
なぜなら経済を司る「人、物、金」が、国家を名乗る共同体の存続を左右するなど到底信じられることではないからだ。
まず、“人”は国家と強く結びついている。人口の大部分を占める農奴に限らず、どの国の民も
仮に移住を目論んだとしても、徒歩半日の距離を移動するのに護衛が必要な危険な世界。ひとつの共同体が支配する領内にとどまらず、
そして危険だからこそ、多くの国々は例外なく国境の出入りを制限、監視しているのだ。
次に“物”だが、たしかに国家間の交易は小規模ながら存在する。しかし、交易品の多くは嗜好品の類で、それらが無くなったとしても国家を揺るがすようなものではない。現存する周辺諸国は、“
今現在、国家を名乗る共同体は、長い歴史の中で淘汰されずに生き残ったいわば“完成された集団”だ。既にそれぞれの共同体の中で需要と供給が均衡を保ち維持されているからこそ、人類は魔人戦争以降200年も生き長らえてきたとも言える。
王国のように
最後に、人と物が国内にあるので当然“金”も国内で循環する。しかも中央、つまり権力者に金が集まるようになっている。金は民から
そもそも“商い”にまつわる業務は、その共同体の長が兼任、または長が他の有力者に任命するものであり、平民が勝手に“商人”を名乗ることはできない。国家間であればジルクニフやランポッサ三世、領地間であれば各領主、民間であれば領主などが認可した
つまり、商人とは共同体に属する者の役職であり、派閥や階級の差はあれど支配者層、または身分が確かな者で売買を独占していると言える。
共同体に属さぬ者が“交易商”を自称して勝手に店を開くことなど許されず、必ずその地域の長や
権力者たちが許可を得ない闇市を取り締まり不透明な商いを禁止してきたのは、金を中央に集める以外にもその共同体の経済を守るためでもあるのだ。
結論として秘書官たちの唱える経済戦争は、輸送中に襲われない事を前提とした平和ボケした論説だ。各国が自己完結している現状で、商隊に護衛隊をつける経費を捻出してまで輸送する道理が無い。元を取るには大量輸送化しなければならないが、そこまでして「人、物、金」を国家間で移動させる必要がない。
――現実味のない与太話、半年前であればそう切り捨てた。
しかし、この論文にはとある前提がある。それは、“
神の御名において
非暴力の戦い。
対立国の産業を揺さぶる新たな政策が鍵となるだろう。対立国と隣接する国々と結託したり、輸出入の品を制限するなどの手段がそれだ。
現に今、帝国は木材をフィオーラ王国に抑えられているが、これはとても危険な状態だ。フィオーラ王国と関係を持つために輸入しているが、相手を根拠もなく一方的に信用して完全依存することはできない。依存したまま急に供給を断たれたら帝国は暖炉にくべる木材を失い冬を越せなくなる。多くの凍死者がでるはずだ。
そうなった時、帝国は木材を得る為に
それを回避するために、木材自給率を上げるよう既に指示を出している。また、今後現れるであろう敵対的な交易商から国内市場を守るための新たな法、大義名分を準備させている。不当に独占したり過度に流通させる輩が現れたら、法を盾に財産を没収するなり取り潰せばいいのだ。
実のところ、ジルクニフは共存協定の市場が広く開かれていることから、様々な制限を受けてまで無理に加入する必要は無いと考えていた。独力で国を維持できる間は共存協定に触れる必要はなく、もっと別の、それこそ今後を見据えて通商条約などの法整備を煮詰めるべきだろう。
ジルクニフが悩まし気に論文を読んでいると、秘書官ロウネ・ヴァミリネンの来訪をメイドが告げる。
「失礼します陛下。……おや、論文をお読みいただけたようで。如何でしたか」
顔を上げると秘書官のロウネがジルクニフの顔色を窺っていた。
論文は優秀な秘書官たちの他、学者なども交えて考察されたもので決していい加減なものではないことはロウネ本人も承知しているはず。しかし、内容が内容なだけにその評価が気になるようだ。
