モモンガたちが成り行きで地下娼館を襲撃した翌日、多くの王国民にとって王都リ・エスティーゼはいつもと変わらぬ平凡な一日であった。
しかし、鋭い観察眼の持ち主であれば路地裏を行き来する人影が多いことに気付いただろう。
何気ない日常の裏側では、八本指の命を受けた末端の構成員や下部組織が襲撃犯を探し出そうと躍起になっていた。脛に傷持つ者たちが慌ただしく走り回っていたのだ。
襲撃を受けた八本指の動揺は大きかった。王国の影の支配者を自負する彼らの力をもってしても、犯人へと繋がる情報がなにひとつ得られないのだ。娼館襲撃の噂だけがひとり歩きをし、現場を走り回る者たちの混乱に拍車をかけた。
八本指を特に悩ませたのは、今回襲撃された娼館がコッコドールの経営する娼館の中でも一番表沙汰にしてはならない場所だったことだ。
王国で違法とされる奴隷を商品としていただけでなく、顧客に上流階級が多く含まれていたのだ。速やかに事を収め、金を積んで揉み消さねば貴族相手の戦争が始まる恐れもある。
そんな状況の中、事態を重くみた八本指の長たちが緊急会議を開いたのは自然な流れだ。
しかし、元々独立した八つの組織が王国内で影響力を得るために寄り集まってできたのが“八本指”という組織。雲を掴むような状況に話し合いは遅々として進まない。
一括りに八本指と恐れられてはいたが、互いの利害によっては平気で足の引っ張り合いを行うような組織なのだ。
それ故に円卓を囲んでいるにもかかわらず、平時から渋々顔を突き合わせてきたこの連中が非常事態とはいえ急にまとまれるわけが無かったのだ。
「いい加減にしやがれ! 仮にも組織を束ねる長だろう。この期に及んで内輪揉めなんてみっともない真似をするんじゃねぇ」
会議が堂々巡りし、話し合いが罵り合いへと変わり、裏切り行為への疑念が噴出した辺りで、警備部門の長、巨漢のゼロが場に活をいれる。
顔の半分に獣の入れ墨を彫り込んだ彼の凄味にさしもの裏社会の頂点たる他の長たちも押し黙る。
「整理するぞ。コッコドールが経営していた娼館が襲われた。正確には現場に残された状況から襲われたと断定した。扉が破られ、血溜まりもあった。建物も一部損壊していたから、何かがあったのは確かだ。そして不可解なことに建物の中には
この場で唯一、直接現場を見てきたゼロの説明に誰も疑いを向けない。筋骨隆々な外見から粗暴な印象を受けるが、彼もまた一部門の長であり、必要のない嘘は吐かない性格だと皆知っているからだ。
そんなゼロの説明を他の長たちが引き継いでいく。
「付近の住人は一人として襲撃に気が付かなかった。一部異常な眠気が襲ったと訴えている住民もいるが、証言が曖昧で何とも言えん」
「朱と蒼、どちらかの線は?」
「無い。裏を取ったが、どちらも王都を離れている。ガゼフ・ストロノーフも娼館が襲われたと思われる時間帯は王城にいた。国王派閥は除外していいだろう」
「しかしなぁ、人間以外にも家具なども持ち出してるんだろ? 少数の冒険者には到底できない芸当だ。間違いなく大規模な組織が関わっている。そこで疑問なんだが、我々に敵対するような組織がこの王国にいるか?」
ここで話し合いは行き詰まり、振り出しに戻る。
結局のところ“何も分からない”のだ。
何度状況を整理したところで、解決の糸口が見つかるはずもない。
「ヒルマはどう考える? お前の所も襲われたんだろ?」
「そうだね、襲われたね。でもやった奴は違うと思うよ」
答えたのは病的なまでに透き通った肌に白い衣装を着た女だった。紫煙を上げる煙管を持つ手から肩口までを“昇る蛇”の入れ墨をしていて、薄い衣服で着飾る姿は退廃的な高級娼婦を思わせるが、彼女は麻薬部門の長である。
「うちの畑を襲った奴も痕跡は残していないけれど、ただ現場は普通だった。畑と加工済みの黒粉はその場で燃やされていたし、住民に偽装した部下の死体もそのまま。手口は手堅いが、
ヒルマの報告に他の長たちは唸る。娼館を襲った相手が既知の存在ならばいかようにも対処ができたはずだが、ヒルマの証言はそれを否定している。
