王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが城塞都市エ・ランテルの駐屯区を東側から北側へぐるりと巡り、遭遇した
衛兵がけたたましく警鐘を鳴らす中、はやる心を必死に抑え、冒険者たちは組合長の号令をいまかいまかと待っている。
彼らは未だに待機を強いられていたのだ。
有事に際しての初動としては“遅い”と評価せざるをえない。
しかし、今は戦時中。冒険者には繊細な対応が求められる時期であった。冒険者組合の規約と戦争法により冒険者は国の争いに関与できないのだ。
冒険者はあくまでも魔物退治の専門家、民間の便利屋であり、政策に不干渉であることが要求される。その働きが国家の枠組みを越え、人々の利益になると理解されているからこそ、独立機関として活動が許され徴兵が免除されているのだ。でなければ国は得体の知れない集団に武器の携帯を許すはずがない。
もし仮に、組織だって戦争に加担したとなったら冒険者組合の立場は非常に厳しいものになる。いくら一般兵士よりも強いとはいえ、冒険者の数は王国全土で3000人程度。ひとたび不穏分子と認定されれば、たちまち物量で押しつぶされてしまうだろう。
国家を敵に回すという事はそういうことなのだ。
だからこそ情報の精度が求められた。
街の衛兵が第一報を持ってきたが、しかしその衛兵は酷く取り乱していた。エ・ランテルはカッツェ平原と近いため、他の地域よりも墓地での
ゆえにアインザックは衛兵の報告をそのまま鵜呑みにはしなかった。一早く駆けつけた冒険者チームを情報収集のために何組か送り出すと、自身は組合に所属する冒険者へ緊急招集をかけたのだ。
攻めてきているのが帝国軍であれば即解散。真夜中に騒がせて済まぬと組合長が頭ひとつ下げれば済む。もし攻めてきているのが本当に
そして、待ち望んでいた続報が示したのは後者。
戻ってきた
――必要な手順だったとはいえ、出遅れたか……。
リ・エスティーゼ王国にある冒険者組合所属の冒険者は3000人程。
ただ、それは
そしてこの城塞都市エ・ランテルの組合に所属する冒険者は400人弱。これでも所属人数としては多い方だが、残念なことに実数としては300を下回るだろう。何故ならその三分の一ほどが戦争で減った仕事を求めて地方へ出稼ぎへ行ってしまったからだ。
実質300人弱。
単純に数値としての戦力で考えれば、低位の
――早急に西側の通りを封鎖しなければ。
しかし、まだ間に合う。西の門を突破されたが、ここは城塞都市エ・ランテル。戦争を想定したこの都市の道路は複雑でまさに迷路。主要機関を繋ぐ大通りでさえ土地勘が無いと遠回りするよう設計されている。思考できる人間ですら迷うのだ。生者にただ吸い寄せられる
――その為にも王国軍との連携が必要だ。
冒険者の強さ、地理的条件、王国軍との連携。
それらが揃えば挽回できる、と意気込むアインザックに空から無慈悲が襲い掛かる。広場に集った冒険者へ指示を飛ばし、戦意高揚のために鼓舞していたまさにその最中に夜空から急襲を受けたのだ。
アインザックが士気の高さに満足する間もなく広場に轟音と衝撃が広がる。立ち込める土煙の中から怒声と悲鳴、そして呻き声が響く。
「な、何事だっ!?」
土煙が晴れ、焚かれた篝火に照らし出されたのは
魔法に対する絶対耐性を持つ怪物だ。
ニニャが夜空から零れ落ちてきた
曰く、「
ニニャは逃げ出そうと咄嗟に腰を浮かせた。
でも、それが限界だった。恐怖で膝が笑い、動くことができなかったのだ。
ニニャは
近くでルクルットが何か叫んでいるが危機に瀕し上手く聞き取れない。
「姉さ――っ!?」
鞭のようにしなる骨の尾に頭を潰される寸前、ニニャは何者かに蹴り飛ばされる。皮の服とマントしか装備していない
「邪魔だボケェ! 呆けてる暇があったら住民を誘導しやがれ! 立て!」
真横からの衝撃と頭上をかすめる骨の尾。
罵声を浴びせられ訳がわからぬまま倒されたニニャは、地面に強打した痛みで自分が生きていることを理解する。もんどり打って悶絶していたところをルクルットに助け起こされると、ニニャは意外な人物を目にする。
「げほっ! 痛っ!? ――イ、イグヴァルジさん!?」
咳込みながら身を起こしたニニャが目にしたのは、ミスリル級冒険者チーム“クラルグラ”のリーダー、ニニャたちを庇うように立つイグヴァルジの背中だった。
彼は
「クソ……。お前ら組合長の言葉が聞こえなかったのか?
