「東京裁判史観(自虐史観)を廃して本来の日本を取り戻そう!」
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
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《 いま注目の論点 》
★EU、ASEAN、日本の選択は……――平田雄介さん
★「国家の守護神」思想を再考する――小堀桂一郎さん
★中国VS.米国、そして日本――中西輝政さん
★出入国制限緩和 なぜ台湾を含めないのか――産経新聞
★対中対決戦略を説く「Y論文」――湯浅博さん
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真珠湾攻撃に踏み切る前、日本はABCD包囲陣による経済封鎖を受けて、鉄鉱石一つ、石油一滴入手できない状態でした。そこにアメリカは「ハル・ノート」を突きつけてきます。シナ大陸からの即時撤退、日独伊三国同盟の破棄、反日的蒋介石政権の承認など、日本政府がのめるわけがない要求ばかりでした。実質的な最後通牒と言えるものです。これでは、日本が「卑怯な騙し討ち」を行う理由などどこにも見当たりません
◆原爆投下の正当性=早期解決・人命節約論
『アメリカの戦争責任』
【 竹田恒泰、PHP研究所 (2015/8/18)、p40 】
トルーマン大統領は、広島に原子爆弾を投下した昭和20年(1945)8月6日に新聞を通じて、広島への原爆投下に関する大統領声明を発表し、長崎に投下した8月9日には、今度はラジオを通じてアメリカ国民へのメッセージを発した。この二つに示されていることが、アメリカの公式見解として現在まで引き継がれているので、該当部分を示しておきたい。
(中略)
昭和20年8月9日、ラジオ放送「ポツダム会談に関する報告」
我々が開発した爆弾を使用した。真珠湾で我々に通告することなく
攻撃を行なった相手に、アメリカ人捕虜を飢餓にさらし、殴打し、
処刑した相手に、そして、戦時国際法を遵守する素振りさえかなぐ
り捨てた相手に、原子爆弾を投下した。我々は戦争の苦しみを早く
終わらせるために、数多くの命を、数多くのアメリカの青年を救う
ために、原子爆弾を投下したのである。
●「マジック報告」が伝えた日本の和平工作
【 同、p94 】
アメリカ陸軍省が傍受した通信を大統領に報告する機密報告書がある。これは「マジック報告」と呼ばれるもので、大統領とその側近の一部に回覧され、読後に破棄される極秘文書とされている。サイパン島が陥落した翌月、昭和19年(1944)8月11日付のマジック報告には、日本が講和を模索している事実が、次のように書かれている。
重光葵(まもる)外相は、ロシア〔ソ連〕に和平交渉の仲介をする意
思があるかどうかを探るように佐藤尚武(なおたけ)大使〔モスクワ
駐在〕に指示した。重光の指示は注意深く言葉を選んでいるが、そ
の真意がロシアのほうから動いて日本と英米の仲介をしてもらいた
いというところにあるのは明らかだ。〔中略〕少なくとも新しい日
本の内閣のより重要なメンバーの何人かと相談することなしにその
ような行動に出たということは、ほとんどあり得ないように思える。
〔中略〕日本が直接ロシアに対しては和平の用意があると意思表示
したのは初めてのことだ。
(MAGIC, No. 869, August 11, 1944, RG457, NA.)
●戦争を終わらせるための選択肢
【 同、p121 】
日本との戦争を終わらせるための四つの選択肢とは、A案「原爆使用」、B案「ソ連参戦」、C案「降伏条件緩和の声明」、D案「本土侵攻作戦」である。D案の本土侵攻作戦は多くの米兵の犠牲者が生じるため、最悪の選択肢として留保されていた。そして、既に示したように、アメリカの国家指導者たちのほとんどが統一した見解は、C案を早期に実施することが最良の策というもので、そのことを大統領に勧告していた。しかし大統領は、C案よりも常にA案「原爆使用」とB案「ソ連参戦」の選択肢を優先させたのである。
(中略)日本が終戦を望んでいることを示す確実で決定的な証拠を得ても、トルーマン大統領は、なお原子爆弾を使用する方針を変更しなかった。
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◆原爆投下の正当性=早期解決・人命節約論
『アメリカの戦争責任』
【 竹田恒泰、PHP研究所 (2015/8/18)、p40 】
トルーマン大統領は、広島に原子爆弾を投下した昭和20年(1945)8月6日に新聞を通じて、広島への原爆投下に関する大統領声明を発表し、長崎に投下した8月9日には、今度はラジオを通じてアメリカ国民へのメッセージを発した。この二つに示されていることが、アメリカの公式見解として現在まで引き継がれているので、該当部分を示しておきたい。
(中略)
昭和20年8月9日、ラジオ放送「ポツダム会談に関する報告」
我々が開発した爆弾を使用した。真珠湾で我々に通告することなく
攻撃を行なった相手に、アメリカ人捕虜を飢餓にさらし、殴打し、
処刑した相手に、そして、戦時国際法を遵守する素振りさえかなぐ
り捨てた相手に、原子爆弾を投下した。我々は戦争の苦しみを早く
終わらせるために、数多くの命を、数多くのアメリカの青年を救う
ために、原子爆弾を投下したのである。
●「マジック報告」が伝えた日本の和平工作
【 同、p94 】
アメリカ陸軍省が傍受した通信を大統領に報告する機密報告書がある。これは「マジック報告」と呼ばれるもので、大統領とその側近の一部に回覧され、読後に破棄される極秘文書とされている。サイパン島が陥落した翌月、昭和19年(1944)8月11日付のマジック報告には、日本が講和を模索している事実が、次のように書かれている。
重光葵(まもる)外相は、ロシア〔ソ連〕に和平交渉の仲介をする意
思があるかどうかを探るように佐藤尚武(なおたけ)大使〔モスクワ
駐在〕に指示した。重光の指示は注意深く言葉を選んでいるが、そ
の真意がロシアのほうから動いて日本と英米の仲介をしてもらいた
いというところにあるのは明らかだ。〔中略〕少なくとも新しい日
本の内閣のより重要なメンバーの何人かと相談することなしにその
ような行動に出たということは、ほとんどあり得ないように思える。
〔中略〕日本が直接ロシアに対しては和平の用意があると意思表示
したのは初めてのことだ。
(MAGIC, No. 869, August 11, 1944, RG457, NA.)
●戦争を終わらせるための選択肢
【 同、p121 】
日本との戦争を終わらせるための四つの選択肢とは、A案「原爆使用」、B案「ソ連参戦」、C案「降伏条件緩和の声明」、D案「本土侵攻作戦」である。D案の本土侵攻作戦は多くの米兵の犠牲者が生じるため、最悪の選択肢として留保されていた。そして、既に示したように、アメリカの国家指導者たちのほとんどが統一した見解は、C案を早期に実施することが最良の策というもので、そのことを大統領に勧告していた。しかし大統領は、C案よりも常にA案「原爆使用」とB案「ソ連参戦」の選択肢を優先させたのである。
(中略)日本が終戦を望んでいることを示す確実で決定的な証拠を得ても、トルーマン大統領は、なお原子爆弾を使用する方針を変更しなかった。