ほぼ日刊イトイ新聞

2020-07-02

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・緊急事態宣言のちょっと前くらいから、
 「こういうときこそしっかりしなきゃ」というような、
 なんというか長男っぽいような自覚というか、
 曲がりなりにも社長やってるという責任感というか、
 ともかく「なにか有意義でありたい」と思いすぎていて、
 そこからいつまで経っても抜け出せないでいる。
 まぁ、要するに、一般的には「貧乏性」という状態です。

 「なにか有意義でありたい」は、ほんとはダメだ。
 食事をするのに、「栄養をつけたい」と言ってるような、
 旅に出て、「土地の文化を学んで来たい」と言うような、
 修学旅行の建前みたいなことになってしまう。
 そういう側面はあるにしても、
 いいもわるいも、酸いも甘いも、硬いも軟らかいも、
 まるごとを口に入れていなきゃ、生き方が不自然になる。
 「なにか有意義でありたい」は、ただのツッパリですよ。

 会社にいて、生身の人間と接しているときには、
 そんなふうに「なにか有意義でありたい」では通らない。
 人と人、のナマモノが同じ場にいるというのは、
 温度だとか呼吸だとか、気配みたいなものに至るまで、
 それこそ、まるごとを伝えあっているからね。
 「有意義でありたい」と意識し続けているような
 貧乏性な態度でいたら、人が相手にしてくれなくなる。
 そういう剣呑な雰囲気は、自然に人を遠ざけるからね。
 気心の知れた人たちと同じ場にいたら、
 「ただいることも、いいね」という気持ちでいられる。
 少々くたびれていて、夜中にキーボードに向かっている。
 なんていうときが、いちばん怪しくなっているんだよな。
 そう「なにか有意義でありたい」の姿勢で、
 文章を書こうとしはじめちゃうんだろうなぁ。

 でもねー、気楽に「うまくできた梅ジャム」の話だとか、
 『愛の不時着』の世界に不時着しそうな話だとかでも、
 ついつい「有意義」の方向に書こうとしはじめちゃうの。
 わかる人にしかわからないだろうけど、
 心の奥では、澤村さんのせいかもしれないんだけどね。

 でも、今日は晴れた日になるみたいだから、
 「これでいいのだ(Let it be)」になれると思います。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」が神田に引っ越しするという話も、またいずれ。


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