FRISK JOURNAL

7,000円の高級爪切りメーカー 職人の技を公開することで得たものとは?/諏訪田製作所 小林知行

 

斬新なアイデア・ひらめきをきっかけに、イノベーションを起こした人たちにフォーカスするインタビュー企画。今回ご紹介するのは、創業92年、高級爪切りで世界的に知られる諏訪田製作所の3代目社長、小林知行。

7,000円の高級爪切りメーカー 職人の技を公開することで得たものとは?/諏訪田製作所 小林知行

爪切りとしては破格も破格、1本約7,000円以上もする国産の高級爪切りが、世界中で売れている。それもニッパー型と呼ばれる、両側から挟み込むタイプのもの。爪のかたちに合わせて微妙にカーブを描いた刃は鋭利で、軽く握りしめるだけで、いとも簡単に爪が切れる。その切れ味と使い勝手の良さから、ネイリストや医療関係者からも絶大な支持を集める高級爪切りを送り出しているのが諏訪田製作所だ。

古くから包丁や工具など金物の一大生産地として知られる新潟県燕三条エリアにある同社だが、高級爪切りのほかにもエポックメイキングな企業として世界的に知られている。それが製造業の命ともいえる製造過程を、誰もが自由に見学できる「オープンファクトリー」だ。

 

当初、同業者や従業員の職人から賛同を得られなかった試みは、結果、売り上げはもちろん、同社のブランド価値を向上させ、労働環境を改善、地域にも貢献する切り札にまでなった。企業が持っている潜在能力を最大化する、逆転の発想とは? ひらめきの源泉を探るべく、小林に話を聞いた。

のどかな田園地帯に年間3万人が訪れる

諏訪田製作所のエントランスを兼ねた建物内には、カフェとショップが併設されている。ショップでは爪切りをはじめ、諏訪田製作所が手がけている商品を購入可能。

上越新幹線燕三条駅から在来線と徒歩で1時間、クルマでも30分は要するのどかな田園地帯に、突如モダンな漆黒の建物が現れる。

「創業者でもある祖父と祖母が住んでいた工場をリノベーションして、今のかたちになったのが2011年です。もともと、工場見学したいという方は少なくなかったんですが、オープンファクトリーを始めてから現在では年間3万人がいらっしゃるようになりました」

外観と同様、ブラックを基調にまとめられた工場内には、爪切りの端材で作られたアート作品をはじめ、同社の歴史、製品、製造工程を展示したギャラリーがあり、奥にガラス張りの見学ルートが伸びている。工作機械までブラックで統一されたほの暗い工場内では、およそ職人とは見えないほどおしゃれな制服に身を包んだ従業員たちがそれぞれの作業に没頭している。

 

「SUWADA つめ切り MIRROR」(上)。世界最高の切れ味、一生ものと評される、諏訪田製作所を代表する爪切り。職人が手で磨きあげ、ミラー仕上げにしている銘品。こちらは、ギフトボックス付きで18,144円。

のどかな田園地帯に年間3万人が訪れる

いずれにせよ、オープンファクトリーの空間と従業員たちのたたずまいはクリーンかつスタイリッシュで、昔ながらの工場や職人のイメージからはほど遠い。

「まさに私がオープンファクトリーで改善したかったのはそこです。とにかく、多くの人が工場に対して抱いている『キツい、汚い、危険』の3K仕事の労働環境とイメージを払拭したかった。それが結果として、工場見学の効率化やブランドイメージの向上、地域貢献につながったんです。もちろん、オープンファクトリーまでトントン拍子に進んだわけではないんですが……」

家業へ入るも……衝撃の職場環境

オープンファクトリーの入り口を入ったところ。左のアート作品は爪切りの端材で作られている。工場内には、同様に盆栽を模したものやライオンなど、端材を使用した作品が展示されている。オープンファクトリーの入り口を入ったところ。左のアート作品は爪切りの端材で作られている。工場内には、同様に盆栽を模したものやライオンなど、端材を使用した作品が展示されている。

オープンファクトリーの入り口を入ったところ。左のアート作品は爪切りの端材で作られている。工場内には、同様に盆栽を模したものやライオンなど、端材を使用した作品が展示されている。

諏訪田製作所の前身は大正時代の1926年、小林知行の祖父・小林祝三郎氏が手がけた「喰切(くいきり)」製造に始まる。喰切とは、木材から飛び出したくぎの頭や針金など硬いものをえぐり切るための大工道具。その後、爪切りの開発を経て、1974年に父・小林騏一氏により現在の諏訪田製作所が設立された。