「良くできている。そこでさっそくだが今ある商工省を解体、この論文に基づいて新たに貿易省を作るぞ。貴族たちに任せている商いを一元化したい。早急に組織の草案をまとめろ」
「畏まりました。すぐに取り掛かります」
秘書官たる堂に入る所作でロウネは素早くメモをとる。
「それと並行して食材の鮮度を保つ輸送手段も開発させろ。ついでに保存食の開発もだな」
「輸送に保存食……ですか」
ロウネは不思議そうな顔だ。
「いいかロウネ。神は共存を掲げてはいるが
「仰る通り協定は争いを禁じてはいますが融和は説いていませんでしたね」
ロウネの同意を受けてジルクニフも頷く。
「そんな中で経済戦争が現実になったら、我々が輸出できるものは限られる」
「そのひとつが“食料”ですね? 畏まりました、食料に関しても早急に手配いたします」
相手の価値観が分からなくても生者であれば生存に食料は必須。好みは追々調査するとしても、今から食料生産を強化することは将来への投資となる。
理解の速いロウネに満足すると、ふと彼の持っている資料が気になり執務室へきた理由を問う。
「それでどうした。何か用があったのではないのか」
「ああ、そうでした。陛下、帝国に例の“漆黒”が現れました」
「なに! それで、目的はなんだ」
その報告に思わず身を乗りだす。
「観光のようです。エ・ランテルに潜ませた間者の報告では、“息抜きのための旅行”と冒険者組合へ申告しているようです」
「よく組合が許したな」
「カルネ村に拠点を移した際は組合との不仲も噂されていたようですが、関係はいたって良好のようです。急を要するアダマンタイト級への依頼も無かったことから話が通ったみたいですね」
スラスラと受け答えするロウネは関係書類をジルクニフへ提出する。
書類は漆黒メンバーの人物評価だった。
漆黒リーダー、モモン。男、
南方出身。普段の言動から礼儀正しく物腰の柔らかい人物と評される。他者と一定の距離を保ちたがる傾向がある。自己申告で扱える魔法は第三位階までとなっているが、
モモンと同郷、マイ。女、モンク。
女性らしい肉体からは想像もできないほどの膂力を持ち、
スレイン法国出身のクレマンティーヌ。女、軽戦士。
他の2人と比べると好戦的で、戦闘においては彼女が攻撃の初手を担うことが多い。そのため戦闘の目撃例が多く、難度90と分析された実力の信憑性は高い。
魔獣、ハムスケ。雌、かつて森の賢王と呼ばれた伝説の魔獣。
会話が可能で性格は武人気質。餌の都合上、特別な任務で漆黒に同行する以外はカルネ村自治領周辺の森に放し飼いされている。
漆黒はエ・ランテルで発生した“死の螺旋”の解決に大きく貢献したことでアダマンタイト級冒険者へ昇格。昇格後、長期間公的な場へ拘束され続けたことで「組合の束縛が過ぎる」と不満を漏らす姿が目撃されている。
今回の“帝国観光”はそうした束縛で重なった心労を癒すためと思われる。
報告書を読み終えたジルクニフは目を細める。
「なるほど。
「バハルス帝国の査定と思われます」
「やはりか……、連中が使徒であると?」
「はい、ほぼ間違いなく。彼らの足取りと王国で起こった事象が一致しています。不確かな情報ですが、八本指の娼館部門壊滅にも暗躍したとか。神の目となり耳となり諸国を調査していることは確実でしょう。“死の螺旋”への介入も、ズーラーノーンの蛮行を神が看過できなかったためと目されます」
ロウネは一度言葉を切ると、改めてジルクニフに進言する。
「陛下、私がフィオーラ王国で従属神と会ってから随分と経ちました。……戦争の事後処理が済んだ今、陛下自ら法国へ赴き、神への謁見を賜る頃合いではないでしょうか。共存協定の是非はともかく、国家として交流はしておくべきです」
ロウネの言うことは正しい。
法国の周辺国で未だ神と直接交流が無いのは帝国だけかもしれないのだ。
これが稀代の大魔術師や四騎士を超える強者であれば――、“人間に測れる相手”であれば躊躇いなく飛び込むことができたはずだ。
しかし、“7万からなるビーストマンの軍勢を退けた存在”が仕える相手ともなると慎重にならざるを得なかった。情報伝達の遅れからカッツェ平原の戦いを挟んでしまったが、本来であれば一早く関係を築いて然るべき相手だ。