「となると、さすがに評議国の亜人共が干渉してくるとも思えんから、帝国、法国、聖王国のいずれかが背後にいると考えるべきか?」
「しばらく王都を離れて活動したほうがいいかもしれないな」
ゼロがその言葉を拾い釘をさす。
「どこで活動しようと勝手だが、相手の正体を掴むまでは慎重に行動しろ。マルムヴィストとエドストレームが戻るまでは警備部門の戦力は事実上半分だからな。ヒルマ、お前のところに警備を割くか?」
「いらないよ。これから新しい畑を作らなきゃならないんだ。余計な出費はしたくない。だから代わりにコッコドールの部下を私のところで引き取るよ。それよりもさ、娼館の件は警備部門に任せていいのかい?」
ヒルマは他の長たちに確認の意味を込めて順繰りと視線を送る。
「六腕のサキュロントも行方不明なんだ。警備部門は当事者といえる。任せても問題無いだろう」
「そうだな。元々荒事は警備部門の担当だ。ただ今回ばかりは要請があれば協力しあう、ということでどうだ?」
「異議なし。それで構わんだろう」
各部門の長が娼館襲撃の調査を警備部門に一任することへ賛成する。
「そういう訳だ、ゼロ」
「初めからそのつもりだ。このままじゃ警備部門の沽券にかかわる。話すことが他に無いなら俺はもう行くぞ」
ゼロの言葉に他の長たちも頷きあう。
こうして姿の見えぬ敵に一抹の不安を残したまま、緊急会議は解散となった。
時を同じくしてロ・レンテ城内、ヴァランシア宮殿のとある一室でも秘密の会合が開かれていた。
部屋に備えられた小さなテーブルを身なりの良い三人が囲んでいる。
一人は金髪碧眼の美貌と国民を思いやる精神を併せて“黄金”と謳われるラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国の第三王女である。
二人目は冴えない風貌だが上等な衣装を纏った小太りの男。ラナーの腹違いの兄、ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国の第二王子その人である。
そして三人目は長身痩躯で金髪をオールバックで固めた男。細身の身体と切れ長の碧眼から蛇を想わせる彼はエリアス・ブラント・デイル・レエブン。トブの大森林の西に領地を持つ六大貴族の一人だ。
三者共に一癖も二癖もある人物だが、利害が一致した同志でもある。
ラナーは幼少期より、洞察力、発想力、理解力といった思考に関わる全ての能力が異常発達したいわば天才。その英知は比類なきものであったが、不幸なことにその卓越した思考力で紡ぎ出される言葉を周りの大人たちは理解することができなかった。
そして周りの大人たちが彼女を理解できないのと同じように、彼女自身もまた、なぜ自分に理解できることが周りの人間は理解することができないのか、それが分からなかった。
最低限の愛をもって育てられたものの、幼少期を誰にも理解されずに育った彼女の苦悩は精神を歪ませるには十分だった。同格の存在が身近にいなかったことが、ゆっくりとだが確実に歪みを大きくしてしまったのだ。
ともすれば悪魔的な英知を持った化け物になっていたかもしれないラナーだったが、一人の子犬のような眼差しを向けてくる少年を拾うことで、辛うじてその人間性を繋ぎとめていた。
子犬から少年、少年から青年になっても純粋な瞳を変わらず向けてくる存在が居たからこそ、その瞳を通して己を省みることができたのだ。その純粋な瞳が曇らないよう、可憐なお姫様に扮することを学んだのだ。
人を数字としてしか見ることができなくなっていた彼女が、普通の人間として他人と接することができるようになったのは、ある意味彼女の本性に触れることなく平穏に接することができるようになった周囲の人間にとっては幸運なことであっただろう。