“骨の集合体”に視覚や聴覚があるのか分からないが、声を潜めて喋るイグヴァルジにニニャも頷きで返す。幸いにも尾による攻撃は意図したものではなかったらしく、
ニニャたちが広場を離れるなら今しかないだろう。ここは既に上級冒険者の狩場。
「――ご無事で」
落ち着きを取り戻したニニャは、ルクルットや
「ルクルット! あれを見て!」
しかし、行政区へと続く大通りに差し掛かると、安全だと思われていた後方でも各所で突発的な戦闘が発生していた。
警鐘に追い立てられるように逃げる住人たちを、体長1メートル、広げた翼が2~3メートルにもなる骨の猛禽類が襲っていたのだ。幸いにも骨の鳥は群ではなく少数で、衛兵たちが槍で懸命に応戦している。
その様子を見た冒険者たちが次々と参戦する。
ニニャは言い知れぬ不安に襲われる。
王国と帝国の戦争とも呼べない小競り合いは、時が経てばいつも通り過ぎ去るものだと思っていた。しかし、現実には大敗を喫した王国軍の負傷兵が大勢運び込まれ、瞬く間にエ・ランテルが包囲されてしまった。
そして今は墓地から途方もない数の
さらに西地区へ目を向けると、西の夜空が赤く照らされている。
炎で
――二人とも、無事でいて。
ニニャは西地区に残した仲間の二人を思う。
神を信じてはいないが、それでも今は「これ以上悪いことが起こりませんように」と祈ることしかできなかった。
広場に現れた
元々
ここにはエ・ランテルの冒険者組合が誇るミスリル級冒険者チーム“クラルグラ”、“天狼”、“虹”の3チームが揃っている。それぞれに所属する
「このまま畳掛けるぞ!」
イグヴァルジは“天狼”と“虹”のリーダーに呼びかける。即席の共闘だが互いにミスリル級冒険者で知らぬ仲でもない。息を合わせることはできるだろう。
しかし、返ってきた言葉は了承ではなく警告だった。
「イグヴァルジ! 避けろ!」
「な!?」
反射的に身をひるがえし新手の奇襲から逃れるが、続く前足による攻撃を避けきれず吹き飛ばされる。咄嗟に半身を庇った左腕と肋骨が折れる不快な感触と激痛がイグヴァルジを襲う。
「ぐっ! に、二体目だとっ!?」
「違う!
負傷したイグヴァルジに駆け寄った仲間が後方を指す。
そこには、離れた位置から自分たちを支援していた
「な、何故こんなに!?」
誰かが口にした疑問の答えは至極単純なものだ。
すなわち、「
状況を察したアインザックが声を張り上げる。
「そいつをここから引き離せ!」
後方に降り立った
中堅冒険者たちが新手を引きつけている間に、損傷が蓄積している一体目をなるべく早く倒さねばならないだろう。
「ベロテ! モックナック! 一体目を確実に殺れ!!」
『おう!』
アインザックの指示に“天狼”と“虹”の両リーダーから短い了解の意が返ってくる。
「イグヴァルジ、動けるか?」
アインザックは
この男は性格にやや問題を抱えているが組合にとっては優秀な人材。エ・ランテル最上位のミスリル級冒険者だ。負傷したとはいえ踏ん張って貰わなければ
「ああ、動ける。ただこの様だ。囮くらいしかできない」
「それで十分だ。天狼と虹が一体倒すまで時間を稼ぐぞ」
ここで彼らミスリル級冒険者たちが敗れれば、残るは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが駆け付けるのを待つしかないだろう。
それから大して時間が過ぎぬ間に状況は悪化する。
夜空を舞う骨の鳥、
まだ一体目の
それ自体は天狼や虹を責めることはできない。ミスリル級冒険者なら倒せる相手とはいえ、ものの数分で倒せる訳ではない。「倒せる」と「倒した」には大きな隔たりがあるのだ。
アインザックは逡巡する。
当初の目論見通り迷路のような街並みのおかげで、墓地に発生した
考えたくはないが、四体目の
――継戦か、撤退か。
アインザックが判断に迷っていると、その隙を突くかのように
「むぅ!?」
風を切って振るわれた尾に対し咄嗟に盾を構えるが、ギリギリだったために打撃を受け流せず衝撃をもろに受けてしまう。身体が浮き、そのまま数メートル吹き飛ばされる。
ろくに受け身も取れずに転がったアインザックは、己に毒づく。
「クソッ! ここまで鈍っていたとはな」
「組合長!」
その声に顔を上げると、目前まで迫った
いや、実際にはそこまで素早い訳ではなかった。ただ単に、巨体ゆえに数歩移動するだけで自ら突き飛ばした獲物に追いすがれるのだ。
「ここまでか……」
盾で頭上を庇いたかったが、先の一撃で盾を持つ腕が上がらない。