だが、情報は得た。
報告を受けた当時は不確かだったが、今は歴然たる結果が目の前にある。神と関わった国は、竜王国にしろ王国にしろ良い方向へ転がっている。それは疑いようがない。
「ロウネ、使節団を送って先方と日程を調整しろ。決まり次第向かう」
「畏まりました、すぐに手配いたします。――漆黒のほうは如何いたしますか?」
ジルクニフは椅子に深く座り直し何が最善かを考える。
漆黒は王国での活躍をみれば善性の存在であることは明白。そして、仮に報告書にあった人物評価通りの人柄なら権力を笠に着て呼び出すのは悪い印象を与える。
「観光が目的で来ているのであれば泳がせておけ」
「宜しいので?」
「構わん。王国のように慌てて首を切り落とさねばならん貴族もいないしな……。むしろ放置することで王国のように“帝国の膿”を始末してくれるかもしれんぞ?」
そう言いながら帝国に巣食う邪教徒の存在を思い出す。
“死の螺旋”の混乱が収まった後、帝国と王国は会談の場を設けた。本来であれば戦後賠償を話し合う場だったのだが、勝敗が曖昧だったこともあり“死の螺旋”を引き起こしたズーラーノーンの撲滅に向けて共同で立ち向かう条約を結ぶにとどまった。
件の邪教徒とズーラーノーンが同一の組織かは不明だが、上手くすれば漆黒の目に留まって処理をしてくれるかもしれない。
「だがそうだな……、取り入る隙があるかだけでも確かめさせよう。フールーダ……は演技ができそうにないから駄目だな。よし、バジウッドを呼べ。礼儀に不安を覚えるが人好きのする奴なら上手くやれるだろう」
「物怖じしない彼なら大丈夫かと。すぐに呼んでまいります」
執務室を後にするロウネを見送り、ジルクニフは一息つく。
漆黒の入国目的が査定であればなんら恐れることはない。少なくとも以前の王国よりは健全であると自負している。
「ふ、使徒の仕事振りとやらを見せてもらおうか」
「凄いよモモン! 街並みがなんかそれっぽい!」
およそ教師とは思えない語彙力のなさでやまいこが感動を言葉にする。
しかし、それも仕方がない。“死の螺旋”以降、アダマンタイト級へ昇格してからというもの、冒険者チーム“漆黒”は事あるごとに公的機関から呼び出された。初めの頃こそエ・ランテルの復興を担うものが多かったが、次第に組合の資金を集める広告塔として会合に呼び出されることが多くなり嫌気がさしていたのだ。
この帝国旅行は、珍しくモモンガが組合長に強く当たったことで実現した久しぶりの遠出。公の場に晒され続けた反動も相まって、旅行中は思う存分満喫すると決めていたのだ。
「それっぽいって……。いや、言いたいことは分かりますけどね」
「いやー、ぽいよ。ぽいぽい」
歳甲斐もなく子供のようにはしゃぐやまいこに呆れつつも当のモモンガも気持ちが昂っていた。リ・エスティーゼ王国にいた頃からバハルス帝国の噂は耳にしていたが、その噂に違わず目の前に広がる街並みは素晴らしく、やまいこがはしゃぐ気持ちがよく分る。
帝国は王国と比べると何もかもが洗練されていた。石造りで灰色に成りがちな街並は鮮やかな色彩の塗料に縁取られ、各建物の窓は色とりどりの草花で飾られている。住民のひとりひとりが街の美観に注意を払っていることがよく分る。
全ての道に煉瓦が敷設され靴が土で汚れることが無い。道行く人々の服装を見れば様々な身分が混在していることが分かるが、その立ち居振る舞いは総じて王国よりも水準が高いように見える。
「同時期に建国されたと聞きましたけど、治める者が変わるとここまで変わるものなんですね」
「ほんと、驚きだね」
やまいこがクレマンティーヌを見ると、彼女も辺りをキョロキョロと見渡しては感嘆していた。
「クレっちは来たことあるんじゃなかったの?」
「ん~、任務でなんどかね。でも観光するよゆーはなかったから」
聞けば確かに納得だ。
漆黒聖典と言えば亜人相手に野を駆けまわっていた特殊部隊だ。荒野、森、山と、人間が棲めない領域を活動の場としていた。任務を終えれば法国へ帰り、また次の任務へと旅立つ日々。