そして、今では純粋な瞳のまま逞しい番犬となった青年がいるだけで、ラナーの世界は完結していた。周囲に過度な悪意をばら撒くことも無く、第三王女という立場を維持したまま青年を鎖に繋いで何処にもいかないように飼う。自分を見る純粋な瞳を守る。ただそれだけを行動理念とし、一人の青年のためだけに慈悲深いお姫様であり続けているのだ。
「まさかお前とこうして会うようになるとはな。未だに慣れん」
「お兄様が王位に就かれるまでの辛抱です」
ザナックは小太りで冴えない風貌通り、肉体的な傑物ではないが思慮には富んでいた。第一王子を追い落とし次期国王となることを目論んでいた彼は、城内に味方を増やそうと活動するなかでふとしたきっかけで妹の本性に気付いたのだ。
度々革新的な政策を提案するラナーだったが、採用されるのは稀であった。
根回しが下手なだけだとザナックも初めは思っていたのだが、これが政策に深くかかわらないことで、「政治的な敵を作らないよう意図的に廃案になるよう導いているのではないか」と勘ぐったのだ。
そう考えれば普段メイド相手にみせる「年相応の無害な少女」も情報を集めるための演技と思えたのだ。
それが確信に変わったのは、一月ほど前にスレイン法国からもたらされた
犬を飼い始めてから鳴りをひそめていたラナーの
ラナーはこの提案に即了承した。
というのも、六大貴族のボウロロープ候の娘を嫁に持つ第一王子が貴族派であり、ラナーを政略結婚の道具として利用しようと画策していたからだ。
立場上抗う術を持たない彼女にとって、ザナックの提案は渡りに船であったのだ。
そして陰ながらザナックの後ろ盾になっていたレエブン候もまた、ラナーの頭脳に舌を巻いた一人である。
王派閥と貴族派閥の双方へ巧みに接してきた彼は蝙蝠と揶揄されていたが、その実、王派閥の影の領袖であり、王国が崩壊しないよう両陣営の均衡を保つために腐心してきた忠臣だ。
幼少期のラナーを知るレエブン候は数年を要してラナーの能力に気づくことができたが、ザナック王子と同様にそれほど重要視はしていなかった。
しかし、自由に動かせる配下は番犬一匹、当の本人は政策にさして興味も無さそうな籠の鳥と、半ば眼中になかった16歳の小娘が、まさかメイドたちと交した他愛もない日常会話から“レエブン候こそが王派閥の領袖であると気づいた”と聞かされたときは、開いた口が塞がらなかった。
各派閥に対してある程度の影響力を保つために本心を隠し、極力派閥色を出さないよう振る舞ってきたが、それをいとも容易く見破られてしまったのだ。
面と見破られたときは動揺したが、しかし、「後継ぎとなる5歳の息子のために国を良くしたい」という至って子煩悩な理由で気持ちを切り替えると、第二王子故に未だ私兵を持たぬザナックと、第三王女故に政治的な発言権が低いラナーに代わり、王国のために両派閥間に干渉し、必要に応じて秘密裏に私兵を動かす決意を固めたのだ。
奴隷の廃止や冒険者組合の改革など、ラナーが提案してきた政策は善政だ。
それを今後も上手く引き出すことができれば、間違いなく王国は豊かになるとレエブン候は考えた。
この三者同盟が結ばれてまだ一月ほどだが、ここ最近の会議で決められたいくつかの案件は早くも功を奏しており幸先は良い。
今の王国は玉座の間ではなく、この小さな部屋を中心に回り始めているのだ。
「ラナー様、今回呼ばれた理由は何となく察しておりますが、直接伺っても?」
「はい。八本指に何が起こっているのか、私に教えてください」
その言葉にレエブン候は「やはり」と頷く。
「娼館を生業としていた部門の長が、一つの娼館ごと消えました。部下と商品であった娼婦も、そして客と娼館にあったであろう備品も全てです」
「全て、ですか? 目撃者は?」
「おりません。住民が多くいる区画にもかかわらず、不思議と誰一人としてその異変に気づいた者はおりません」
「そんなことが可能なのですか?」
「通常の手段ではありえません。つまり」
「――魔法的な手段を使われた可能性があると」
「はい」
そこまで聞くと、ラナーはしばし思案する。
「王城が騒がしいのは消えた客の中に王族か貴族が?」