「物心ついたときから家業に触れてきたので、いずれ継ぐことになるんだと刷り込まれてました。ただ、実際に新卒で就職したのは地元の小さな商社です。今振り返ればきっとモラトリアム期間で、家業を継ぐ前に、なにか経験しなくちゃなって考えていたんだと思います」

商社で5年ほど働いた後、いよいよ諏訪田製作所へ入社する。しかし工場と職人は、「むちゃくちゃ(笑)。町工場とすら呼べない、産業革命以前の家内制手工業」(小林)が繰り広げられていたという。

「父親が社長で、その弟たちが職人なんですが、なにを作るかは彼ら=おじさんたちが場当たり的に決めていて、経営っていう視点がまるでなかったんですね。朝礼もなければ日報もない。なにを言っても『そんなことしてるヒマがあったら手を動かすのが職人だ』って返されるんだけど、おじさんたちを見てると出社したら朝の連続テレビ小説を見ながらみんなで朝食を食べて、そのあと新聞を持ってトイレに30分くらいこもってる。もう会社以前の問題だったんです」

とにかく人は変わらない

 

それまでの商社勤めから一転、「ゆるすぎる」実家に帰ってカルチャーショックを受けた小林。その後も、まともな会社にしようと孤軍奮闘する小林に対して、彼らは「職人だから」を盾に受け流し続ける。

「ご近所の長岡市出身で、日本の海軍を率いた山本五十六の『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ』という名言があるんですが、実際は『やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやっても、人は動かじ』ですね。とにかく人は変わりません。だからといって、新しい人を入れても『金八先生』の腐ったミカンと同じで悪いほうに染まるんですよ。じゃあ、こっちが変わらなくちゃいけない」

そこで生産管理を徹底しようと、爪切りを増産することにした。しかし、肝心の職人たちのやる気がなく、作ってはくれない。

「爪切りを作るのが面倒くさいだけなんです。だったら作りやすいようモデルチェンジしようよと、おじさんたちも巻き込んで新たに開発したのはいいんですが、今度はコストがかかって値段が高くなってしまいました。当時でも高級とされていたドイツ製の爪切りが4,000円、自社の爪切りもそれくらいで売られていたのに、モデルチェンジしたらメーカー希望小売価格が7,000円になりました。もちろん、まったく売れずに問屋さんからは『こんなもん売れるわけねえだろ、もっと値下げしろ』と言われてしまいましたね」

コストがかかっているだけに値下げは難しい。そこで、小林は鹿児島から北海道までクルマで全国行脚をしながら飛び込み営業を続けた。鳴かず飛ばずの日々が続くなか、「せめて置いてくれるだけでいいから」と預けてきた神戸の雑貨屋から「1個売れたからまた送って」という連絡が入る。それをきっかけに、問屋での扱いが始まり、徐々に軌道に乗り始めた。

「結局、人は変わらないので、こっちが変わらないといけないんですよ。そもそも、高級爪切りの需要なんてないんですから、効率が悪くても地道に営業しないといけない。いまできることをやるしかないんです」

オープンファクトリー内の諏訪田製作所の歴史をたどる展示の一部。創業後、工具の「喰切」を経て、爪切りの製造へと移行していった。

労働環境の改善をきっかけに
オープンファクトリー計画が始動

 

工場内の様子。ブラックの作業着をまとった職人たちが、ブラックに塗装された工作機械を操り、作業を進める。今回は特別に工場内部への入室が許可されたため、爪切りの部材を研磨する職人の手元などを撮影することができた。

諏訪田製作所の爪切りをひとたび使ってみれば、握りやすいグリップに軽く力を込めるだけで硬い足の指の爪まで簡単に切れる使い勝手と切れ味の良さに誰もが感心してしまうだろう。モノとしての美しさと、道具としての機能性は、ほぼすべての工程が手作業かつ、自らオーバースペックと自認するほどぜいたくに使われた部材の良さに由来する。

かくして、じわじわと売れ始めた高級爪切り。それでも当の職人たちは相変わらず作りたがらなかったというのだから問題は根深い。

「約20年前に開発して、全国のデパートに卸されるようになったのが、ほんの10年前。でもその成長のペースが会社にとって、よかったかなと思っています。実際、手作りなので大量生産できません。ただそのあいだに、世間のトレンドは大量生産した安価な商品をたくさん売る流れから、作り手の素性がわかるなどの高付加価値の商品を少しずつ売る流れに変わっていった。決して先見の明があったわけじゃなくて、このやり方しかできなかっただけなんですけどね(笑)」