こうして任務に追われることなく街を探索する機会が無かったのだろう。
大広場に差し掛かったモモンガは足を止める。
「観光の前にセバスたちに顔を見せに行くか……」
「賛成。泊まるにしても場所は確認しておかないとね」
モモンガは懐から住所が書かれたメモを取りだす。セバスとソリュシャンの借家の住所だ。
2人はカッツェ平原の戦いが始まる前から帝国で情報収集をしていた。潜入して早数ヶ月、王都での活動と同じく“法国の商人”として潜入しており、活動の拠点となる借家を借りているのだ。
これほど長期間の潜入にも関わらず未だ調査が終わらないのは、ひとえに帝都が巨大であることと、単純に人手不足が理由だ。
「そこの御三方。もしや“漆黒”の方では?」
モモンガがメモを片手に標識と睨めっこしていると突然声をかけられる。
振り返ると黒い鎧の顎髭を生やした屈強な騎士が立っていた。一目で警邏中の兵とは格が違うと分かる。
「そうですが、……失礼ですが貴方は?」
「こりゃ失敬。俺はバジウッド・ペシュメル。帝国四騎士を務めている。好奇心から声をかけちまったが他意はないから安心してくれ」
「帝国四騎士!? あの帝国最強の?」
予想外の人物の登場にモモンガは驚く。
「誰が最強かって話になると意見が分かれるところだが、まあ、その四騎士だ。それで道に迷っているみたいだったが……、もし冒険者組合を探しているんだったら案内しよう」
「申し出はありがたいが、観光で来てましてね。組合には顔を出す気はないんだ。……ただ、折角だからこの住所への道を聞きたい」
メモを見るとバジウッドは任せろと胸を張る。
「俺の家に近いな。よし、案内しよう。――と、その前に。少しここで待っててくれ」
バジウッドはそう言うと返事も待たずに広場の方へ姿を消す。
「ふむ……。あれが四騎士の“雷光”か。結構フランクな奴だな」
「騎士ってもっとお堅いのかと思ってたけどね」
「帝国は能力主義だし、礼節よりも強けりゃいいって感じかもね」
思い思いに感想を述べていると本人が戻ってくる。
「いやはや、お待たせした。これを皆さんに」
そう言われて手渡されたのは帝都の観光案内だった。
どうやら
「これは、わざわざありがとうございます」
礼を言うかたわら、バジウッドがやまいこを窺っているのに気づく。
やまいこもその視線に気づいたようだ。
「なにか?」
「ああ、すまない。……実はマイ殿に礼を言いたくてな」
「ボクに?」
「エ・ランテルで貴女が討ち取った
「……そう。でも、礼ならガゼフに言うといい。ボクは彼の手柄をかすめ取っただけだよ」
「そう謙遜なさるな。……しかし、いや、すまないな。折角の旅行に水を差しちまって。――付いて来てくれ。その住所に案内しよう」
道すがらバジウッドから帝都の紹介を軽く受ける。
皇城、帝国魔法省、大学院、帝国魔法学院、帝国美術館、中央市場、闘技場、北市場、奴隷市場等々、住民であるバジウッドの説明は、セバスたちの報告よりも生活感が伴っていて面白い。
特に
「魔法学院と北市場は面白そうですね」
「なら明日、魔法学院を見学できるよう紹介状を届けよう」
「良いんですか? そんなにしてもらって……」
「構わんさ。強者に恩を売っておこうっていう下心だ」
元々そういう性格なのか、馬鹿正直な言葉は清々しい。
「まあ、俺が気を回さなくても“漆黒”は陛下の覚えもいい。謁見すれば大概のお願いは聞いて貰えそうだがな」
その言葉にやまいこが声をあげる。
「陛下って、皇帝陛下!? 無理無理、謁見だなんて怖すぎ」
やまいこの悲鳴に当のバジウッドがキョトンとした顔になり、やおら笑いだす。ひとしきり笑うと、無言で抗議するやまいこに弁明する。
「いやいや、気を悪くしないでくれ。アダマンタイト級冒険者から“怖い”と言われるとは陛下も驚かれるだろうと思ってな」
「権力も立派な“力”だよ。帝国の頂点、鮮血帝と呼ばれるような人物を恐れるなという方が無理な話だと思うけど?」
返された言葉に今度はバジウッドが困り顔になる。