「貴族に何名か。王派閥1名、貴族派閥2名が行方不明のようです。家の恥と隠しているようですが、行方不明になったのが次男や三男などで、すぐに問題になることはなさそうです」
「ふん。流石に娼館へ入り浸っていた息子どもを探してくれとは言いだせんか」
ザナックがなかば呆れたような声をあげる。
それでもこうして噂がたってしまうのは行方不明者が貴族階級ゆえだろう。
互いに蹴落としたくてしかたがないのだ。
「なるほど、分かりました。しかし、魔法が使われた可能性があるのなら、蒼の薔薇が不在なのは痛いですね」
今、ラナーの
「それに関しては申し訳ない。まさかトブの大森林へ送ったミスリル級冒険者が2チームとも音信不通になるとは思わなかったので」
蒼の薔薇は現在、この三者同盟が生まれる原因となった
レエブン候が送り出したミスリル級冒険者の2チームには、決して無理をせず情報を持ち帰るよう指示していたのにもかかわらず一人も帰ってこなかったのだ。
これが一般的な討伐依頼の最中に行方不明になったのであればランクが一つ上のオリハルコン級冒険者に捜索依頼がいくところだが、
王国唯一の蘇生魔法の使い手であるラキュースを死地に送るのは躊躇われたが、そもそも推定難度240以上の竜王が近隣に現れた時点で王国は滅ぶ。
であるならばと、少しでも情報を持ち帰る可能性がある蒼の薔薇を向かわせたのだ。
結果として今、イビルアイの知識に頼ることができなくなってしまったが、現時点で他に頼る当てが無い以上、蒼の薔薇を捜索に向かわせたことは間違いではないとラナーは判断していた。
「仕方がありません。王国の存亡がかかっているのです。
「存亡で思い出しました。――竜王国に関する確定情報が先日ようやく届きました。こちらが資料です」
レエブン候は懐から資料を取り出すとラナーとザナックの前に差し出す。
資料には、竜王国が置かれていた当時の状況、解決に至った経緯、現在の状況の他に、
資料に目を通したラナーの表情が険しくなる。
その様子を見たザナックが恐る恐る伺う。
「ど、どうした。不味い状況か?」
「不味いどころではありません。完全に出遅れています」
比類なき英知をもつラナーには一つの弱点があった。
正確には、この世界の人間全てに当てはまる弱点だ。
それは情報の伝達速度が恐ろしく遅いこと。
知り得なければ対策を採ることができないのだ。
ラナーが竜王国の噂を聞いたのは、竜王国がナザリックに救われてからゆうに七日後のことだ。そこから真偽を確かめるためにレエブン候が手の者を竜王国へ送り、数日の調査を経て情報を持ち帰るのにやはり七日以上かかってしまうのだ。
当然
300年前、
組織を統べる者であれば、あるいは英才教育を受けた者であれば誰もが知る歴史的事実だ。
故にこの世界の人間は
信用できないのだ。
ラナーはこの遅すぎる新情報を基に、ここ最近起こった出来事を振り返る。
バラバラに起こっていた出来事が一つの線で繋がろうとしていた。
「出遅れているというがな、妹よ。捉えようによっては好機ではないか? 六大神に匹敵する神が現れたのであれば万が一、
「確かにザナック王子の言う通り、今からでも使者を送り関係を築けば、
ラナーは小さく息を吐くと自分の考えを告げる。
「いいえ。この協定は全ての国を対象にはしていません」
「なぜ、そのようにお考えで?」
「もし本当に、全種族へ向けた共存協定であれば、
ザナックが資料を片手に答える。
「恐怖ではないのか? 協定に違反した国は神が罰すると書かれている。亜人共を駆逐した八欲王の伝説を知る者であれば、恐ろしくて反抗できないだろう。あの伝説はお伽噺になるほど古いが、今も民草には根付いている」
「お兄様、確かに恐怖は抑止力となるでしょう。でも、7万近いビーストマンを一日で追い返す武力を持っているにもかかわらず、この神は自治を推奨し自立を促しています。神は表立って支配する気はないのです。そこで思い出してください。スレイン法国が今までどうやって国をまとめてきたのかを。