そう謙遜する小林だが、その慧眼はオープンファクトリーにも生かれるされることとなる。

そもそも、オープンファクトリーというのは、ひらたく言うと「工場見学」「工場公開」のこと。一般的に食品加工工場の見学サービスが有名だが、それもほとんどがボトリングやパッケージングの過程を公開するもので、多くの製造工程は企業秘密。諏訪田製作所のような高付加価値をもつ工場が製造過程の大部分を公開するのは異例中の異例だ。

そのきっかけとなったのは……。

「もともとは工場にエアコンをつけたかっただけなんです。そもそも研磨作業が必要な金物工場には、鉄粉を吸い取るための排気設備があって冷房効率が悪いので、エアコンがないのが当たり前。そんななか2003年頃に、この地方では珍しく2年連続で猛暑が続いて、職人さんが熱中症で倒れちゃったんです。いくら『水を飲んで』『塩あめをなめて』って言っても言うことを聞いてくれない。そう『人は変わらない』。だから、もうエアコンを入れるしかないなと思ったんです」

いわば、労働環境の改善のために始まったオープンファクトリー計画。それは同時にさまざまな問題解決の糸口になったという。

「爪切りが市場で評価されたこともあり、その頃は業務に支障をきたすくらい工場見学の依頼が増えていたんです。当時は動線もないボロい工場ということもあり、そのたびに案内しないといけなかったのが、オープンファクトリーにすると『ご自由に見ていってください』と言えるようになりました。同時に、熱中症問題を根本的に解決するためエアコンを通常の2倍に増やしました。設置に7,000万円、電気代だけで年間1,000万円もかかりますけど、工場内と見学ルートの空調を共有することで、職人にもお客さんにも喜んでもらえるようになりました。また、爪切りの製作工程をじっくり見てもらったら『7,000円は決して高くない』と理解してもらえるし、職人たちも見られることで意識が変わります。結果的に産業観光のスポットにもなって、地域に貢献できたのかなとも感じますね」

課題を洗い出し、
徹底的に考え続けることで
解決の糸口をつかむ

場内の通路にはタブレット端末が設置されており、見学者が自ら操作することで、職人の手元をズームアップすることができる。

始める前は同業者から「製造工程を見せるなんてありえない」、職人から「作業に集中できない」と反対されたオープンファクトリー。しかし、ふたを開けば年間3万人が来訪。スタイリッシュな労働環境と、丁寧なモノ作りの現場を自由に見てもらうことで、ブランドイメージは著しく向上した。「これだけ手が込んでいるなら7,000円の爪切りは決して高くはない」というわけだ。また労働環境を改善したことで若い世代、とりわけ女性の職人の希望者も増え、人材不足解消にも役立った。結果的に、オープンファクトリーというひとつの取り組みがいくつもの課題を解決することになったのだ。

それにしても、小林のひらめきはどこから来たのだろうか?

「『熱中症困るよね』『工場は掃除しにくいよね』『人が来るときれいにするよね』『なんで爪切りが7,000円もするのか理解してもらえるよね』……そういう問題をずーっと考えてきたところに、前々から漠然と考えていたオープンファクトリーとつながった感じですね。もはや、私が言い出したことじゃなくて、社員で共有される課題解決のためのキーワードがオープンファクトリーになってました」

とすれば、ひらめきは課題の洗い出しと、取り組みたいことを共有することから生まれるのかもしれない。会社を改善するためにできることを徹底的に考えていくと、いまできること、やるべきことが見えてくるという。では、今後取り組みたいと考えていることとは?

「まず、2018年4月から専任の開発部門を設けました。あと、そろそろ工場も手狭になってきているので、拡大したいとも考えています。特にこの近隣は食事をするところがないので、福利厚生の社食を兼ねたレストランも作りたいですね。個人的には……大好きなソフトクリーム屋さんも始めたいんですが、さすがにこれは会社じゃなくて個人でやらないとマズいだろうなと(笑)」

最後におちゃめな一面を見せてくれた小林。その独自のひらめきを源泉にして、諏訪田製作所が金属加工のテーマパークになる日がやがて来るのかもしれない。

株式会社諏訪田製作所 代表取締役
小林知行
こばやし・ともゆき/1963年、新潟県生まれ。大学卒業後、地元である三条市の商社を経て、実家でもある株式会社諏訪田製作所に入社。1997年、3代目として代表取締役に就任。職人の評価制度の見直しをはじめ、工場環境の改善、オープンファクトリーの実施など、経営者として多岐にわたり、手腕を振るう。オープンファクトリーには現在、年間3万人もの人が訪れる。新商品の開発や、国内外の展示会への出展なども積極的に取り組んでいる。

text:FRISK JOURNAL
photo:有坂政晴(STUH)