――
時間稼ぎは成った。
自分はここで文字通り退場することになるが、満足だ。
引退した身でありながら役に立てたのだ。
後は現役の彼らが継いでくれるだろう。
アインザックは目を閉じ、死を受け入れる。
数瞬もかからず命を刈り取られるのだ。
しかし、覚悟した衝撃はこなかった。
恐る恐る目を開けたアインザックが目にしたのは、黒檀の杖を突き出した黒スーツの男と、動きを止めた
「ご無事ですか? アインザック組合長」
「おお、モモン君! よく来てくれた!」
モモンガは広場に到着すると状況を素早く確認する。
ユグドラシル時代に培ったチームリーダーとしてのリアルスキルで状況把握はお手の物だ。
〈アンデッド支配〉
組合長へ凶悪な鉤爪を振り下ろそうとしていた
アインザックと短い挨拶を交わすと、モモンガは続いて新たな呪文を唱える。
「クレマンティーヌ、使え。俺の魔力で維持しているからあまり離れるなよ」
モモンガは魔法で
「具体的にどれくらいの距離なら大丈夫なの?」
「分からん」
「えー……」
無下もなく答えるモモンガに、クレマンティーヌは頬を膨らませる。
「戦闘中に消えるかもしれないとか超不安なんですけどー」
「未検証なのだから仕方あるまい。さあ、動きを止めている間に倒してこい」
「はーい」
クレマンティーヌはその軽い口調とは裏腹に恐るべき速さで
「それじゃ、ボクも行きますか」
やまいこも軽くステップを踏むと一足飛びに接近し、
アインザックや他の冒険者が見守る中、あれだけ苦労した
そして杖をかざし続けているモモンガと動きを止めた
「ば、馬鹿な……。君の魔法は、
驚愕するアインザックに
「まさか。
もちろんモモンガが語ったことは嘘だ。
しかし、それを確かめる術を持たないアインザックは受け入れるしかない。
「モ、モモン君。君という男は……」
“動きを止めるだけ”と言うが、それこそこの場の誰にもできない芸当だ。
アインザック含め、驚愕する周囲のミスリル級冒険者たちの表情にモモンガは内心ほくそ笑む。
「それよりも組合長。こいつは我々が引き受けます。残ったもう一体をお願いします」
モモンガの言葉にアインザックは後方に目を向ける。
そこには功を焦った中堅冒険者たちの骸がそこかしこに転がっていた。
「無茶をしおって……。――ここは漆黒に任せる! 天狼、虹、クラルグラはもう一体に取り掛かれ!」
漆黒の三人に釘付けだったミスリル級冒険者たちが弾かれたように動きだし、アインザックも司令塔となるべくもう一体の
それを見届けるとモモンガは一息つく。
やまいことクレマンティーヌを見ると手加減しながらも順調に
吹っ飛ばされることになる冒険者たちには同情するが、ここは「漆黒のおかげで助かった」と強烈に印象付ける必要があるので致し方が無い。
――演技、苦手なんだよなぁ。
「もう少しだ。二人ともガンバレー」
「もー、少しぐらい手伝ってくれてもいいんじゃない?」
モモンガのまったく心のこもっていない“頑張れ”にクレマンティーヌが抗議する。
「無茶を言うな。魔法が効かないんだから仕方ないだろ?」
「あーはいはい。絶対耐性絶対耐性」
もちろんクレマンティーヌは真実を知っている。
それどころか従属神、それも
「それで? ボクたちがこの広場を片付けたら、次はどうするの?」
やまいこが
「まずは西地区ですね」
突破されている西地区は住民に活躍を見せつける絶好の場だ。
その機を逃したくはない。
「そこが終わったらそのまま墓地に入ってハムスケと合流……かな。戦士長と一緒とはいえ、生身のハムスケを長時間
「あぁ、死体から変な病気もらっても困るしねー」
やまいこはユグドラシル時代の
「ほいっと」
やまいこがひとり納得している間にクレマンティーヌが
崩れ落ちた
「よーし。次、行くぞー」
『はーい』
その後、残る
津波のように押し寄せる
三人が西地区を踏み荒らしていた
そしてエ・ランテルを包む空が白み始めると、ようやく墓地に立ち込めていた霧が晴れ、“死の螺旋”の終わりを告げる。
長かったエ・ランテルの夜が明けたのだった。
独自設定
・王国の冒険者数は原作基準ですが、その分布状況は適当に配分。
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・城塞都市エ・ランテルの迷路のような街並み。迷路の
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