レエブン候がハッとラナーを見る。
「ま、まさか。それは亜人という
「はい。彼らを一つにまとめていたのは、実害を伴う目の前の敵です」
「だとすると、いやしかし、
見る間に青くなるレエブン候に、ラナーは淡々と告げる。
「この共存協定に定員数があるかは分かりませんが、席に座る最初の機会を得たのは恐らく竜王国。逆に、過剰なまでに亜人と敵対していたスレイン法国は、まだ席に着いていないと思います。彼らは父との謁見の場で、国策を改め内政を調整中であると言及しました。その一環で予言を伝えにきたとも。恐らく彼らは今、神に試されているのでしょう。亜人を受け入れることができる国造りをしているはずです」
ラナーは一旦言葉を区切り、深呼吸をする。
「最後まで席に着けなかった者は生かさず殺さず、共栄圏を維持するため
それを聞いてザナックとレエブン候は震え上がる。
「王国は、共栄相手として価値が無いと判断されたのか?」
「それを判断する者がいるはずです。この国の暗部を見ら――」
「は、八本指っ!」
ザナックの悲鳴にさえぎられ、そしてラナーは察する。
「レエブン候、その襲われた娼館は、なにか
「はい。娼館と呼んではおりますが、実情は奴隷同然の女を手荒く扱う店だったようでして。そこに入れられた女は二度と出られないと」
“二度と出られない”が何を意味するのか、容易に想像できたラナーは目を瞑る。
「娼館を襲ったのが神の使者であるなら、人知を超えた所業にも納得がいきますね」
「我々のように国を憂う者が活動していることを知ってもらわなければ。使者と接触できれば一番なんですが」
「この王都に使者がいるのは間違いないでしょう。問題はそれが誰かということですが、私に心当たりがあります」
「それは?」
ラナーは父である国王と、友人であるラキュースから聞かされた話を伝える。
「ここ最近、エ・ランテルに“漆黒”の愛称で呼ばれる冒険者たちが名を上げているそうです。たった3人で40名近い八本指の手下と渡り合い、一撃で
「その者たちでしたら私も耳にしたことがあります。南、竜王国ともスレイン法国ともとれますが、時期的に可能性はありますね」
「見つけられますか?」
「宿屋を利用していれば可能かとは思いますが、エ・ランテルの冒険者が王都にいますかね」
「彼らが現れて
「分かりました。ただ事は急を要します。ストロノーフ殿にも協力していただいた方が宜しいかと。私から話ができれば良いのですが、ただ生憎と私に対する心証が悪いようでして」
ラナーは思わず苦笑する。
国王直轄の王国戦士長であるガゼフ・ストロノーフは、政略的な場に身を置きたがらない。そのために、見たままの印象に流されやすいのだ。そういう意味で蝙蝠と揶揄されているレエブン候は、実直なストロノーフにとって苦手な相手と言えた。
「分かりました。彼には私の方から接触してみます。あと、並行してスレイン法国に大使を送る準備もお願いします。予言の返礼がまだだったはずですので、その辺を理由に派遣するように、できればお兄様か私が行くことになるよう父に掛け合ってみてください」
「畏まりました。出来るかぎりやってみましょう」
そう言うとレエブン候は時間が勿体無いとさっそく席を立つ。
そしてザナックも席を立ちラナーに声をかける。
「俺の方からも大使の件は父上に進言してみよう」
「お願いします、お兄様」
ザナックとレエブン候が連れ立って部屋を出ていくと、入れ替わりに純白の鎧を身に着けた一人の青年が入室する。
ラナーが愛する男だ。
「お疲れ様です。ラナー様」
「あら。お話ししていただけですよ? まだまだ元気です。それよりも、さぁ座ってクライム。お茶にしましょう。先日ストロノーフ様に稽古を付けていただいたって言っていたでしょ? そのときのお話を聞かせて?」
「――と、王女は考え、御方々と接触を試みるはずです」
ナザリック地下大墳墓、玉座の間では