「王国でどう聞いたか分からんが、陛下を“鮮血帝”と恐れるのは極一部の貴族だけさ。帝国は三代前まで“王国と同じ諸侯が治める国だった”と言えば理解してもらえると思うが、昔は貴族共の汚職で国が濁っていた。それを正した人だ。多くの血が流れたのは確かだが、少なくとも民は恐れていない。アンタたちも道中見ただろ? 国民の明るい表情を。あの笑顔を作れるだけのお方だ」
見た目とは裏腹に、その真っすぐな言葉に感銘を受ける。
ガゼフに負けず劣らず、この男の忠誠心も確かなものだ。
「ま、腹黒いところもあるが必要以上に怖がることはないさ」
バジウッドは足を止める。
「着いたぞ。ここだ」
話に夢中で気付かなかったが、辺りは三階建ての住居が建ち並ぶ閑静な高級住宅街だった。各建物が隙間なく建ち並んでいて全体的に屋敷というよりは巨大な集合住宅のような印象だ。
似たような風景が続くため、モモンガたちだけでは辿りつくのは困難だっただろう。
「案内を感謝する。なにか礼ができればいいんだが」
「なら帝国に仕える気は無いか? 漆黒の強さなら一気に四騎士の仲間入りかもしれないぞ? ん、この場合は六騎士か。賑やかになるな!」
「いやいや、話が飛びすぎですって!」
わははと豪快に笑うバジウッドにモモンガは突っ込む。流石に道案内の見返りに宮仕えを要求されては割に合わない。
とはいえ、その憚らない笑いに釣られモモンガも思わず笑みが漏れる。今みたいにその場のノリで会話を楽しむのはいつ以来だろうか。
悪い気はしない。
「まあ冗談はさておき、陛下が優秀な人材を欲しているのは本当だ。召し抱えるのが無理でも優秀な者と交流を持ちたいと思うのは上に立つ者としておかしくはないだろ? ――さて、これ以上は観光の邪魔になるだろうしおいとましよう。何か困ったことがあったら衛兵に俺の名前を出すといい。じゃあな」
現れた時と同様、バジウッドは颯爽と居なくなる。
「……面白い奴だったな」
「バジウッド・ペシュメル、だっけ? 苗字と名前だけだから平民出身なのかな。学校の話といい、帝国はなかなか良い国のようだね」
帝都に着くまでに衛星都市をいくつか通過したが、どの街も道路や娯楽施設などのインフラが整っていた。上下水道は裕福な地区だけみたいだが、直前まで見聞きしていたリ・エスティーゼ王国と比べると雲泥の差である。
かつての王国は道路の舗装費用をどう捻出するかで領主間で揉め、結果として各領地間の街道はおろか領地内の道路すらまともに整備できずにいたのだ。今でこそ指輪同盟によって街道が整備されつつあるが、驚くことに当時の王都でさえ大通りしか舗装されておらず、ひとつ道を外れれば剥き出しの大地だったのだ。
「俄然、観光が楽しみになったな」
「だね!」
幸先の良い帝国観光に胸を躍らせながら御方は借家の戸を叩くのだった。
ジルクニフは豪華な椅子に深く座り、呆れながら頬杖をつく。
「で、馬鹿正直に勧誘した訳か……」
「はっ! 面目ありません!」
「何のためにフールーダではなくお前を向かわせたと思ってるんだ……」
フールーダを信頼していない訳では無いが、こと魔法が絡むと面倒な性格だ。優秀な
ニンブルでは少々堅いし、レイナースは呪いのせいで第一印象に不安があった。
その点、腹心の中ではバジウッドは適任だ。
砕けた人柄に既婚者特有の落ち着いた雰囲気は相手を安心させる。
人脈を作るうえでその性格が人付き合いに有利だと判断しての人選だったのだが……。
「まあいい。それで、感触はどうだ?」
「モモンとマイは『観光楽しんでます!』感が凄かったな。ただ、クレマンティーヌは油断なりませんぜ」
「というと?」
「隙が無い。例えるなら陛下を警護中の俺ら四騎士。奴ら、気心の知れた冒険者仲間を装っちゃいるが、俺から見たらクレマンティーヌは間違いなく警護役。モモンとマイのどちらか、あるいは両方が警護対象だと思いますぜ」
バジウッドの分析に閃くものがあった。
「その女は法国出身だったな。神の使徒を法国の特殊部隊が警護していると考えれば自然か」
「最近表に出てきた六色聖典の一員だってんなら難度90ってのも納得ですぜ」
亜人との戦いに明け暮れ、人類の守護者を気取っていた連中が保有する秘匿されてきた戦力。未だにその全体像は掴めないが、噂によれば神の血を引く者――神人がいるという。
「神の縁者であれば接近も容易い、か……」
ジルクニフが帝位に就いてから今日までの間に、帝国内で神人が現れたなどという話は聞いたことが無い。法国のようにきちんとした住民票を作り始めたのは帝国を専制君主制に切り替えた二代前からで、残念ながら神の血筋を辿れるほど記録に厚みも無いのだ。
神人によって国力を強化できればどんなに良いかと思わなくもないが、無い袖は振れない。潔く諦めるしかあるまい。
「それでロウネ。漆黒が合流した連中の調べはついたか?」
「はい。スレイン法国の商人で名はソリュシャン・ヘロ・イプシロン。先代から屋号を引き継ぐと同時に事業を拡大。最高執行機関の承認を得て商いの手を国外へ広げたばかりみたいですね。資産は潤沢のようで、帝都で行われた競売で美術品や魔法の品などを購入しております。今のところ買い付けのみで法国の商品を帝都内で販売等はしておりません」
聞くかぎり不審な点は無い。輸出量こそ少ないが美術品や魔法の品はいわば帝国の特産品。地理的に近く、比較的安全に往来できる都市国家連合や王国の商人が稀に買い付けにきているので特別なことではない。
そういう意味ではカッツェ平原や緩衝地帯を挟む法国の商人は珍しいともいえるが、輸送費を上回る利益が買い付けた商品で回収できるのであれば命懸けで遥々遠征してくることもあるだろう。権力者とは得てして美術品などの嗜好品を好み高く買い取るものだ。大金を得ようと、彼らの見栄のために命をかける者がいても不思議ではない。
「ふむ……、“ヘロ”とは聞き慣れない洗礼名だな。それで漆黒との関係は?」
「ソリュシャンの祖父が漆黒の後援者のようです。詳しいことは分かりませんでしたが、ソリュシャンは娘夫婦の忘れ形見らしく、何らかの事件に巻き込まれたのを漆黒に救出されております。それで溺愛していた孫の恩人ということで資金的な援助を申し出たとのことです。ただ、周知のとおり漆黒はあっという間にアダマンタイト級に昇級したこともあって困窮していた様子は無く、実際に金銭のやり取りは見当たりません。今回のように旅先で目的地が重なった際は宿の代わりに部屋を借りているようです」
ソリュシャンの祖父が漆黒と神の繋がりをどこまで知っているのかは不明だが、漆黒ほどの旅人、一流の冒険者の後援者ともなれば得るものも多いだろう。もしかしたら孫のソリュシャンをモモンにと考えているかもしれない。
政略結婚は珍しいものではないが、それを狙って後援者になったとしたら大した投資家だ。
あれこれと考えに耽るジルクニフにロウネは続ける。
「それと当のソリュシャンですが、相当甘やかされて育ったのか漏れ聞こえてくる人柄は“我が儘で癇癪持ち”、いつも執事を困らせているとか……。そして、誰もが認める絶世の美女ということです」
「ほう。一目見てみたいものだな」
「何か都合をつけて呼び出しましょうか?」
「そうだな……、いや、法国内での影響力を調べてからでも遅くはあるまい」
「畏まりました。調査を進めておきます」
ジルクニフは一息つく。
エ・ランテルを得る機会を失ってしまったことが未だに悔やまれる。たらればが無意味であることは承知しているが、「もしも1年早く行動を起こしていれば」と思ってしまう。
いつまでも女々しいと言われるかもしれないが、十代の頃から練っていた計画が頓挫したのだ。悔しいものは悔しい。
「まったく……、やれやれだ」
なんにせよ国内産業へ目を向ける必要に迫られている今、ものは考えようだが西側を強く警戒する必要が無くなったことはありがたい。
漆黒の動向も気になるところだが、目下のところは神と関わった国々を観察することが重要だろう。共存協定の働きや物の流れをつぶさに観測し、帝国のものと比較検討。来たる経済戦争に備えなければならない。
「よし、気持ちを切り替えよう」
独自設定
・各国の国交事情
・商人の扱い