現在、娼館から奪った資料を司書長たちが分析している最中で、それが終わるまで牧場経営の経過報告に戻っていたデミウルゴスに対し、王国に関する所感を求めたのだ。
曰く、リ・エスティーゼ王国の第三王女、ラナーをナザリックに迎え入れたい、と。
アルベドもパンドラズ・アクターも側にいるが、口を挟まないところをみるとデミウルゴスと同意見なのだろう。
モモンガが悩む素振りを見せると、代わりにやまいこがデミウルゴスに問う。
「デミウルゴス。確認だけど、“王国と同盟を組みたい”ではなく、あくまでも王女個人を迎えたいと? そのラナーという王女は、それほどまでなの?」
「はい。セバスの報告書で気になったため、
「アルベドたちもそう思う?」
「はい。置かれた環境によって得られる情報が限られているにもかかわらず、真実に到達できる知性は私共に匹敵すると考えています。彼女は言わば精神の異形種。人間にしておくのが勿体無いほどです」
アルベドに続きパンドラズ・アクターもそれに同意する。
「然り。奴隷廃止や冒険者への褒賞などのほか、実現されなかった街道整備や畑の連作を考案するなど、その立案能力には光るものを感じます。今後、アインズ・ウール・ゴウンの勢力が増していくなかで、新たな制度を生みだせる彼女の能力は有用かと思います」
《どう思う? モモンガさん》
《優秀過ぎてちょっと不安ですねぇ》
《やっぱり?》
モモンガとやまいこがラナーの受け入れに慎重な理由。
それは至って単純。
《素直に言うこと聞いてくれるかな》
デミウルゴスたちに匹敵する頭脳を持った彼女の制御に不安があるのだ。
ギルドメンバーたちが手ずから生みだしたNPCと比べてしまうと身もふたもないかもしれないが、普段から身近にいる人間が現状だと未だにクレマンティーヌ一人のため、組織外の人間には慎重になってしまうのだ。
それが階層守護者、とりわけ頭脳担当の三名に匹敵する相手となるとなおさらである。
とはいえ、アインズ・ウール・ゴウンを企業とみなせばやりようはある。
従業員たちには働きに見合った報酬を与えれば背信のリスクは軽減できるはずで、さらにそれらを管理職に任せてしまえばいい。
《でもまぁ、守護者達に預ければなんとかしてくれるんじゃないですかね、やまいこさん》
《わぉ、思ってたより投げやりな答え。でも、それが確実かな。それにしても、この子たちから人間をナザリックに迎えたいって言いだすとは思わなかったな》
《ですね。相手に求めるハードルが少し高い気もしますけど》
《まあそれは忠誠心の現れってことで。――じゃあそういうことで宜しく、モモンガさん》
《はい》
悩む素振りのまま動かなかったモモンガが顔を上げると、提案者であるデミウルゴスへ告げる。
「よかろう。王女に関してはお前たちに預ける。ただし、忠誠を示してもらう意味でも何かひとつ、課題を与えてからだ。課題はなんでも構わん。達成できたら階層守護者直轄の幕僚に任命する。それでよいな?」
「畏まりました。課題を用意するにあたってお願いしたいことがあります」
「聞こう」
「はい。王国の扱いについてもお任せいただけないでしょうか」
「与える課題に関連するのであればかまわない。ただ、大丈夫だとは思うが安易に滅ぼしたりはしてくれるなよ? 王国戦士長みたいな実直な男は嫌いじゃないからな。他にもいい人材が眠っているかもしれない。掘り出す前に無くなってしまっては元も子もないからな」
「その辺はご安心を。必ずやアインズ・ウール・ゴウンの利益となるよう事を進めさせていただきます」
「分かった。――では、課題が達成されるまで私とやまいこさんは正体を晒して王女と会うのは控えよう。状況によっては冒険者として会うことになるかもしれんが、そのときは臨機応変にいこう。よし、今日はここまでだ。皆、業務に戻ってくれ。アルベド、我々は部屋に戻る。司書長が資料を持ってきたら連絡をくれ」
「畏まりました。モモンガ様」
アルベドの返事を最後にこの場は解散となる。
後日、王都を観光中のモモンガたちに、八本指掌握の知らせが届く。